5 オクタゴンダイバーを捜して

時子は1日1冊のペースで2冊の本を読破したが、とても面白く、そしてまだわからないところもあったので、ちょっと重かったけど、毎日リュックに1冊ずつ持ち歩き交互に繰り返し読んでいた。一方残りのカードの持ち主は全く分からず、何かヒントになることはないのかと、しょっちゅうその残されたオクタゴンダイバーの8枚を家のテーブルに並べては眺めていた。

ゲーム名、オクタゴンダイバー;8つのオクタゴンを組み立てていく森と川の多様性ゲーム。

オクタゴンとはボードゲーム盤に並べられた8角形カード置き場だ。それぞれのオクタゴンに環境をテーマとした四角い8枚のカードを並べて、環境問題クイズに正解するとポイントがたまる。そのオクタゴンが8枚ずつ8個あるので、全部で64枚のカードを並べて勝敗を競うことになる。またオクタゴン同士をつなぐ、接続の位置カードを最後においてもポイントになる。

オクタゴンの環境テーマ配置。

上段:森、動物の生態、ピラミッド。

中断:落ち葉、草花。

下段:川、中流の流れ、ワンド。

時子の8枚は最初のテーマ、森だ。森の持っている基本的な特性をイラストや写真を使って簡単なカードにしてある。

1:森のオクタゴン。

森1:色々な木の実、ドングリ、クルミ→リス、アカネズミ、イノシシ、熊。

森2:色々な花と蜜、花粉、蝶、蜜蜂、野鳥、甲虫、それらを狙う蜘蛛。

森3:色々な果実、宿り木の実を食べた鳥のねばねばの種がふんと共に枝につき成長。

森4:キツツキが餌のために木をつつく。洞になる、小鳥の巣→フクロウ、ムササビの巣。

森5:地上との棲み分け、樹上は雨風をしのぎ外敵が少ない、巣や寝床、接続動物の生態。

森6:樹木の葉→幼虫、虫こぶ、→ムササビ、鹿→落葉、接続落ち葉のオクタゴン。

森7:幹→木の皮を食べるシカ、巣の材料にするスズメバチ、木の汁を吸う蝉。

森8:クヌギなどの樹液に集まる昆虫→コガネムシ、カブト、クワガタ。

「なるほど、木の実や鼻と花粉、葉や落ち葉など森の持っている動物のエサや住処などが、森の特性として1枚ずつの簡単なカードになっているのね」

そして、そこに関係ある動物や植物がかわいいイラストになっている楽しいカードでもある。

一体残りの56枚のカードは、誰が持っているのか、時子はそれらを持ち歩きながら街を歩くようになっていた。でもどこからどう攻めたらいいのかまったく見当もつかず、でも、誰かに相談するにしてもカードのことなどわかる人も思いつかず、何日かが過ぎていった。そして時子が最後に相談に行ったのはなんかチャラくて女癖の悪いという、さすらいカレーの大河さんだった。大河さんはどんな人物か読めないが、とにかくオリジナルカレーがあんなにうまいのだからただ者ではないと思わせる奥の深さがあったのだ。

「メモリちゃんが探し物だって?ふうん、ボードゲームのカードの探しものね?…」

時子のことをメモリちゃんと呼ぶのは、大河さんだけである。改めて大河さんを見ると、毎日変わる派手なメガネ、なにやら高そうな片耳の宝石のピアス、ラフな服に安全靴のような丈夫そうな靴、そして無駄に鍛え上げたような見事な筋肉質のボディを持っている。

大河さんは、今日の時子の夕食となる骨付きマトンのチーズカレーをよそりながら、教えてくれた。ちなみにこのカレーはたっぷりのニンニクとチーズのコク、そして隠し味のミントが香る、スパイシーでさわやかな味だった。マトンも高原で飼育された癖のない肉で、いくらでも食べられる感じであった。

「そうだねえ、どこからせめていいのかわからないんなら、まずはよく当たる占い師のところに言ったらどうかね。この街の占い師によく当たるのがいるよ。それから確かこの街にもボードゲームの専門店があるから、そこに行けば何か情報があるかもね」

