2-5 guest

「何が見える?」

「ひと……のようなものの百鬼夜行が見えます」

「胸のあたりにバッジ付けて歩き回ってるやつらいるでしょ? あいつら全員敵だから覚えといて」


 言われてみれば確かに、羅針盤のようなバッジを胸に付けて歩いているヒトが三分の一ほど見受けられる。しかし――


「敵、なんですか。おとなしそうに見えますけど。だいたいちゃんと人型ですし」

「それが罠なの。いい? あいつらは公安互助会こうあんごじょかいってとこの会員で、おとり役。ああやって警戒を解かせといて――ほら、見て今ぶつかった」


 バッジを付けた男が、頭から松の木を生やしたのっぽにぶつかって転ぶ。通行人たちが一斉に動いた。混沌を縫い、集合し、あっという間に道の真ん中に円陣ができあがる。彼らの胸元のバッジは全て赤く色を変え、震えている。円陣に閉じ込められたのっぽはきょろきょろとあたりを見回し、汗を垂らしていた。


 彼の顔に影が落ちる。ぞくり、と背筋が震えた。ハワイアンなサーフボードから降り立った人物、その顔にはサングラス。黒いロングコートを羽織り、サブマシンガンをのっぽの顎に突きつけた。ではないと分かるのは、その人物がオールバックでなくポニーテールだから。哀れなのっぽは下着まで差し出してやっと円陣から解き放たれた。ポニーテールは飛んで行き、円陣は消え、通りは元の混沌を取り戻す。今だから気がつく混沌の中の秩序――皆、バッジを付けた人々を避けている。


「互助会はああやって、治安維持を口実に色々巻き上げてるヤな奴ら。分かった? この島で五体満足でいたいなら、ちゃんと人型してるやつがこの道を歩いてて無事なのをおかしいと思うようになりなさい」


 やっとジェニーの手から解放されて、僕は息をつく。ガトーショコラを口に運ぶ、と黒光りの銃身が机の上を滑って僕の手元で止まった。ガトーショコラの苦さが三倍になる。


「いい加減それ、ぽっけにでもしまっときなさいよ。自分の武器も持たずに一週間とか、正気じゃないから」


 正気を失った島の人間には言われたくないが、ともかく僕はガトーショコラを飲み下し、銃を手に取った。やはり重い。こんなものを入れたらポケットが破れてしまわないだろうか。それどころかこの床を突き抜け、地球を突き抜け、太陽にすら穴を開けてしまわないだろうか。おそるおそるブレザーの裏ポケットにしまってみると、驚くほどしっくりと収まった。


「初めて銃を持った気分、どう?」

「なんか……変な感じです」

「樺音も最初はそうだったな。すぐわくわくになるよ」

「銃持ってワクワクするやつ、あんた以外にいないから」

「ええ? いると思うけどな。結構」

「人殺しの道具で?」

「それは一面だよ。シモンさんもきっとすぐ、撃つのが楽しくなるよ」

「シモン、こいつの言う事は信用しないで良いから。人撃って楽しいのなんて互助会の奴らくらいでしょ」


 曖昧に頷きながらブレザー越しに銃を触ってみる。胸元に感じる安定感がどこか恐ろしく、違和感を探してあれこれ触ってみると、かさ、と紙が擦れる音。そういえばここにはオルタから貰った紙切れが入っている。僕は病室での決意を思い出す。さっさと破ってやらねば。


「……互助会、割とちゃんとしてるよ。会長変わってから」


 と、グラスの氷をストローで回しながら言った樺音を、ジェニーはきっ、と睨んだ。


「あんなん取り繕ってるだけ。そもそも『J』と繋がってる時点でまともじゃないんだから」

「そりゃそうだけど悪いとこばっか見るのも――」

「なにそれ。また出たわバカ。お人好しバカ――」


 過熱していく二人の口論を尻目に、僕はオルタの紙切れを引っ張り出す。行きにちらっと見た時は、夢島に関わる都市伝説のあれこれが書かれているだけに見えた。四つ折りのそれを広げてもやはりそうだった。


