第9話 召喚術の授業2

「け、毛玉?」


 真っ白な塊。一体これは何なのか、リナニエラには全く訳が分からなかった。だが、柔らかそうな毛がふわふわとしているのが魔法陣の外にいる自分からも分かる。一体それが何なのか、周囲で見ている生徒にも全くわからなかった。とりあえず、魔法陣の中から出そうと、リナニエラはその白い毛玉に近付く。じっと見つめればどうやらそれは、動物のようだ。丸まっているせいで顔は見えていないけれども三角の耳がぴょこりと見えているのが分かる。


「子犬?」


 小さく呟いて、足元を見れば眠っているのだろうか、毛玉が上下に動いているのが分かった。それをそっと抱き上げて顔をみれば、ふにふにと口を動かしているのがわかった。


「か、かわっ」


 元々、こういう小動物に弱いリナニエラだ。かわいらしい寝顔に、メロメロになってしまう。自分の中にある知識では召喚獣は成獣が呼ばれるという不文律があると訴えているのだけれども、ふくふくで真っ白なその毛並みの前ではそんな知識など全て飛んで行ってしまいそうだ。


「も、もふもふー!」

『ひゃん! きゃひん!』


 自分の欲望の赴くまま、リナニエラは顔をその子犬の毛並みに埋める。ぐりぐりと毛並みを確かめるように顔をこすりつければ、最大級の恐怖ともいうべき声が子犬から洩れた。


「ちょ! 落ち着け!」


 リナニエラの状況を察したゲルガーが素早くやってくると、顔を埋めているリナニエラと、子犬の距離を取った。自分の手からゲルガーの手へと移された子犬は涙目でじっと自分を見つめている。秋田犬の子犬位の大きさのそれは、毛足が長くもふもふで、その瞳は銀色だ。


「オースティン、お前の気持ちは分かるがまずは落ち着け」


 貴族令嬢がまさかあんな事をするとは思っていなかったのだろう。ゲルガーは少し慌てた顔をして、片手で毛玉を抱えて、リナニエラの肩をたたいた。肩をたたかれた痛みで、リナニエラはハッと我に返る。


「す、すみません……。つい」

「いや」


 きまずい空気が流れる中リナニエラが手を握れば、カサリとした感触が走る。一体なんだと手を見ればそこにあるのは、召喚するのと一緒に燃え尽きるはずだった紙だ。


「え?」


 何故これがあるのだろう。不思議に思って、リナニエラは首を傾げれば、自分の視線の先を見つめたのだろう。ゲルガーがリナニエラが持っている紙を見て、眉を寄せた。


「燃えていないのか」

「はい……」


 彼の質問に不安になりながら返事をすれば、ゲルガーは少し考える顔をした後、リナニエラに子犬を返すと、『オースティンは最後にもう一度召喚術をやってみろ』と言った後、次の生徒の名前を呼んだ。

 そのまま魔法陣の外へと出れば、リナニエラがやってくるのを待っていたチェーリアがやってくる。後ろにはヘラジカも追いかけてきていた。どうやら身体を小さくできたらしく今の彼女の召喚獣の大きさは子犬位の大きさだ。これはこれでかわいらしい。


「大丈夫だったの? リナニエラ」


 チェーリアの言葉に、リナニエラは頷いた後、『後でもう一度召喚術をやり直しだそうです』と続けた。そして、燃えていない魔法陣を見せる。


「え?」


 手にある真新しい紙を見て、チェーリアは驚いた顔をした。そして、リナニエラの腕の中にいる子犬と紙を行ったり来たりする。


「どういう事?」

「さあ、私にもわからないわ」


 そんなやりとりをしていれば、同じように、召喚を終えたカインがリナニエラの元に歩み寄ってきた。彼の隣には、黒い毛をした狼が寄り添っている。どうやらその狼が彼の召喚獣なのだろう。


