第三話 邂逅⑧

「鼻の穴?」

「そうだ。その麻酔をドラゴンの体内に入れればいいんだろ?なら口にこだわる必要はない。鼻は口の上にある。ユーゴの腕で鼻の穴の奥に麻酔をねじりこんで、手で割ればいい。どうだ?」

「…大丈夫?くしゃみとかされない?」

「大丈夫だ。この麻酔、かなり強力なものだ。数滴粘膜にしみ込めば効果はある」

「いや。ああ、うん。そっちじゃなくて、俺が吹き飛ばされたりしないかって意味で…」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「こんなに上手くいくとはな。こっからは俺の仕事だ!コレを鼻の穴にィィィィィィィィィィィィィィィ?!?!?!?!?!?!」


ドラゴンがユーゴの存在にどのタイミングで気が付いたのかは定かではない。だが、頭の上から鼻の穴がある前方に移動しようとしたユーゴを振り落とそうとしているのか、ドラゴンは今までになかったような動きをしている。急上昇。急下降。右に左に頭を揺らし、上に下に首を動かす。かっこよく仁王立ちだったユーゴはどこへやら、両手でドラゴンの体にしがみついて、振り落とされないようにするのがやっとだ。


「何をやっているんだあの少年は」「ああなることはわかってただろ」「バカじゃないのか…」


軍服を着た男の隊員たちはユーゴの姿を見て、心配すると同時に心底呆れている様子だった。サキはただじっとユーゴを見つめている。


(クソッ!捕まってるのがやっとだ。でも、ドラゴン生き物。さっきからずっと暴れてるからな。きっと疲れも溜まってるはずだ。動きが鈍ったその時が勝負だ。それまで絶対に離さ…)




ある人は、あっ!と声をあげた。ある人は両手で目を覆い隠し、ある人は目を思い切り背けた。ドラゴンは自然界には存在しない、完全に未知の生物だ。未知の生物であるならば、我々が思いもつかないような行動をやっても仕方がない。誰のせいでもない。この状況を少しでも想定した人は皆無だったのだから。目の前で起きたことを端的に話すと、ドラゴンは建物に、。2回、3回。繰り返し頭を壁に打ち付け、4回目にして貫通。その勢いのままドラゴンは建物の内部に頭から突入。割れる音、砕ける音、弾ける音。金属音とガラス音。見るものを絶望させるが、嫌でも地上にいる人々に響き渡る。


「…!」


皆がユーゴの安否に絶望し、一言も言葉を発さない中、サキは表情を変えず、静かに様子を見ていた。彼女は体の前で腕組をしていたが、服の端を握る手の力が強くなっているのがわかる。


音が止んだ。ドラゴンが建物を抜けたのだろうか。サキの場所からはわからない。彼女は状況を確認するため、建物の反対側へと走り出した。瓦礫とガラスの破片が散乱している。ドラゴンが通り抜けた後が、はっきりと見て取れた。瓦礫とガラスの破片が散乱している。建物もいつ倒壊するかわからない。非常に危険な状態だ。サキはそれらには目もくれず、ユーゴの行方を追う。…少なくとも目で確認した限りではいない。


「あの少年!まだドラゴンにしがみついてるぞ!!」


双眼鏡を持った1人の隊員がそう叫んだ。皆一斉に空を見上げた。ドラゴンはなぜかはるか上空にいる。地上から肉眼ではユーゴの姿を確認できない。だが、ドラゴンは先ほどと比べるとかなり落ちついて飛んでいるように見える。ユーゴが麻酔球を与えることに成功し、ドラゴンは眠気と戦っている最中なのだろうか。そんな楽観的な考えは、すぐに消えた。ドラゴンは真っすぐ地上に降りてきた。一瞬、多くの人が、と考えた。それはすぐに誤りだと気付く。ドラゴンはどんどん加速し、地面に向かって突進してくる。隊員たちが落下点から出来るだけ遠くに逃げようとする中、サキだけはドラゴンから目を離していなかった。落下の瞬間、並外れた動体視力のサキが目にしたのは、ドラゴンの鼻先にしがみつき、まさにこれから麻酔球を鼻の穴にねじ込もうとしているユーゴの姿だった。


「ユ…!!!!!」


サキの叫びはドラゴンが地面に激突した衝撃音でかき消された。サキはドラゴンがユーゴを地面に押し付けるように突っ込んだのを、ハッキリと目にした。巻き上がった土煙で、何も見えない。落下したおおよその場所はわかるが、この状態で1人突っ込んでいくのは危険すぎる。


