第22話.怪盗ナバーロと封魂結晶②

封魂結晶アニマ・クリュスってのは、何だろうな? 普通のアクセサリーなら寝る時くらいは外すものと思ったのだがな」

「どうでしょう? 魔法道具という話ですから、何か外せない理由があるかもしれません」


 ティトは分からないというふうに首を傾げた。


「まあ、考えたって仕方ねぇな。どのみち盗まないことにはアミ―ラは助けられねぇし」


 そう言って、ルイスは立ち上がった。


「もう行きますか?」

「ああ、眠り始めて30分から1時間くらいが最も眠りが深いらしいからな。今から行けばちょうどいいだろう」

「分かりました。ご武運を。でも、兄さん。彼女をあまり傷つけないでくださいね」


 ティトのその言葉に、ルイスはふっと笑った。


「なんだティト。ちょっと裸を見たくらいで惚れちまったのか?」

「違います。そんなんじゃないです」


 つい大きな声を出してしまったティトに、ルイスは人差し指を口に当てた。


「すみません」


 ティトは、慌てて口をつむぐ。


「心配するな。俺だって、罪のない女子供を傷つけるつもりは無いさ」

「はい」


 ルイスは、穏やかな表情でティトに視線を送った。ティトもその視線を受けて、安心したように頷く。


「じゃ、行ってくる」

「はい。お気をつけて」


 ルイスは、もうティトの方には振り返らず、ひらひらと手を振ると、尖塔の屋根の上からその身を躍らせた。


 一瞬の浮遊感の後、ルイスの右手に仕込んだワイヤーが確かな手ごたえを伝える。

 その直後、ルイスの足は外壁に着地する。

 壁に対して垂直に立つ格好になったルイスは、右手のワイヤーを少しずつ延ばしていく。



 まるで、壁を歩くように下へ下へと降りていく。

 ほどなくして、ルイスは地面に降り立った。

 ワイヤーから手を放したルイスは、近くにあった木の陰に身を隠す。




 そこで周囲の気配を探る。

 幸いなことに周囲には兵士の気配は無かった。

 ルイスは夜陰にまぎれて、貴族街をオーティス男爵家の方へと向かった。


 オーティス男爵家の屋敷は、ここから直線で約500メートルほどだ。

 ときどき遭遇する巡回の兵士たちを、建物の影などに隠れてやり過ごすこと数回。


 ルイスは無事に屋敷の前へと辿り着いた。




 屋敷を見上げる。

 尖塔の屋根から見た4階の角部屋。今は明かりも消えているその部屋の真下まで来ていた。


 ルイスは左手の腕輪バングルに収納してあるフック付きのワイヤーを取りだすと、フックを大きく振って4階のバルコニーに向かって投げた。

 微妙な力加減により、大きな音を立てずにフックをバルコニーの端に引っ掛ける。


 軽くワイヤーを引っ張って、しっかりと引っかかっていることを確認すると、ルイスはワイヤーを伝って4階を目指した。



 ワイヤーは糸のように細く頼りないが、これでもルイスとティト二人分の体重を支えて余りある強靭さを誇る。

 あまりにも細いワイヤーで掴むのになんがあるように見えるが、これを掴むのにはルイスの付けている手袋に秘密があった。


 その手袋の名を『バジリスクの手』という。

 ティトの作った魔法道具だ。

 材料にバジリスクという魔物の手の皮を使っている。



 このバジリスクという魔物、ヤモリのように壁や天井に張りつき歩くことが出来る。

 このバジリスクの特性を持った手袋。

 この手袋の力で、極細のワイヤーでもしっかりと掴むことが出来る。それだけでなく、凹凸の無い壁や天井にも張りつくことが出来るのだ。


 ルイスは、あっという間に10メートルほどの高さを登りきると4階のバルコニーの上へと降り立った。



 窓からそっと部屋の中を窺う。



 人の動く気配は無い。リリアーナは、ぐっすり眠っているのだろう。

 窓には当然、鍵がかかっていた。


 ルイスは、右手の腕輪バングルに仕込んだピッキング道具を取りだした。

 鍵開けはティトの方が得意だが、ルイスにもその心得はある。

 2本の細い金属棒を窓の隙間から差し込み、小刻みに動かすと、やがてカチャリと小さな音がする。

 そっと、窓を引くと意外なほど簡単に開いた。


 ルイスは、音をたてないように慎重に部屋の中へと侵入する。


 部屋の中は、ほんのりと甘い香りがした。


 シュテルナー公爵の館のような甘ったるい匂いとは違う。ほのかに香る甘さが鼻孔に心地いい。



 ルイスは部屋の奥へと進む。

 そして、迷わずリリアーナの眠る天蓋付きベッドまで行くと、その天蓋をめくった。



 そこには、思わず見惚れてしまうほどの、可愛らしい少女が静かな寝息を立てていた。

 ふわふわのウェーブがかかった髪に、小さめの顔。閉じられた目には長いまつげが影を落とす。

 すっと通った鼻筋に、少しだけ開かれた小さな口。昼間見た時とはまた違った可愛らしさに、ルイスは一瞬戸惑った。


 胸元にかすかに輝く紅い光を確認したルイスは、そっと手を伸ばす。


 薄い夜着に透けて見える素肌が艶めかしく、ルイスはゴクリと喉を鳴らした。


 あと少しで封魂結晶アニマ・クリュスに手が届くというところで、リリアーナが目を開いた。


 その視線がルイスの姿をとらえる。



 一瞬の沈黙。



「きゃーー」



 甲高い悲鳴が屋敷中に響き渡った。

 ルイスは咄嗟に紅い宝石を掴むと、ベッドから飛びのく。


 その手には、チェーンが千切れた封魂結晶アニマ・クリュスが握られていた。



 それをポケットに突っ込むと、慌てて入って来た窓へと向かう。

 背後からは、魔力が膨らむ気配。


「待ちなさい! さもなければ撃ちます」


 リリアーナの静止の声を無視して、ルイスは窓を抜けバルコニーに出る。


「待ちなさい!」


 再びかかる静止の声を振り切って、ルイスはバルコニーの手摺てすりを飛び越えた。

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