「何やら大変そうだな」


 先ほどの騒ぎを見ていたのだろうか、カインは笑いながら近づいてくると狼と視線を合わせている。


「うるさいですわ。あなたには関係のない話でしょう」

「それが、そうでも無いんだ。コイツがオースティン嬢の毛玉に興味を持ってな」


 そう言って、傍らの狼へと目をやった。『ジータ』と呼ばれた狼はそのままリナニエラの方へとやってくるとじっと見つめてくる。紫がかった瞳には理性が宿っているのが分かって、リナニエラはごくりと息を呑む。どうやら、この狼は自分の召喚獣とのコンタクトを望んでいるようだ。


「……わかりました。ただし条件があります」

「何だ?」


 じっと見つめる黒狼の顔を見つめて、リナニエラがにやりと笑えば、何かを感じ取ったのか目の前の黒狼のしっぽが足の間へと挟まれた。


「はぁぁ」


 リナニエラが出した条件は、カインの召喚獣である黒狼に触らせてほしいという物だった。その願いを口にすれば、彼は少しあっけにとられた後、黒狼と顔を見合わせる。どこか諦めた顔をしている黒狼がコクリとうなずいたのを確認した後、カインリナニエラに彼に触れる事を許可した。


 そして、今に至る。


「もふもふだけど、やっぱり成獣だからか毛なみがしっかりしているわね」


 背中を撫でた後、頭の後ろそして、胸の辺りと撫でてやれば、黒狼は戸惑った顔をしながらもリナニエラにされるがままになっている。戯れに頭の後ろの匂いを嗅げば、冷たい雪の匂いがした。

 撫でる手のひらに感じる筋肉はしっかりとついていて、ふにふにな自分の毛玉もとい子犬とは感触が違う。


「はー癒される……」


 毛並みを撫でて、太い足の感触を楽しみ、戯れに肉球に触れようとしても文句を言おうとしない黒狼をいいことに、リナニエラはそれこそ体中を撫でて満喫した。もちろん、お腹は気を許した相手だけの特権だ。そこには振れていない。


『フンス』


 ぎゅうぎゅうと抱き着いている黒狼が鼻を鳴らしたのを見て、リナニエラは『ああ』と気が付いたように身体を放す。どうやらそろそろタイムアップという事なのだろう。


「じゃあ」


 そう言うと、先ほどから自分の膝の上で寝息を立てている白い子犬を黒狼の前へと差し出した。脇に手を入れただけの状態で、黒狼に差し出せば、みょーんといった様子で子犬の身体が伸びる。丸まっていたから気が付かなかったけれども、どうやらこの子犬は自分が思っている以上に身体が大きいようだ。

 そんな事を考えていれば、腕の中の子犬が『きゅう』と今の恰好に文句を口にする。それをなだめてやっている間に、黒狼はすんすんと子犬の匂いを嗅いだ。お腹の匂い顔の匂いすんすんと匂いを嗅いだ後、なぜか彼はしっぽを足の間に挟んで伏せてしまった。


「え?」


 この状態はリナニエラでも知っている。犬が怖い物に相対した時や、危険を感じた時とかに行う行動だ。この子犬にそんな動きをする黒狼が信じられなくて、リナニエラが目をしばたかせれば、傍らでようすを見ていた黒狼の主であるカインが『鑑定』をかけてみれば?と口をはさんできた。

 いちいちうるさいカインをじろりとにらみつけてから、リナニエラは改めて自分の腕の中にいる子犬へ鑑定を行う。


『名前 *** 年齢 0歳 種族 フェンリル(子供)』


「へぇ、名前はまだ付けていないから無いわけね。0歳っていう事は生まれてまだ一年経っていないって事? そしてフェンリル……え?」


 子犬の簡易ステータスを読み上げていれば、最後の項目でリナニエラは言葉を止める。


『名前 *** 年齢 0歳 種族 フェンリル(子供)』


 もう一度ステータスを見た。そこに書かれている内容は先ほどとは変わらない。フェンリルと子犬のステータスにはばっちりと記されている。


「えぇっ!」


 まさか伝説の獣が自分の腕の中にいるとは思わずに、リナニエラは大声を上げた。


「ふぇ、ふぇんり……」


 子犬の顔を自分の方へと向けてから、リナニエラは信じられないとばかりに呟く。そうすれば、フェンリルだと自分が自覚した事に気が付いたのだろうか、抱き上げている子犬がどこかドヤ顔になった。


