第2話.怪盗ナバーロ参上②

 部屋に魔法の光が灯されると、イアンは、すぐさま伯爵を振り返った。

 スタンレー伯爵は、安楽椅子に深く腰掛けたまま、ぐったりとした様子で目を閉じている。


「伯爵様!? スタンレー様」


 慌てて体を揺するが、起きる気配は無い。

 余った肉がぷるぷると震えるだけだ。


「伯爵様、大丈夫ですか?」


 念のため、首筋に手をあてて脈を確認しようとしたが、余った贅肉ぜいにくが邪魔して良く分からない。


「失礼します」


 イアンは、かがんでスタンレー伯爵の口元に耳を近づける。かすかな呼吸音に、ほっと胸をなでおろした。

 そこで、ふと伯爵の両手が力なく開かれているのが目に入る。


「くそっ、やられた」


 そこに握られていたはずのが無い。


 イアンは、顔をあげて周囲に視線を走らせる。

 浮足立った兵士達が、不安そうに右往左往する様が目に入った。


「全員、動くな!」


 イアンの怒声が部屋の中に響きわたる。

 兵士たちは、びくっと身体を震わせると、その場に停止した。


「全員、その場を動くんじゃないぞ。動いた奴は犯人とみなして斬るからな」


 イアンは腰の剣を抜いて兵士たちをける。

 兵士たちは緊張した面持ちで、身じろぎひとつしない。


「おい、おまえ。明かりが消えてから今に至るまで、誰かそこを出入りした者が居たか?」


 コレクションルームの唯一の出入り口。今は閉じられている両開きの扉。

 その前に立つ兵士に、イアンは抜身ぬきみの剣を向けた。

 その兵士は、目を大きく開くと、ふるふると首を横に振った。


「おまえは?」


 その隣の兵士へと切っ先を向ける。


「出入りした者はおりません。扉はずっと閉じられていました」

「いい答えだ」


 イアンは一つ頷くと、一旦剣をおろした。


が消えてから誰も外に出ていない。犯人はまだこの中に居るはずだ」


 兵士達からざわめきがおこる。


「怪しいものが居れば、落ち着いて報告しろ。それと貴様ら! 絶対にその扉を開けるんじゃないぞ」


 イアンは、再び扉のそばにいる兵士に目を向けて、言い放った。扉を守る兵士は、直立の姿勢を取ると、右手の拳を握って左胸にあてる。


「さて、どいつがナバーロだ?」


 イアンは、手近に居る兵士たちの顔を一人ずつ覗き込んでいく。しかし、兵士一人一人の顔など、覚えているわけもなく、ちょっと見ただけでは区別がつくはずも無かった。


「おい、ジャクソン。何を遊んでいる。貴様も手伝え」


 イアンは、ジャクソンのいる方に向けて声をあげる。


「ん!? ジャクソン、どこだ?」


 しかし、そこにジャクソンの姿は無かった。伯爵の側近である5人の騎士のうち、自分とジャクソンを除く3人は、ぐったりとしている伯爵の傍で守りを固めている。それなのに、ジャクソンの姿が無い。


「ジャクソン!? ジャクソンはどこだ?」


 イアンの叫びに数人の兵士が首を動かした。その視線は、ある一点に注がれている。その視線の先を追うと、そこにジャクソンの姿があった。

 スタンレー伯爵からは、かなり離れた位置。

 兵士たちの後ろに隠れるように、小さく背を丸めていた。


 イアンとジャクソンの視線が交差する。

 しかし、ジャクソンはふっと目を逸らした。


「そいつだ。そいつが怪盗ナバーロだ。捕らえろ!」


 イアンの怒号が飛ぶ。

 兵士たちが動き出そうとしたその時。


「偽物はあっちだ。おまえら、イアンに化けたナバーロを捕まえろ!」


 あろうことか、ジャクソンはイアンを指して叫ぶ。

 そこに、一瞬の迷いが生じた。

 兵士の動きが鈍った瞬間、ジャクソンが走り出す。兵士たちが慌てて、ジャクソンに殺到した。

 しかし、ジャクソンは、ひらりひらりとそれを躱して、窓の方へ向かう。


「じゃまだ、どけ」


 ジャクソンの叫びで勘違いした数人の兵士を蹴散らしながら、イアンもジャクソンを追う。


「お前たち、殺しても構わん。逃がすな」


 イアンの声に兵士たちは一斉に剣を抜いた。


「やべぇ」


 言葉とは裏腹に、余裕の表情を浮かべながら、ジャクソンは兵士達の剣を躱していく。


 窓までは、あと数歩。

 阻む兵士も、あと数人を残すのみ。


「何をしている。早く殺せ!」


 イアンの焦りの混ざった叫び声が響く。

 はじかれたように数人の兵士たちが一斉に剣を振った。


 しかし、ジャクソンは軽くステップを踏むようにして、全ての剣を避けると、そのままの勢いで、窓ガラスへと突っ込んだ。


 ガラスの割れる音と共に、ジャクソンの身体は窓の外へと躍り出る。


 屋敷の5階。

 しかも、バルコニーなども無い。

 その身体は、すぐに重力に捕まると下へと引っぱられる。


 地面へと引きずり降ろされるその瞬間にジャクソンは身をよじって屋敷の屋根へと何かを投げた。

 それは、白い糸のようなもの。

 その先端が、窓の上にせり出している屋根に貼り付いた。糸の反対側はジャクソンが握ったままだ。


 伸縮性が高いのか、糸はジャクソンの落下と共にゴムの様に伸びていく。そのおかげで落下速度は、地面に近づくほどに緩やかになっていった。


 地面まであと少しというところで、ジャクソンは糸を放すと、難なく地上へと降り立った。


「そいつだ! そいつがナバーロだ。誰か捕まえてくれー」


 ようやく窓から顔を出したイアンが、ジャクソンを指差して叫ぶ。


 窓ガラスを割って飛び出したジャクソンの姿は、当然中庭に居た兵士達にも目撃されている。それに加えて、イアンの叫び声。

 すぐに兵士たちが集まってくる。


 その時、ジャクソンの前方で煙があがった。

 それはあっという間に、もくもくと広がっていく。視界をさえぎるほど広がった煙に、しかしジャクソンは躊躇ためらうことなく飛び込んだ。

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