俺の最推し美少女コスプレイヤーがお義父さんだったんだが!?

羽川明

俺の最推し美少女コスプレイヤーがお義父さんだったんだが!?

 ハッと目が覚めて、あわてて枕元のスマホを確認する。


「なんだ、まだ7時か」


 時刻は朝の7時過ぎ。今日のイベントが楽しみすぎて少し早起きしてしまったようだ。


 とはいえイベントは9時半からなので、移動時間も考えるとうかうか二度寝なんてしてられない。

 俺は眠いまぶたをこすりながら立ち上がり、リビングへ向かう。


「あぁ、幸也ゆきやくん。おはよう」


 廊下に出ると、薄紫のシャツに白いスーツを着込んだ愛理あいりさんが慌ただしく出ていくところだった。出張でもするのか、大きなキャリーバックを引っ張っていた。


「……いってらっしゃい」


「うん、行ってくるよ」


 言おうか迷ったあと、ぼそりと告げると、愛理さんは嬉しそうに笑って足早あしばやにに出ていく。


 俺は複雑な心境のままリビングへ行き、用意されていたバターロールを焼く。むしゃむしゃ頬張ほおばっていると、さっきのやりとりがよみがえった。


 いってらっしゃい、そう言ったのは正解だったろう。

 もう母さんが再婚して三ヶ月たつんだし、俺もいい加減愛理さんに慣れないといけない。


 金髪に近い茶色の髪に、ややつり上がった細いまゆ。キリッとした切長きれながの瞳はんだ茶色で、女の子みたいな名前をしたホスト顔負けのイケメン、愛理さんは母さんの再婚相手だ。


 若くて真面目で几帳面で、誠実で、いいところを上げ出したらキリがないけど、俺はどうしても受け入れられなくて、愛理さんによそよそしい態度をとってしまっていた。


「ちょっと早いけど、そろそろ行くか……」


 時刻は8時前。

 考え事をしながらぼうっとテレビを見ていたら一時間もたってしまっていた。切り替えるために冷たい水で顔を洗ってから歯を磨き、着替えて家を飛び出す。


 母さんが起きて来たら、きっとまた愛理さんの話になる。俺はそれが、なんとなく嫌だった。


 別に愛理さんが嫌いなわけじゃない。


 だけど、優しくて心強かった父さんが母さんの記憶から消えつつあるのかもしれないと思うと、耐えられなかった。



 駅に着くとタイミング良く電車がやって来て、急行なのを確認してからいそいそと乗り込む。


 なんと言っても今日は俺の最推さいおし美少女コスプレイヤー”あいりたん♡”が参加するコスプレイベントだ。

 暗いことばっかり考えてても仕方ない。

 家のことはひとまず忘れて、楽しむことにしよう。


 気をまぎららわすため、俺はスマホでイベント会場の情報を調べることにした。

 もう何度も確認したけど、他にやることもないし、チケットを買うときに慌てることがないようにしないといけない。


 普段なら”あいりたん♡”が参加するコスプレイベントがあるとわかれば前もって予約しておくんだけど、今回は参加の告知が急だったので間に合わなかった。早めに会場へ行って、チケットを買う必要がある。


 SNSを確認すると、”あいりたん♡”がメッセージと共に写真で今日のコスプレ衣装を先行公開していた。


 『今日はヤナゴプラザのコスプレイベントに参加します♪

 衣装は魔法少年ユートのヒロイン、サキちゃん♡

 みんなよろしくね!』


 ”あいりたん♡”はまだまだ駆け出しのコスプレイヤーだけど、今回の告知ツイートもすでに多くのいいねがついていた。

 俺もその中の一人なのだと思うと感慨かんがい深い。


 ”あいりたん♡”はここ最近じわじわと固定ファンを伸ばして来ていて、ファン(特に俺)の中でそろそろ人気が爆発するんじゃないかと言われている。


 透き通るような色白の肌とスレンダーな抜群のスタイルを活かして華奢きゃしゃはかない女の子を演じることもあれば、気の強いツンデレキャラになりきることもあって、男女ともに幅広い層から人気を集めている。


