第4話 プラス四時間
正孝がいなくなってからというもの、香澄は自分が一日を百時間生きることになると思うようになっていた。それは願望であり、不安でもあった。一日が百時間あれば、叶えられなかったことを叶えられると思っていたからで、もっともそんなことを感じていたのは、中学生までだった。
高校生になってから、現実的に百時間というものを想像したことがなかった。漠然と一日が二十四時間では短すぎるとは思ったが、それ以上でもそれ以下でも想像することは無理だったのだ。
もし二十四時間が三十時間だったらどうだろう?
その時間が長くなるというのだろうか?
午前中? それとも午後? あるいは寝ている時間だろうか?
確かに高校時代は受験勉強をしていて、
「もっと時間がほしい」
とは思ったが、できた時間をどう使うのか、考えてみたが、結論が出たわけではない。勉強に使うのか、それとも睡眠に使うのか、あるいはそれ以外の何かに使うのか。その時の心境によって違うと思えた。
さすがにそれ以外に時間を使うというのは、あまり考えられなかった。勉強や睡眠以外のことに時間を使って、受験に失敗したら、後悔するのが目に見えているからだ。いくら原因がそれ以外のことに時間を使ったことではないとしても、無駄なことをしてしまったという意識は残っている。その思いを一生引きずって生きなければいけないと思うと、とても耐えられるものではなかった。
だが、時間は百時間である。一日が二十四時間だということから見れば、四日と少しもあるのだ。それを思うと、時間配分をうまく使えば、勉強や睡眠に少々使っても、それ以外のこともできるかも知れない。ただ、この考えはあくまでも時間配分という問題に言及しただけのことだった。
――それ以外のこととは具体的にどういうことなんだろう?
香澄は考えた。
受験勉強と睡眠、大きく分けてそれ以外で何をしたいという考えは具体的には何もなかった。考えられることとしては、友達と遊びに行ったり、好きな人を見つけて、恋愛をしたりという思いであった。
だが、そこでもう一つの疑念が湧いてくる。
――一日が百時間という割り当ては、他の人にも共通なのだろうか?
という思いである。
もし、同じでなければ、他の人は皆受験勉強や睡眠に集中するに違いない。余裕のない生活の中でどのように犇めいているのか、香澄には想像もできなかった。
なぜなら、それはその時の今の自分を想像することであり、
――上から目線で見ている相手が自分である――
という発想が、まるで将来に感じる夢の世界と合致しているなど、想像もつかなかっただろう。
「やはり、皆平等に百時間ないと、勉強や睡眠以外を楽しむことはできないんだわ」
と感じた。
では、他の人にも平等に百時間が与えられていたとすればどうであろう?
それは、今の二十四時間が単純に延びただけのことであり、最初から一日が百時間だと思って生きてきたわけではないだけに、延びた時間をどのように感じるかというのは、その人それぞれなのかも知れない。
香澄の中での考えとしては、
――一日が百時間ほしいなんて、考えなければよかった――
という思いに達していた。
時間が延びた分、勉強も睡眠も、そしてそれ以外のこともできるようになるのだろうが、それは他の人にも平等に与えられているものだ。もし、自分よりもたくさん勉強に時間を使っている人がいっぱいいるとしたら、自分も同じだけの勉強をしないと、負けてしまうという意識がさらに強くなる。
相手よりも少しでも多く勉強しようという思いを香澄が抱いたとすれば、競争相手も同じことを考えるだろう。それなら、香澄も負けてはいけないとさらに勉強を重ねる。終わることのない競争が繰り広げられ、その時に檻の中を果てしなく走っているハツカネズミの発想を思い浮かべたのだ。
この時も、まさか将来において、まったく違った発想の中で同じことを思い浮かべるなど、考えてもいなかった。
香澄は、勉強時間の競争よりも大きな意味での堂々巡りを感じていた。
それは、一日が百時間であった場合、他の人も同じ時間がなければ、自分の相手をしてくれないという思いと、他の人にも同じ時間があれば、今と変わらない状況が、時間が長くなっただけで繰り返される。しかも長くなった分、余計にたくさん繰り返されるということを自覚していた。
