探偵

 車の排気ガスで外壁がくすんだ一軒家を背に、国道沿いを歩く。車道を行き交う車の音は耳障りで、歩道を行く下校途中の子どもたちの声が頭に響く。見えてきた信号を左に折れ、かまびすしい通りに別れを告げる。そんな折、小雨が降ってきた。

 駅前の喫茶店で十六時に。指定の場所までは自宅から十五分も歩けばつく距離だったが、早めに出てきたのは寄り道をするためだ。名目上、三島が事故死した現場に。

 雨から逃げるように小走りで街路を進み、遠目に見える駅に向かう。半端な時間帯ということもあり、駅前の人足は疎らだった。

 五分ほどで駅につく。

 入場料だけを払って構内へ。妙に長い階段を下りてホームに出る。ついさっき電車が出たばかりらしく、ホームにいる人は家族連れや旅行者が数えるほどだった。

 佐伯はホームの際に延びる点字ブロックを跨いで、線路を覗き込む。肉塊になった三島が散らばっている。眉間を絞り、くだらない妄想を振り払う。

 事故当時は深夜で目撃者は少なかった。たった二人。事情聴取では建設作業員を名乗っていたものの、どちらも三島と関係のあった半グレだ。大金を使った下品な恰好に、精神年齢はずっと十代前半を彷徨っているような連中。

 佐伯はその一方か、両方が手を下したと睨んでいた。三島を泥酔させて、線路に突き落としたと。彼がホームで奇声をあげて走り回り、最後は電車に横薙ぎにされたという警察の話はどうにも信じられなかった。

 殺された理由に心当たりがないことはない。三島は日頃から「グループを抜けたい」と口にしていた。くだらない理由で仲間になり、くだらない理由で殺される。

「あの、大丈夫ですか」

 ふと、うしろから声がした。振り返れば、先ほど見た旅行者風の若い男がいた。心配そうに佐伯の顔を覗き込んでくる。偽善が服を着て歩いているかのような、上辺だけの気遣いと笑顔。男をじっと見つめ、佐伯は虚飾に穴を開けようと試みる。

「俯いていたので、具合でも悪いのかと思って」

「いえ、平気です」

 佐伯は曖昧な笑顔を浮かべる。頬が重く、口角を上げるのも一苦労。外出前に、洗面台の鏡に向けた顔が再現される。今度は男が怪訝けげんそうな顔で見つめ返してきたので、矢継ぎ早に「本当に大丈夫なんで」と言ってその場を去った。

 駅前を歩く間、不安と覚悟が頭の中で満ち引きを繰り返す。逃げる。逃げられない。立ち向かう。無様に地べたに這いつくばる。思考の先は続かない。

 雨脚が強くなってきたので傘を開く。剥げたアスファルトの隙間に雨水がたまり、電柱の足下に散った嘔吐物の表層だけが流されていく。差し掛かったパン屋の窓に張り付く雨滴。その向こうでパン選びに勤しむ夫婦に、佐伯は過去の自分を見た。

 雨が靴に染み込んできた頃には喫茶店が見えてきた。チェーン店ではなく、老夫婦による個人経営店。外観は木造の小屋で、小手先の修繕では誤魔化せない傷みが目立つ。

 それなのに黙して風雨に晒されている様は、老夫婦と朽ちゆく運命をともにするとでも言いたげだった。玄関先の傘立てに傘を差し、格子の引き戸を開ける。

「おう、小姐ショウジア!」

 カウンターの中の老夫婦の挨拶よりも先に、向かって一番奥のボックス席から閩南語びんなんごが飛んできた。声の主は仕切りの向こうから手を挙げている。天気が悪いせいか、その男以外に客はカウンターに二人ほど。皆、居心地悪そうにしていた。

 佐伯は、老夫婦に会釈して奥に進む。カウンターのうしろを通ってボックス席につくと、ポロシャツの胸元に、リムなしサングラスを引っ掛けた中年の男が待っていた。

チェンさん、もう少し声を落としてください」

 佐伯が日本語で言う。すると男、もとい陳は「悪い悪い」と流暢な日本語で返してアイスコーヒーを啜る。口先だけの謝罪に辟易とする佐伯に、そのまま日本語で続ける。

「ここの店主とは長い付き合いなんだ。そんなに神経質にならなくてもいい。それよりも、おまえ酒臭いな。目も血走ってる。ずいぶんと健康的な生活をしてるんだな、ええ?」

 陳は「一ヶ月ぶりか」とこぼし、佐伯に座るよう手で促す。

 陳兆銘チェンジャオミン。半グレの連中と同様に以前、三島がつるんでいた福建マフィア崩れの探偵。手に入れたネタで対象者を強請るのは序の口。日本人の海外売春の斡旋、詐欺などをして生きている小物。尤も陳に頼らなければ、三島の死の真相に辿り着けなかったのだが。

「早速、結果を教えてください」

 敬語で話す。陳は、ギャグ漫画に登場する中国人みたくエセ日本語を使うこともなければ、女っぽい口調で喋ることもない。日本人を見下したうえで完璧な日本語を使う。そのことに対する礼節を欠けば、どんな目に遭っても文句は言えない。

 陳は口の端に笑みを作ると、チノパンツのポケットから封筒を出す。それを机に滑らせ、首を鳴らす。佐伯が中を確認すると、若い男の顔写真と素行調査票が出てきた。

「そいつが広司を殺った。新里昭にいざとあきら。あの夜、駅にいた片割れだ。実力はないのに、プライドばかり育ててきたようなガキだ。親に甘やかされてきた典型的なタイプだな」

 そのくせに、と陳は舌打ちをくれる。

「おれの邪魔までしやがる」

 声に殺気が滲む。恐る恐る仔細を訊ねれば、この新里という男は、陳が食い物にしている連中を同様に狙って金を稼いでいるそうだ。要は、餌場に新顔が割り込んできて面白くないと言う。犬も食わないような話に呆れてしまうが、佐伯は顔には出さず話題を変える。

「新里の親は、県警本部長なんですね」

 素行調査票の上部、対象者情報が記された部分に目をやる。真実を憶測たらしめるものは、心の中で瓦解しつつあった。目撃者が少なくとも、駅の至る箇所には防犯カメラがある。

 佐伯は現物の映像はおろか、その内容さえ伝えられずに事故だと断定された。大方、親が息子の凶行を隠蔽したのだろう。そうであれば、すべて合点がいく。

「親からすれば、子どもは何歳になっても可愛いものなんだろう。おれにはわからんが」

「現場にいた、もう片方はどうでしたか」

「少し強請っただけで小便ちびりやがった」

 陳は「あれは面白かった」と思い出したように哄笑こうしょうするが、目は笑っていなかった。

「新里が一人で広司を殺した。日本人がどんなに死のうが関係ないけどな、あんなクソガキに殺されるなんて広司も間抜けだとは思わないか。結局、その程度の男だったわけだ」

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