3日目 そして

3-0. 最終話 旅の終わりと、



 ・



 翌日、いっそのことホテルの朝食は取らなくてもいいかな……と思って目覚ましもかけずに寝ていたのだが思いの外早く目が覚めてしまった。

 窓の外は曇天。傘を持った小学生が学校に向かって走っていく。

 着替えて朝食バイキング。肉体疲労と筋肉のダメージを考えて蛋白質重視のおかずを選んでみる。


 ホテルのすぐ側にはJR西富士宮駅がある。

 このアクセスの良さと値段が決め手で選んだホテルだった。が、行きは余計な思い付きで西富士宮駅は利用しなかったんだけど。

 絵に描いたような典型的なビジネスホテルだが、どうせ寝るのと荷物を置くためだけの場所なのでそれでいい。

 これがフジイチではなく観光目的だったら色々と不満があるのだろうけど、夜にロードバイクを部屋に持ち込むことができて防犯の面で安心できただけでもありがたい。

 絶対にまた泊まるとは言わないが、また富士宮市に来ることがあれば宿泊選択肢の一つには上がるだろう。


 JRの時間を調べたら10時過ぎにちょうどいい列車がある。

 荷物をまとめてロードバイクを輪行袋にしまうと、私はホテルを出た。


 定刻通りにやって来た電車に乗り込んだあたりでぽつぽつと雨が降って来た。

 天気予報通りの雨。

 車窓の向こうに富士山が見えるはずだが、分厚い雨雲に隠れて目にすることはできなかった。


 

 JR富士駅で東海道本線に乗り換えるあたりで雨は本降りになり、静岡駅に着いた時にはもう土砂降りだった。

 もしこれが曇りくらいだったらワンチャン静岡観光もできるだろうか……と淡い期待は脆くも崩れ去る。

 駿府城、見に行きたかったのに。残念だ。

 次回は何かのついでなんかではなくて、ちゃんと静岡観光のために来ようかな、と思う。

 駿府城とハンバーグをキメて、歴史的さわやか野郎になるのだ。

 とはいえ今回クソでかい輪行袋を抱えていることだし、他のお客さんの邪魔になる。大人しく駅弁を買って、新幹線こだまに乗り込むことにする。

 土砂降りの中を駆け抜ける新幹線。

 

 名古屋を経由し多治見へと戻り――

 


 私のフジイチの旅、その全ての行程が完了した。





 ・




 大学三年生の時に、オートバイを購入した。

 以来、車の免許は持っているもののもっぱらオートバイを走らせてきた。

 ロードバイクを購入して三年ほど。

 オートバイにしろロードバイクにしろ、あちらこちら走り回って来た私だが未だに飽きる気配はない。

 散々訊かれて来たことだが、


「自動車の方が便利じゃん。なんでバイクに乗るの?」


 という問いには、


「乗りたいから」


 としか答えようがない。本当にそれ以外に理由が無いのだ。

 どうにも私は、車輪が四つ以上ある乗り物にとんと興味が湧かない性質らしい。

 必要に迫られれば自動車を買うこともあるだろうが、だからどちらの二輪を降りるということは、多分しないだろう。



 

 ・



 フジイチを達成して一週間ほどの、私は内心で調子に乗っていた。

 ロードバイク乗りは次第に走る距離を伸ばし、やがて100kmに至ると「おお、そこそこ走ったね」と言われるようになる。

 脱初級者の目安がそれ位という、総じて距離感が狂ってる人たちの世界だが、それでも150km1900mアップというのはそれなりに凄いロングライドだ。

 

 フジイチと併せてそれを達成したというのは、これはちょっと誇っちゃっていいんじゃね? と。

 達成感が自己肯定感を高め、グングンと天狗の鼻が伸びていく。

 ふふふツイッターでさり気に画像とかまとめてアップしていいねを稼いじゃったりしようかなー、などと思っていると、フォローしているとある方のツイートとそのリプが目に入った。会話している両者はどちらもローディである。それも、私など足元にも及ばないほど遥かにディープな。


「ちょっとプライベートのイベントで、240km3200mアップのコースを走ることになっちゃった」


 240km!?

 3200m!?


「それは凄いですね! ちょうど富士スリーピークスがそれくらいの強度ですよ!」


 ……富士スリーピークス?


 聞いたことのない単語に、よせばいいのに、私はそれを検索してしまった。

 


 ――富士山には、舗装されて自動車で五合目まで登ることができる登山道が三本ある。

 

 ・御殿場市は須走口、篭坂峠の直ぐ側から入るTOJの舞台でもある、ふじあざみライン。

 ・富士河口湖町にあり、富士ヒルの舞台として多くの人々が挑む、富士スバルライン。

 ・私が立ち寄った村山浅間神社から更に奥へと進む富士宮市の、富士スカイライン。


 これら三本のヒルクライムを行い、かつフジイチも達成する。

 どんなルートかにもよるが、少なく見積もっても走行距離200km、獲得標高5000mオーバーのエクストラハード・ヒルクライム。

 それが富士スリーピークスだという。


 冗談ではない。

 毎年数千人規模で開催されるというから勘違いされがちだが、富士ヒル……つまり富士スバルライン単体だけでも25km1000mアップという、結構ハードなヒルクライムなのだ。それと同じかそれ以上のものを、追加で二本。

 それだけではない。

 富士宮市と須走口と富士河口湖町ということは、最低でも富士山の東側を半周しなければならないということだ。

 それはつまり、どれか一つだけでも苦しいヒルクライムに加えて、私が散々苦しんだ愛鷹山周辺と篭坂峠をクリアしなければならないということになる。


 ドMにも程がある。

 一体どんな悪魔的な思考回路を持っていたら、そんな地獄のような事を思いつくのだろうか。

 想像するだけで膝が壊れそうだ。


 正直なところ、200kmという距離だけなら、私でもなんとかクリアできそうだ、と思っている。

 だが加えて、5000mアップ……?


 

 しかし、ロードバイクの世界には本当に、富士スリーピークスやもっとヤバイ距離を走る人たちがいる。

 たとえば、

 

 300kmや600kmのルートを、あるいは1000kmを走るブルベというイベントが日本各地で開催されている。

 大阪日本橋から東京日本橋の間、約450km24時間以内の走破を目標とする通称キャノンボールに挑む人。

 どこかの坂を何度も登り下りすることで世界最高峰エベレストと同じ獲得標高8848mを目指すエベレスティングに挑む人。

 

 ロードバイクのプロだけではない。

 本当に、ただの趣味だというアマチュアがこんなことに挑んでいるのだ。

 

 全く、フジイチを一回クリアした如きで、私は一体なにを調子に乗っていたのだろう。


 もちろんフジイチそれ自体は、自らに誇ってよい記録だ。

 困難に挑み、そして達成した。前人未到ではないが、前未到の記録であることには間違いないからだ。

 

 だが同時に、前人たちはもっと先を行っている。

 他の人には理解できない(わざわざ挑まなくてもいい)困難に嬉々として挑んでいる。

 それが不可能な事ではないのだと、示しちゃってくれやがっている。

 

 そして私は。

 私は、


 困った。

 そちら側に行きたい、そういうことをしたい、つまりは同類なのである。



 …………。

 スリーピークスのことはさて置いて。

 赤富士、見たいしなぁ。

 

 

 もう少しは走れるように、サボらないでトレーニングするか。

 


 こうして私はロードバイクで走り出す。

 また富士山を、ロードバイクで走るために。






 了





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

富士山 オッサン ロードバイク 入江九夜鳥 @ninenigtsbird

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