1-2 船と爆薬

 スローモーションが溶けた。ごごう、と場を圧倒する大きさの風切り音を立てて、巨大なJ型の舳先がミサイルのような速度で鼻先三寸を切り裂き、視界が白く塗りつぶされていく。両脇を超特急でかすめるハリセンボン。船体の膨らみに沿って迫りくる窓々――間近で爆音。背中が焦げた。大輪の花火が映る窓窓穴ム心――衝撃、暴風、土煙。


 耳鳴りがする。多分生きてる。手の中に鉄柵を感じる。どうも大車輪一歩手前の体操選手みたいな格好だ。どんぱぱん、と花火の音に手を滑らせかけた。気のせいか? 今一瞬人の声が――破裂音と金属音。映画でしか見たことない銃弾が、ポロリと壁から抜け落ち奈落行き。そん――え? な――


 突然の着信音に命を救われた。反射的にスマホを取ろうとしてバランスを崩した。頭頂部を熱い弾丸にかすられる。

 今日は間一髪の特売日らしい。だがそれももう売り切れだ。スマホは落ちた。僕も落ちそう。

 風に揺らめく土煙越しに、ハワイアンなサーフボードに乗って銃を構える男が見える。鳴りやまない着信音はまるでレクイエム。男が引き金を引いたその瞬間、どっかから飛んできたハリセンボンが射線上に割り込んだ。目を瞑る暇もない。汚い花火が真っ赤っか。僕の顔に影が落ち、タンッ、と軽い靴音が耳を打った。


「大丈夫?」


 それは、少女のかたちをしていた。しなやかに踊る金髪が身を包む白を彩る。薄闇に浮き上がる日に焼けた肌。青い瞳が二つ、ボクを冷たく見下ろしていた。細い鉄柵の上で、何と軽やかにこの人は立つんだろう。ねじれの位置での邂逅は、僕の呼吸を止めていた。


 銃声がして、芸術的ダンスが始まる。

 純白の軍用ブーツは雲を踏むように回転し、体にぴたりと沿う純白の軍服からはまるで翼が生えているようである。

 黒々とした大きな銃は、確かな重厚感を持って火を噴いているが、それを支える真っ白い腕は衝撃を吸収し、その重みを感じさせない。

 淡く長い金髪を冬風のように鋭く踊らし、次から次へと引き金を引く。

 そのたびに土煙の中に赤が閃き、悲鳴が上がり、時に青黄赤白黒しょうおうしゃくびゃっこくの花火が上がる。

 彼女はあっという間に舞踏を終えて再び僕に顔を向けた。もはや後光すら見える。


「女神……?」

「何言ってん――っぶな」


 彼女は最小限ののけぞりで弾丸を避け、即座に銃弾を返す。今度は血しぶきも悲鳴もない。勿論花火も。


「手練れがいるわね。悪いけどあんたを助ける余裕はない。勝手に助かってくれる」

「そんな……!」


 既に腕が限界に近い。宙ぶらりんの片手を鉄柵に届かせようとするが、あと少しで届かない。


「お願いですっ! 助けてください! 腕がもうちぎれそうなんです! どうか――助けてくれたら何でもしますから!」


 人生で一番情けない声が出た。しかし効果はあったらしい。彼女の防寒軍帽がぴくりと動く。


「へえ……根性あるじゃん」


 彼女はやおら銃を二丁とも腰のホルスターに差し、壁向きの重力に従って鉄柵から飛び降りた。吐息がかかるほど近くに顔を寄せられて、どきりと心臓が跳ねる。


「その言葉、忘れたら殺す」


 彼女の手が僕の宙に浮く手を握った。いとも簡単に僕は柵から引き剝がされ、一本背負いの要領で投げ飛ばされ、割れた窓から船内へ――え? 


 僕は天井にしたたかに背中を打ち付けた。僕の呻きに重なる何もんだ、との怒鳴り声。刺青まみれの男が僕に向かって銃を構えていた。

 慌てて転がった拍子に、変な向きの重力に引っかけられて、クロスの敷かれたテーブルに斜めに落っこちる。いかなる作用かテーブルが跳ね上がり、男の顎に激突。黄色い歯が何本か、手品のように吹き出した。

 漫画のように宙に飛ばされる男。銃声と共にその頭が破裂した。白いクロスが瞬時に真っ赤に染まり、色とりどりの男の欠片がくるくるとあちこちへ飛んでいく。この世のものとは思えないとは、今日のためにあった言葉だ。


「やるじゃん」


 窓際の天井に彼女が立っている。僕は床にへたり込んだまま、彼女の太い銃口の白煙が二、三度ゆらつき、溶けてなくなるのを、ぼけっと見つめるしかできない。生ぬるさがじゅうわあと制服のズボンに広がっていく。褐色のつるりとした眉間にしわが寄った。


「こんなとこで壊れないでよ。あんたには何でもやってもらわなきゃなんだから。あ、さっきのアッパーはノーカンね」


 何も、反応できない。目の前が見えなくて、男の頭がざくろのように割れ、また戻る光景だけが延々見える。突然の銃声にびくりと震えた。ガラスの雨。身をかばうこともできない。シャンデリアが降ってきて、テーブルがぐしゃりと潰れた。拳銃が目の前に転がる。さっきまで刺青まみれの男が握っていた拳銃。


「それで身を守って。後で迎えに来る」


 白と金のシルエットを引き留められたなら――そう思っても体が動かない。ピリリ、と小さな電子音が鳴って彼女が立ち止まった時、僕は液状化しそうなほどホッとした。彼女は数回頷き、苛ついたように髪をかきあげ、何か短く呟く。ちらりと見えた耳元で、銀のイヤリングがきらめいた。


「何?」


 少女が素早く銃を引き抜いて振り返る。思わず大声を出してしまったことに気付いて口を押えた。抑えきれずにそのまま叫ぶ。


「保安官!? でも――やっぱ――イヤリング――銀の!」


 少女はちょっと小首をかしげ、頷いた。


「あたしが保安官かってことでしょ? うん、あたしは保安官」


 どこかでまた花火が鳴った。しばらく停止していた脳が再び動き出す音が聞こえる。


 なんで保安官がこんなところに? 彼女は僕より年下そうだ。十五、六といったところか。いったいどういう経緯で保安官に――そもそも彼女は保安官なのか? 制服はない。イヤリングは偽造できないが保安官から奪ったって可能性も――


 待て待て考えすぎるのは僕の悪い癖。あとで回収できる疑問はどうでもいい。今重要なのは、この自称保安官美少女が、しばらくの間は僕を死なせる気はなさそうで、そのうえ強いってことだ。そして僕はここから生きて帰りたい。


「じゃ、あたしは行くから」

「っ――待ってください!」


 立ち上がる。銃を拾う。思っていたよりずっと重い。手が床に落ちそうになるのを踏ん張って耐える。


「ぼくも連れていってください」


 深い青が数秒、品定めするように僕を見て、ふいと割れ窓に向き直る。


「どう呼べばいい?」

「シモン」

「ジェニーって呼んで」


 割れ窓から銃弾の雨が降り注いだ。

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