「あぁーあ、再婚相手が”あいりたん♡”だったらなぁ……」


 名前が同じなこともあってか、母さんの再婚相手がコスプレイヤーの”あいりたん♡”だったらというだいぶ危ない妄想を幾度いくどとなくしてはニタニタ笑っている俺だが、実際のところどうなのだろう。


 もし本当に、再婚相手が愛理さんじゃなく、”あいりたん♡”だったら。


 最初こそ飛び上がって喜ぶだろうし、”あいりたん♡”の一挙手一投足にドキドキするに違いない。

 でもそのあと、”あいりたん♡”が母さんの再婚相手として定着したあと、果たして俺は受け入れられるだろうか。


「ま、考えるだけ無駄か」


 吊り革につかまった腕をぶら下げながら、俺は思い直す。


 ありもしない妄想をシリアスに考え込んでしまうのは悪い癖だ。

 そもそも、四十手前の母さんが二十台前後であろう”あいりたん♡”と結婚するわけがないのだ。

 二十台後半の愛理さんだって若すぎるくらいなのに。


 母さんは声も見た目も若くて、言われなければ二十台くらいに見える。

 だけど愛理さんはもっと若くて、そのせいで二人が並ぶとちょっとちぐはぐだ。

 親子にしては歳が近すぎるし、姉弟にしては歳が離れすぎてる。二人の雰囲気から夫婦だとわかるけど、黙っていたら困惑する人も多いんじゃないだろうか。


『ヤナゴプラザ前、ヤナゴプラザ前です』


 電車内にアナウンスが響き渡り、俺はハッと気がついて駅へ降りた。

 駅名の割に会場までは少し距離があるので迷うかと思ったけど、人の流れに従って歩いていくと簡単に辿り着くことができた。


「ここか」


 ヤナゴプラザは屋外の商業施設で、敷地しきち内には様々な店がひしめている。


 喫茶店やドーナツ屋さん、アイスクリーム屋さんのような飲食店が集まるエリア、お化け屋敷や長いすべり台などのちょっとしたレジャー施設があるエリア。


 そして缶バッチやキーホルダー作りを体験できるエリアの三つに分かれていて、中央には噴水のある芝生の広場がある。


 今日のコスプレイベントはこのプラザ全体が会場で、サイトの情報によるとレジャー施設のあるエリアでチケットが買えるということだった。


 俺のような一般参加者と違い、コスプレイヤーは着替えやメイクなどの準備のために早く入場できるので、”あいりたん♡”ももう来ているに違いない。


 まだ時間より早いけど、確認のためにチケットを売っている場所を見に行くと、どうやら入場自体はチケットがなくてもできるようで、イベントとは無関係と思われる一般客の人たちが自由に出入りしていた。


 さっきまで見ていたコスプレイベントのサイトではなくヤナゴプラザのサイトを確認すると、どうやらここは入場無料、出入り自由のようで、チケットを買う必要があるのはコスプレイヤーさんと、その写真が撮りたいカメラマンだけらしい。

 つまり最推しコスプレイヤー”あいりたん♡”の姿を写真におさめる使命を背負った俺は当然チケットを買う必要があるというわけだ。


 まだチケット販売までに少し時間がある。

 参加者が少ないのか、チケットを買うために待機している人もそんなにいないようなので、俺は一旦ヤナゴプラザに入場して撮影に最適な場所を探すことにした。


 コスプレイベントの会場に選ばれるだけあって、ヤナゴプラザの中には撮影にぴったりなスポットがいくつも用意されていた。


「ここなんかいいなぁ」


 とくに飲食店のエリアの、背の高い植物があちこちに植えられた場所なんかは最高で、いかにも写真映えしそうだ。


 飲食店のお客さんを増やすためにあえてこのエリアに映えスポットを集中させているのかも知れない。


 両手の親指と人差し指で長方形を作って、カメラマンさながらに構えてみる。朝の時間帯だからか客足はまばらで、人の視線を気にする必要はなかった。


「あれ?」


 構えた長方形の枠の中に、不意に人影が入り込んだ。


 隣を歩く赤い髪の女性と話し込んでいるその人は、ブリーチした短い金髪に雪とクリームを混ぜたみたいな美しい肌、そして澄んだ水色の宝石のような瞳をしていた。


「まさか、……あいりたん?」


 瞳のカラーコンタクトも今日コスプレするキャラクターである魔法少年ユートのヒロイン、サキと一致している。髪が短いのはコスプレのときにウィッグの邪魔にならないようにするためだろうか。