この二つは、ジレンマであり、今まで意識していないつもりで、一番意識していたことなのかも知れない。夢に見たことを忘れてしまうメカニズムは、この発想に結びついているのではないかと、最近になって感じるようになった。
香澄は、もし百時間を与えられるとすれば、それは自分にだけだと思っていた。
ひょっとすれば、他の人にも二十四時間以上の時間が与えられる機会があるのではないかと思ったが、それを他の人が知るすべはない。したがって、香澄が百時間を過ごしているとすれば、そのことを知っている人は誰もいないのだ。
都合がいいように思えるが、香澄は逆の発想を抱いた。さすがにネガティブな考えの持ち主というべきだ。百時間の間に何か悩みが起こったとして、それを誰かに話しても、誰も信用したはくれないだろう。
「頭がおかしくなったんじゃないの?」
と言われて終わりである。
しかも、百時間というと、普段の四倍である。疲れは四倍に達し、それを癒すにはどれほどの時間が必要なのか、考えてみた。
――では、同じ一日、つまりは百時間の中で、疲労を癒してしまえばいいじゃないか――
と言われるかも知れないが、
疲労を癒すには睡眠しかない。なぜなら、起きていて同じ世界で溜まってしまった疲労を癒そうとするなら、一度、頭の中をリセットしなければならない。
リセットするには、一日を跨がなければならない。それは、一日が二十四時間であっても同じことで、今は短いからそのことに気づいていないが、睡眠を挟まなければ、その日にできた疲労を回復させることはできないのだった。
百時間という膨大な長さになれば、二十四時間という時間で感じてきたはずの
ことが違って感じられることもあるし、まったく感じなかったことを改めて感じることもある。改めて感じることというのは、二十四時間の間にも気づいているはずのことなのに、自分で自分に蓋をして、
――思い違いだわ――
と、感じさせていたのだ。
それは無意識に感じることであり、百時間を過ごしていると、
――きっと二十四時間を懐かしく思うに違いない――
と感じるのだった。
自分が感じている百時間というのは、普段の二十四時間と比べてどう違っているのだろう?
一日には、未明と呼ばれる早朝があり、目が覚めてから、昼までの午前、昼から夕方にかけての午後、そして、二十四時間が達成される夜と、大きく分けて、四つが存在する。
百時間の内訳は、二十四時間を四日間のように繰り広げられ、同じ日をまるで四回繰り返しているように感じるのだろうか?
ただ、二十四時間から二十五時間までは、最初の一時間とはまったく違った世界、逆に言えば、最初の一時間があったことで、二十四時間から二十五時間が決まっているという考えもできる。
だが、百時間は四つにしか分かれないという考えもある。つまりは同じ時間を他の人とは別に四倍生きているという考え方だ。
香澄から見れば、他の人たちは自分の四倍早く時間を消化している。早く見えていないということは、それだけ、他の人たちは香澄よりもゆっくり動いているのだろう。
他の人と同じスピードで生きていれば、自分は四倍年を取らないことになる。
――じゃあ私が死ぬ時は、自分の知っている人は誰もいない世界になっているということになるのね――
と思えた。
――私にも玉手箱をほしいと思うかも知れないわ――
自分の寿命がどれほどのものなのか分からないが、まわりの人がどんどん死んでいく中で、一人寂しく取り残されるのは嫌だと思うに違いない。そんな時のために、玉手箱があれば、精神的な「保険」になるのではないかと思えた。
――人生に保険なんて、何とバカバカしいことを思っているのかしら――
と、笑えないジョークを思い浮かべていた。
中学時代に思い浮かべた百時間の発想。それは元々、正孝が病気だということを聞いてから感じたことだった。
時間がたくさんあれば、その分だけ彼の病気を治す薬が開発されるのではないかという、今から思えば何とも健気な発想だった。
実際には薬は開発されて、正孝は助かったのだが、自分がナースになってから知り合った正孝は、まったくの別人になっているように思えた。
もし、昔の正孝も香澄も両方を知っている人がいれば、香澄と同じ発想なのかも知れないが、正孝だけしか知らない人が見れば、
「あまり変わっていない」
というのではないだろうか。
香澄が香澄でなければ、自分でもそう思うと感じていた。正孝が思い病に罹っていることを知っていたのは一部の人間だけで、香澄も本当は知ることはなかったはずなのに、偶然聞いてしまった話から知ってしまい、最初は、