2つの店名を書いた小さな紙をもらう。白猫堂とジュピターと書いてあった。

「へえ、どっちもマニアックな特撮通りの方にあるのね、たしか2日後にそっちに行く予定があるからその時に行ってみるわ」

その日、大満足でさすらいカレーの店の外に出ると、意外な人物が追いかけてきた。

「時子さあん、よかった間に合ったわ」

後ろから追いかけてきた人物、それは編集の佐々岡さんだった。

「あれ、どうしたんですか?お急ぎなら電話かSNSで連絡してくれれば済むのに」

「ふふ、どうしても見せたいものがあってね」

佐々岡さんに背中を押され、そのままいつものトパーズに入る。

「いらっしゃい。ああ、君が朝のサトミちゃんの言っていた時子君だね。夜もサラダバーはあるよ」

トパーズの夜の部に来るのは実は初めてだった。メガネをかけた上品な中年の紳士が2人を迎えた。オーナーの沢渡さんだ。この時間帯、トパーズは本来のワインと高級おつまみの店になる。佐々岡さんが声をかける。

「マスター、今日のお得なグラスワインセットは何かしら?」

「そうだねえ、赤ならボルドーの特級シャトーマルゴーのセカンドと3種のチーズの盛り合わせかな。今年のはかなりいけるよ。白ならブルゴーニュのコルトンシャルルマー二と秘蔵の牡蠣の燻製、スモークサーモンのセットが超お得だよ」

夜のトパーズでは、高級なワインがグラスとおつまみのセットで安く飲める。もともと、がぶ飲みしないグルメな女子たちにはもってこいだ。

結局、佐々岡さんが赤のセットを、ワイン初心者の時子が白のセットとサラダバーを注文して落ち着いた。

「ブルーチーズと水牛のモッツァレラの組み合わせがカベルネソービニヨンによく合うわ」

「なにこの牡蠣の燻製、とろけるわ。ワインも甘口で口当たりもやさしいし」

一通り味わうと、佐々岡さんが大きな封筒を取り出した。

「なんですか?これ。え、もしかして…」

「ついにできたわよ、さっき出力してきたの、できたてのホカホカよ」

「うわー、もうできたんですか。どれどれ、すごいすごい、イラストの発色もいいですね」

早くもできたのは、緑が丘センターのイラストマップだった。イベントの1覧表と街のマップのバランスがとてもよく、楽しいイラストでぱっと目を引き、それがいつどこでやるのかすぐにわかる。

「まあ予想通りに時子さんのイラストの上がりが速くて助かったわ。タウンニュースのネタもいくつかとれてるから、あとは楽勝ね」

これで最低限の締め切りは守れた。あとはタウンニュースをいくつ出せるかだ。

2人は早速グラスを合わせてにっこりした。

「あらためてカンパーイ」

そして2日後の日曜日、2人は駅前の特撮テーマパーク、通称ヒーローランドに来ていた。

「あれ、時子さん荷物がちょっと重そうだけど平気なの?」

今日占い師やボードゲームの専門店に行く時子はやる気満々、あのボードゲーム8枚のカードも、2冊の重い本もペン入力タブレットの専用リュックに無理に詰め込んできたのだ。時子はその重さも全く気にせずツカツカトヒーローランドに歩き出した。

「えーっ、昔と全然変わっている」

15年前は特撮資料館とヒーロー乗り物コーナーがあるだけ。あとはだだっ広い昭和の街と宇宙基地の映画撮影セットがあり、その中のアクションステージで突然アクションショーが始まったりしたものだ。

ところが現在のヒーローランドでは、スカルマスクをはじめとして、宇宙や近未来をテーマにしたヒーローものが多いので、宇宙基地やロボット、惑星探検などに関連した、近未来の建物が並ぶ街並みに変貌していた。

乗り物コーナーもどこにでもある機関車やコースターにヒーローや怪人の絵が描いてあるだけのしょぼいものだった。

でも今は違う。下調べをしてきた佐々岡さんが色々教えてくれた。

「ね、すごいでしょ。ヒーローものは今でもどんどん新作が作られて子供向けのおもちゃも大人向けのグッズもかなり売れているのよ、その関連会社もここのスポンサーなの。さらにここ数年は、あのサトミちゃんが言っていたクラモ総研もこのテーマパークの大スポンサーになってその膨大な儲けで新しい施設も次々できているのよ」

