2-9. 19:12 フジイチの終わり 富士山本宮浅間大社
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白糸の滝の前にあるラウンドアバウトを超えると、昨日に一度往復した道になる。
ロング過ぎるダウンヒルで精神的に消耗しきった私は改めてスピードを落として残りのダウンヒルに取り掛かった。
朝霧高原から白糸の滝までは本当に街灯もなく信号もない道だったが、ここからはぽつりぽつりと住宅もある。
当然信号も、そして自動車も走っているのでさっきまでのような速度は出せない。一応自転車は自動車よりも交通弱者であるが、ぶつかって怪我をするのは私なのだ。残り行程数kmで事故など御免被る。
空には重い雲。
住宅街に入ってお店や街灯のお陰で暗いということは全くなかった。
時折歩道に入って自動車をやり過ごしながらゆるゆると下っていく――そして、商店街の一角から左折。
少し進むと、水の流れる音が聞こえた。大社の敷地にある湧玉池から流れる川の音。
赤い鳥居が見える。
駐車場へと入り、大きな鳥居の下で私はロードバイクを降りた。
富士本宮浅間大社と記された石碑にロードバイクを立てかけて。
スタート時と、全く同じ場所で私は写真を撮った。
そのまま私は地べたに腰を下ろす。
スマホの写真は便利だ。
撮影した日時が簡単にわかるから。
それによると、
07:03 富士山本宮浅間大社スタート
19:12 富士山本宮浅間大社ゴール
ログアプリの記録では、
総走行距離 153.27km
獲得標高 1949m
走行時間 9時間15分
総計測時間 12時間09分
となった。
「……終わったぁ……」
漏れるような呟き。
これが全ての感想で、正直な本音であった。
疲れ果てていて喜びに拳を握ることもできない。
本来であれば朝に参拝したように、浅間大社の拝殿まで行って無事のゴールに感謝したいところだがそれも出来ない。
疲れすぎていて立つことすら困難なのだ。
地べたに脚を投げ出し、ヘルメットも放って大社の拝殿と――夜闇と重たい雲に覆われて見えない富士山の方を見る。
誰も知らないし誰に頼まれた訳でもないし誰の記憶に残る訳でも何かの記録に乗る訳でもない。そもそも私だけではない、多くのローディが当たり前のように達成している事だ。
だが、
爆発的な、というそんな気力も残っていない。
しかし確かに胸のうちに芽生える、やり遂げたのだという達成感。
得たものと言えば、たったのそれだけ。
それだけと言えばそれだけなのだが――それは間違いなく、価値のあるものだった。
・
よろよろになりながらホテルに戻る。
大社からホテルまでは数百メートルもない距離、しかも全くの平坦だったというのに自分でもびっくりするくらい速度が出ない。ペダルを踏むこともできない。フジイチをゴールしたことで、完全に気力が尽きてしまったのだ。
ペダルを踏むとか漕ぐというよりも、脚の重さだけで回しているというような状態でなんとかホテルへと戻り、エレベーターで部屋へと帰りつく。
このままベッドにダイブしたい気持ちを堪えて着替えをもって大浴場へと向かう。
身体中を洗って一日の汚れを落とし、湯船につかると自分でもオッサン過ぎだろうと突っ込みたくなるような声が出た。
全身の筋肉が解れて血行が良くなる。溜まりに溜まっていた乳酸が押し流されていく。
他に入浴している人が居ない事を幸いに脚と膝を重点的にマッサージとストレッチ。入浴マナーとしてはあまり良い事ではないが、それをしないと明日にはモゲているのではないかとすら思うほど脚が疲れていた。
着替えて部屋に財布を取りに戻り、ベッドにダイブしたい気持ちを再び堪えて外に出る。
朝食のみの宿泊なので晩飯が無いのだ。
どうしても肉が食いたかったので少し歩いた場所にある焼き肉屋で食事を終えて、ホテルに戻る。
就寝準備を終えると、ようやくベッドに倒れ込んだ。
あまりに疲れ果てていて。
流石に今度は眠れないということはなかった。
夢は見なかった、と思う。
幸せとか喜ばしいとかって感情とはちょっと違う。
だけど、とても硬くて重たい芯があるんだけど凄くふわふわした何かに包まれているような、そんな夜だった。
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