――余計なことを聞いてしまった――
と感じたものだった。
しかし、感じたことは仕方がないことだと思うよりも、
――これは運命なんだわ――
と思う方が、聞いてしまったことに対して、自分を納得させることができたのだ。
香澄は運命を感じてから、正孝が自分の前から姿を消すまでに、ほとんど時間はなかった。
――運命を感じてしまったことで、彼は私の前からいなくなってしまったんだわ――
と感じた。
その時の時間がどれほど短いものだったか、それを思うと、香澄は、
――もっと時間がほしい――
と、その時初めて感じた。
――一日が百時間――
という時間の発想はどこから来たのか分からない。キリのいい数字だという単純なものだったが、二十四で割り切れないのに、キリがいいというのは矛盾した考えだ。
いつも数字のことを思い浮かべていた香澄だったら、百時間ではなく、百二十時間という数字が頭をよぎってもいいはずだ。それを感じなかったということは、
――百二十時間では長すぎるのだ――
という思いがあったからではないだろうか。
それよりも、
――二十四という数字の方が、中途半端な気がする――
と、なぜ思わなかったのか。
一日が二十四時間だというのは、必然のものであり、誰もが信じて疑わない数字である。香澄も、それまで二十四という数字に何ら疑念を抱いたことはなかった。中学時代に百時間が中途半端だと思った時も、二十四時間が中途半端だとは感じなかったのだ。
大人になってからの香澄は、二十四時間というのは当然のことだが、百時間に対しても中途半端だとは思っていない。そう思うと、
――二十四時間というのと、百時間というのは、直接的に繋がっていないのかも知れない――
と感じるようになっていた。
もちろん、関連性を否定することはできない。しかし、二十四時間の延長が果たして香澄の感じている百時間なのかどうか、疑問であった。
――ひょっとすると、二十四時間と百時間とは別の世界が形成する時間なのかも知れない――
と思った。
正孝が香澄の前からいなくなったのは、これで二度目。ただの偶然だと見ていいのだろうか?
正孝はこのまま香澄の前から姿を消して、二度と現れることはないだろうと思っていたが、香澄は急に、
――そんなことはない――
と考えるようになった。
それは正孝が自分のいる世界と違う世界に存在しているのではないかという発想が浮かんだからで、その世界を覗くことができるのは、香澄だけなのかも知れない。
――いや、そもそも、皆違う世界に生きていて、交流がある時だけ、同じ世界にいるだけのことなのかも知れない――
香澄の発想は、尽きることがなかった。
ただ、香澄が考えているような交流が果たして正孝との間に訪れるのかどうか疑問だった。正孝に対して自分でも気づかぬうちに好意を持っていたことは、ここまで考えてくると、分かってきた。
一日が百時間という発想が、元々どこから浮かんできたのか、自分でも分からなくなってきた。
――彼がどこかに存在している――
という思いから、別の次元の世界を創造し、その世界を夢の世界とリンクさせた。
「夢というのは、目を覚ます時の一瞬に見るものなんだって」
という話を聞いてから、香澄は根拠もないその話を信じるようになっていた。
どんなに長い夢でも、一瞬という言葉に集約されてしまうことは、夢の世界が横にどんなに広がっても、厚みを感じさせない二次元を思わせた。そこに厚みという立体を飛び越して、時間という概念が厚みの代わりに飛び出してくれば、それこそ、四次元の世界を彷彿させることができるのかも知れない。
「三次元のまま、時間という概念を重ねようとするから無理があるんだわ」
と、夢が厚みがない代わりに時間を超越させる力を持っているものだと感じさせた。
香澄は、百時間を生きているのは自分なのだと、ずっと思ってきた。夢の世界がやたらにリアルに感じられることがあり、そんな時、自分が他の人とは違った次元で生きていると感じたのだ。
しかも、他の人よりも一日が長いという発想も、結構早い段階で気が付いていた。しかし、そこに百時間という発想がついてくることはなかった。せいぜい、
――倍の四十八時間よりも短い程度だわ――
と思っていたにすぎない。
百時間という単位を感じ始めたのは、偶然だった。
あれは、自分が他の人との違いを感じ始めてから初めて、眠くて仕方のない時期を迎えたことのことだった。