「ユーゴ!!!」


サキの声が響き渡る。他の人間はコロコロと変わる状況を上手く飲み込めず、あっけに取られていた。巻き上げられた細かな瓦礫がパラパラと音を立てて地面に落ちていく。土煙は、まだ晴れそうにない。


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ドラゴンはユーゴを鼻先に押し付けて地面に叩き落した。衝突の直前、ユーゴは左手に持っていた麻酔球をドラゴンの口の中に押し込んだ。そしてそのまま地面に衝突。ユーゴの左手は肩の下からドラゴンの歯が完全にめり込んでいた。食いちぎられてこそいないが、この腕は使い物にならないだろう。今は完全に気を失っている。ドラゴンはゆっくりと頭をユーゴから離そうとした、その時だった。


「どこ行くんだよ」


目の前で気を失っていた少年の右手が、ドラゴンの顔の一部をガッと掴んだ。ドラゴンは抵抗するが、動かない。それほどの力で掴まれ、引っ張られているのだ。


「へへ。ようやく疲れを見せたな。無理して動くなよ。もうちょっとで薬が効くはずだからよ。それとも、もう効き始めてるから俺の手も跳ね除けられねぇのか?」


そう言いながら、ユーゴは掴んだドラゴンの顔をゆっくり自分の方に引き戻した。ドラゴンは抵抗しないのか、出来ないのか、ユーゴに抵抗する様子はなかった。


「…知ってるか?俺とお前、同士なんだぜ。俺は15年前。お前は…、何歳だっけ。まぁいいや。普通はパパとママから生まれてくるだろ?俺はママしかいねぇの。意味わかんねぇよな。俺も最初聞いた時、意味不明過ぎてふーんとしか言えなかったもんよ。懐かしいわ。しかも、しかもだよ。俺は魔術特区の最終兵器として生み出されたとか言われたんだから、もう頭の中ぐちゃぐちゃだよな。あ、これは結構後になってから聞いた話だけど。それでいろいろ普通の人とは違うところがあるワケよ。その一つがコレ。もうそろそろ治るな。痛みも消えてきた」


ユーゴはドラゴンの頭から右手を離し、ドラゴンの口をゆっくりと開けた。そこにあったのは、ドラゴンに噛みちぎられそうになっていたはずの、キレイな左腕だった。その腕に刺さっていた一本の歯をゆっくり抜くと、その穴もみるみる塞がり、跡形もなく消えた。左手には握り潰された麻酔球の破片が残っていた。ユーゴは直接口に麻酔薬を入れることに成功していたのだ。


「ちょっと前まで、お前みたいな架空の生物を生み出すのが流行ってたって聞いたぜ。お前カッコいいし、お前が生まれた時みんな喜んだだろうな。俺も聞いた話だと、ものすごい金を使って作られたんだとよ。そういう意味では、俺もお前も望まれて生まれてきたってことだ。これは素直に喜ぼうや」


へへ、と優しい笑みを浮かべるユーゴ。ドラゴンはつい先ほどまで抵抗している様子だったが、今はまるでユーゴの話に耳を傾けているかのように、おとなしくなっている。


「でも、ちょっと手綱を握れなくなったら殺せだとよ。今回の件もそうだな。実は俺もそうなんだよ。話すと長いけど。意味わかんねぇ。意味わかんねぇよ。ただでさえ意味わかんないのに、もっと意味わかんねーっつーの。…だからさ、難しい事考えるのは止めたんだわ。俺は兵器として生み出されたみたいだが、そんな生き方は俺じゃねぇ。俺は自分で、自分の選んだ道を、自分の足で進むだけよ。だからさ、…あーやべ、結局何が言いたかったのか分かんなくなったわ。話下手なんだよ。体と一緒に脳みそもハイスペックに出来なかったのかね(笑)?」


ユーゴはよっこいしょと呟きながら、ゆっくりと立ち上がった。ドラゴンの体はすでにピクリとも動かず、かろうじて目を開けている状態だった。その目も、まさに今ゆっくりと閉じられようとしていた。


「楽しんで行こうぜ。お互い胸張って生きていこうや。でも、暴れるのもほどほどにしとけよ。またな」


ユーゴはそう言い残すと、瓦礫の山を飛び越え、外に向かって歩いて行った。土煙が晴れると、ユーゴの進む先にサキが立っているのが見えた。ユーゴが歩いている姿を見て、ほっとした様子だ。


「お疲れさん。全部終わったよ」

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