第10話 鏡の中の自分

 放課後、通学路を歩く。家に帰ることができるというのに、その足取りは重い。


どうしてなのだろうか。自分の地味さ加減にうんざりする。周りの人達が眩しく、輝いて見える。


クラスメイトと喋ろうとすると、どもってしまう。音読を指名された時や黒板の前に出た時なんかは最悪だ。前も見ることができず、声すら出ない。徐々に顔が赤くなるのをみんなに見られて恥ずかしい。


当然、グループに属さず、仲の良い固定の友人もいない。みんな、私には遠慮がちに接してくる。


いじめられていないだけ、ましなのだろうか。


もっと可愛いかったら、もっとおしゃべり上手だったら、もっと頭が良かったら、と持って生まれてきたものへの執着が止まらない。


もっと生まれが良かったら楽しい人生を歩んでいたのだろうか。





「美優ちゃん、おかえり〜。おやつ食べる?」


電話の対応をすると『娘さんでしょうか?』と毎回聞かれるくらい可愛い声の母が、話かけてきた。


「いらない。宿題あるから」


ちょこちょこっとそばに寄ってきた母の横を通り過ぎて、洗面所へ行き、手洗いうがいをすませる。


本当にあの母の娘なのだろうか。


鏡を見る度に、自分の顔に嫌気がさす。


目も鼻も口も、確かにあの可愛らしい母譲りなのに、なぜだか自分は全く可愛くない。


父だって不細工ではない。


単純に悲しい。もっと可愛かったら、違った人生になっていたのだろうか。


鏡を見ては、いつも同じことの繰り返しをしている。




自室に行くと、すぐさま勉強机に向かった。


可愛い顔面も明るい性格も手に入らない分、今努力できることは勉強だけだった。


勉強ならお金もかからないし、友達の助けもいらない。自分だけの世界で、どうこうできてしまう。


どこかのポスターで見かけた、『身につけたものはなくならない』という言葉が、美優の心に響いていた。


明日は英単語の小テストがある。

50単語と少し多めだが、全問正解できるよう2週間前から覚えてきた。


今日はその仕上げ。明日に備えて、たくさん白紙に書いて記憶を確かにしなければならない。


美優は晩ご飯やお風呂休憩を挟みながら夜11時30分まで、復習した。




 翌日のテスト後、周りのクラスメイトたちはお決まりのセリフを口々に言っていた。


「私、昨日何にもやってなかったからやばい、あんまり覚えてなかった」


「朝まで頑張っちゃったから眠い。エナジードリンク飲んできた」


「昨日初めてテストの範囲みたよー。焦ったけど、結局途中で寝ちゃったよ」



勉強しなかった、徹夜した、あんまり勉強していません宣言は聞いていて心底イライラする。


そして、まぁ、自分は蚊帳の外だけどねと悲しくなる。




お昼休み、階段の踊り場の鏡が気になった。


顔が可愛くなるわけでもないのに、鏡があるとつい自分の顔を見てしまう。


誰だっけか、この鏡に映る自分を見つめすぎると鏡の中の自分と移りかわってしまうと聞いたことがある。


美優はそっと鏡に触れた。



その時、鏡に映る自分が瞬きをして少し微笑んだ気がした。


「えっ?」


一瞬ぐらっとすると、元に戻った。




 ふと前を見ると、さっきまで自分が背にしていたはずの階段が見えていて、もう1人の自分がくるりと踵を返して階段を降りていってしまった。


慌てて追いかけようとしたが、目の前に階段の踊り場が広がっているのに、どうにもこうにも前に進めない。


一生このままなのだろうか…。


手足は震え、目の前が暗くなっていった。




目を覚ますと、相変わらず、目の前は階段の踊り場。


あの時はお昼休みだったので、誰かしら通るから誰か自分の存在に気がつくはずなのに、今だにこうしているということは、自分は鏡の中の世界に入ってしまったのだろうか。


信じられない。


まだ、冴えない自分に嫌気をさしながら毎日を過ごすほうがましだった。


あんなに灰色に思っていた毎日が、どうにも恋しい。




 通学カバンを持って生徒たちが階段を降りてきた。時間はとっくに放課後になったようだった。