その時の睡眠では、夢を見ることはなかった。
――他の人との違いを感じたことで、私は夢を見ることがなくなってしまったのかも知れない――
実際に、夢を見なくなっていた。
しかし、逆に言えば、
「夢を見なくなったことの正当性を考えた時、自分が他の人と違っているということに気づいたんだわ」
と言えなくもない。
むしろ、こちらの方が信憑性があるかも知れない。
他人によって気づかされたことよりも、自分の中で納得できる現象を考えた方が、自分に対しての説得力はある。しかし、敢えて他人によって気づかされたことを自分で納得しようとしたのは、相手が正孝だったからではないだろうか。
夢を見なくなったことで、急に睡魔が襲ってくるようになった。今までそんなに眠たくならなかったのは、夢を見るのが怖かったからなのかも知れない。
「覚えている夢というのは怖い夢ばかり」
と、友達と話をしていて皆が共通していた思いだった。
夢を見る時は、
「今夜、夢を見るかも知れない」
という意識があった。
それは、後から感じたことであって、目が覚めてから結果として見た夢を、眠りに就く前から夢を見る予定だったと思う方が、夢を覚えていることに対して説明がついた。
目が覚めてから、
「なんて怖い夢だったのかしら」
と感じていると、夢を見たことを忘れたいと思うようになる。
これも、香澄のネガティブな性格によるものなのだが、元々はネガティブな性格に耐えられなくなった香澄が、
「一日が百時間あったら」
と直感したことが原因だった。
要するに百時間という単位には直接意味があるわけではなく、漠然と感じた時間が百時間だったのだ。
だが、百時間ということを意識したとたん、自分が本当に一日百時間を過ごすことになるという意識が離れなくなった。
香澄の今までで、まだ百時間を経験したという意識はない。
――一日がいつもより長く感じられる――
という思いはあったが、その時は夢と感覚がリンクしていることにまったく気づいていなかった。
――あれはどれくらいの時間だったんだろう?
香澄は、その日、覚えていない夢の中で、一日を繰り返している夢を見た。
「あと一秒で、明日なんだ」
という意識も、
「日付が変わった」
という意識も、今までには感じたことがなかった。
大晦日から元旦に掛けては、誰もがカウントダウンをしたりして、意識をしない人はいない。
しかし、香澄はあまり意識はしなかった。
「年が変わったと言っても、毎日平凡な一日が変わるだけなんだわ」
としか感じていなかった。
学生時代などは、友達のほとんどは、未明から神社に出掛けたり、初詣を拝もうと山に登ったりしていたが、香澄はそんなことには興味がなかった。
香澄が興味があったのは、むしろ年度が変わった時である。学年が上がったり、新入生が入ってきたり、自分が卒業進学を迎えたりと、新年などよりも、よほど自分に対してリアルだと思ったのだ。
一日が変わる瞬間に、年末年始だと言っていちいち喜怒哀楽を重ねることに、わざとらしさを感じた香澄は、冷静な目で見るしかできなかった。この感覚が直接的ではないにしてもネガティブな性格に影響しているのかも知れない。
もし、そうであるのだとすれば香澄は、
「ネガティブな性格でもいい」
と思うことだろう。
冷静になった時の香澄は、急に人が変わってしまう。
他の人が見て、
「どこが違うの?」
と思うかも知れないが、香澄には大きく違っていたのだ。
ネガティブな性格の時の香澄は、なるべく他の人と近づきたくないと思っている。しかし、冷静になった時の香澄は、
「他の人を、遠くから見ていたい」
と感じるのだった。
近づきたくないという思いと、遠くから見ていたいという思いの大きな違いは、その間に結界があるかないかの違いであり、近づきたくないと思っている間は、そこに結界は存在しない。しかし、遠くから見ていたいと思った瞬間、自分の行動が邪魔されたくないという一心から、香澄は結界を作ってしまうのだ。
その結界は、まるで見えない壁のようであり、
「反射しないガラスの壁」
のようなものに違いなかった。
結界というのは、香澄は夢の世界との間に存在しているものだと思っていた。
夢の世界というのは、潜在意識という自分の中に存在しているものが作り出したものであり、人工的なものだ。それなのに、現実世界とはれっきとした壁が存在している。理屈ではなく、明らかに夢の存在は現実世界の意識に抵触しないようになっている。