 これのどこに『任務』とやらが書かれているというのだ。やっぱりあいつは嘘つきで、校章がイヤリングに酷似しているのは得意の電子工作であいつが仕込んだトリックで、僕はあいつのおふざけに付き合わされているんだ。でも、あいつは何のためにそんなことを――紙を破ろうとしていた手が止まる。思考のせいではない。


 紙が――いや正確には今まで紙だと思っていたもののテクスチャが揺らめき、文章があっという間に形を変えたからだ。今までびっしりと紙面を埋めていた細かい文字が消えうせ、中央に大きく文字が躍る。幼い頃、保安官だった叔父の書斎に忍び込んだことがある。机の上に置かれていた謎の紙は、確かにこれと同じ挙動を示していた。もうオルタを笑い飛ばすことはできなかった。


『――特務三課長銀城多織より、特任丙級官五十嵐門へ通達


 任務:生存


 以下任務遂行の上での注意事項――』


 次の行が理解できなかった。五回ほど読み直し、やっと理解した。


『その1 旧東京地区に保安官はいない。『大東京保安局夢島支部』を自称する団体は君の命を狙う』


「――もう帰る!」


 死んだ――と思ったが生きていた。さっきのは銃声ではなく、ジェニーが机をたたく音だったんだと、立ち上がるジェニーを目の端に見ながら緩慢に理解する。


「ええ、早くない?」

「早くない! むしろ遅いくらいよ。一週間で全部やらなきゃなんだから!」

「でもシモンさんまだ食べ終わってないし――」


 思わずびくり、と音がするくらい震える。死刑宣告のように聞こえた。呼吸が浅い。


「関係ないでしょそんなの!」


 軍用ブーツが床を踏む音の一々が、まるで人を殴る音。死にたくない。帰りたい。


「そんな……あれ? シモンさんどうしたの。顔色悪いけど」


 しかばねのような顔に覗きこまれて、思わずぐしゃりと指令書を握りつぶした。僕は曖昧に笑えているだろうか。何でもない、大丈夫だと言えているだろうか。思い出す。目の前の顔が君を殺そうと思ってた、と言ったこと。耳鳴りがする。樺音の黒い瞳がまるで銃口のように見える。


「ほらシモン、そんなのに構ってないで早く立って!」


 たっぷり六秒かかった。ジェニーに振り向いて、彼女が僕を殺す気がないことを思い出すまで。僕はバネ仕掛けの人形のように立ち上がり、はい、と大きな声を出した。大股でジェニーの方に行こうとしてつんのめる。ジェニーはふん、と長い金髪を翻し、カフェの扉をノブがねじ切れそうな勢いで引き開けた。


 ちりんちりん、鈴が鳴る。


 熱気を孕んだ風が吹き込んだ。硫黄の臭いが鼻につく。扉の向こうに巨人が立っていた。メタルと赤を背景に、肩をいからせ拳を握りしめ、全身を小刻みに震わして、ふいごのような息を立てていた。首から上は見えないが、まるで怒れるスルトじゃないか。


 背後から、樺音がひ、と息を吸う音が聞こえた。ジェニーが身を微かに仰け反らす。ようやくこれが緊急事態だと気付いた時には、扉は締まり巨人の姿は消え失せていた。住み慣れた家から出かける時のように、極めて滑らかにジェニーの手が動き、鍵が回る音が響く。夢か? そう思えたのは一瞬だった。一歩静かに後退しながら、扉から目を離さぬままにハンドサインを出すジェニー。保安学校、特殊部隊、ボーイスカウト、世界中どの組織でもその意味は同じだ。


『逃げろ、死ぬ』


 瀟洒な扉、ドライフラワーのように散る。あり得ないほど大きな拳がジェニーの体を鮮明に捉えている。次の瞬間、灰色の粉塵と轟音が全てをかき消していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る