第4話 わたしのことなど3

   リナニエラが自分の前世の記憶がある事に気が付いたのは、7歳の時だった。


 今の婚約者であるジェラルドとの婚約の話を父がした時に『もしやこれは政略結婚というやつでは?』と思った事が始まりだ。

 父親の執務室に呼び出され、渋い顔で『リナとジェラルド殿下の婚約が決まったよ』と告げられた時頭の中に浮かんだ言葉がそれだった。


「ジェラルド殿下と政略結婚ですか?」


 こてりと首を傾げて尋ねれば、父は驚いた顔をしている。おそらく7歳の少女から『政略結婚』という単語が出てきた事に驚きが隠せないのだろう。次の言葉が続かない父の顔を見ながら、リナニエラはうーんと腕を組んだ。


 自分の家は侯爵家だ。しかも国にある侯爵家の中でも歴史も長く、父も外務大臣についていて、この国の国王からも覚えめでたい。

 頭の中で考えながら、リナニエラはぶつぶつと言葉を紡ぐ。


「確かに、第三王子と、現外務大臣、筆頭侯爵家の娘しかも次女なら、他の王族の方々の婚約者の事も考えれば、釣り合いはいいですね。第一王子殿下の婚約者が公爵家のエリアーヌさま、第二王子の婚約者は、軍務大臣で辺境伯の娘である、クリスティアナさまですよね」


「そ、そうだが……」


 いきなり難しい事を言いだした娘に父は驚いた顔をする。王子と自分が同じ年だというのは、リナニエラも知っているが、ジェラルドの兄弟である第一王子、第二王子の婚約者がどこの貴族だという話をした事は無かったはずだからだ。しかも力関係すら言ってくるとは想像もしていなかったらしい。


 目を白黒させる父親の前で、リナニエラは苦く笑った。


「わかりました。王家からの話なら、父様も断る事もできませんし――。仕方が無いですね。謹んで婚約の話おうけします」


 そう言ってリナニエラは頭を下げた。そして頭上げれば唖然とした顔をした父の顔があったのだ。

 何故父さまがこんな顔を? と思った所で、リナニエラの頭の中にぐわんと衝撃が走った。


「っ!」


 額を大きな手のひらでぐいと押されたような感覚がした。その衝撃のまま、リナニエラの身体は後ろへ傾く。いきなり倒れかけた娘の姿に、慌てたように父親はリナニエラの背中を支えた。


「あ……」


 頭の中に浮かんでくるのは、今の『リナニエラ』が知らない事ばかりだ。見上げるほどの高い建物や、空を飛ぶ鉄の塊。次々に浮かぶそれらに、リナニエラは混乱する。もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。

『リナニエラ』『私』『納品書』『魔法学院』『残業』『SNS』『スマホアプリ』

 たくさんの単語が浮かんで消え消える。頭の中の映像が目まぐるしく切り替わっていく。今頭の中に浮かぶ映像がどちらの物なのか、もうリナニエラにはわからない。そして、いくつもの映像が浮かんだあとリナニエラの頭の中はプツンと映像が途切れて真っ黒になった。


「固まっちゃった……――大変、セーブしてないのに……ソフトリセットしなくちゃ……」


 ぽろりと口から言葉が漏れた。『ソフトリセット』という言葉が一体どんな意味なのか、そんな事を考える前に、リナニエラの意識は闇へと落ちた。

 耳元で父親の叫び声が聞こえた気がしたけれども、それを考える間も無くリナニエラの頭の中は真っ暗になった。


  それから二日、リナニエラは眠ったままだった。今考えれば、その時、自分の過去の記憶と今の自分の記憶を整理していたのだろう。

 ずいぶんたくさんの夢を見た記憶があるけれども、それすらはっきりとはおぼえていない。

 だが、起きた後自分の中にはリナニエラの記憶と一緒に、もう一人の記憶が残っていた。


「あー」


 頭の中に浮かぶ記憶に、リナニエラは額に手を当てる。もともと、リナニエラは他人対してあまり興味を抱く事が無かった。好きな事は魔法や冒険者といったもので、おおよそ貴族の少女が望む物ではない。

 自分でも不思議に思っていたのだが、どうやらそれはもう一つの記憶の自分に関係があるようだ。


「異世界転生とかないわー」


 つぶやく言葉が子供らしくないのは、前世を自覚した事で、過去の自分の人格が表層に出てきたからだろうか。ネグリジェを着たまま、ベッドの上にあぐらをかいて、腕を組むリナニエラはふむと考え込んだ。


「とりあえずは、『私』の事を含めて状況観察だと思うんだけど、どうもこの名前が引っかかるのよね」


 ぼそりとつぶやいてリナニエラは首を傾げた。


 前世での自分は三十代の会社員だった。

 毎日を仕事に追われて朝から晩まで働いていたのだ。ブラック企業とまではいかないものの、忙しい会社で仕事に追われていた。納期が迫る中、次々くる変更の山。頭の固い上司。気持ち的には歯車の中でカラカラ回るハムスターのような気分だった。


 そんな中、自分の娯楽だったのが、スマホのアプリで取り込んでいた乙女ゲームだ。

 過去の自分の好みは、剣と魔法が詰まったRPGを好んでプレイしていたのだが、やりこみ要素の高いそれらは、忙しくて時間がとれなかった。そんな時、同僚にすすめられて、成り行きでプレイしていたのがこのゲームだ。

 内容はありきたりな物で、 身分の低い少女が、貴族が通う学園に入り、上位貴族との恋愛模様を繰り広げていく物語。

  設定だけを見れば、ありえないだろ! の一言に尽きるものだったが、魔法学園という場所が舞台だったせいか、色々な魔法や種族が出てくる事で、RPGゲームをできない自分の気持ちを鎮めてくれていた。 