もし、抵触してしまうと、夢と現実の間の境界はなくなってしまい、中途半端な溝のようなものに落ち込んでしまって、抜けられなくなってしまうことだろう。
香澄にとって自分が冷静になった時に感じる、
「他の人を遠くから見ていたい」
という思いは、実は他の人ではなく、現実世界の自分なのかも知れない。
そして、現実世界の自分に、存在を知られたくないという思いから、結界を作り上げたのだ。
「冷静さというのは結界を作るだけの力がある」
香澄は、最近そこまで考えるようになっていた。
急に冷静になる自分を感じた時、香澄は自分がもう一人の自分に占領されてしまったのではないかと感じることがあった。
もう一人の自分というのを感じたのは、夢の中でのことで、今まで見た夢で一番怖いと思っている夢が、もう一人の自分を感じた時だ。
もう一人の自分は冷静な自分であり、本当は結界があって見えない存在のはずである。それなのにどうして見えたのかというと、目が覚めた時、冷静な自分の存在を意識させるためではないだろうか。だから、夢を見たということを覚えているのだ。
本当は、夢を見たことで冷静な自分について、もう少し考えなければいけないはずなのに、そこまで頭が回らない。だから、最後は、
「怖い夢を見た」
という結論でとどまってしまい、
「怖い夢を見た時しか、夢の内容を覚えていない」
と感じさせるのだろう。
どんなに覚えている夢であっても、目が覚めるにしたがって、記憶は薄れていき、その分、厚みも消えてくる。だからこそ、
「夢というのは、時間の感覚をマヒさせるものなんだわ」
と感じるようになったのだ。
その日に見た夢は、目が覚めるにしたがって薄くなってくることはなかった。
もちろん、現実世界に引き戻されるのだから、夢の割合が少なくなってくるのは当然なのだが、最後の最後で夢が記憶に封印されてくれなかった。
――限りなく現実に近い夢を見ている――
そんな気分がしばらく続き、今でも燻っている気がして仕方がない。
その時、マヒしてしまった時間の感覚が香澄の中に意識として残っていた。
一日が百時間だったらという発想はその時に出てきたのだ。
百時間というのは、夢の中の自分が夢を見ている自分に話した時間、今から思えば、たとえとしての百時間だったのかも知れない。
しかし、百時間という意識は思ったよりも香澄の中に大きく刻印されてしまった。鮮明に残ってしまった感覚は、漠然とした百時間だったので、時間が経つにつれて、他人事のようにも思えてきた。
そこで香澄が気になっている正孝が、香澄のまわりに異様な雰囲気を振りまき、香澄にとって、切っても切り離せない感覚に陥らせてしまったのだと、香澄に思い込ませようとした。
あくまでも記憶や意識の辻褄を合わせようとするものだと感じたが、それが香澄にとって都合のいい解釈であることも分かっている。
しかし、いくら都合のいいものであっても、発想しなければ先に進むことはない。
「奇抜な発想だから」
と言って、それ以上の発想をしなくなってしまえば、それこそ、
「ネガティブな発想だ」
と言わざる負えないだろう。
正孝は記憶の一部を失っていた。香澄はその話を聞いた時、最初は、
――やっぱり――
と感じたのだが、すぐにそれがどのあたりのことなのかということを考え始めると、お今度は、
――記憶の一部を失っているのは、私もなのかも知れない――
と感じるようになった。
香澄には、自分の記憶ではないと思えるような記憶が頭の中にあった。それは、
――どこかで見たことがあるような――
というデジャブのようなものを感じさせたが、
――ひょっとすると他の人の記憶が入り込んでしまっているのかも知れない――
と感じた。
そして、その分、自分の記憶も誰かのところにあるのではないかと思うと、それが正孝以外の誰かの中にあるような気がしてきた。
デジャブを感じる人は少なくない。二十歳を過ぎた人であれば、かなりの人が感じたことがあると答えるだろう。
誰も意識することができないだけで、皆自分の記憶の一部を他の人が持っていて、他の人の記憶が空いたその部分に入り込んでしまっているのではないかと思うと、なぜかしっくりくる香澄だった。
人の記憶が入り込んでいることを意識すると、自分の時間が人と違っていることを感じた。
――まさか、皆それぞれに一日の時間は違っているんじゃないだろうか?
