第5話 家族のことなど
コンコンとドアをノックされる音がしてリナニエラは我に返った。
予習復習をするつもりが随分と考え込んでしまっていたようだ。
「はい」
と返事をすれば自分付きのメイドが夕食の時間になったと告げにくる。
それに わかったと返事をした後、リナニエラは部屋を出た。そうすれば、先程声をかけたメイドが立っている。
彼女はマーサというメイドだ。 リナニエラが幼い頃から自分の世話をしてくれている。なんでも、男爵家の令嬢で、行儀見習いとしてこの家に入ってくれているらしい。自分との年もあまり離れていないから、リナニエラにとっては、気安い相手だ。
「ごめんなさい。待たせたわね」
彼女に、詫びの言葉を言えば、マーサは笑いながら首を振った。どうやら気にするなという事らしい。へらりと笑う彼女の顔を見て、リナニエラはうなずいた。
「さて、急がなくてはね」
そういって、廊下を歩き始めれば少し後を追いかけるように、マーサが後からついてくる。階段を下りて、エントランス近くにある食堂のドアを開けば、中には自分以外の家族の姿があった。
「随分と遅かったな。何かあったのか?」
「すみません。授業の予習と復習をしていました」
父であるエドムントの言葉に、リナニエラは返事をすると、自分の席に着く。テーブルにはすでに食事が並んでいて、自分が思っていたよりもみんなを待たせていたことに気づいた。
「今日は珍しく、お父様も一緒に食事ができるのよ」
そういったのは母親であるナディアだ。彼女は隣国の王家の血を汲む公爵令嬢だった。ヘーゼルの色をした髪の毛に、まるで空の色を映したような青い瞳は、隣国の王家の特徴をよく映している。顔も優しい顔立ちでおっとりとした印象を与える。
彼女は、外交の為に、父と国の指示で政略結婚と相成ったのだけれども、リナニエラから見る限り、彼らの仲は悪くない。むしろ仲睦まじいといった方が良いだろう。
その証拠に、自分を含め彼らの子供は四人もいる上、今だってそのうち弟か妹ができるのでは? と思わせるほどの空気を醸し出していた。
上座の席で見つめ合って嬉しそうに話しをする両親に目をやって、一つ息を吐いた後、リナニエラは並べられた食事に目をやった。今日のメニューはコンソメスープに野菜サラダ、そして肉料理らしい。パンも自分たちで自由にとれるようにと中心に並べられる方式が取られている。
貴族の食事としては、品数が少ない方だとは聞いているのだが、食べられない物を残すよりは完食した方が良いという父の考えの元、オースティン家の食卓はまだ湯気がたつそれらを見れば、リナニエラの胃が空腹を訴えてくる。
自分がお腹がすいている事を察してくれたのだろうか、エドムントはそれ以上尋ねる事はせずに、家族を見回した後、自分の背後にいる執事長へと視線を流した。
主の視線の意味を理解した執事長がさらにメイドへと目配せをする。そうすれば、彼女は奥へと消えていった。
「ではいただくとするか」
メイドが奥へ消えたのを確認してから、父親であるエドムントがそう言う。その言葉と一緒に、家族が全員手を合わせて『いただきます』と合掌をした。
「いただきまーす」
ナディアの隣から元気な声がして、弟のカミルが手を合わせている。そのかわいらしいようすに他の家族からも笑みが漏れた。自分の記憶が戻った後、自然とリナニエラが行うようになったのだが、父であるエドムントが自分に理由を聞いた後、それを採用した為、今の風景となっている。
なんでも、この料理を作ってくれた、家の料理人、そしてこの糧を作ってくれた領民やこの食材に感謝するというのは、貴族であり領主としてとして理にかなっているというのが理由らしい。
挨拶が終われば、そのまま夕食が開始される。 食堂の中は暫く沈黙が流れた。聞こえる音は、自分たちが食器を使う音だけだ。
ほどなくすると、メインの肉料理もやってきて、食堂の中に良い香りが漂うのが分かった。基本、オースティン家の家では食事のマナーは外でちゃんとできればよいという事になっている。そのため、今食べている食事でパンを手にして、切り身を入れてサラダと肉料理を挟んで食べるような恰好をしても誰も咎める事が無い。むしろ、言われるのは、食べ物を中途半端に残す事だ。