「へえ、景気がいいんだ」

お城のようにそびえたつタワーとドームの建物は地球防衛軍のロケット基地キッズベースで、中ではたくさんの子どもたちが無重力訓練やロケット打ち上げ体験などができるのだ。防衛隊員体験も人気で、怪人たちが、幼稚園バス襲撃やデパート乗っ取り、空港襲撃事件などを起こすのを通信部隊が受信し作戦を立て、現場部隊が出動するのだ。

そしておもちゃの光線銃を持って近未来の街を子供たちが急行すれば、あちこちから怪人や戦闘員が飛び出してくる。ヒーローと協力して悪の軍団を退却させればミッションコンプリートとなる。

また、防衛隊のドームの近くには、広場や未来のビルのようなアクションステージがあり、あちこちに小型エレベーターやクッション、トランポリンなどが仕込んであるばかりでなく、煙や炎を噴き出す装置、爆発花火、壁いっぱいに昼間でも鮮明な画面が映る大液晶画面などまで備えられている。

だからヒーローが突然タワーの上から登場したり、そこから飛び降りたり、背景の大液晶画面にストーリーや決定的場面が映ったり、さらにはトランポリンを使って、何メートルも跳び、必殺キックを放つこともできるのだ。

そして、ステージの隣にあるのがヒーロー博物館と怪人博物館だ。未来な設備の博物館にはヒーローや怪人の着ぐるみや撮影セットや小道具のほか、ここの博物館でしか見られない特別編終盤のヒーロー映画や、怪人が主人公のホラー映画なども上映している。駅のレインボービルとコラボしたスカルマスクのヴァーチャル映画ゲームも近日上映予定だ。

そして乗り物コーナーが進化した小さい子向けのキッズランドも大人気だ。巨大な魔王像のある怪人秘密アジトから脱出する、アスレチックコーナー、不気味なアジトを1周する怪人トレイン、イルミネーションの中を飛び回る宇宙船型のギャラクシーコースター、そして怪人人形と一緒に乗れる怪人コーヒーカップ、ヒーローのバイクで突っ走るヒーローメリーゴーランド、お化け屋敷のような悲鳴がにぎやかな惑星探検ライドなどもあるのだ。

時子は不思議な宇宙生物が出てくる、ファンタジーな惑星探検ライドがお気に入りのようだった。

2人は最後に、あの特撮ステージのアクションショーを、見に行った。お父さんと子供、いや、おじいさんもニコニコしながら一緒に来ている。二枚目キャラ目的のお母さんたちは、大好きなキャラのコスプレの人までいる。今日はテレワーク戦隊リモートファイブのショーだったが、ドラマ部分はちゃんと本物の役者さんたちが出てくるので、いやはや凄い感性だ。さすが本場のステージだ、突然の火柱、高いところに突然現れる怪人や大幹部、液晶大画面をうまく利用した返信シーン、煙が噴き出し派手な音楽に乗ってついにテレワーク戦隊リモートファイブの登場だ。飛び出してくるアリ型戦闘ロボット案とロイドをバッタバッタとなぎ倒し、客席の大喝采を浴びる。

「出たな、こざかしいリモートファイブども」

大幹部アポロフレアの叫びとともについにコウモリ怪人ドローンバットの出撃だ。

「すごーい、今はこんなのをステージでやるわけ?」

佐々岡さんが驚いた。なんとこの怪人はドローンの翼でステージを縦横無尽に飛び回るのだ。そして空中から爆弾を落として攻撃してくるのだ。だがリモートファイブのそれぞれの武器を合体させ、大砲を作り5人で構える。

ドカン、火を噴く翼。ドローンバットはバランスを失ってゆっくりと降下し、地上に降りると爆発して翼が取れてしまう。

「ううぬ、やりおる。ドローンバット、お前に力を授けよう!強化変身だ」

すると液晶大画面が輝き、みるみる背が高く筋肉モリモリの怪人バンパイアカイザーにパワーアップだ。今度は地上戦だが、こいつは手ごわい。リモートファイブの1人1人がそれぞれの必殺技で向かっていく。中でも時子が凄いと思ったのはかわいい女子キャラ、リモートピンクだ。

