第10話 まずは名前です

「ド、ドラゴン?!」


 魔法陣が描かれた上空でホバリングする黒い身体に、リナニエラは声を上げた。一体何故こんな事態に。それよりも、まずは逃げなければ。


「くっ!」


 周囲を見れば、突然のドラゴンの出現に呆然と立ち尽くす者や、腰を抜かして座り込む者がいる。このままでは、彼らの命に係わる。


「仕方が無い」


 勝てるなんて思わない。それでも、生徒を逃がさなければ、なけなしの冒険者としての意識が有事の時の対応を頭の中で叩き出す。冒険者は、ギルドに依頼が有り無しに関わらず、有事の際は一般市民の避難を優先させなければならない。それは、貴族だろうと平民だろうと同じだ。頭の中で、いくつものシュミレーションをしながら、リナニエラは攻撃魔法をいくつか展開しようとした。


 だが――。


「はい、ストップ。オースティン。まずは落ち着け」


 ポンと頭に軽い衝撃が走って、リナニエラは我に返った。背後を見れああきれた顔をしたゲルガーが立っている。彼はドラゴンを目の前にしても落ち着いた様子だ。取り乱した所は無い。


「先生、ドラゴンが……」

「ああ、ドラゴンだな。初めて見たな。しかも黒か。攻撃力が一番強いんだったか」


 他人事のように話すゲルガーの言葉に苛立ちながら、リナニエラは再び魔法を展開しようとした。自分が発動できる魔法で一番攻撃力が強いのは雷だろうか。それとも、重力魔法であの黒い身体を地面にたたきつけてから……。


「おいおい、だから何物騒な魔法展開しようとしているんだ」


 今度は頭にパンと先ほどより強い衝撃が走る。

 今度は彼がパンと手をたたいた。それと同時に、展開していた魔法が霧散する。


「だから、ドラゴンが!」

「ああ、お前が呼んだんだよな」


 この非常時に何をしているのだと、リナニエラは彼を睨もうとしたけれども、次に続いた言葉に目を丸くした。


「え?」


 彼は言った何と言ったのだろう。聞き返せば、ゲルガーは面倒臭そうな顔をすると頭をポリポリとかいた。


「だから、お前が あの物騒な ドラゴンを 召喚したんだろ?」


 ご丁寧に文節で区切りながら話す彼の言葉に、リナニエラは信じられずに上空でじっとたたずむドラゴンを見つめた。


「本当に?」


 問いかけるようにドラゴンに話しかければ、そのドラゴンはリナニエラの言葉に反応するようにゆっくりとうなずいた。そのまま見つめ合う事数秒。


「えぇぇぇっ!」


 思わずリナニエラの口から悲鳴じみた声が漏れた。


「で……、この状況は」


 十五分後、リナニエラはゲルガーと共に学園長室の中にいた。と、いうのも学園の一角にドラゴンが出現した事で半ば学園内がパニックになりかかったからだ。

 学園長室のソファに腰掛けて、リナニエラは落ち着きなく周囲を見回す。その膝の上にはいつの間にか眠ってしまったフェンリルの子供がいた。

 あの後、学園内の人間の全員避難を言いかける前に、事態の説明にゲルガーとリナニエラはやってきたのだが、事情を説明しても、学園長の眉間に寄った皺は取れる事が無かった。

 ゲルガーが事情を説明するのをリナニエラがじっと見ていれば、話を聞いていた学園長が頭痛をこらえるような仕草をした。


「つまり、あのドラゴンはこの生徒が呼び出したと」

「はい」


 ゲルガーが返事をすれば、学園長の視線がリナニエラへと注がれる。鋭い視線に反射的に背筋が伸びた。やはり学園長というだけあって、纏う空気が違う。そんな事を考えていれば、窓の外にある影がもそりと動いた。余り見たくはないが、どうやら自分が呼び出したドラゴンが学園長室の窓から中をのぞいているようだ。ちらりと視線を向ければじっと一対の瞳が自分を見つめているのが分かった。


