二章 カリソメイト
2-1 say
目を覚ますと知らない天井があった。
「おはよう」
この声は知っている。ジェニーだ。ぎしり、とベッドが軋む。彼女はどうやらベッドの端で足を組んでいるらしい。
「気分はどうだい?」
この声は知らない。首を回してみると、真っ白い壁に黒いスーツだけが寄りかかっていたので、時代というやつはとうとうスーツにまで人工知能を載せるようになったのかと思ったが、目を凝らすと普通に五体満足の人間だった。ただ病的に青白い顔と、透明にすら見える髪の淡さが、彼とも彼女ともつかないその人を壁に擬態させていたのだ。あるいは生気の全く感じられない目が、あまりにも何も主張していないせいなのかもしれないが――
「気分はどうかな?」
――小首をかしげられて驚いた。そんな自分にもっと驚いた。人間と認識しながらも、この人が動くことを想像だにしていなかったのだと気付く。
「えと……少なくとも最悪ではないです」
「じゃ、尋問しても大丈夫ってことね」
「のええっ!?」
ずい、とジェニーに馬乗りになられて、思わず変な悲鳴が出る。長い髪に鼻をくすぐられ、若草の香りに胸が跳ねる。抵抗しようにも手足が動かない。残業に縛られる若手よりもしっかりと拘束されている。
「尋問ってなんの――それより先にここはどこかであなた達が何者なのかとか聞きたいんですが――」
「ここは保安局夢島支部本部。私たちは所属の保安官。満足した? なら静かに」
ひやりとメタルな冷感が額に。銃を押し付けられたらもう黙るしかない。保安局……保安官? あまりにも治安が悪いじゃないか。社会も知らないクソガキなのに銃口の感触を知ってしまうとは、ちょっと刺激的過ぎやしないか。不良青年が誕生してしまうぞ。にしても、本当に身動きできないとき、人というのは案外冷静になるものなんだな。
「あんた、脳内うるさいでしょ」
「……バレました?」
「なんかにじみ出てる。余計なこと考えないでこれだけ見てて。質問には即答でお願い」
「はい」
ちょっと浮かされた銃口に意識を集中させる。
「どこから来た?」
「えと……川崎から」
「どうやって」
「船で」
「ここに来た目的は?」
「強いて言うなら……観光?」
「観光? どうして」
「知り合いに誘われて勢いで……あいつはドタキャンしやがったんですけどね」
「観光っていうのは知り合いの思い付き?」
「多分そうです」
「変な知り合いね」
「そうなんですよ!」
「大声出さないで」
銃口が額に近付く。
「すみません」
「友達とはどういう関係?」
「友達ではないです。
「なんで後輩って言いきらないの?」
「えと……諸事情ありまして」
「なるほど、リューネンってやつね」
「なっ!? 僕はそんなこと――」
「どっちにしろ同年代なんでしょ?」
「そりゃま、そうですがぼくが留年なんてありえな――」
「カバネ、こんぐらいの子が本土保安局に入ることってありえる?」
「こんぐらいって大差ないってか君のが下――ぐ」
銃口を額に押し付けられては黙るしかない。青白いヒトの平坦な声。
「
例えはよく分からないが、そうだありえない話だ。あの場では信じてしまったが、あいつはきっと本当のことは言っていない。百回正直なことを言ったとしても、次の一回が嘘でない保証はないのだ。
「じゃ、この子殺さないってことでいいよね」
「うん、いいよ」
即座にがしゃん、と拘束具が外れ、ジェニーがどいて銃はホルスターに収まった。しかし僕は動けない。身体以上に心が動かせない。
「ころ……って、どう……」
「カバネの奴が、保安局絡みの奴だったら面倒だし殺そうとか言ってさ。ほんとバカ」
「ごめんごめん。でもめんどくさいのは嫌でしょ? 今回はカバネの杞憂だったけどもし――あ、起きれる?」
僕はほんのわずかに首を振った。それが限界だった。喉が乾ききっている。そんな、そんな殺され方があるか。ゴミを焼却炉に投げ込むように、虫を叩き殺すように、そんな理由で僕を――淡白な殺意が、どんな銃弾よりも深く突き刺さって、僕をベッドに縫い留めている。
「カバネ、
死んだ目とほのかな微笑が死神のように見えて、差し伸べられた手は墓の下から伸びる手のようで、僕は喉元に吐き気が上ってくるのを感じた。
「ほら、しゃんとしなさい。これから世話になる相手なんだから」
ジェニーにぐいと体を起こされ、その拍子に酸っぱい液を飲み込んだ。浮き上がった手を樺音に取られる。温かかった。
「これから、って?」
手を振られるがままに呟くと、ジェニーは片頬を上げて笑った。
「あんた、私に助けられた時に言ったこと覚えてるよね?」