 それにしても、まさかオフモードの”あいりたん♡”が見られるとは思わなかった。


「あいりたん、普段はあんな顔で笑うんだな」


 隣を歩いていた女性に向けるまぶしい笑顔は、コスプレのときの外向きのそれよりやわらかくて、心臓を鷲掴わしづかみにされた気分だった。


「あれはあれで、いいな……」


 鼻をぬぐいながらぽつりとつぶやく。

 アニメキャラになりきった表情ももちろんいいけど、オフモードの自然な笑顔にはそれ以上の破壊力が宿っていた。


「これがとうといってやつか」


 たかぶる感情に苦しくなる胸をおさえながら、俺はチケット売り場へ戻ることにした。


 ほどなくしてチケットを買い終え、レジャー施設のエリアを歩き出すと、準備を終えたコスプレイヤーさんたちが更衣室から出て来た。


 一般参加者は若干少なめだったけど、コスプレイヤーの方はそれなりにいるようだ。


 美人揃いのコスプレイヤーさんたちに目移りしそうになるも、俺はかぶりをふって無理やり視線を外す。

 今日の最優先事項は最推し”あいりたん♡”だ。

 他の人たちもめちゃくちゃ綺麗きれいだが、それはあとでいい。


「とはいえ、どこにいるんだ?」


 SNSを見ても、まだあいりたん♡の更新はない。とりあえず映えスポットの多い飲食店の集まるエリアに行くことにするも、”あいりたん♡”は見当たらなかった。


「現代の魔法少女作品だし、植物の多い場所じゃなくて街中っぽいエリアにいるのか?」


 それとも準備に手間取っているのだろうか。

 もう少し待とうかと座れる場所の多い噴水のエリアに来ると、ポケットのスマホが震える。


「お、あいりたんだ」


 更新通知をオンにしておいて正解だった。


『遅くなってごめんね( ; ; )

