10 バラの香り

土曜日の午後のせいか、今日は東口商店街に人通りが多い気がする。顔なじみの商店街のおじさんやおばさんに挨拶をして、桃竜楼の前を抜けて進んでいく。

だが、北辰神社の参道に出て緑に囲まれた道を歩き出したとき、時子は何か違和感を感じて振り向いた。

「…まさか…つけられてる…」

まちがいなかった、でもそいつらは尾行するのには向いていなかった。参道を行き来する人はけっこういるのだが、そいつらは、頭1つ分以上飛び出していた。そう、ハイサピエンス世代の高校生たちが時子を追いかけてきたのだが、いかんせん背が高く目立ってしまうのだ。同じジャケットの3人組の高校生に連絡がはいる。

「…どうした?見失ったか」

「すみません、もう気づかれちゃったようです。速足で家に帰っていきます」

高校生は誰と話をしているのだろう、その声の主は続けて指示を出した。

「そのまま追い続けてかまわないさ。宇宙刑事の奴らは相手がおまえたちこの星の住人だとやはりすぐに手出しは出来ないようだ。彼女が屋敷の庭に入る前に取り囲んで転送装置を使うんだ。こっちに引き渡してくれればもう1度記憶操作を完璧にして、すべてをなかったことにできる…それだけだ…」

「承知しました。では第2部隊と協力して追い込みます」

こんな真昼間から背の高い数人の男に尾行され、時子はあせって自分を失いかけていた。普通に歩いていたのが、だんだん速足になり、さらにスピードが増し、最後には走り出していた。小道の奥に入り、いつも寝起きしている屋敷がやっと見えてきたとき、一瞬笑顔が戻りかけた時子だったが、なんと別の高校生グループが、屋敷の横の道をこちらに向かって歩いてくるのが見えた。奴らは挟み撃ちにする気だ。

「に、逃げられない」

足が止まる、胸のどきどきが体中に回りだす。大きな声で叫んで助けを求めるか、警察を呼ぶか?切羽詰まった時子は懐の携帯に手を伸ばした。だがその時だった。

「…大丈夫、落ち着いてそのままあなたのうちに進んで。今から5秒間だけ息を止めてね」

「えっ?!」

突然胸の中に響いたそれはやさしい女の人の声だった。昔から知っている優しい声だった。前から近づいてくるのは、スポーツウェアを着た運動部の高校生たち。体格もスピードもとても太刀打ち出来そうにない。でも時子は覚悟を決めて、息を止めて歩き出した。

「芽森時子さんですね、すみません、ぼくたちと来てください」

正面から来た高校生の声が聞こえた。はっと気が付くと。周囲をぐるりと背の高い集団にかこまれていた。

だが次の瞬間だった。

「な、なんだこの香りは?」

薔薇だった。透き通った芳醇な香りが風と共に吹きわたった。時子は息を止めていてもその素晴らしい香りがわかるほどだった。一瞬上だか下だか、右か左かわからなくなるような、突き抜けるような鮮烈なバラの香りが広がる。

「なんなのこれは一体」

バラの香りに一瞬意識が遠のき、周りの風景が金色の糸になって溶けてしまったかと思われた。

「今よ、逃げるのよ」

ふらついた高校生たちをかきわけて時子は突き進む。

「こっちよ」

声の主が時子の屋敷の庭へと時子を招き入れる。

「もう大丈夫」

そこにいたのは、ついこの間桂岡さんの家で会ったあの人、グリーンノートを渡してくれた蜜蜂お姉さんの羽鳥さんだった。

「あ、ありがとうございます…あの、私…」

「危機一髪だったわね、でも、もう平気よ、あなたを狙っていた暗き森のホラズマは宇宙犯罪者、奴らを追いかけているのが私たちなの。今度こそ奴を捕まえることができるかと思っていたんだけど、奴は地球人を使って自分は命令するだけになってきたようね。とにかく1度家に入って態勢を整えましよ」

時子を取り囲んでいた高校生たちは、頭を押さえたり、目をきょろきょろさせていた。

「私の合成した香り言語を使って、彼らを一時的な記憶喪失にしてあるわ。今のうちに行きましよ」

2人でハイサピエンスから離れて歩いていく。だが、すぐに羽鳥さんのスマホが鳴り、羽鳥さんは通信を取り始める。

「えっ?」

それは、外見は誰もが使っているようなスマホだったが、中の画面は見たことのない、不思議な文字が並び、美しい音楽のように音声が流れてきた。

「…わかったわ。ショーン、ホラズマの反応が出たので急行し、無事にトキコメモリを確保しました。7名のハイサピエンスが関わっていましたが、記憶処理をしてあります。彼らは何が起こったのかもわからないでしょう」

「了解。でもトキコメモリのおかげで街の記憶のネットが活性化を始めたのは間違いない。彼女はまたすぐに狙われる可能性がある。十分気を付けてくれ」

通信が終わった。

「すいません、今話していらしたのは…」

「あなたも1度見かけたはずよ。2代目地球担当の宇宙警察のションホルム刑事、愛称はショーンよ。ほら、スカルマスクをメタルっぽくしたみたいな…」

ああ、あの時の…、と思い当たることはあったが、まだぜんぜんぴんと来なかった。この街で何が起きて何がどうなっているのか、

すると羽鳥さんは時子の目を静かに見つめてこう言った。

「もう少し時間をかけて少しずつ話そうと思っていたけど、もうこうなったらすべて話さなくてはならないワね」

「それってもしかして…」

「そう、山火事の時に何が起こったか、なんで街の記憶が書き換えられたか…、そしてなにが起ころうとしているか…。あなたが知りたいことをすべてね。もちろんノボル君のことも…」

それから2人は、庭を回り込んでそのままフェンスの扉を開けるとグリーンヒルのお屋敷へと歩き出した。

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