2-3 hit a bit
西蓮寺さんは張った胸をばふっ、と叩いて咳き込んだ。副長……これが……。なにやってんの……とはジェニーの呟きである。樺音がそれに同調して頷く。
「ほんとだよ。副長もう若くないんだから――」
「樺音さん減給! 三か月!」
つくづく地雷を踏み抜く人だ。樺音に前世があるなら掃海艇か地雷除去戦車だろう。どうりで西蓮寺さんからのプロトンビームが如き眼光を浴びても爆散しないし、
「ええ? そりゃないよ。職権乱用反対!」
なんてのほほんと言える訳だ。頑丈なのだ、身も心も。
「で、この料理は何?」
ジェニーが言うと西蓮寺さんはきょとんとして、「あっ」とも言えない間にあどけない五歳児のような顔になる。今僕は世界の闇を見た気がする。
「えっとぉ~、そうそう。 シモンさんの入部祝いです。張り切っていろいろ作っちゃいました~てへへ」
「はっ? 入部祝い?」
「そう。シモンさん、ここの保安官になるでしょ? お祝いしなくちゃなのです」
どうやら僕がここの一員になることは既に僕抜きで決まっていたらしい。拒否権無しの決定事項。じゃあさっきの「保安官になる、ならない」のくだりには何の意味があったのか。ジェニーを湿度を込めて睨むと、彼女はぼそっと一言。
「選ぶのは大事だから。最初から選べなかったとしても」
深い青の奥に影が見えた。それはきっと
「えっとね~、これがサユウミドリのHDMソース煮込みで~――」
と得体の知れなさすぎる料理の説明をウキウキと進める西蓮寺さんの黒髪が、ジェニーの目に映り込んでいるせいだろう。けれどそれだけじゃない、それ以上に暗いものを見たような気がした。
「このプルプルしたのがオジサンのハゲア・タマ。それから~」
「ちょっと!? 今なんて言いました!?」
「お鍋はなんとエクスミルクBBBシチュー〜。わーい大好物!」
「何を言ってるんです!?」
「隠し味は■■■と■■■■で~す」
「言っていいんですか!?」
※ ※ ※
オジサンのハゲア・タマはフカヒレのような味と食感で美味かった。なんたらのソース煮込みは、謎のケミカル臭を我慢すれば普通に食べられた。シチューには手を付けなかった。色とからして法規と倫理に中指を突き立てている。試しににおいをかいでみたら、謎のピンクの天使が目の前をチラついたのでやめておいた。他の二人も手を付けていない。
西蓮寺さんはあっという間にハゲア・タマと煮込みを平らげて以来、僕達のほうなど見向きもせずひたすらスープを飲んでいる。ジョッキに注いで飲んでいる。終いには鍋から直に飲みはじめたので僕達は引いている。
引いているのはちゃんと僕「達」だろうな、と他の二人を見てみると、ジェニーは眉根を寄せてうつむいて銃をもてあそんでいる。樺音は眉を八の字にして時折「うわあ……」とか「ええ……」と口だけ動かしている。軽くなった鍋が置かれる音がしたので視線を戻すと、西蓮寺さんは僕達の分のスープを三又ストローで吸い上げている。彼女はあっという間に飲み干して、ぷはあ、と息をした。
「至福~」
瞳がとろけている。どうもハート形になっている。
「はあ~あ、なんで支部長来なかったんだろぉ~。こんなに楽しいのにぃ~」
「副長と違って暇じゃないから」
「ああ~っ! じぇにーしゃんひどぉ~い! にゃにその言い方ぁ~。えぇ~い、副長ちょっぷ! ちょっぷ!」
「副長、それ足」
「どうでもいいでしょぉ~? かばねしゃんにもちょっぷ!」
「ダメ、絶対」と言うべきだろうか。凄まじい絡み酒だ。いや正確には絡みシチューだが。シチューもおかしいがこの人もおかしい。そもそも、支部副長が古典的なメイドスタイルで闊歩している時点でおかしいのだ。最初に気付くべきだった。この島自体が初めからおかしかったものだから、目の前の人がおかしいことに気付けなくなりつつある。ほら今だって、泣き上戸と笑い上戸の間を高速で反復横跳びしている。
「しぶちょおきっと私のこときらいなんだぁ……この前おいしいラーメン連れてってくれてすっごく楽しかったんだ~。しぶちょう二杯目のスープ飲むとき丼ぶり割っちゃってぇ~えへへうわあん支部長~! 大好きだよ~」
せわしなく声のトーンを乱高下させながら、樺音を揺すり、ジェニーを揺すり、ジェニーをもっと揺する西蓮寺さん。ああもうやめて、と叫ぶジェニー。
「ほら、今あんたの大好きな大支部長様々が来るから!」
丁度良く病室のドアががらりと開いた。まず目に入ったのは巨大な腹、次にその上に乗る、吊り橋の鋼索のように太くて長い三つ編みの白。ぬっ、と天井すれすれに現れた顔を見て、やっと長い三つ編みが彼の髭であることに気付く。大男は僕らを見回し、ふぉっふぉっふぉ、とまるでサンタクロースのように笑った。
「元気でやっとるかあ!」
朗々と響く声は十六句湾の向こうにまで届いてしまいそうだ。
「しぶちょお~!」
