第3話.怪盗ナバーロ参上③

 時は少しだけさかのぼる。

 が盗まれる少し前。


 スタンレー伯爵の屋敷から南に約300メートルほど離れた場所に、この町の鐘楼しょうろうがある。

 伯爵の屋敷ほどではないが、この町で二番目に高い建物だ。


 その屋根やねの上には今、一人の青年の姿があった。

 既に太陽は西の空に沈み、辺りは闇に包まれている。

 濃い色の服を身に纏ったその人物は、夜の闇に溶け込んで、地上からその姿を見つけるのは難しい。


 すらっとした長身に、引き締まった体。

 歳は10代後半だろうか。

 黒ぶち眼鏡の奥には、深い知性を宿す藍色の瞳が、静かな光を称えている。そして、その頭の上には猫のそれと同じ形の耳が、ちょこんと乗っていた。


 そう、彼は獣人族。

 それも猫の特徴を備えた猫獣人みゃうという種族だ。

 腰の辺りからは、もう一つの身体的特徴である猫のような細長い尻尾が伸びていた。


 名前を、ティト・ナバーロと言う。


 今、スタンレー伯爵の屋敷を騒がせている怪盗ナバーロ。

 そのうちの一人だ。

 もう一人、兄のルイス・ナバーロと二人で怪盗ナバーロを名乗っている。

 

 ティトは、膝立ちになって、持っていた魔銃を構えた。

 銃身の長さは1メートルを軽く超え、全長はティトの身長よりも少し短い170センチ。


 魔銃にしては、異様に長い銃身。

 それが300メートル先のスタンレー伯爵の屋敷へと向けられる。ティトは眼鏡を外して上着のポケットにしまうと、銃身に備え付けられている遠見筒スコープを覗き込んだ。


 星明りしか光源が無いのだが、遠見筒スコープ越しに見る景色は不思議とはっきりと見える。

 何らかの魔法的効果が施されているのだが、その仕組みは持ち主であるティトにも良く分からなかった。

 遠見筒スコープはティトの持つ魔銃の付属品だった。

 その魔銃は古い遺跡で偶然手に入れたもので、愛用の武器として使っているものの、まだまだ分からないことも多い。


 この魔銃、名前を長距離射撃用魔銃アキュラスという。


 遠見筒スコープ越しに見る伯爵の屋敷は、ものものしい警備が敷かれていた。


 唯一の出入り口である南門は固く閉ざされ、何人もの屈強な兵士たちが守りを固めている。

 屋敷を囲む外壁や、屋敷の周辺。中庭に至るまで、たくさんの篝火かがりびが焚かれ、闇の中に伯爵の屋敷を照らし出していた。


 ティトは、遠見筒スコープの角度をゆっくりと上げていき、屋敷の5階へと合わせた。


 5階で、ただ一つ明かりが灯っている部屋。

 遠見筒スコープのおかげで、部屋の中もはっきりと見える。


 かなりの広さがあるその部屋には、たくさんの兵士達が直立不動の姿勢で並んでいる。

 壁には、何枚もの美しい絵画が並び、部屋のいたるところに設置されている陳列棚には、細工のすいを極めた装飾品や宝剣などが飾られている。


 中央には、ひときわ立派な台座が置かれている。

 本来なら、何かとても貴重なものが収められていただろうその台座には、今は何も飾られていなかった。


 その代わりと言ってはなんだが、台座の前には場違いな安楽椅子あんらくいすが置かれ、その上にはでっぷりと太った人物が深く腰掛けている。


 スタンレー伯爵だ。


 その伯爵を守るように、5人の護衛が立つ。

 周囲の兵士とは明らかに雰囲気が異なるその5人は、おそらく伯爵の側近だろう。

 そのうちの一人、小柄な護衛が一瞬、ティトの方へと視線を向けたような気がした。




 しばらく遠見筒スコープを覗いていると、スタンレー伯爵と護衛の二人が、話しはじめた。

 当然、何を言っているかまでは分からないが、その身振りや口の動きから何かを話しているということは分かる。


 そして、向かって右側の小柄な護衛が何か言った後、伯爵はその手を掲げて開いた。

 そこには、今回のターゲットであるがあった。


 その後、先ほどの小柄な護衛は、右手で自分の耳たぶに軽く触れる。


 兄からの合図だ。


 耳たぶを軽く触れたら行動開始。

 そうあらかじめ決めてあった。

 遠見筒スコープしに、小柄な護衛と目が合う。


 いや、兄ルイスと視線を交わす。


 ティトは、長距離射撃用魔銃アキュラスをしっかりと握ると、遠見筒スコープ越しに狙いを定める。


 部屋に二つある魔石灯のうちの一つ。

 ティトから見て、部屋の中央から少し右寄りの位置にある魔石灯。天井からぶら下がるそれの大きさは、ティーカップ程度。


 300メートルの距離を考えると豆粒を狙うに等しい。


 細長い尻尾を立てて風に当てる。

 弱い南風。


 遠見筒スコープ越しに照準を合わせると、息をゆっくりと吐く。そして、長距離射撃用魔銃アキュラスの引き金を絞り込むように握った。


 夜の静寂を打ち破るように、銃声が響いた。


 次の瞬間、魔石灯が砕け散る。


 ティトは、顔色一つ変えずに長距離射撃用魔銃アキュラスのボルトハンドルを起こす。


 キンッという小さな音を立てて空薬莢からやっきょうを排出すると、ハンドルを手前に引いてから、押し出すようにして戻す。

 カシャンという小気味いい音を聞いてから、ハンドルを倒した。


 撃ってからここまでに約2秒。


 再び遠見筒スコープを覗き込み、左側の魔石灯を視界に入れる。息を吐きだして止めると引き金を引いた。

 狙い違わず二つ目の魔石灯を撃ち抜く。


 部屋の明かりが消える。


 スコープ越しに、小柄な護衛に変装した兄が動き出すのが見えた。

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