第2話 わたしのことなど1

馬車乗り場に着くと、すでにオースティン家の馬車は乗り場で主の帰りを待っていた。

派手ではないものの、がっしりとしたつくりの馬車が乗り場の片隅で止まっているのを見て、リナニエラは息を吐いた。


「まずいわね。結構遅くなってしまったわ」


 本を片付ける所まではよかったのだけれども、そのあと『カイン』と名乗る騎士課の生徒と話をしていたのがまずかった。ここ最近図書館でよく見かける顔だけれども、一体どこの家の子息なのだろう。

 興味はあまりないものの、高位貴族の子息の名前は頭に入っているリナニエラは該当する名前を考えるけれども、まったく思い浮かぶ事はなかった。一応、デビュタントは済ませているし、社交界に参加しているというのなら、顔も浮かぶと思うのだが――。


『カインてどこかで聞いた事があると思ったのは、あの口うるさいイルカに名前がにているからだわ」

 

 前世のソフトの中にいた作業アシスタントのイルカの青いボディを思い出して、リナニエラは顔をしかめた。ヤツは顔は愛らしいものの、少し気になる所があればけたたましく鳴いてそれを指摘してくる。しかも、仕様としてわざとそうしている物すら間違っているとその都度指摘してきた時は、すかさず彼(勝手に彼だと思っている)の機能をオフにしたものだった。


 前世の思い出に浸っていれば、馬車に乗っていた御者が気が付いたのか、リナニエラの顔を見て頭を下げた。それを見て、彼女も小さくうなずくと、歩く速度を速める。


「ごめんなさい。図書館によっていたら遅くなってしまったわ」

 

 そう詫びを口にすれば、御者は慌てた様子で首を横に振る。三十代前半の彼は、自分の屋敷で御者として働いている。最近、子供が生まれたという話を聞いて、屋敷からお祝いを渡したのが記憶に新しい。

 リナニエラも子供のために、新しい子供用の服を用意したのだから。

 自分の言葉に、御者は慌てた様子で首を横に振った後、『遅くなって心配しておりました。早く戻られませんと、皆様が心配されます』と返してきた。それにうなずくと、リナニエラは馬車の中へと乗り込んだ。自分が馬車の席に腰かけたのを確認した後、彼はドアを閉める。そして、数拍の間の後馬車が動き始めた。


「あーつっかれたー!」


 完全に馬車が動き始めてからリナニエラは足を延ばして、大きく伸びをする。こんな格好を学園でしようものなら、すわ気が触れたのかといわれそうだ。実際、家族にも行儀が悪いといわれてしまうのだが、前世が普通の庶民であった自分にとって、貴族の生活というのは妙に堅苦しい。挨拶の仕方、お辞儀の角度、話しかける順番、身だしなみのマナー、夜会でのマナー、エトセトラ、エトセトラ考えるだけでも頭が痛くなってくる。

 最初はリナニエラもこちらのルールに則ってお嬢様らしく過ごしていたのだけれども、リナニエラの一部としてある前世の意識がそれをよしとはしなかったようだ。日を追うごとに気鬱が大きくなっていったのだ。あの時の家族の慌て方を思い出せば、リナニエラは申し訳ないという感情しか浮かばない。

 今思えばあれは、抑うつ状態に近いものなのだったのだろうと、想像がつく。

 心配した両親と話をした結果、家族だけの時、他人の目がない場所では自分の好きにして良いといってくれたのだ。


『本当、両親には感謝しかないわ』

 

 そのおかげでリナニエラは自分の中でのバランスを保つ事が出来ているのだ。


「けどジェラルド様の件どうしようかしら?」

 

 学園内でも、男爵令嬢であるアリッサと常に一緒にいる事が噂になっている。自分が婚約者として蔑ろにされていると噂をされる分には気にする事はないのだが、『婚約者を取られた令嬢』として同情めいた視線を向けられるのがうっとうしい。

 幸いリナニエラは彼らがいる貴族科ではなく、魔法科であるためあからさまにぶしつけな視線を向けられる事はほとんどなか事だけが幸いなのだけれども……。


「ま、お父様にご相談すればいいかしら」


 そう言うと、リナニエラは腕組みをした首を傾げた。


「けど、あの王子は本当にダメダメだわ」

 

 今の自分たちの年齢が十五歳。学園ではある程度の自由が許されているとはいえ、婚約者がいるのに他の女子生徒に惑わされているというのは一体どんな了見なのだろう。単なる火遊びだとしたら、自分に対してフォローを入れる必要があるだろうし、本気なのだとしたら、それなりに通さなければいけない義理や手続きというものがある。 

 それらをすべて放棄して、ただアリッサ嬢といちゃついているだけの王子へのリナニエラの評価は底辺だ。正直、自分の婚約者だとも思いたくない位にはあきれ返っている。

 一応、彼女との接触が増えてきた頃から城の要職に就いている父には彼の事をそれとなく伝えて、彼の父である国王にも話を通しているし、自分自身が、婚約を解消する考えもある事も伝えてあるのだ。だが、それに対する明確な回答は戻ってこない。


「はぁ。今日の報告もしたらお父様はなんて言うのかしら――」

 

 きっと渋い顔をするであろう自分の父の事を思い浮かべて、リナニエラは盛大にため息をついた。

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