第143話 最終話 エピローグ
'''''''''''''''''''''''''''【注:この小説の元々の題名は「君という光が」でした】'''''''''''''''''''''''''''
思い起こせば、八月十七日、十八日、さいたまスーパーアリーナの灯火(=宇多田ヒカル)のコンサートから始まって、今日 十一月五日までは、僕の人生におけるまさに激動の八十日間だった。
それから、秋が過ぎ、冬が来て、その冬が明けるまで、特に大きな出来事は起きていない。
僕と奈緒美の仲は順調そのものだ。
あ、一つだけあった。
僕が激怒した大事件が。
奈緒美と小雪さんの二人による個展に、出品予定の競作による大きな絵を二つ、事前に見せてもらった日のことだ。
何と、それは僕をモデルにした
一応、
それだけならまだしも、小雪さんによる競作の絵までが、僕をモデルにした裸体画だったのだ。こっちはちなみに、ウルトラ小さいブーメランパンツを履かされていた。
作風は全く違うが、小雪さんの作品も顔が誰か識別できるように描いている。
それともそれは、僕の自意識過剰のせいだろうか。
どちらにしろ、僕の了解も取らずに、奈緒美は僕の裸体写真を、小雪に見せていたということだ。
僕はこの件につき、信頼関係の問題だと奈緒美に激怒したのだが、小雪さんは私たちは既に深い仲でしょと笑い飛ばしたのだ。
僕の激怒は、毒のある笑いによって吹き飛ばされた。
それはさておき。
特に次のフレーズが好きみたいで、この歌を聴くと、何か良くないことがあっても元気づけられると言う。
「♪線と線を結ぶ二人
やがてみんな海に辿り着き
ひとつになるから怖くないけれど♪」
奈緒美の好きなこのフレーズは、僕も好きなところだ。
色々なことが起きたが、何があっても、二人の
この先も、何が起きても、僕は奈緒美との未来を信じて行くだろう。
実は、二人共通で、これ以上に好きな灯火(=宇多田ヒカル)の歌がある。
それは「光」だ。
全編通して大好きな詩だが、次のフレーズだけは抜粋しておこう。
「♪どんな時だって
ずっと二人で
どんな時だって
君という光が私を見つける
真夜中に♪」
「光」は、僕たちのテーマソングみたいなものだ。
「二人」は、奈緒美と僕であり、「君」は時に奈緒美であり、時には僕だ。「私」も同じだ。
迷った時は、どちらかが光になって先を照らせば良い。
奈緒美はいつかこんなことを言った。
「『誰かの願いが叶うころ』を聴くと、つい、わたしと明菜さんの関係を考えちゃう」
でも僕はあの歌は、灯火(ヒカル)と母の関係を歌ってるんじゃないかと、前々から考えていたので、そう言ってみると、ああ確かに、と奈緒美は同意してくれた。
「いいことを聞いたわ、これからあの歌を聞いても、明菜さんのことを考えなくても済むかも」
奈緒美はそう言った。
僕に罪の意識があるように、奈緒美も中島さんに対して罪悪感を持ち続けていたのかも知れない。
僕は『COLORS』を聴くと、奈緒美の生き様を映し出しているように思うことがある。
しかしながら、その中のフレーズ、
「♪
カラーも色褪せる蛍光灯の
白黒のチェスボードの上で君に出会った
僕らは
あれから
ここは、奈緒美と僕が出会ってからのことに重なって見えることがある。
あのコンサートのラスト近くで、色鮮やかなステージが僕の視界から消えて、暗い観覧席の上で奈緒美と出会った。
僕らは迷いながら寄り添って、80日間の
とは言え、この歌の最後のフレーズ 「今の私はあなたの知らない色」、ここだけは明らかに違う。
僕は奈緒美の今の色を知っている。
さて、父の事務所で働き出した
それに正式に別れた元カノの心のケアを、これ以上、求められもしないのに僕が考える必要はないだろう。
まあ中島さんとは、この先も友だちか相談相手程度の仲で推移して行くことになると思っている。
その年の末に、母を通して父に貸していた100万円が戻って来た。
父はだいぶ営業を強化したようだ。
司法書士事務所が営業を掛けるというのはかなり妙な話だと思うが、銀行の融資担当や、不動産屋のやり手営業マンを接待すると、不動産登記の仕事が多く回ってくるらしいのだ。
僕を振り回す事件が起きなくなって、生活が落ち着いてきたので、自由になる時間が増えてきた。
投資資金が戻って来たので、また株式投資に専念しようかという考えも浮かんだが、しばらくは短期投資で毎日の値動きを監視するようなやり方はやめて、固い株に中期投資する方法を取ることで、せっかく増えた自由時間をある程度確保することにした。
その時間を使って、いずみさんをヒロインにした小説を書いてみようと思い立った。
これは彼女との約束だ。
とは言え、彼女との約束は、いずみさんを忘れないために、僕が書くものであって、いずみさんに読ませることを前提にはしていない。
よって完成を急ぐ必要はないのである。
それでも読んでもらえるなら、それに越したことはない。
僕の限られた文才から、いずみさんを満足させる小説が、彼女の元気な内に書けるかどうかは分からないが、書き始めたからにはどうにか早く完成させたいと思っている。
ただ、僕の小説が中途半端になったとしても、いずみさんの精神状態は、以前より明らかに改善されているので、心配はしてないし責任も感じてはいない。
一年の余命を宣告された、若き女性の心理を理解することなど、その身になってみない限りできる筈がないのだ。
それでも寄り添うことはできると思いたい。
だから、僕は奈緒美と一緒に定期的にいずみさんのお見舞を続けている。
時には僕一人でいずみさんを訪ねることもある。
もう少し先まで小説が書けたら、途中までの原稿を読んでもらうのも良いかも知れない。
ところで、今いずみさんと最も仲が良い人は、意外なことにあの小雪さんなのだ。
お見舞に行くと、二回に一回は、小雪さんと顔を合わせる。
それが偶然なのか、それとも頻繁に小雪さんが見舞いに来ているのかは、確認してないので分からない。
こんなことを考えるのは不謹慎かも知れないが、あの小雪さんのことだから、死病と向き合ういずみさんを観察して、自分の代表作となる絵を描こうと思っているのかも知れない。
タイトルは、「死にゆく女」とか。
もしそうだとしても、二人の気が合っていることは、
いずみさんも、腹黒い所があるから、その目的を見通して楽しんでいる可能性すらある。
いずみさんの病気が深く進行した時、小雪さんの本当の気持ちが分かるのかも知れない。
それは二人に任せておけば良いことで、僕が邪推して批判する必要はないだろう。
かく言う僕だって、いずみさんの変化を観察しながら、知らず知らず小説の材料として考えているのかも知れないのだから。
その後少しだけ良い知らせがあった。
いずみさんの余命が半年ほど伸びたらしい。
全快はありえないらしいが、半年も余命が伸びた原因は、心が元気になったからこそだろう。
うがった見方をするならば、小雪さんと毒のある会話を続ける内に、身体を侵す毒も少しは体外に排出できたのかも知れない。
さてさて。
あれほどの激動の季節が再び僕にやってくることは無いだろうと、平安な日々を送っている今はそう感じている。
もし、そんな季節が再びやってきて、暗闇に突き落とされたとしても、君という光が(=君というともしびが)、私を見つけてくれるだろう。
'''''''''''''''''''''''''''''''' 完 '''''''''''''''''''''''''''''''''''
君というともしびが 千葉の古猫 @brainwalker
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