 噴水の広場にいます♪』


 そんなメッセージとともに大きな噴水の前で撮った自撮り写真が添えられていた。

 さっきの告知通りの、ピンクに白いフリルの魔法少女の衣装を来ている。


 迷わず保存して、専用のフォルダに入れ、俺は首をぐるりとして見回す。


 ところどころ人だかりができているものの、やはり参加人数が少ないのでコスプレイヤーさんが隠れるほどではなかった。


「あれか?」


 それらしい人影を見つけ、列に並ぶ。

 列と言っても前に四人しか並んでいないので、すぐに俺の番になるだろう。

 そうたかをくくっていると、カメラをぶら下げた中年の男が”あいりたん♡”に話しかけているのが見えた。


 何を話しているのかまではわからないものの、”あいりたん♡”の笑顔が困ったようにくずれているのがわかる。

 参加人数が少ない分、マナーの悪い参加者が野放しにされやすいのはコスプレイベントあるあるだ。


 カッコよく助けに入れるわけもなく、俺は列に並んだまま黙って見ているしかなかった。

 悔しいので粘着ねんちゃくする中年の男にうらみがましい視線を送り続けていると、


「アタシも撮ってよぉ〜」


 なんと突然現れた女性のコスプレイヤーさんが中年の男にダル絡みしだした。


 雰囲気がかなり変わっていたのですぐにはわからなかったものの、見ればその人はさっき”あいりたん♡”と一緒にいた赤い髪の女性だった。


 ベリーショートのハリネズミみたいなツンツンの髪に、黒い革のロングコートとブーツ。

 胸元に目玉を模した赤い宝石が光っているところを見ると、あいりたん♡がコスプレしているヒロイン、サキの恋敵こいがたきにして悪役でもあるマーサだろう。


「えぇ、いいじゃ〜ん!」


 カメラをぶら下げた中年の男は突然絡まれて戸惑とまどっているようだ。赤い髪の女性のよく通る声だけが聞こえくる。


「何? ダメなの? そ、じゃあ帰った帰った!」


 赤い髪の女性はどうやら”あいりたん♡”に粘着していた中年男を追い払ってくれたようで、”あいりたん♡”もオフモードのときに近いやわらかい表情で笑いかけていた。


「いいのいいの〜」


 上機嫌に笑い返しているところを見るに、やはり二人は仲が良いようだ。

 赤い髪の女性はクールに引きまった体つきをしていて、顔立ちも男勝りだ。

 つりあがっている目は猫というよりヒョウのようで、”あいりたん♡”とはまた違ったタイプのワイルドな美人だった。


 今はちゃっかり”あいりたん♡”と並んで撮ってもらっており、赤い髪の女性がいるおかげで”あいりたん♡”が厄介カメラマンにからまれなくなったため、列もスムーズに進んだ。