「ハぁー!」

最初は中国拳法の連続技だ。突きや蹴りが見事に命中、相手の動きが止まると、さっと下がって、助走をつけて走り出す。

「トォー、ピンクロケットキック!」

アクロバット回転の最後にトランポリンで大きくジャンプするとそのまま弾丸のような強烈な蹴りが突き刺さる。バンパイアカイザーが大きく後ろに吹っ飛ぶ。そこにリーダーリモートレッドのロングソードが振り下ろされる

「レッド閃光剣!」

液晶大画面が光り、衝撃波のようなエネルギー波が空中を飛ぶ。

グワアアアア!

見事な勝利だ。子供も大人も大喝采でショーは終わった。

だが大満足で歩き出した時子たちを呼び止めたのは、意外にもリモートピンクだった。

「ありがとう、見に来てくれたんですね。出口のところで待っててくださいね」

「えっ?」

まさかと思って待っていると、なんと着替えて出てきたのは、あの中華料理桃龍楼のリンちゃんではないか。なんと拳法の達人ということでときどき出演をオファーされてここで高額のバイトをしているのだという。

佐々岡さんは次の打ち合わせがあるとかで、ささっと帰っていったが、よければリンちゃんがこの辺を案内してくれるという。

「え、本当?この辺はほとんど来たことないから助かるわ」

またとない案内係ができて超ラッキー、いよいよ目的の場所に直行だ。ここの撮影所は歴史が古いので、テーマパークのショッピング施設と、古くからのマニア向けの専門店が混在しているのだ。ごちゃごちゃしたほかにない雰囲気を持った特撮横丁を形作っている。

ヒーローや怪人のグッズの専門店から関連の書籍、さらには特撮とは関係ないけどマニア向けのボードゲームショップやペットショップ、占いの店まであるのだ。

「うわー凄い迫力!値段も凄い」

特撮横丁に入ってすぐに目につくのは、ショーウインドウに1m以上ある3つ首ドラゴンの3万円のプラモデルを置いてある怪物模型屋、トランシルバニ屋である。

「ヒェッ!」

店内をのぞいた時子は一瞬息が止まるかと思った。あのオペラ座の怪人のマスクをつけた老人が椅子に座ってこちらをじっと見ているのだ。

「平気よ、店長の中山さんよ、私もお友達なの」

リンちゃんがお辞儀をして近づいていく、老人はマスクをしたまま優しそうに微笑んだ、ちょっと怖いが、プラモデルは他にも、高圧電流装置のある手術台で今にも動き出しそうな傷だらけの人造人間や、月夜の古城で全身の毛を逆立てる狼男、全身包帯姿のミイラ男、象形文字の刻まれた石の棺、スカラベのアクセサリー付きだ。

他にも脳みそむき出し、メタルなミュータント、宇宙船の操縦席と光線銃付きなんてのも展示してある。

「あ、いらっしゃい、あ、リンちゃんこんにちは」

奥から小太りのやさしそうなおにいさんが出てきた。中山健太25才、じつはこの変わった店を裏で支えている若者である。中山のじいさんの目は今でも確かで、プラモデルを組み立てる腕も超一級、その腕をネットで売り出したのがこの孫の中山君だ。

「孫の腕もだんだん上がってきて、最近はわしが合格を出せるような製品もでてきてなあ」

中山君はじいさんの切り開いた人脈や海外の仕入れルートを生かし、その製品がいかに出来のいい作品か、どれだけ貴重なものかを的確にPRし、ネットでかなりの売り上げを出せるようにしたという。その一方でじいさんの技術をきちんと学び、自分もプラモデル作家として名を上げてきた。ものによっては組み立てを引き受けたり、自分で企画して製品を出すようにまでなってきた。

