第一話 始まりの饗宴④

これは非常にマズいことになった。


レセプションという単語を見た時点で、嫌な予感はしていた。誤解を恐れずに言うと、佐藤ユーゴは典型的な陰キャ気質である。一度仲良くなりさえすれば問題はない。むしろよくしゃべる。だが、そこに行きつくまでが難関なのだ。会場はビュッフェ式になっていた。好きな料理を自分の皿に取り、テーブルに座って会話を楽しみながら食事をとるスタイルである。そして。彼にとってこの一言は、絶望以外の何物でもなかった。会場に入る時間がギリギリだったせいか、すでにいくつかのグループが出来上がっており、談笑を始めている。この状態になった後から、会場に自分の居場所を作るのは不可能に近い。「こんにちは!初めまして!僕も混ぜてもらっていいですか?」この一言が言えない。これが佐藤ユーゴという少年である。本土東京では小学生時代に友達が一人もいない一年も経験した。はるばるやってきた魔術学院。ここで躓くわけにはいかない。ユーゴが脳内で話しかけるシミュレーションを始めようとしたその時だった。


「こんにちは。少しお話いいかしら。編入生さん?」


唐突に背後から声を掛けられ、驚いて振り向くユーゴ。そこには銀色のロングヘアが特徴的な少女がグラスを片手に立っていた。女性にしては高い身長に、手足はスラリと長い。ユーゴの身長は170㎝だが、彼と目線がほぼ同じである。吸い込まれそうなほど大きなブルーの瞳は神々しさすら感じられた。本当に同い年かどうかを疑いたくなるような、圧倒的なオーラを持つ美少女であった。


「まずは自己紹介を。わたくし近衛氷真このえひさねと申しますわ。名字で呼ばれるのは好きではありませんので、是非、氷真とお呼びください」

「え、えーと。ど、どうも。佐藤、ユーゴと申します、です」

「…ユーゴさんね。優しい響きの中に力強さもある、良い名前ですわ。これから、よろしくお願いしますね」


彼女は優美な笑顔をとともに、手に持っていたグラスをユーゴに近づける。何ももっていないユーゴに、どこからともなく現れた女生徒が、ユーゴにグラスを差し出した。訳も分からず受け取ったグラスに氷真はグラスを当てる。優しい音が響いた。美味しいですわよ、と勧められるままにユーゴはグラスに入った飲み物を一気に飲み干した。ユーゴはこれでも平静を装っているつもりだが、心臓は音を周りに響かせるほどに激しく動いていた。そんな彼の状態などお構いなしに、彼女はユーゴに語りかけた。


「ねぇユーゴさん。私、先ほど面白い話を耳にしましたの。聞いて下さる?今朝、随分長く侵入者の警報音が鳴っていましたわよね?結局それは誤報だったようですが、浅ましくもその御仁を撃退しようと先走った方がいたそうですのよ」


何の話をしているかは、すぐにわかった。突然美少女に話しかけられてからの急展開に、少しハイになっていたユーゴだったが、酔いが醒めていくように、徐々に落ち着きを取り戻す自分を感じていた。


「面白いのはここからですわ。その御仁、かなり高威力の魔法が直撃したにも関わらず無傷だったんですって。直撃の瞬間身体を極限まで強化したのか、治癒魔法あるいは自己修復の魔法を使ったのか…。どちらにしてもかなりのレベルと推察できますわ。少なくとも一般の学生が扱える程度の魔法では不可能ですわね」


彼女は話しながら少しずつユーゴとの距離を詰めてくる。思わず後ずさるユーゴだったが、ついに彼女は一歩、また一歩とユーゴに迫った。


「佐藤ユーゴさん。誕生日は3月22日。国立魔術学院初の編入生。出身は本土東京。3年前、鷹司学院長に魔術の素養を見出されスカウトを受ける。その後、昨年の秋に行われた編入試験をパスし、現在に至る。…随分異色の経歴ですわよね。気になって色々と調べましたの。でも不明な部分が多すぎますのよ。例えばユーゴさんが、…お生まれになった場所とか」


なぜ彼女が自分の経歴を当然のように知っているのか。そしてなぜ自分のことを調べているのか、聞きたいことは山ほどあった。冷や汗がユーゴの首筋を流れる。氷真の勢いに完全に飲まれている。そう考えている間にも彼女はユーゴに近づき、彼の顔の真横に来ていた。