西蓮寺さんがロケットのように椅子から飛び上がり、巨大な腹に飛びついた。
「しぶちょうう、会いたかったよう」
「ふぉっふぉっふぉ、そうかそうか、わしも会いたかったぞ」
西蓮寺さんの黒髪を優しく撫でながら、のそのそと病室に入ってくる大男、こと支部長。また高らかに声を響かせた。
「ジェニーは元気かな? 樺音は!」
「元気。支部長ほどじゃないけどね」
「それは何より!」
樺音の細い体がぽっきり折れてしまうかと思った。団扇のような巨大な手がいとも簡単に部屋の隅まで伸び、樺音の肩を叩いたのだ。樺音はバネみたいにふらふらしながら、辛うじて青白い顔に笑顔を浮かべる。もう一度襲いくる景気づけらしき張り手をひょいと避けた。支部長は気にせず
「ようジェニー、元気か?」
舌打ちして、支部長を見ないままぼそっとこぼす。
「あんたのデカイ声のせいで元気じゃなくなったわ」
「おお元気か! そりゃよかった!」
きっとこの島の人間の少なくとも九割は人の話を聞かないのだろうな、と支部長の張り手を素早く避けるジェニーを見ながら思う。
「だ、か、ら、デカい声出さないでよって言ってるじゃん」
「大きな声は元気の素だぞお?」
「あたしはそんな単純バカな体じゃないの!」
人の話を聞かないのは島に限ったことではないか、とふとオルタの顔を思い出す。本名
人の話を聞くのは僕ばかり。聞きすぎていつも損ばかりしているように思えてきた。ここに来たのも、あんな修羅場に巻き込まれたのも、今そこで部屋中を跳び回って支部長の魔の手からの大逃避行を演じているジェニーに付き合うことになったのも、全部人の話を聞いたから起こったことだ。
どうも腹が煮えてたまらない。世界中のありとあらゆる損な役回りを全て自分に押し付けられているような気がする。とりあえず、
そう心に決めて雄々しく拳を握りしめたその瞬間、ジェニーに踏んづけられて、僕は史上最も情けなく、悲痛な叫び声をあげた。
「あっ、ごめんつい夢中になって――ちょっと、大丈夫? 本当にごめん」
僕はのたうち回ることもできず、ただ石像のように全身を強張らせて、全身に鳥肌と冷汗を感じながら、呻くことしかできない。悲鳴の出し方も忘れてしまった
「ア……ア……」
「おおっと……すまんんのう、うちのジェニーが大変な粗相を――」
ほら貝のような支部長の声も、さすがにクラリネット程度まで小さくなっている。けれどそれに続く言葉は、大砲のように大きく聞こえた。
「――せっかく新人狩りで捕まえたのに、台無しにしてしまったらどうするんだジェニー」
「しん……がり……?」
「おお無事かの! よかった。きらり、彼に料理は食べさせたかね? うん、ならよかった万事安泰じゃ」
「しんじん……がりって?」
「おおそうだ、わしは
「質問に答えなよバカ爺」
げしっ、とジェニーに蹴りを入れられて支部長は黙る。今度は何も喋らずきょとんとしているばかり。ジェニーは溜息を吐いて肩をすくめた。
「この爺、バカだし耳が遠いの。ごめんね。新人狩りっていうのは……まあその、ちょっと過激な勧誘っていうか」
「島に来た人を片端から捕まえて無理矢理組織に入れるっていう、島の恒例行事だよ。最近は橋通れなくて人全然来ないから、どの組織も人手不足で戦争みたいになってるんだ。さすがに船とハリセンボムが降ってくることはないけどね」
どうもこの島は、”
「あんま『無理矢理』とか――」
「友達に嘘ついてどうするの?」
ジェニーはぐ、と黙る。樺音がこんな芯のある声も出せるのは意外だった。
「それじゃ、アルトゥルも新人狩りの一環であそこに?」
「お、お主アルトゥルを知っておるのかあ」
鼓膜をやられるかと思った。
「はい……あの人に助けられて僕はこの島に来たんです」
「ほおぉー、アルトゥルがのう! あやつが人助けとは! めでたい!」
多分もう三回ほど鼓膜をやられた。相変わらず支部長の太鼓腹にしがみついている西蓮寺さんの体が、残像を出すほど震えている。ジェニーはキャスケット帽をぎゅっと両手で引き下げて顔をしかめている。樺音は涼しい顔だが、あれはもしかしたら自分が死んだことに気付かないまま死んでいるのかもしれない。
「人助けとか飾んなよ。ただの狩りじゃん。バカなの?」
ジェニーの刺々しい呟きに、支部長は声量百倍で対抗する
「なんだとお!?」
新たなビッグバンでも始まりそうな勢いだ。それを阻止してくれた救世の天使の名は西蓮寺きらり。
「ねえ支部長……新人狩りより私狩りの話しよ? っきゃー照れ照れ照れ!」
「照れ」って自分で言う人いるんだ、と妙に感心をしてしまった。気分は幻のアゲハを探すアマゾン探検隊。ジャングルに浸る僕に、ジェニーの目配せが飛んでくる。ハンドサイン。
『付き合いきれない』『行こ』
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