「孫もどうやら手先が器用で、アイデアや工夫もかなりのもんじゃ」

自慢げに笑うじいさん、もちろんあの仮面のままでちょっと怖い。

「え、最近のぼくの作品ですか、そうですねえ、これかなあ」

中山君の指指す壁には、近日入荷金星ガニ、顔のない悪魔、デッドリースポーンのフィギアもついに入荷と予告の紙まで貼ってある。すべて中山君の企画で仕上げのデザインも彼のものだという。

「顔のない悪魔??」

やっぱディープすぎる、時子には全く分からず、早々に退散だ。

「おや、何なのかしら、仮面貴族って、なんの店かしら…」

時子が足を止めたのは、ヒーローや怪人のお面が並ぶ古い店だった。リンがやさしく教えてくれた

「この店は最初、ヒーローランドのお土産屋から始まり、お祭りで子供がかぶるようなお面や、パーティーで売れ筋のゴムのマスクなんかも取り扱っていたそうです。でもここ10年ほどはコスプレ人気をうまくつかみ、ハロウィンでもゾンビの変身セットが大人気、特撮関係のコスプレに加え、アニメ系の衣装も置いたら大ヒットって感じですかね。私も子供の頃からけっこう来てますよ。ハロウィンの頃にはこの街の若い人は皆、一度は来てるんじゃないかしら」

店の中をのぞくと、ヒーローや歴代の悪役、そして人気のアニメキャラのコスチュームなどが、ずらりと並んでいた。簡単に変身できるゾンビセットも、傷跡セットや、青い血管セット、牙と血痕セットなどバラエティーも増えていた。マニアックな外国人たちにも大人気だという。

「あ、ありましたよ。よく当たると有名な占いの白猫堂です」

それは不思議な場所だった。商店街の中に突然神社風の建物が忽然とあり、中をのぞくと、招き猫からシャムネコ、ペルシア猫やチンチラ、マンチカンからロシアンブルー、そう、大きさも素材もさまざまな、精巧にできた色々な種類の猫の人形が飾ってある。なんかおしゃれなアンティークショップみたいな感じでもある。

そっと店の中に入る、新しい畳のにおいがする。御用の肩はボタンを押してくださいと書いてある。ボタンを押すとピンポンと奥で音がして…。

「しばらくお待ちください。すぐに参ります」

と声がした。

「それにしてもいろんな猫がいますねえ。もともとはどんな種類の猫だったのかしら」

隣にいたリンがなにげにつぶやくと、時子が突然思い立って荷物を探し出した。そう、ノボルからもらった本である。

「ふふ、この、手をとりあう遺伝子の本の中にちゃんとあったわ」

そして時子はリンを見ながら本をさっと読んだ。

「現在の飼い猫の祖先はアフリカのサバンナにいるリビアヤマネコである…」

リンは本の写真を覗き込んで納得したようだった。

「へえ、サバンナに紛れるような薄い茶色ね。あ、そうか、サバンナみたいなあったかいところ出身だからこたつとかが好きなのね」

「でもサバンナって昼と夜の温度差が意外と大きいから、寒いのもちょっとは我慢できるそうよ。だから世界中に広がったと書いてあるわ」

じゃあ、雪とかで喜ぶ犬はどこの出身なのかしら?」

「うふふ、それも書いてあるわよ。北方系のオオカミだって。その証拠に、犬は足の裏にも毛が生えてるそうよ」

「へえ、今度友達の家の犬の足の裏見せてもらおうっと。でもその本手、何でもわかるのね、魔法の本みたい」

「はいはい、それは単なる偶然ね。そしてリビアヤマネコは、大規模農業を始めた古代エジプトで穀物倉庫を荒らすネズミを食べてくれるというので重宝がられ、人間が飼うようになったそうよ」

「へえ、穀物倉庫を守っていたのね」

「そして大航海時代、船のネズミ退治のために多くの船に乗せられて世界中に広まったと書いてあるわ」

とその時、神社の巫女さんのような白装束の女の人がすーっと入ってくる。

「お待たせいたしました。いらっしゃいませ」

30代前半ぐらいだろうか…美しい人だなと時子は思った。リンちゃんは時子のすぐ横で静かにしている。時子は名刺を出しながら早速…。

「…あのう、実は…」

ところが時子が話しかけると、何を感じとったのか、まだ用件も言っていないのに、女の人は名刺を見ながらすぐに答えた。

「わかりました。では時子様、桃龍楼の娘さんと一緒に、おあがりいただいて奥の座敷でお話しいたしましょう」

さすが地元か?リンちゃんのことも知っているようだった。

2人が奥の座敷に入っていく。掃除の行き届いたすがすがしい廊下に生け花が飾ってあった。奥の座敷には、いちいの木を使ったという大きな神棚があり、正面には、それはそれは大きくて立派な白い招き猫があった。