「私にだけ、教えて下さる?」



吐息に乗せたようにつぶやいた言葉が、ユーゴの耳に直に届いた。だが、その氷のような冷たく透き通った声は、優しい声のはずなのに、ナイフを突きつけるような鋭さが感じられた。ユーゴは初めて本気で腰を抜かしそうになった。グラスにわずかに残ったジュースが、手の震えでこぼれそうになる。


「お前…お前いったいー!」

「なーんて。びっくりしました??」


氷真はすっとユーゴから離れ、彼の前でにっこり笑って見せた。先ほどまでの冷たい声、雰囲気が嘘のようだ。とても同一人物とは思えない。


「………」

「学院で初めての編入生だって言うんですもの。興味が湧いて当然ですわ。きっと皆さんもあなたとお話したいと思っていらっしゃいますわよ」


ユーゴは気が付いていなかったが、氷真に話しかけられる前から、ユーゴに話しかけようとしていた学生は数名いたようだ。最も、先ほど彼女に詰められている時は周囲の声や映像はまったくユーゴの脳内に届いていなかったのだが。


「これを渡しておきますわ。私の家の住所と、電話番号です。何かお困り事や、私とお話したくなった時は、いつでも連絡して下さいまし。きっと力になれますわ。御機嫌よう。残り時間も楽しんで下さいね」


彼女はユーゴの心を嵐のようにかき乱し、その場を去っていった。ユーゴはしばらく何がどうなったのかを飲み込めず、その場に立ち尽くしてしまった。銀髪美少女、近衛氷真は、魔術特区四大名家の1つ、近衛家の令嬢であり、その並外れた才能は学生の域を優に超え、加えて誰もが振り返る美貌を持ち合わる、今学院で最も将来を期待されている生徒の一人であるという情報をユーゴが知るのに、時間はかからなかった。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「土御門様!」


校舎を出て門へ向かう下り坂を歩いていた土御門に声をかけたのは、マヤだった。彼女を探していたのか、少し息を切らしている。


「おや、マヤちゃん。仕事はいいのかい」

「土御門様。もうお帰りになられるのですか?」

「ええ。話したい人とは、話せたからね。老人はさっさと退散するよ」

「ユーゴさんとお話しされたのですか?」


土御門はふーっと息を吐いた。ゆっくりと校舎のある右側を向き、細い目をしてみせた。


「話をしてみて、安心したよ。彼はちゃんと少年だった。どこにでもいる、だったよ。大人が最もしてはいけないのは、子供を必要以上に成熟させてしまうことだ。大人の都合で大人のフリをしなくてはいけなくなった子供、それは教育の敗北だよ。子供が子供らしく生きることを、大人は絶対に邪魔してはいけないのさ。ユーゴ君はちゃんと15歳の少年だ。今日はそれを確認したかったのよ」


自身の境遇について問われたユーゴの回答は、とても単純でわかりやすいものだった。10代の少年にはあまりにも残酷な現実は、彼を変えてしまったのではないか。土御門の心配は杞憂に終わったのである。


「ユーゴさんは、この学院で子供から大人になろうとしております」

「そうね。それをサポートするのが、教員の役目だ。もちろんマヤちゃんも、引き続きよろしく頼むよ」


土御門はそう言い残し、再び坂を下り始めた。マヤは無言で頭を下げ、ゆっくりと歩みを進める彼女を見送った。



ガシャン、と何かが割れる音がしたため、マヤは頭を上げて様子を確認する。そこには校舎の屋根の上で自分の頭をさする鷹司学院長の姿があった。状況から察するに、天井から屋根に逃げ出したが、その際屋根に設置してあるオブジェの1つを壊してしまったようだ。


「何をされているんですか。大変恐縮ですが、屋根のお掃除なら2週間後専門の方にやって戴く予定です。通常業務に戻られた方がよろしいかと」

「………マヤ!?クッソもう見つかっちまった!なんでそんなところにいるんだよ!?」

「お言葉ですが学院長。それは私のセリフです」


逃走した学院長を捕まえるため、獣のような目つきでゆらりゆらりと校舎に戻るマヤ。一方、ここからどう逃げようか屋根の上であたふたする学院長。その教え子の様子を、土御門は坂の下から眺めていた。


「大人が子供のフリしてるのは、ただただ見苦しいねぇ…」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る