 その様子を見て大丈夫だろうと判断したのか、俺の番が来る一つ前に赤い髪の女性は”あいりたん♡”にアイコンタクトをしてから離れて行った。


「……クールだなぁ」


 思わず独り言が漏れてしまった。

 美人だったし、あとで写真を撮らせてもらおう。


 そんなこんなで俺の番が来て、いよいよかとデジカメは取り出そうとすると、すぐ近くから着信音が鳴り出した。


「……あ、すいません! すぐ戻りますので」


 どうやら”あいりたん♡”のスマホが鳴ったようで、画面を確認するなりバタバタとどこかへ走って行く。

 その背中を視線で追っていると、黒っぽい物体がぽとりと落ちた。


「ん?」


 ”あいりたん♡”が離れて行ってしまったことで俺の後ろに並んでいた人たちは他のコスプレイヤーさんたちのところへ移動し出す。


 誰も気づいていないのか、それとも気づいた上で去って行ったのか、噴水のそばの芝生の上に、黒い物体が置き去りになった。


 気になって拾いに行くと、高級そうな黒い革財布だった。


「あいりたんの、だよな……」


 ごくりと、ツバを飲み込む。

 ”あいりたん♡”がどこへ行ったのかはわからないが、まだそばにさっきの赤い髪の女性がいるはずなので、探して渡すべきだろう。


 そんなことはわかっている。わかっているけど……


 マナー違反だよなとは思いつつ、折り畳まれた財布の中身を確認しようとして、


「いや、ダメ、だよな」


 踏みとどまる。

 普通に拾ったのならともかく、”あいりたん♡”が落としたのを見たのだから、中を確認する必要はない。

 マナー違反だし、人としてグレーだ。


「…………やめとこう」


 開ければ”あいりたん♡”の本名や、普段の顔写真が見られるかも知れないが、そんなことをしたらバレなかったとしてもこの先気持ちよく応援できなくなる。


 結局俺はさっきの赤い髪の女性を探し出し、事情を説明して革財布を手渡した。


「おや、ていうかキミ……ふーん」


 マーサのコスプレで意味ありげなふくみ笑いをするものだから、めちゃくちゃさまになっていた。


「え、なんすか?」


「なんでもな〜い。ありがと!」


 そんなやりとりをしていると、


「アキラー。大変、財布落としちゃった!」


 ガラスのように透明な声が聞こえて来た。


 振り返ると、”あいりたん♡”が魔法少女のコスプレのまま走り寄ってくるところだった。


「あぁ、それならちょうど拾ってもらったよ。ほーらよっ!」 


 アキラと呼ばれた赤い髪の女性が放り投げたことで、黒い高そうな革財布がちゅうを舞う。


「ちょっとぉ!?」


 声が裏返るほど血相を変える”あいりたん♡”。それもそのはず、風にあおられて財布が開き、中身がぶちまけられてしまったのだ。


「あちゃ〜、ごめんごめん」


 アキラさんが駆け寄り、慌てて散らばったカード類をかき集める。

 さすがに突っ立って見ているのも悪いので、俺も近くに落ちた一枚を拾い上げた。


「ん、なんだこれ?」


 カードではなく、かといって普通の紙にしては分厚いその長方形の白い物体は、表面が少しベタベタしている。


 裏返して、凍りついた。


「あ、ダメッ! 返して!?」


 血相を変えた”あいりたん♡”に奪い取られてしまったそれは、一枚の写真だった。


 青ざめる俺に気づいた”あいりたん♡”が、おそるおそる、と言った様子で話しかけてくる。


「……見た?」


 ”あいりたん♡”の瞳が見開かれ、れる。


「なんで、その写真を?」


 写真には、俺の現在のお義父とうさんと母さんが写っていた。

 母さんの財布は白い長財布なので、愛理さんの財布ということになる。


 頭が、真っ白になった。


「なんで、俺の家族の写真、持ってるんですか?」


「えっと、それは、……ね?」


 あせった様子で言葉をつまらせる”あいりたん♡”。


 見かねた様子でアキラさんが割り込んできて、奇妙なことを口にする。


「いい機会だし、バラしちゃったら?」


 どうしてか、愛理さんが出かけた時間帯が脳内を横切る。


 ──確か俺が出かけた約一時間前だった。


 そして出張にでもいくのか、今朝はキャリーバックを引っ張って行った。


 今考えてみればおかしい。

 出張なら母さんが知っているはずだし、愛理さんの性格上俺にも言うはずだ。


 なぜ、どうして。ぐるぐると回る思考の先に、一つの可能性が浮かび上がる。


「…………浮気?」


「いや、違うから! ほんっとうに違うから!! ここで待ってて!?」


 慌てた様子で俺にそう言い残し、”あいりたん♡”はどこかへ走って行ってしまった。

 なぜか俺のそばに立つアキラさんは爆笑ばくしょうしている。


「どういうことですか?」


「え? どうだろう、すぐにわかるんじゃない?」


 そんな調子で何度聞いてものらりくらりと流されてしまう。

 混乱していると、


「──幸也ゆきやくん」


「……え?」


 休日出勤へ行ったはずの、ありえない声が耳に届く。


 振り返ると、


「は?」


 薄紫のシャツに白のスーツを着た、金髪に近い茶色の髪の男性──俺のお義父とうさん、愛理さんがいた。


