第4話 絶対にあなたをつかまえてみせる

 それから私たちは、部長たちにも内緒でアンダーハンドパスの練習に明け暮れた。言わなかったのは、オーバーハンドパスすらも満足にできないのにアンダーハンドパスに手を出すという状況が、彼女たちに要らない心配をかけると考えたからだった。


 それにいくら欠点を補えるからといって、やっぱりアンダーハンドパスが技術的に難しいことに変わりはなかった。いわばそれは諸刃の剣だった。だからあまりにアンダーハンドパスの完成度が不十分だったり、逆にオーバーハンドパスが実戦レベルに仕上がれば本番もオーバーハンドパスでいこうというのが、私と百華の間で交わされた約束だった。


 一週間が過ぎ、そして二週間が過ぎ、六月を迎えてあっという間に県総体がやってきた。


 四継──4×100メートルリレーの予選は、大会二日目の午前中に行なわれた。

 結局、アンダーハンドパスは大して上手くならなかった。一介の女子高生ふたりがたった二週間程度練習したくらいで物になるような技術じゃなかったのだ。

 だから予選はオーバーハンドパスで臨んだ。

 一走の筑波先輩が見事な飛び出しを見せ、二走の富士部長が同じ組だった強豪校のエース相手に必死に食らいついた。そして三走の私は、走り自体はまずまずだったものの……やっぱりバトンパスで失敗した。


 幸いだったのは、辛うじてバトンが繋がりはしたことだ。けれどバトンの受け渡しにもたついているうちに強豪校には引き離され、さらに二組のチームにも抜かれた。予選通過が確定するのは上位二着までだった。もし三着以下だった場合は、予選全三組を終えた時点で、各組三着以下のチームの中、タイム順で上位二位までに入る必要があった。


 絶望的な状況だったが、それをひっくり返したのが百華だった。瞬く間に前方を走るチームとの差を縮めていき、最後の最後でひとりを抜き去ったのだ。三着となった私たちは、結果としてタイムで拾われギリギリで決勝に駒を進めることとなった。


 そして迎えた決勝。二日目の最終種目として設定される四継決勝は、全観客および選手たちの注目の的となる。


 招集所に向かう直前、私たちは円陣を組んだ。


 メンバー全員を見渡しながら、富士部長が熱意に満ちた言葉を紡いでいく。


「ようやくきたわ、決勝が。でもいい? 今年の私たちにとって、ここはあくまで通過点よ。私たちは必ず全国に行くの。そのためにはまず、この県大会で六位以内に入って地区大会に進む権利を得る必要があるわ。そして地区大会でも六位以内に入ることでようやく全国大会への切符を手にすることができるわけ。つまりまだまだ道のりは長いのよ。私がなにを言いたいか分かる?」


 すると筑波先輩はりやりと笑った。

 

「県大会くらい、さくっと優勝しておきたいねえ」


 富士部長は満足げに頷いた。


「流石は莉々亜ね。あなたの言う通りよ」


 そして今一度、部長は私たちひとりひとりを見る。


「いい、私たちが狙うのは優勝よ。予選なんて関係ない。これから走る一本で、私たちはどのチームよりも速くゴールにバトンを持っていくの。私たちにならできるから。ちなみにこれは予言よ。私の予言は百発百中だから、みんな安心して私を信じなさい。分かった?」


「あいあいさあ」


「了解です部長~!」


 筑波先輩と百華が歯切れ良く返事をする中、私はどうしても予選の失敗が頭から離れない。自信を持って、返事ができない……。


「涼花」


 部長が私の名前を呼んだ。それはきっと初めてだった。


「大丈夫だから。自分自身を、私たちを、……そして百華を信じなさい」


 その言葉は、不思議なほどに私の心を落ち着かせてくれた。それはきっと、私の姿を映す部長の瞳に不安や迷いが微塵もなかったからかもしれない。


 私はひとつ深呼吸をしてから頷いた。


「……はい、部長!」


 部長も満足げに頷いた。そして声を上げる。


「それじゃ優勝しに行くわよ! 宇水高、ファイトー‼」


「「「おーっ‼」」」


 目一杯の大声を発散して、私たちは招集所へと向かう。

 ……と、不意に誰かが私の手を引いた。顔を向けると、百華が私の右手を掴んでいた。


「百華」


 我知らず彼女の名前を呼ぶ。すると彼女は微笑み、それから唇を私の耳元に寄せた。

 急な肉薄に赤面する私だったけれど、慌てる間もなく百華の声が鼓膜を揺らす。


「……私のこと、つかまえてね」


「え……っ!」


 あまりの驚きに狼狽し、瞠目する私。しかしそんな私の様子を楽しむかのように、百華はペロリと舌を出してはウインクを飛ばしながら小走りに消えていった。


「つかまえて……」


 しばらく反芻してから気がついた。百華が言わんとしたことを。

 やれというのだ、あれを。でもすぐには踏ん切りがつかない。確かに優勝を狙うならやるべきかもしれない。でも失敗したら……。


 そこで私は思い出す。あの日、彼女が私にいった言葉。


 ──私、全力で逃げる自分を涼花につかまえてもらいたい。


 あの台詞に込められた真意を、果たして私は理解しているのだろうか。

 ……理解したい。あの言葉の本当の意味を。だから私は、掴まなくてはいけないのだ。


 私はひとり、呟いた。


「分かったよ百華。絶対にあなたをつかまえてみせる」

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