「なんでもするって言いました」
「忘れてなくて良かった。命拾いだね」
僕の命は何本同時並行で綱渡りさせられているのやら。肝が冷えすぎて生体冷蔵庫になりそうだ。やおらジェニーは立ち上がり、ブーツを鳴らしてベッドの周りを歩き出す。
「あんた、夢ある」
なんだ急に。入学式のスピーチじゃあるまいし。
「特には」
「保安官志望じゃないの」
「保安官は――夢というかなんというか……仮に夢だとしても春には叶ってなくなります」
「今、保安官になって。夢がないならあたしの夢に付き合って」
ジェニーはくる、と身を翻し、僕の目を真っ直ぐに見た。奥の奥まで青い目に気圧されて唾を飲む。
「君の夢って?」
「ある男を殺す」
炎を孕んでいるような声だった。いや、焔そのものだった。僕の耳に火がつかないのが不思議なほどに熱く、鋭く、苛烈な声だった。
「そいつの子を殺す。味方全部を殺す。あいつが積み上げてきたもの、作って来たもの、一つ残らず殺す。壊す。かけら一つ、残さない」
ジェニーの口から炎がはみ出て、褐色の肌が焦げるのが見えたような気がした。きっとそれは事実だ。彼女の目は一万二千度の色をしていた。「いいえ」の選択肢はもう燃え溶けて消えてしまった。
「あなたがたは……何者なんですか?」
「大東京保安局旧東京夢島支部所属の保安官」
「略して『しまぽん』」
樺音の平坦な声が、真夏の麦茶以上にありがたかった。ジェニーはむすっと音を出して振り返る。
「変な呼び方しないでよ。秩序の戦士の威厳が薄れる」
「いいじゃん。戦士とか秩序とか堅苦しいって」
「堅苦しいから意味があるの!」
わいのわいのするジェニーには、さっきみたいなどこか世界を壊しそうな危うさは無くて、揺れる金髪は十六才の女の子みたいだった。彼女を
「そうだ、樺音のお願いも聞いてくれる?」
「なにそれ。樺音はシモン助けてないでしょ」
「応急処置したのは樺音だよ? いいじゃんちょっとくらい」
「う」
引き下がるジェニーは、足音が「しぶしぶ」になりそうだ。「おねがいっシモンさま!」展開か? 僕はランプの魔人でもパトロンでも、そもそもシモンでもなかったはずなのだが、とりあえず聞くだけ聞いてみることにした。
「樺音さんの願いってなんですか?」
「樺音と友達になってくれないかな」
今なんて? 六回瞬きをして、三回樺音の顔を見直した。樺音は、変わらずほのかな笑みを浮かべていて、変わらず目が死んでいた。ジェニーも
「そんなんでいいの? 頼めば奴隷にくらいなってくれそうだけど」
「ジェニーは僕を何で判断してるんだ」
「勘」
「はぁ?」
「ジェニーの勘、百発百中だもんね。でも今は友達でいいかな」
「『今は』?」
「奴隷にしたっていいよ、シモンさんが望むなら。でも樺音はそれじゃダメだと思う。ジェニーの夢を叶えるのに必要なのはチームワーク、じゃない?」
「……確かにそう。よし、シモン、樺音と友達になって」
どうも拒否権は最初からなかったらしい。まあやぶさかではない。僕もこの年になるまで友達と呼べる者がいなかった身だ。そんな内心が口から飛び出ることないよう細心の注意を払いながら、さも前前前世の果て一億年と二千年前から友達に囲まれ続け、溢れて溢れて止まらない友情に浸され続けて少々感度が鈍くなった人間かのように、さりげなく、でもぎこちなく、少々ぶっきらぼうに見えるように手を差し出した。
「……ま、いいだろう」
「やったね」
樺音の微笑みが、より微笑みらしくなった。温かい手に手を握られる。気のせいか、目の奥に微かに光が見えたような。ジェニーは眉をひそめて僕を見上げる。
「何その煮え切らない感じ。奴隷がよかったの?」
「そんな訳、月の裏まで行っても無い」
「ほんとに?」
「ジェニー、君はぼくに変な属性を盛って何がしたいんだ」
「敬語使って。あたし先輩」
「ぼくのが年上――すいません敬語使いますから首を、首を狙わないでください暗殺集団生まれですか。助けて! 助けて樺音さん!」
「仲良いね。樺音嬉しいよ」
樺音はにこにこしているばかり。ジェニーのヘッドロックは加減を知らない。そろそろ意識が怪しくなってきた。ギブギブギブ、と必死に叫ぶ。
「あ、そういえば」
やっと離して貰えて視界がクリアになったのも束の間、次なる樺音の言葉が、僕の意識をプロボクサー並みの勢いで殴って揺らした。
「来週あたり卒業試験だと思うけど、大丈夫?」
僕は一瞬にして奈落の底に叩き落された
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