「よくおいでになりました。占いのハヅキと申します。では早速お伺いいたしましょう」

時子は早速あの8枚のカードを並べ、信じてもらえるかどうかはわからないが、とりあえずこの間のノボルに会ってカードの残りを捜してくれと頼まれたことをすべて隠さずに話した。ハヅキさんはとても興味深く聞き、まずこう言った。

「15年前、私が20才の頃山火事は確かにあったわ、でも変ね、私たち、この街の住人の頭からは確かに急激にそのころの記憶が薄らいでいる…、なぜかはわからないけれど、時子さん、あなたは15年間この街に訪れていなかったから、まだあのころの記憶がくわしく残っているのかもしれません…」

ハヅキさんは、神棚の前に言って座ると、柏手を2度打ち何か小声でお祈りをして、そしてしばらく動かなくなった。目の前には大きな白い招き猫、その金色の瞳だけが光っていた。

すっと顔を上げるとこちらを向き直って早速話し始めた。それは思ってもみない言葉だった。

「…この緑ヶ丘の街には15年前から大きな闇があります」

「…闇…?この平和な街に?」

「私たちには見えない、この街の裏側で暗躍する黒い影があるのです。警察で解決できるようなレベルのものではありません。でもそう言ってもこのまま放っておけば、起きてはいけないことが起きてしまうでしょう。いいえもうすでに起き始めている…」

「…そんな…」

「神からお告げがありました。あなたが残りの56枚を見つけ出したら、15年前と何かがしっかりと繋がるでしょう。見つけてください。探し物はごくごく近くにあるようです。うまくいけば、見つかるのにそれほど時間はかからないかもしれません。それから時子さん、ここにいるリンちゃんはあなたの大きな力になってくれる人ですから、これからも大切にしてくださいね」

この可憐な拳法少女とこれから何があるというのだろう。時子は色々なところに思いを巡らしながら、リンと白猫堂をあとにした。

「猫がいっぱいいて、このお店なんの店だろうって思いながら前を通っていたんだけど、今日初めて中には入れて楽しかったです。なんの店かという謎も解けたしね。時子さん、ありがとうございます」

目的地のもう1つ、ボードゲーム屋のジュピターはここから5分ほど歩いたと頃だという。

「あ、時子さんちょっといいですか?」

リンちゃんがのぞきたい店があるのだという。

「え、金魚屋さん?」

そこは下町の雰囲気のあるこぎれいな金子金魚店だった。昔からの古い建物をガラッと開けて入っていくと、リンちゃんと同じ年ごろの若い娘さんが出てきた。どうやら友達らしい。

「キヌちゃん、元気?」

2人でグータッチ、なんとも元気なあいさつだ。実はキヌちゃんとリンちゃんは2人ともこの地元の西岡高校の同級生なのだが、キヌちゃんは地区優勝もしたことのある弓道部のキャプテンで、しかも全日本金魚すくい選手権のおととし、去年のチャンピオンだと言う。目力だけなら拳法下のリンちゃんといい勝負だ。すると中から店主の優しそうな徳丸おじいさんが出てきた。リンちゃんは友達だと言って時子を紹介した。

なんでもこの店は、店の裏に昔からの井戸があり、清らかな水が湧き続け、その水で金魚などの観賞魚や小動物を売っていた。

「正三郎は元気?桃子や五右衛門も餌よく食べている」

正三郎は金魚のランチュウ、桃子と五右衛門はウーパールーパーだ。みんな売れ残りを徳丸おじいさんやキヌちゃん家族で大事に育てたら、みんな30cm以上に育ち、これは見事だと評判になって、今では非売品の人気者だという。