もちろん、残った料理は使用人たちの料理へと下げ渡される事になるのだけども、食べている途中の物を料理人に渡すのは忍びない。そんな理由からオースティン家では暗黙の了解となっていた。
今も隣では弟のカミルがバケットを切った上に、サラダを乗せてサンドイッチのような形状にして一生懸命食べているのが見えた。
「そういえば、リナニエラ。授業の方はどうだい?」
食事が中盤に差し掛かった所でエドムントから声が掛けられる。ちょうど肉料理を口に入れた状態で顔を上げたリナニエラは、一瞬何を言われたのかわからなくて、きょとんと首を傾げた。
父であるエドムントは青みがかった銀髪に緑の瞳をしている。顔立ちはりりしく怜悧な顔といわれている。その色のせいか、威圧感を覚える者が多いらしく、城内でも『氷の外務大臣』とうわさされているのだという。そんな父の瞳と見つめ合ってしまう。食堂の中に沈黙が流れた。
「ちょっと……」
暫くエドムントと無言で見つめ合っていれば、なんとなく今の状況を理解したのか、隣に座っていた姉であるミルシェが肘で自分を小突いてくる。
「お父様が授業がどうかだって」
小声で質問内容を教えてくれる彼女は、来年隣国の侯爵家へ嫁ぐ事が決まっている。相手の人をリナニエラも見ているけれども、優しそうな人で姉の事を大事にしてくれそうな人だった。
そんな事を考えながら、リナニエラは口をもごもごと動かしながら姉の言葉に頷いた。その後、リナニエラはの手元にあるグラスの水を口に含む。そして、ごくりと呑み込んだ後エドムントへ視線を動かす。
「大変充実しています」
にこりと笑って返事をすれば、エドムントの顔が複雑な物に変わった。その顔を見て、リナニエラは曖昧に笑う。
魔法学園に入学する時、両親はリナニエラが貴族科に進学すると思っていたようだ。
だが、自分が行きたいと希望をしたのは魔法科だった。その時もさんざん止められて、説得されたのだが、リナニエラは首を頑として縦には振らなかった。
その甲斐あって、両親の意見を押し切って、魔法学院でのリナニエラの魔法科の入学が決定したのだ。
「そうか」
その時のいきさつでも思い出しているのだろうか。エドムントは短く返事をした後、顔をしかめた。
「――で、ジェラルド殿下はどうだ? 科が違うから顔をあわせる事は少ないと思うが」
沈黙の後、父から出た言葉。『ジェラルド』の名前を聞いて、リナニエラは顔をしかめた。頭の中には、今日の放課後に見たアリッサと一緒にいる光景が浮かぶ。彼に対しての恋愛感情は無い。もともとこの国のパワーバランスを崩さないための政略的な婚約者だ。好いた惚れたという甘い感情ははなからなかった。だから、彼らのいちゃついている所を見かけたとしても、自分の心は波立たないだろう。
だが――
王族として求められる態度や、言動という物があるはずなのだ。それを彼は全て放棄している。貴族科に通う仲の良い貴族令嬢の話では最近ではアリッサに入れ込みすぎていて、成績が落ちているとの話だった。その上、彼女の言葉だけをうのみにして、周囲に威圧的な態度を取っているのだという。友人の言葉を借りれば『手の付けられない状態』らしい。
その時の話を思い出して、ついリナニエラはため息を一つこぼしてしまう。
「余り良い状況では無いというのは聞いています」
「――そうか……。こちらが持っている情報と同じだな」
リナニエラの言葉に、エドムントはため息をつくと、重い言葉を一つ口にした後、再び食事を再開する。
「だったら、婚約を解消する事は出来ないのですか?」
そう口にしたのは、兄であるクリストファーだ。彼は母と同じヘイゼル色をした髪に父と同じ緑色の目をしている。顔立ちは母に似ているせいで優し気な顔だ。リナニエラの友人にも、彼のファンがいる。彼はこの家の後継者としての勉強をする傍ら、騎士団としての務めも果たしていて、多忙な日々を送っている。そんな兄が顔をしかめて、エドムントに話をしているのを、リナニエラは無言で見つめた後、話を振られた父へと視線を向ける。