 だが、内容はあくまでも乙女ゲームだ。物語の端々で攻略対象が主人公に対して囁く甘い台詞に、突っ込みを入れて、吹き出しつつも、プレイを続けていた。

 まだクリアはしていなかったけれども……


 今リナニエラがいる状況が、かつての自分がプレイしていた乙女ゲームの設定と酷似しているのだ。

 それに気が付いた時、リナニエラの背筋は凍るような感覚がした。

 リナニエラの記憶の中にある国の名前と、前世の自分が知っている記憶の二つ。それが、同じ国だと告げている。


  はわわコレが異世界転生?!ひゃっほう!と思い、ワクワクしかけたけれども、自分の名前を改めて考えてリナニエラは愕然とした。


  『リナニエラ•オースティン』という名前は、ゲームの中で所詮悪役令嬢として存在していたからだ。第三王子と仲良くなっていく主人公をいじめ抜き、最後には婚約者である王子に断罪される存在として――。


  それに気がついたときのリナニエラ気持ち口では言い表せる物ではなかった。異世界転生まではまだ許せる。だが、何故自分が悪役なのだと。

 いや、プレイをしていた時も、主人公のとんでも理論よりは、悪役令嬢の言い分の方がやり方は間違っていたけれども、筋が通っていたとは思っていたけれども――。

 それでも、この状況はひどすぎる。こんな状況に自分を追いやった神様とやらを呪ってしまいそうだ。


 物語の中、最終的にリナニエラはいじめをした事の他に、主人公を殺そうとした罪で、家から勘当され斬首刑になっていた。同僚の話によれば、話の進み方によっては、国外追放、修道院に一生幽閉。侯爵家の令嬢だというのに、魔物の巣窟へ最前線で送られたというのもあった。

 魔法がある世界だと喜ぶ前に、自分の一生を知ってしまうだなんて、一体どんな罰ゲームなのだろう。

  主人公をいじめて破滅するだけの運命なんて――。


  確かに主人公をいじめてそれを楽しむ人もいるだろう。権力意識が強い人間なら、それもありだ。けど、リナニエラの前の生の人物はそういう性格では無かった。どちらかといえば、もめ事も、波風を立てず穏便に済ませてしまいたい。ぶつかるくらいなら、裏から根回しして、平和的に事を進めて相手を追い詰めたい。そんな性格だった。


  それにプレイをしている物語の中でもいろいろな違和感があった。

  なぜ自分がわざわざ、ヒロインを引き立てさせるために彼女をいじめあげなければいけないのか?

 王子の事が好きだといっても、虐めるのは間違っている。

 そんな事をするくらいなら、もっと自分に楽しい事をしたい。リナニエラの人生は自分のためにあって間違えてもヒロインのためにあるのでは無いのだ。


  だったら、ヒロインとの接触をなくせばよいのでは?


  思いついた考えたに、リナニエラは一も二もなく飛びついた。

 

 王子の婚約者になってしまった事は不本意だが、まだ自分が挽回出来るチャンスはある!それにここは魔法の世界だ。転生してしまったのは、予想外だが、魔法が使える状況を楽しまない手はない。

 主人公に関わらずに、魔法を使いこなせるようになる。そうすれば、第三王子と関わる事も少なくなっていくはずだ。

 下手な嫌疑をかけられる事もなくなるだろう。


「絶対死ぬわけにはいかないわ」


 ベッドの上で、リナニエラは小さく呟くとこぶしを握ったのだった。 



「――。嫌な事を思い出したわ。中庭にいた二人を見てしまったからかしら」


 過去の事を思い出して、リナニエラは眉を寄せた。

 ジェラルドの婚約者になってから、二人の交流は必要最低限だ。彼自身、『政略結婚』が嫌というよりは親に言われた婚約者をあてがわれるのが嫌といった様子だ。 



 ふんすと鼻息を荒くして、リナニエラはこぶしを握る。 

 もともと、婚約を父から言われた時から、リナニエラにはジェラルドに対する恋愛的な感情は全く存在していなかった。

 物語の中では『政略結婚』相手として出会った二人だったけれども、リナニエラがジェラルドを好きになったのだが、彼はリナニエラに対して興味が無かった。何故、親に決められた婚約者と一緒にならなければならないのか、王子としての定めに蟠りを抱えていたのだ。

 そんな違和感の中であったのがゲームのヒロインであるアリッサだ。

 男爵令嬢で、さほど貴族のしがらみにとらわれていないせいなのだろうか、彼女はよく言えば天真爛漫、悪く言えば奔放、空気が読めないといった状態だ。当然彼女は学園の女子生徒からは遠巻きに見られている存在だった。

 だが、それすら気が付いていないのか彼女は、持ち前の奔放さで婚約者のいる高位貴族の子息に近付いては、落としていった。もちろん、自分の婚約者である第三王子もだ。

 だが、彼の場合は話しかけてきた彼女の容姿に一目惚れをしたのだけれども……


 そして、今に至るという状況だ。


  基本、婚約者がいてヒロインに一目惚れして、ちょっかいをかけていくなんて、ありえない事だ。しかも自分の不実が原因でヒロインが虐められるのに、自分を責める前にリナニエラを断罪する。自分の浮気どこいった!という態度がどうしても受け入れられない。


  しかも実際会った王子は 良い意味でも、悪い意味でも王子様で、社会人としての記憶があるリナニエラからすれば甘ったれのおぼっちゃまにしか映らなかったのだ。自分の限られた世界しか知らないご都合主義なお坊ちゃん。


「あれと結婚とかないわー」


 はぁと思いため息を吐き出して、リナニエラはぼそりとつぶやいた。

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