 このコスプレ会場は電車を乗りいで片道一時間以上かけて来た。

 偶然出くわすなんてありえない。この時点ですでにありえないのに、愛理さんはさらに信じられないことを口にする。


「信じてもらえないかも知れないけど、──僕が”あいりたん♡”なんだ」


「…………は?」


 真面目で几帳面で、誠実で優しい。

 アニメや漫画とは無縁そうな、ホストみたいな外見の愛理さん。

 そんな人が、”たん”なんて言うんだから、それまでのイメージが音を立てて崩れていく。


「だから、僕がっ、”あいりたん♡”なんだ!」


 両手で肩をつかまれ、至近距離でそう告げられる。


 そのとき気づいた。


 愛理さんの唇に、”あいりたん♡”と同じ色の口紅のあとが残っていた。


「え、……浮気、ですよね?」


「だから違うんだって!!」



 昼前。


 俺は今、ヤナゴプラザの喫茶店に来ている。


 隣にはなんと最推しコスプレイヤーの”あいりたん♡”。

 テーブルをはさんで向かいの席にはさきほどのアキラさんと、さらに二人のコスプレ仲間だという、シズりんさんという俺と同年代くらいに見える女の子がいる。


 全員魔法少年ユートのコスプレでそろえていて、シズりんさんは主人公のユートが魔法少年に変身したときの、青と灰色を基調としたドレスのような衣装を着込んでいる。


 夢のようなハーレム、……かと思いきや、空気は地獄だった。

 主に俺と隣に座る”あいりたん♡”の空気が。


「ハハハハハハハハハッッ!!」


 魔法少年ユートの悪役、マーサの格好をしたアキラさんはさっきから終始手を叩いて爆笑していた。


 本来は赤い宝石を胸にはめ込んだクールな黒ずくめの魔女になりきっているはずなのだが、そうしているとワイルドで陽気なまったく違うキャラクターに見えてくる。


「アキラさん、何があったんですか? あいりさんの様子がおかしいです」


 アキラさんの袖を引っ張って小声で尋ねるシズりんさん。

 おとなしそうな見た目の黒髪ショートの女の子だ。


「はぁーおかしい。ブハハハハッ! あのね、それがね、あいりってば──」

「──その話は、あとにしてくれない? お願い、このとぉーり!」


 暴露しようとするアキラさんの声を遮り、”あいりたん♡”は机に両手をついて頭を下げる。


「え? えぇえ?」


 シズりんさんはわけがわからない、と言った様子でまゆを寄せる。


 アキラさんは爆笑してるし、”あいりたん♡”は言いたくなさそうだし。


 どうやら俺から説明するしかなさそうだ。


「あの、えっと、幸也ゆきやって、言います」


「……どうも。シズりん、です」


「えぇっと、あいりたん……あいりさんは、僕のお義父とうさんなんです」


 告げると、アキラさんはテーブルをバンバン叩いてお腹がよじれそうなほど大笑いした。

 横目で隣をうかがうと、魔法少女サキが変身した姿であるピンクに白のフリルのミニスカドレスを着た”あいりたん♡”──愛理さんが耳元まで真っ赤になってうつむいてた。 


 正体を知った今でも女装したその姿にドギマギさせられる自分をぶん殴りたい。


「あー、……なるほど」


 すべてをさっしたらしいシズりんさんはそれ以上聞いてこなかった。

 代わりに場を持たせるようにタピオカミルクティーの太いストローに口をつけて一口飲む。


 俺も降りて来たこの沈黙を打ち破る気になれず、注文したメロンソーダのアイスをすくって食べる。


「でもよかったじゃん、ずっと言えなかったんでしょ? 自分が””だって」


「やめて……」


 アキラさんに”あいりたん♡”の部分を甘い声で強調され、愛理さんは悶絶もんぜつする。


 …………本当に”あいりたん♡”が俺の最推しコスプレイヤーがお義父さとうんだったということを認識するには多大な時間を要してしまった。


 当たり前だけど。


 最初は胸のふくらみがあったし、なにより目がくりくりしていて、大きく違ったので信じられなかった。


 けど、胸はパッドを入れ、目に関してはコスプレ用のテープで引っ張って大きく見せていたのだという。


 現実を受け入れられない俺のために、愛理さんはわざわざテープやパッドの実物を見せてくれ、人気のない場所で実演して見せてくれた。


「それにしても、すごいですよねその声」


「……言わないで。頑張って練習したの。……恥ずかしい」


 真っ赤になった顔を両手でおおう愛理さん。

 見た目が美少女コスプレイヤー”あいりたん♡”のままなので、その仕草にさえ心臓が高鳴りそうになる。


「まっ、アタシたちからしたら声作ってるのバレバレなんだけどね」


「そんなもんなんですか?」


「そうよ〜女って結構鋭いんだから。バレバレよ〜」


「ぐっ!」


「私も正直最初はヤバい人なのかなって思ってました」


「ぐぅっ!」


 向かいに座る女性陣二人からの精神攻撃に苦しむ愛理さん。

 浮かべた苦悶くもんの表情は、愛理さんに似ているような気がしなくもない。


 けど、やっぱりテーピングで目の形を変えて大きく見せていたり、ファンデーションで若い女の子の肌を演出していたりするせいで改めて見返しても今まで通りの美少女コスプレイヤー”あいりたん♡’にしか見えなかった。


