1-3 スラップスティック


「ジェ――」


 ニーの姿はなかった。


 ぼくは壊れたシャンデリアの陰に飛び込んでいる。

 鉛のゲリラ豪雨が、壁に床に天井に乱反射して空間を凶暴に食い荒らしている。

 どんどん大きくなる銃声が、初めてスティックを持ったドラマーのように不可解なビートを刻んでいる。

 そのどこにもジェニーがいない。天井に靴跡を見つけた。視界の隅を素早く抜ける白い影。振り向く。穴の開いた絵画に足跡。ダン、ダ、ダン、と靴音がして、背後に息遣いを感じた。


(静かに)


 囁き声。銃声の全部よりもクリアに聞き取れた。


(あたしが『今』って言ったら撃って)


 この囁きで一万人すら動かせそうだ。僕は一人。従うほかなし。心拍数が上がる。撃つ――何を? 答えはすぐに分かった。銃声がやみ、知らない声が呼びかける。


「子ウサギちゃ~ん、死んでたら返事してくれる?」

 こいつだ。

(い――)


 ピリリ、と無駄にデカい電子音。即座に感じる殺意と視線。ああちくしょう! 無我夢中で飛び出して三連射。弾道が揺らめく。オールバックに三筋の剃り込みが入った。くそおっ――マトリックスみたいな黒コートを来た闖入者ちんにゅうしゃは、謎のサーフボード上で既に銃口を僕に向けていて、そのうえムカつく笑みを浮かべている。


「いい美容師になれるぜ。地獄でな”ッ」


 脳天に風穴が空き、奴はひっくり返って天井に叩きつけられた。サーフボードは主人に関わらず空中に静止している。 

――馬鹿め無駄口を叩くからそうなるんだジェニーさん万歳最高だぜひゃっほう

――と馬鹿みたいな叫び声を上げそうになるが、ジェニーの「逃げるよ」に我に返る。

 窓越しに小さく、ハワイアンな空中サーファーが複数近付いてくるのが見えた。花火の次はサーフィンの季節か? 花火とサーフィンってどっちが先だったっけ?そもそも順番とかあったっけ? 無駄なことを考えてる間にジェニーに腕をむんずと掴まれている。どうやら僕は全く我に返っていなかったようだ、とジェニープレゼンツ重力林高速通り抜けコースを経て、談話室向かいのドアに思い切り顔を打って思う。


「それ、いい加減めたら」


 廊下の左右を確認しながらのジェニーの早口。そこで初めて電子音が鳴りやんでいないことに気付く。どうも校章から音が出ているらしい。おのれこの安っぽい電子音め、お前のせいで僕は死にかけたんだ。どこから鳴っている? とっちめてやる。未来永劫いつ洗われたか分からない公共灰皿の中にでも封じられていろ。そういう思いを込めて校章をぎゅっと押してみる。音が止まった。ジェニーに従い天井へ乗り移る。声がした。


『お、やっと繋がった』


 今度こそ本当に我に返った。鉄が半笑いしながら喋っているようなちぐはぐな声。嫌というほど聞き覚えのある声だった。比喩ではなく文字通り、親の声より聞いた声。二歳下のいとこかつ同居人かつ保安官学校の後輩かつ宿敵及び今最も殴りたい相手。


「銀城オルタッ……!」

『大東京保安局特務三課長殿、と呼んで欲しいなあ』


 溢れだす負の感情と疑問の塊が喉が詰まって吐きそうになった。天井から壁へ、ドア枠へ、そしてシャンデリアへ。混乱する上下に更に吐きそうになった。しかし吐き出せた言葉は何もない。


『無理に喋ろうとしなくていい。君が俺に言いたいことは大体わかる。そっちの立て込み事項に集中してくれ。俺は勝手に喋る。まず――』


 こういうところだこういうところ……!まるでこの世のことは全て自分の手の平の上にあると言わんばかりに傲慢で、蛇の舌のように巧妙に人の心を巻き取っていくような声音。嫌いだ嫌いだ大の大に嫌いだ――ちくしょうそれでも優秀さは認めざるを得ない。我に返って身を転がさなければ今頃背中に穴が開いていた。


 振り向きざまに三連射――しようとした手が固まった。オールバックに三筋の剃り込みが入った男が、廊下に仁王立ちして弾倉を交換していたのだ。ジェニーの舌打ちと重い銃声が聞こえた。奴の胸と頭に穴が開く。しかし奴は倒れない。穴がじゅわりと塞がった。彼は口をもごつかせ、スイカの種のように何かを吐き飛ばす。壁に張り付く二つの鉛の塊。銃口が僕たちに向いた。


『――というわけだ。何か質問あるか?』


 聞いてない聞いてない聞いてないぞ――自分でも気づかないうちに左の扉に飛び込んで、ひっくり返った机に身を寄せていた。なんだあのバケモンは。知らない知らないあってはならない。せめて人間だけは平常運転であってくれよ。高熱にうなされた時の夢よりひどい状況だ。撃たれた左肩が重く、熱い。呼吸が浅く、速い。


『おや、おいしいブルーべリ-マフィンの作り方には興味なかったかな』

「子ウサギちゃ~ん。子猫ちゃ~ん。ミンチになりたい方から出ておいで」


 気が狂いそうだ。聖徳太子じゃないんだぞ。辛うじて正気を保てるのはジェニーの静かな声のおかげ。


「ここは食堂。奥のドアを出たらエレベーターがある。そこを一番上まで行って操舵室へ。デカい真っ赤なボタンがあるはずだからそれ押して。そしたらなんとかなる」

「なんでそんなに詳しいんだ?」

「色々因縁があんの。あたしはをどうにかするから」


 そう言ってジェニーは窓の向こうを銃で示した。サーフボードに乗った黒コート集団がうじゃうじゃとこっちに向かっている。廊下の奥からドタバタ音と怒号が響いている。もうゆっくりできる時間はなさそうだ。


「じゃ、また。死んだら殺す」


 ジェニーは跳んだ。矢のような速度で窓を割り、外に飛び出し、銃撃戦の幕が開く。僕は三度深呼吸する。

 一度目で地形を把握。散乱する椅子や机の破片、丸窓のオレンジジュース溜まり、天井に引っ付いた吊り照明、奥でフラフラ揺れるドア。

 二度目で敵の状況を把握。廊下の阿鼻叫喚からして向こうはこの重力異常に慣れてない。僕も同じようなもんだが三歳児と二歳児の競争なら確実に三歳児が勝つ。

 三度目でオルタへの怒りを抑える。奴は、ブルーベリーマフィンの製法を求めて諸国を巡る大冒険譚を大得意でくっちゃべっている。空っぽにした胸に大きく息を吸い込んで、僕は跳んだ。

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