家へ帰らなければと思ったが、なんせ人から自分の存在が見えず、この鏡から出られないので焦った。


まずい。


美優は姿形が人から見えなくても良いから、なんとかしてここから出ようと、考えを巡らせた。


どうしようと途方に暮れ、目線を上に向けると、クラスメイト群れの中に紛れて『自分』が降りてきたのが見えた。


しかも『自分』が群れの中心にいて、楽しそうにおしゃべりをしている。


美優は固まった。


今までどんなに願っても叶わなかった状況を、

1日経たずとも作り出してしまった、鏡の中の自分に驚いた。


このまま私の人生はあの子のものになってしまうのだろうか。向こうの「自分」から目が離せない。


「私ってあんなに可愛かったっけ…?」


やっぱりあの母親の娘なのだと確信する。

自分に足りなかったものは何だろうと、自問自答する。


悲しくて怖いけれど、あの『自分』に人生を任せたほうが、絶対に何もかも上手くいきそうだ。


貧血なのかもしれない。信じられない出来事を目の当たりにしすぎて、血の気がさーっと引いていくのが分かった。


このまま眠れるだけ眠ってしまおうか。


美優は倒れるように横になり、目を閉じた。






 「ねぇ、起きて!いつまで寝てるのよ!」


美優は母に叩き起こされたのかと思った。


「はっ…」


そんなはずはない。ここは学校の階段の踊り場だ。


目の前には、ベリーショートの自分がいた。


窓ガラスからは朝日が差し込み、髪のキューティクルがキラキラと反射していた。


「どう?切ってみたの。似合ってるでしょ」


確かに可愛い。


母も、ここまでではないがショートカットなので、自分に足りなかったのは髪型だったのだろうか。いや、それだけではないと美優は自分にツッコミを入れた。


「もう暗い考えはおしまい。もっと明るく生きてよ」


「えっ…」


「昨日の私を見たでしょ。もっと笑って」


美優は真髄をつかれた気がした。


「けど…」


あたなみたいに、あんなふうに笑顔になれるか分からない、どうしたら良いのと自分の髪を触ろうと、美優は髪に手を伸ばした。


「あれ?」


鎖骨くらいまであった髪がない。


「今、髪がないって思ったでしょう。だって鏡だもん、私が切ればあなたも同じ姿になるの」


美優は驚くしかなかった。


「もう、今までとは違うの。これからは新しい美優としてたくさん楽しんでね。私が昨日状況を変えてあげたんだから、しっかり引き継いでよね。もっと明るく笑って。約束よ」


『自分』が美優の手に触れてきた。


すると、昨日経験したようにまた一瞬ぐらっとした。




気持ち悪くてしばらく座り込んでいたが、

治ってきたので美優は立ち上がった。


目の前には踊り場の鏡がある。


指先でそっと鏡に触れてみたが、何も起こらない。


ベリーショートの自分が映るだけだった。


「似合ってる…」


一言声を漏らすと、「自分」が持ってきた通学カバンを拾い、教室へ向かった。




 まだ誰もいない教室は、いつも通りの様子だった。時刻がちょっぴり早い、午前7時ということだけを除けば。


昨日の「自分」はどんなふうにして群れの中心を獲得したのだろうか。


きっと自然にそれができる人は、そもそもその状況を「獲得した」とは思っていないし、たぶん「群れの中心にいる」と意識もしていないのだろう。


自分のジメジメとした考え方に嫌気がさしたが、それももうおしまいと「自分」と約束をした。


少し恥ずかしいが、「明るく笑う」は深く考えずにできることなので、これだけは守っていこうと美優は思った。


ガラッと教室のドアを開ける音がした。吹奏楽学部のクラスメイトが2人教室に入ってきた。


「おはよう!」


美優は笑顔で振り向いた。

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世にも奇妙な短編集 『歪んだ花畑』 しょうゆ水 @shoyusui

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