 うん、やっぱ原型無いわ。


「ごめんね、いつか言おうとは思ってたんだけど。夢を壊したくなくて……」


「いえ、大丈夫ですよ。言いづらいのはわかりますし」


 俺と愛理さんのよそよそしいやりとりを見て、アキラさんがつっこんできた。


「あなたたち親子なのによそよそしすぎない? ほら、ユキヤくんもさ、せっかく最推しの”あいりたん♡”とお近づきになれたんだよ? 記念写真とかいいの?」


 一見おちょくっているようで、誰も傷つけずに場をなごませてくれるのだからこの人はすごい。


 いわゆるコミュ強ってやつなんだろうか。


 ワイルドで大ざっぱそうな見た目に反して、常に周囲に気を配って場を取り持ってくれている。

 おかげで愛理さんとも話しやすい気がした。


「そうですね。……せっかくだし、一枚だけいいですか?」


「え、いいけど。──いいの?」


「はい。今でも最推しなんで」


「そ、そうなんだ……」


 うれしいような困るような、複雑そうな表情で笑う愛理さん。

 いや、今の見た目は”あいりたん♡”なんだし、いっそ”あいりたん♡”と呼んだ方が吹っ切れるだろうか。


「ヒュー、いいねぇ。これを機に親子の絆深めちゃいなぁ」


 生まれそうになった沈黙を破り、アキラさんは伝票を取った。


「じゃ、身バレ記念に、あいりのおごりね?」


「えぇ!? そんなぁ……」


「ハハハ、ちょっと地声出てるぞ、”あいりたん♡”」


 アキラさんたちの前では”あいりたん♡”はいじられポジションなんだろうか。軽い調子でからかわれても、空気は温かいままだ。


 しかも結局は身バレ記念とちゃかしながらもアキラさんがおごってくれ、”あいりたん♡”は申し訳なさそうに半額分のお金を渡そうとして断られていた。


 ちなみにシズりんさんはこれ幸いとばかりに少し離れた位置に立って存在感を消し、財布を取り出すことさえしなかった。


 おとなしそうな見た目だけど、案外ずぶとい一面もあるようだ。


「いやー食った食った」


 ふくらんだお腹をぽんぽんやるアキラさんの姿はおっさんみたいで、俺は思わず声を出して笑ってしまった。


「何よ〜」


「あ、いえ、なんでもないっす」


 気づかれてしまい、アキラさんが腕を肩に回してからんでくる。


「ホントにぃ〜?」


「ホントです、はい……」


「ふ〜ん。ていうか、敬語じゃなくていいよ? とくにシズりんなんて年近いでしょ?」


「そうなんですか?」


「うん。私には敬語使わなくていいよ」


「わ、わかっ、た」


「ぎこちないな〜」


 噛んでしまったのをアキラさんにからかわれる。

 この人は壁を作らせないようにするのが本当にうまい。

 さっき会ったばっかりなのに、何年も連れそう男友達みたいな安心感があった。


「シズりん、今絶賛彼氏募集中らしいよ?」


「え?」


 アキラさんに耳元でささやかれ、無意識に視線をやってしまう。


 振り向いたシズりんさんとばっちり目があってしまい、思わず目をそらす。

 気まずかったようで、シズりんさんも同じように視線を泳がせていた。


「お熱いねぇ」


 小悪魔みたいにニシシと笑うアキラさん。

 ”あいりたん♡”も、少し照れくさそうなシズりんさんも笑っていた。


 それから俺たちは四人で会場を回り、コスプレイヤーさんたちの写真を撮らせてもらったり、逆に四人で撮ってもらったりした。

 そして最後には、”あいりたん♡”と俺のツーショット写真を撮った。


 正体がわかっていても、”あいりたん♡”がすぐ隣にいると思うと喫茶店の中にいたときより緊張してしまって、何度も撮り直してもらってやっと成功した一枚は、データを”あいりたん♡”のスマホに送ってもらい、”あいりたん♡”経由で俺にも送ってもらった。


 陽がかたむきかけた夕方。


 俺と愛理さんは二人で並んで吊り革につかまり、帰りの電車に揺られていた。


「ごめんね、ずっと黙ってて。優香ゆうかさんには言ってたんだけど」


「え、母さんには言ってたんですか?」


「……うん。ホントごめんね。君がすごくしてくれてるの知ってたから、言い出しづらくて」


「気にしてないですよ、驚きましたけど。それより、母さん、なんて言ってました?」


「あぁ、それが僕の女装を可愛いって言ってくれてね。応援してくれてるみたいだよ」


「へぇ、母さんらしいな」


 そこで会話は途切れた。でも、もう気まずいとは思わなかった。


 ふと愛理さんの横顔を見ると、んだ瞳が夕焼けを映し出していた。

 そこには少しだけ、”あいりたん♡”の面影おもかげがある気がした。



────────────────────────────────────

陰鬱な世界観の短編が続いたので、今回は終始明るく、最後には素敵な気持ちになれるようなライトな物語を投稿させていただきました。


好評なようであれば長編化も視野に入れておりますので、このページや今作のトップページの下の『★で称える』の+ボタンや、ハート、コメントなどで応援していただけると大変うれしいです。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

読んでいるあなた様が笑顔なら、それだけでうれしいです。

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