「どうした?」


 リナニエラ達が騒いでいる事に気が付いたのだろう。教師であるゲルガーがこちらへとやってきた。


「先生、この子フェ、フェンリルだそうです」


 リナニエラが驚きで言葉を発する事が出来ないのを察して、チェーリアがゲルガーに説明をする。『フェンリル』という単語を聞いて、周囲にいた生徒も驚いたように振り返った。


「フェンリル……?」

「子犬……」


 だが、どれだけ伝説の幻獣であるフェンリルであっても子犬であるせいか、生徒たちの反応も微妙な物だ。戸惑った空気が伝わってくるのが分かって、リナニエラは自分の顔をみて、きょんとした表情をしているフェンリルの顔を見つめた。


「とりあえず、お前は私でいいのね?」


 召喚術の紙が燃え尽きていない以上、フェンリルの子犬がやってきた自分の召喚はイレギュラーという事になる。もしかして、自分の意にそぐわないままこの召喚につれてこられたのだとしたらかわいそうすぎる。そんな思いを込めて、尋ねればフェンリルは『心外』といった顔をして『ガウ』と吠えて見せた。


「いいみたいです」


 どうやら、この子犬自身はリナニエラを主と認めているようだ。それに少し安心をした後、リナニエラはぽかんとした顔をしているゲルガーを見上げた。


「それで、先生、お話は?」

「ああ。全員の召喚が終わったからな。もう一度その紙を使って召喚をやってみろ。魔力は残っているのか?」

「ええ。大丈夫です」


 ゲルガーの問いかけにリナニエラは頷く。二度、召喚術を行おうとしている自分に、生徒たちは不思議そうな顔をしているけれども、リナニエラはあえて気にしない事にした。

 床に刻まれた魔法陣へと魔力を流す。さっきはこわごわ流していただけだったけれども、今度は二度目という事もあって、躊躇なく魔力を流す。さっきとは違って、じりじりと紙を持った手が熱くなっていくのが分かった。そのまま意識を集中させてリナニエラは魔法陣全体に力が渡るようにする。

 魔法陣を通して広がっていく自分の魔法。それは網のように周囲へと広がって、自分が召喚できる物を探しているようだ。その時、遠くの方からリナニエラの魔力に引かれるように一つの光がやってきた気がする。それは魔力に絡みつくようにして光が近づいてくる。そして、右手の手のひらが熱くなった所で、魔法陣が先ほどと同じようにまばゆく輝き始めた。そして、数秒輝いた後、ふとその光を途切れさせる。


「ふぅ」


 光が収束したのを見てから、リナニエラは目を開けた。さて、今度はどんな召喚獣がやってきたのだろう。少しわくわくしながら光が収束するのを待つ。先ほどのように今度は魔法陣から煙は出てこなかった。光がやんで、魔法陣をじっと見つめるけれども、陣の中には何もいない。


「あら?」


 失敗したのかとリナニエラは目を丸くした。魔法陣は先ほど、フェンリルを召喚した時よりも明るく輝いていたからてっきり成功したと思っていたのに、どうやら失敗に終わったようだ。


「なんだ、召喚できていたら何だったのか興味があったのに……」


 そう言いながら肩をすくめると、リナニエラは魔法陣へと背中を向けた。そして、チェーリア達の方向へと歩いていこうとする。だが、チェーリアは顔を青ざめたまま一点を見つめていた。他の生徒やゲルガーも同じ方向を見つめている。


「どうかなさいましたの?」

「リナニエラ、後ろ」

「へ?」

「いいから後ろ!」


 そう言われて振り返れば、魔法陣に影が落ちる。一体なんだと彼らが見つめる方向をみればそこには大きな体躯をもった黒いドラゴンが飛んでいた。

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