という奇抜な発想も生まれてくる。
ただ、二十四時間という時間に変わりはない。その中で感じる配分が人によって違っている。
香澄のように、百時間などという発想は存在しない。もし、二十四時間以外の発想を持っている人がいるとすれば、正孝だけではないかと思えたのだ。
だから、
――本当に百時間を持っているのは自分ではなく、彼なのかも知れない――
という発想に至るのも無理もないことだった。
香澄は自分の中に正孝の記憶が潜在しているような気がしていた。正孝の行動や態度を見ていて、それがどこから来るのか、本人にも分からないようなことを分かっているように思えてならなかった。
本当は忠告してあげたいのだが、彼は香澄の前に姿を現すことはなかった。
――もしかして、彼の記憶の一部が私に潜在していることを彼が知って、それで私の前から姿を消したのでは?
とも考えたが、それだけでは説明のつかないことがあった。
香澄が正孝の欠落していると思われる記憶を持っていることを、もちろん香澄は知らない。香澄が恵美の存在を知るのは、正孝の記憶を通してであり、
「決して出会うことのない相手」
であり、自分たちは平行線の間柄なのだと思っていた。
正孝は、恵美のところにいた。正孝が病院を抜け出したのは、別に香澄に対して何かを意識したからではない。病気や入院に対して危惧したものであったわけでもなく、入院代は、正孝がいなくなってから一週間後に、地方の郵便局から書留として送られてきた。
その場所は温泉地として有名なところで、彼が湯治に訪れたことは一目瞭然だった。
警察に届けていたが、病院側とすれば入院費を払ってもらい、彼が無事であることを確認できれば、それ以上警察に捜査を依頼する必要はなくなった。
「彼は、ほとんど完治していましたから、これ以上の治療は別に必要ないんですよ」
ということで、彼の捜索願は取り下げられたのだ。
正孝が病院を抜け出した本当の理由は、恵美に会いたくなったからだった。衝動的に会いたくなったと言ってもいい。いきなり目の前に現れた正孝を見て、恵美は喜びもあったが、複雑な気持ちもあった。
自分の中では忘れた相手だった。
その思いがどうしても抜けなかった恵美は、せっかく元の鞘に収まったはずだったのに、夫との完全な修復は不可能だった。夫の方も一度疑念を抱いて、実際に不倫をしていた妻を許したつもりでも、本当は許していなかったのだ。
本人が許したつもりになっていたことも大きな問題だった。
――俺が許したつもりになったのは、自分を悲劇の主人公に仕立て上げたかったからなのかも知れない――
夫は猜疑心の強い人で、そのくせ、鈍感でもあった。妻が本当に浮気をしていることをずっと知らずにいて、気が付いた時には、嫉妬の渦の中にいた。
「なんだ、この抑えることのできない思いは」
それを嫉妬だということは分かっていたが、その中で自分を客観的に見る目が生まれてきた。妻に浮気をされた屈辱的な夫を自分が演じているということを、他人事としてしか見ることができなかったのだ。
恵美は、何とか許してもらおうとして、夫に追いすがる。夫は、そんな妻に対して感じた思いは、優越感だった。
――妻に浮気をされた屈辱的な自分なのに、優越感を感じるなんて、まったく違った意味でゾクゾクする気持ちが身体の中から込み上げてくる――
と思いながら、震える両手を見つめた。
その時の夫の顔は、きっとこの世のものとは思えない表情だったことだろう。
――屈辱的な思いをさせられたことへの制裁に、自分は妻を蹂躙できるんだ――
という思いが頭をもたげた。
それは今まで隠れていた彼のS性の目覚めであり、これから始まる異常性欲に包まれた生活の始まりを意味していた。
恵美は、決してMではなかった。夫から受ける蹂躙を、自分への罰として受け入れてきたが、我慢にも限界があった。
――逃れることのできない私はどうすればいいの?