「はぁ……。フェンリルといい、ドラゴンといい何故一匹だけでも国を一つ亡ぼす事ができる幻獣がそろっているのだ」


『もうやだ』と言いたそうな顔で学園長がぼやく言葉に、リナニエラは言い返す事が出来ない。身体を小さくしながら、『すみません』とつぶやいた。その言葉を聞いて、学園長がため息を一つ吐く。


「まあ呼び出してしまった物は仕方がない。だが、フェンリルにドラゴンだ。国が何を言ってくるのかわからぬ」


 基本学園は、国の管理ではあるものの、ある意味独自国家のような体裁を取っている。そのため、この学園内にいる間は国の干渉を受けないというのが建前だ。

 建前なのだが……


『国を亡ぼす力を持つ生徒がいるとなれば話は別よね』頭を抱えている学園長を見つめながら、リナニエラは考える。一個人が国を亡ぼせる力がある召喚獣を二体もつれているとなれば、やはり国としては考えるだろう。もしかしたら、幽閉とかそう言った物騒な事態にだってなるかもしれない。


「参ったなぁ……」


 思わず本音が口から出た。そんなリナニエラの頭に、ゲルガーの手が乗せられる。


「バーカ。そんな顔をするな」


 何事かと彼を見れば、彼は真面目な顔をして、学園長の顔を見据えた。


「国を亡ぼす力を持っていたとしても、国を滅ぼそうとする考えを起こさせないようにすれば良いだけの話です。それに、大きすぎる力を管理できるだけの力を彼女は有していると思います」


 真面目な顔で話をするゲルガーの言葉に、リナニエラはぽかんとした顔をする。何だか妙に褒められているような気がするけれども、ここで下手にうれしそうな顔などしたら、今の空気が台無しになってしまう。それだけはリナニエラにもわかった。


「――わかった……。国が何か言ってきたらその時ははねのける事にしよう。対応はまた相談させてくれ」


 学園長がそう言って手を振った。どうやら話は終わりという事らしい。その仕草を見て、ゲルガーはリナニエラに立つように促した後、座っていたソファから立ち上がった。それに従うように、リナニエラも膝の上で眠っているフェンリルの子を抱き上げる。


「では失礼します」


 彼の言葉に反応するように、自分もペコリと頭下げて外に出た。そして、一つ大きく息を吐く。


「緊張したか?」

「それはもう」


 廊下を歩きながら会話をすれば、ゲルガーは疲れたようにため息をついた。確かに、彼にとっても今回の事はイレギュラーだったはずだ。何だか申し訳ない。小さくなりながら歩いていれば、ゲルガーが気が付いたようにポンと手をたたいた。


「ああ、そういえばオースティン、召喚獣に名前は付けたのか?」


 こちらを見て尋ねられた言葉に、リナニエラは暫く考える素振りをした後、『あ!』と声を上げた。

 さっきまでのごたごたですっかり忘れていた。ふと窓の外を見れば、学園長室から自分を追いかけるようにしてドラゴンが廊下の窓の外からこちらを見つめている。


「では、さっさと戻って名前をつけてやれ」


 苦笑交じりにそう言われて、リナニエラは『はい』と返事をするとうなずいた。



「とは言われても……」


 授業を受けていた場所まで戻ってきたリナニエラは自分の腕の中で眠っているフェンリルの子供と、自分達の上空でホバリングを続けているドラゴンへと目をやった。


「小さくなれる?」


 先ほどチェーリアの召喚獣がやったみたいに、体を小さくする事ができるのだろうかとドラゴンに尋ねれば、ドラゴンの身体が光に包まれる。見れば、フェンリルの子供と同じ位になったドラゴンがリナニエラの周りを飛んでいる。小さくなったドラゴンを見て、周囲で息を詰めるようにして見つめていた生徒たちがじりじりと近づいてきた。


「ドラゴンなんて初めて見たわ」

「それを言うならフェンリルもだろ」


 口々に言う同じ授業を取っている生徒たちの言葉を聞きながらリナニエラは自分が抱いているフェンリルの子供に目をやった。見た目は大型犬の子犬だ。まっしろな身体に眉の部分だけ黒い毛が生えている。