「クリストファーの言う通り、こちらとしては、婚約者一人ちゃんとできないような人間に、大事な娘をやるつもりはない。だが、王家からの打診だったこの縁談だ。こちらの意向で破談にする事は出来ない」
苦い顔をして、続けられるエドムントの言葉に、クリストファーの顔も厳しい物に変化した。
「では、こちらは泣き寝入りという事ですか? ジェラルド王子の不誠実な事も見て見ぬふりをしろと?」
低い声でクリストファーが尋ねる言葉に、エドムントは首を横に振る。
「そんなつもりは無い。この事は陛下にしっかり話をさせてもらうつもりだ。対応によっては、不敬と摂られても婚約は解消するつもりでいるよ。たとえ陛下が何と言おうともな」
低い声で話をする父の言葉に、クリストファーは息を呑む。一瞬食堂の中に冷気が漂ったような感覚があって、リナニエラは背筋を震わせた。
「そ、そうですか」
父の気配に気圧されたのか、兄はごくりと息を呑んだ後、再び食事を再開する。二人のやりとりを見ていたナディアは少し困った顔をして笑うと、リナニエラの顔を見つめてきた。
「でも、こういうのは本人がどうしたいかが一番よね?」
「へ?」
そう言って話を振られてしまって、思わずリナニエラは間抜けな声を上げてしまう。
「えっと……」
家族の視線が集中する中、リナニエラはどう返事をすればよいのか迷ってしまう。
「リナニエラはどうしたい?」
姉であるミルシェが尋ねてくる言葉に、うろうろと視線をさまよわせた。正直に言えば、ジェラルドに対して自分自身の恋愛感情は無い。ゲームの中では、自分の視点はアリッサだったから、彼は素敵な王子に見えた事もあった。だが、実際は婚約者をないがしろにして、他の女性に現を抜かしているだけの状況だ。真実の愛だとかなんとかゲームの中でも口にしているけれども、それも、守るべきところを守っている人間が口にできる言葉で、決して彼が口にしてい良い言葉ではない。
「正直に言えば、私自身は、ジェラルド殿下に対して恋愛感情といった物は持ち合わせていません。それでも、殿下の行動は目に余る物があると思います」
直接的に、婚約を解消したいとは口にできずに、リナニエラは今の彼に対する感情を口にする。そうすれば、両親が顔を見合わせた。
「――わかった。陛下にはそう伝えておく。できれば婚約も解消の方向で動くつもりだ」
自分の声が幾分低くなったのが分かったのだろうか、ため息交じりに、エドムントは返事をした後、食事を再開する。ナディアの方も苦笑いを浮かべている。
「まあでも、最初からわかりやすくダメな人で良かったんじゃないかしら? 後で気が付いたら目も当てられなかったわ」
「母さん……」
ほわほわとしながら、なかなか辛辣な事を口にする母親に、クリストファーが頭を抱える。彼女はもともと優し気に見える為、社交界でも気が弱いと思われているのだが、実際はかなり気が強くて豪胆だ。
今の言葉も、大概な物だと思いながらリナニエラは、スープを飲み干した。
「まあ、どうなるにしても、私はお父様たちの判断に従います。けど、このまま一緒になるにしてもよっぽどの事が無い限り殿下を尊敬する事は出来ないかと」
「でんかだめだめー」
そう言えば、隣でカミルがそんな事を言う。
意味が分かっているのかどうかまでは判断できないものの、余りにこの場に合った言葉に、思わず苦笑が漏れた。周囲を見れば自分を見つめていた家族がうんうんとうなずいてみせる。どうやら、自分の家族はリナニエラやカミルと同じ意見らしい。家によっては、こんな状態だったとしても、相手が王家だから我慢する事が必要だという家族もいるのだから、自分はとてもありがたい。
そう思いながらリナニエラは家族に向かって笑顔を見せた。
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