恵美は、夫が浮気をしていたくせに、どうしてこんな態度が取れるのか不思議だった。
――自分のことは棚に上げて――
と思ったが、口に出せるわけではない。
逆に自分のことを棚に上げられる人だからこそ、自分を平気で悲劇の主人公に仕立て上げられ、妻に対して容赦のない異常性欲を満たす相手として扱うことができるのだろう。
完全に夫の優越は揺るぎないものになっていた。恵美は夫から逃げ出す勇気を持てないまま、次第に自分のことを、
――もうどうでもいいわ――
と諦めの境地から、いろいろな意味での感覚がマヒしてきていた。
そんな時に現れたのが正孝だった。
正孝が裸同然の状態で自分の前に現れた気がした。紆余曲折の後に別れることになってしまったが、彼はいまだに昔のままだった。裸同然というのは、時間が経っていても、昔の彼を思い出させることができるほどの力を有していたことだ。もっとも、恵美が正孝のことを忘れたことはなかった。しかし、夫に蹂躙されてきて、次第に感覚がマヒしてくるようになると、その思いも次第に怪しくなっていたのだった。
正孝との再会は、恵美の中で一縷の望みでもあった。
――やり直す数少ないチャンスなんだわ――
と感じた。
ただ、正孝を見ていると、まるで自分を見ているような気がした。彼は恵美の前では絶えず裸だった。身に纏うものは何もなく、完全に曝け出していたのだ。しかし、それでも彼の奥を見ることはできなかった。彼に結界を感じたからだ。
――こんな結界、前にはなかったと思ったけど――
と感じたが、知っていて気づかぬふりをしていたようにも思えてきた。
恵美にも実は結界があった。恵美の結界を正孝も気づいていたが、正孝自身、自分にも結界を感じていることで、恵美にあっても別に不思議はないと思っていたのだ。付き合い始めた時の彼の冷静な雰囲気は、結界の存在を知っていることからのものだったのだが、本人にもそのことはさすがに気づいていなかった。
二人は、恵美の夫の前から姿を消した。最初こそ、気が狂ったように冷静さを失っていた夫だったが、すぐに冷めてしまった。彼は異常性欲の持ち主であるというオーラは、冷静さを失った時に表に出るようだ。
M性のある女性は彼のそんなオーラにやられてしまう。オーラを発散させた時には、彼のまわりにたくさんの女性がやってくる。彼は自分の欲求を満足させてくれる女性さえいれば、相手は誰でもよかった。そんな男性だったことは、恵美にとってありがたいことだった。
あっという間に離婚が成立し、お互いに干渉しあうことはなくなった。
恵美は晴れて一人になれて、自分の思いはこれから正孝に捧げるつもりになっていた。正孝もそれを望んでいる。それが二人が湯治にやってきてから、三か月後のことだった。
「二人で新しい未来を作っていきましょう」
恵美は、本来ならポジティブに考える方だった。やっと自分の性格を表に出せる時が来たのだった。
恵美は、やっと自分を取り戻したと思った時だった。
――私の中に、誰か他の人の記憶があるようだわ――
と感じていた。
その意識が、
――正孝さんとは知り合うずっと前から知り合いだったような気がする――
という思いだった。
彼に対して、言い知れぬ不安が記憶の中にあった。そして、その記憶の部分だけ、ネガティブな性格であることも分かった。
――絶対に私の記憶ではない――
と感じたのは、このネガティブな性格が見えたからだった。
恵美にとって、その記憶の元になる人が誰なのか、当然知る由もない。それなのに、その意識が、
――正孝さんとはずっと前から知り合いだった――
ということを知らせていた。
正孝のことをあれこれ詮索するつもりはなかったが、この記憶だけはどうしても気になった。正孝が記憶の一部を失っているという話を自分でしていたが、恵美もひょっとすると自分も同じように記憶の欠落があるのではないかと思うようになっていた。
そんな時に感じた誰かの記憶、言わずと知れた香澄の記憶だったのだが、香澄の記憶はそのほとんどが正孝のことだった。
実は、中学時代の香澄の記憶の中で、正孝のことでどうしても繋がらない部分があった。それは彼が目の前からいなくなった時の記憶で、その記憶を持ってしまったのが恵美だったことと、正孝との出会いは偶然だったのだろうか?
