第三話 邂逅⑨

「見つけましたわよ、氷織ひおり


学院の制服姿の氷真ひさねは、幻獣動物園の入口近くで立っていた妹を見つけ、声をかけた。彼女を監督していた2名の従業員は氷真の姿を見ると、頭を下げてその場を後にした。


「約束の時間を過ぎていますわよ。近衛家たるもの、約束はどんな些細な事でも蔑ろにしてはならないと教えられたでしょう。…聞いていますの氷織?」


氷織は姉のありがたい言葉などまったく耳に入っていないようだ。彼女はまっすぐに、一方向を見つめていた。彼女の目には、今まさに駅を出発していく電車が映っていた。


(佐藤…ユーゴ。強くて、大きくて、優しくて、暖かい人…。ついに見つけた。私の、王子さま…)

「…この子、電車なんて興味あったのかしら」


妹のラブストーリーが突然始まっていることなど、この時点で姉は知る由もなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「今から獣医を集めて精密検査を実施するんだってよ。なんで急に暴れ出したのか原因が分かればいいがな」


動物園から電車に乗り、帰路についているのはユーゴ、サキ、そして氷織を連れて避難した大輝だ。入口付近で無事合流することが出来た。


「それはさておきユーゴ。お前がドラゴンをおとなしくさせたってホントなのか?高校生くらいの男の子が解決したって噂だけ流れて来てたけど。お前のことなのか?」

「あ~、それは多分俺だけど…。別に俺1人でおとなしくさせたわけじゃないぞ?サ…一条さんにも手伝ってもらったしな」

「いや、そんなの今更いいって」


友人の前で女子を名前で呼ぶのがやはり恥ずかしいユーゴである。1人向かい側に座っているサキは2人の会話を不思議そうな顔で聞いていた。とんでもない事件に巻き込まれたはずだが、ドラゴンがおとなしくなった後は驚くほど何事もなく帰宅できることになった。いわゆる事情聴取のようなものがあるにはあったが、非常に簡素なものだった。ユーゴとサキは、本当にこのまま帰っていいのか逆に不安になったほどだ。


「その、ユーゴ。…なんで服の左袖だけなくなってるのか、聞いてもいい?」

「これはー…、ドラゴンに噛みちぎられた。…服だけ」

「服だけ!?それは…、器用なドラゴンだな~」


ユーゴは大輝が物事を深く考える性格でなかったことに、心から感謝した。



時刻は3時を回った。いろいろあったせいで、昼ご飯を食べていない。このまま解散も味気ないので、学院の最寄り駅に到着したら、一緒に何か食べようと提案しようとしたユーゴだったが、目の前のサキは目を閉じ、刀を抱えてうつむいていた。どうやら眠ってしまったようだ。


大輝は、男の子、つまりユーゴがドラゴンの件を解決したと聞いたようだが、実際ユーゴが行ったのは、ドラゴンの口に麻酔球を放り込んだだけだ。それに至るまでの過程を考えれば、今回の件はサキなしでは解決できなかったと容易に理解できる。そして忘れてはいけない。彼女はユーゴのわがままに協力してくれたのである。


「ありがとな。これは1つ借りだな」


サキの寝顔をしばらく見ていたユーゴだが、何だか恥ずかしくなり目を逸らした。すると、隣に座っていた大輝が急にユーゴの肩にもたれかかってきた。


(こいつずっと眠そうだったもんな。でも…、男に肩まくらを貸すのは、なんか…気乗りしないな…)


そんなことを考えながら、ユーゴは少し体を動かした。



…ユーゴは決して激しい動きをしたわけではない。ただ少し、姿勢を変えただけだ。だが、ユーゴの肩に乗っていた大輝の頭は、ずるりと力なく肩から落ちた。その勢いのまま、大輝は電車の床に倒れてしまった。


「…?」


あまりに突然の出来事に、ユーゴは何が起こったのかまったく理解できず、一瞬呆然としてしまった。ユーゴはすぐに大輝の様子を確認する。…ただただ寝ているだけのようだ。もちろん医学はド素人だが、特に変わった様子はない。そして、ユーゴはこの電車内の違和感に気が付いた。


静かだ。


誰も、一言も話さず、物音すらしない。同じ車両に乗っている人は全員うつむき、もしくは席にだらりと横になっていた。電車が動く音、車両が軋む音だけが、不気味に車内に響き渡る。


「やはり思った通りだ。君の体にはすでに、抗体が作られているようだね」


ユーゴの背中から、落ち着いた男性の声が聞こえた。その言葉は、間違いなく自分にかけられている。大輝の様子を確認し終えたユーゴは、ゆっくりと後ろを振り向いた。


そこに立っていたのは、黒いコートに身を包み、フードを被った2人の人間だった。1人は異様なほど背が高く、頭が電車の天井につきそうなほどだ。もう1人は、身に纏っている黒いコートはぶかぶかで、コートの裾が地面についてしまいそうなほどだ。背は男の3分の1ほどしかなく、男から1歩下がった場所に立っていた。


「今使ったのは、君がにうけた薬と同じだよ。効果は、君も良く知っているだろう?」


サキも大輝も深い眠りについているようだ。大輝の体を少し強めに揺さぶってみたが、起きる気配はまったくない。


「この薬、実はかなりの劇薬でね。量を間違えると、文字通り永遠の眠りについてしまうほどなんだ。おっと、心配しなくても大丈夫。今使っているのは希釈したものだからね。私たちの話が終わるころには、目を覚ますよ」


落ち着いた口調で語り続ける長身の男。奥の小さい人物は先ほどから一言も話さない。彼らは何者なのか。ユーゴは頭の中を整理できず、呆然と2人を見上げていた。


「さて、まだ状況が飲み込めていないところ申し訳ないが、自己紹介を始めさせてもらうよ。のんびりはしてられない。君に伝えたいことがいくつもあるからね」


男はゆっくりと頭に深く被ったフードを脱いだ。真っ白な肌に、サラサラで艶のあるブロンドヘア。整った目鼻立ちに、工芸品のように青く輝く瞳。現れたのは、のような美しさを持つ美青年だった。柔和な笑みを浮かべ、ユーゴに優しく語りかけた。


「私はエース。君と、だよ。佐藤ユーゴ君」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る