「で、名前どうするの?」


 興味深々といった顔をして、話しかけてくるチェーリアにリナニエラは顔をしかめた。正直な所、前世から自分のネーミングセンスは良いとは言えない。どことなく期待した顔をしている自分の召喚獣たちを見ながら、リナニエラはさてどうしようかと頭を巡らせた。


「じゃ、じゃあコロ……」


 フェンリルを見ながら、リナニエラは前世でよく聞いた飼い犬の名前を口にしようとする。だが、肝心のフェンリルはその名前が不満らしく『ウゥゥゥ』と低くうなり始めた。


「えぇ? じゃあシロ」

「オースティン嬢……」


 それではと見たままの名前を言えば、チェーリア同様自分の近くにいたカインがため息交じりに名前を呼んでくる。同じように、周囲の生徒たちもため息を漏らしているのが見えた。そして、肝心のフェンリルも耳を倒して唸り声をあげたままだ。


「えぇぇぇぇ」


 どうすれば良いのかわからなくて、リナニエラが声を上げれば、ピスと鼻をならしたフェンリルがこちらを見上げてきた。その瞳をじっとみつめる。銀色の瞳そして、眉の部分には黒い毛……


「マロ?」


 ふとリナニエラの脳裏に前世の記憶が浮かんでくる。確か丸く黒い眉の事を自分達は『まろ眉』と言っていたきがする。何となくそう言ってフェンリルの顔を見ればどうやら気に入ったらしく、目をキラキラさせていた。


「それでいい?」


 尋ねれば、『ガウ』と返事が返ってくる。これでフェンリルの名前は『マロ』と決まった。残るは……。

 先ほどから自分の周囲をパタパタと飛び回っているドラゴンに目をやって、腕を組んだ。

 頭の中に浮かぶのは前世にあった野球チームのマスコットキャラクターだ。ドラゴンとコアラを合わせた名前で時折バク転をしたりしていた存在しか浮かばない。


『でもさすがに、それはまずいよね』


 先ほどまでのマロ同様、期待した目を向けているドラゴンに、どんな名前を付けようかと考える。さっきフェンリルはうなるだけだったけれども、今度は下手な名前をつけようとしたら、ドラゴンブレスが飛んできそうだ。それはどうしたって避けたい。


『もちろんあのマスコットキャラの名前はダメだろうし、クロだって安直すぎ。だったらどうすれば……』


 むむむとうなり声をあげて、リナニエラは飛び回るドラゴンを見つめる。見た目が黒だから黒やらブラック位しか本当に思い浮かばない。パタパタと飛び回るドラゴンを見つめつつリナニエラは考え込む。


「黒……墨……イカ墨……セピア……」


 殆ど連想ゲームのように言葉を羅列して、考える。そうしていれば、ふと頭の中に言葉が浮かんだ。


「トープ……」


 前世で見た色彩辞典の中に載っていた色の名前をリナニエラは口にする。実際口にした色は真っ黒ではない。赤茶みを帯びた灰色なのだが、なんとなく語呂が良い気がして、リナニエラはドラゴンにお伺いをするように顔を見る。そうすれば、気に入ったのだろうか、ドラゴンが寄ってくると、リナニエラの頭によじ登った。


「あ、こら!」


 折角マーサに髪の毛を整えてもらったというのに、これではぐちゃぐちゃになってしまう。そんな思いを込めて文句を言うが、肝心のトープは全く気にした様子は無かった。


「決まったのか?」


 どうやら、自分が名前を決めるのを待っていたらしいゲルガーがやってくる。どうやら召喚して契約した召喚獣は学園で名前と種族を管理するらしい。どうやらリナニエラが名付けをするのが最後だったようだ。尋ねられた言葉に、リナニエラは頷くと自分の傍らにいる召喚獣たちに目をやった。

 その日、リナニエラの召喚獣であるフェンリルとドラゴンの名前は『マロ』と『トープ』となんとも珍妙な召喚獣の名前が学園側にも登録がされた。

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