いや、そんなことはない。
誰かの記憶を受け取り、自分の記憶は誰かが受け取り、そして記憶は一つの円を描いている。それは実に狭い範囲でのことで、デジャブがそれを証明してくれている。デジャブというのは、いろいろな発想を凌駕している。捉えどころのない発想も、デジャブが証明してくれることで繋がってくるものだ。
限られた狭い範囲での記憶の共有は、一日を繰り返している意識を生むことがあった。しかし、それは実際には同じ日を繰り返しているわけではなく、一日が百時間であるということを感じさせるものだった。
もちろん、実際にそんなことはあり得るわけはない。百時間という感覚を植え付けるだけだったのだ。
それはデジャブのように自分で解決できない発想を納得させるために必要な意識だった。そのことに気づいている人はなかなかいないが、一生のうちに一度は気づく時がある。
恵美と香澄は、早い段階で気づいてしまった。正孝だけは気づいていなかったが、その二人に囲まれて、そのうちに気づくだろう。
正孝が気づいていないことで、恵美と香澄は迷走を繰り返している。そして、二人は百時間の中にある四時間という中途半端な時間について気にしていた。
しかし、恵美は気づき始めていた。
――記憶の共有が限られた狭い範囲の中で繰り広げられていることが、四時間という中途半端な時間を形成し、それが二十四時間と、百時間という発想の間に歪を作らないのだ――
という発想である。
香澄と恵美が出会うことはないかも知れない。しかし、気持ちと記憶の上では繋がっている。正孝は二人の間に挟まれて、無意識に結界を作っていた。
恵美も香澄も二人が結界を作ってるわけではない。二人は、相手が結界を作っているつもりでいるが、実はそうではない。
「やっぱり、一日は二十四時間なんだわ」
と、香澄が思うと、恵美はその瞬間、百時間を意識してしまう。
――交わることのない平行線――
それが二人の関係だ。
だから、相手が感じたことを同じような感覚でもう一人が感じることはない。二人は同じ次元で存在することはできないのだ。
それを可能にしているのは正孝という存在だ。
では一体正孝というのは、どっちの世界の住人なのだろう?
ひょっとしてこの三人の中で一番神秘的なのは正孝で、彼が一番人間臭いと思っているが一番のイリュージョンは彼なのかも知れない。
真っ暗な空間で一人の人間の吐息が漏れていた。興奮しているのか、胸の鼓動は最高潮だった。空気の密度は最高の濃度に達していた。湿気をかなり帯びているのだが、暑いのか寒いのか、まったく感じなかった。
「一日って、何時間なの?」
正孝は、ぐったりしている恵美に話しかけた。
恵美はその返事に答えようとしない。
もう一度、正孝は虚空に向かって問いかける、
「一日って、何時間なの?」
そこに香澄の姿を感じることはなかった……。
( 完 )
一日百時間 森本 晃次 @kakku
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