「どうじゃ、大きいだろう、ここの井戸水は一年中16度で森の栄養もたっぷり溶け込んでおるから金魚が長生きするんじゃよ」

誇らしげな徳丸おじいちゃん。ランチュウは顔が丸く背びれもなく、特にこの33cmあるという正三郎は、生きるおちゃめなアニメキャラのようである。ウーパールーパーの桃子は全身薄いピンク色のぽっちゃりとした体に、左右3本ずつのエラが突き出ていて、とても愛らしい。だが、五右衛門の方は同じウーパールーパーとも思えぬワイルドな恐竜を思わせる姿だった。色は黒灰色でなんとあの角のように突き出たえらがとても長く、まるで古代の恐竜のように長く伸びて、枝のように広がっているのである。

「うわー、初めて見ました。角みたいにエラがおっきい、五右衛門は特別な餌でもやっているんですか?それとも違う種類ですか?」

「五右衛門の色こそ、アホロートルの自然の色だ。あとは桃子も五右衛門も同じ生き物だよ。でも、ほら、五右衛門の水槽には空気のぶくぶくもないし、代わりに砂や水草が入れてある。環境を調節して酸素量を減らしてやると、えらがだんだん発達してくるんじゃ。それにこの仲間は、小魚なんかの栄養のある餌をやりすぎると、ホルモンの影響か、体が2回りほど小さくなって、変態してイモリにそっくりな形になることもあるんじゃよ」

そう言って徳丸おじいさんは笑った。時子はいつの間にか、この金魚屋の人気者のイラストをどんどん描いていき、ぜひ自分の書いている地球水族館の連載に使いたいと交渉を始めた。キヌちゃんも徳丸おじいちゃんもそのスピードと正確さにすっかり驚き、すぐにオーケーを出してくれた。

そして、女子3人組はすっかり盛り上がり、近くにあるおいしい店に乗り込もうとくりだしていった。徳丸おじいさんが優しく見送ってくれた。

そしてたどりついたのはこの特撮横丁で1番おしゃれなトロピカルパーラーのビルだった。ここは2階建ての南欧風の白い建物で、一階にフルーツセレクトショップのザ・スパイとバナナの専門店、バナナ帝国が入り、2階に軽食も食べられるフルーツキューブという喫茶店が入っている。

ザ・スパイと聞いて時子は諜報機関と関係があるのか、それともスパイスの店なのかと思っていたが実際は全く違った。

黄色や緑、熱帯の植物がデザインされた色鮮やかな店内のバナナ帝国は、バナナソムリエが常駐し、常時20種類以上のバナナが世界中から集まってくる専門店だ。バナナソムリエたちはバナナを熟させるエチレンガスを使いこなし、いつも食べ頃のバナナを提供、お持ち帰り用は熟す日にちを表示したものまで用意されている。

ザ・スパイの方は世界中から旬のフルーツを集めた店なのだがオーナーの赤羽夫妻の強いポリシーが貫かれている。こだわりはすっぱいフルーツだ。フルーツには甘味、酸味、香り、食管という要素があるのだが、この店はともかくバランスのいい酸味にこだわるのだ。そう、スッパイがスパイの語源だったのだ。

「最近は完熟、熟成ミカンなどがもてはやされているが、甘さが増すとか熟成されて味のバランスが良くなるなどは許せるが、すっぱさがなくなるというのは許せない。フルーツは酸っぱいからこそうまいのだ。我々は昼も夜も世界中の情報を集め、スッパイフルーツの普及に全身全霊を捧げているのです」

甘いだけのフルーツ、完熟フルーツも酸味が低ければ店には置かない徹底ぶりだ。女子3人組はバナナ帝国とザ・スパイの共同開発だという生ジュースがあるというので挑戦だ。バナナソムリエの今西さんがニコニコしながら厳選されたバナナを持ってきてくれる。ザ・スパイのオーナー赤羽さんがてきぱきとその他のフルーツをセットして、いよいよ出来上がる。

地中海産のとれたてオレンジジュースをスロージューサーでしぼったものに、エクアドルの高地産の香り高いバナナをミキサーで溶かし込み、仕上げに特別なライムとレモンを絞り込む。

「お、おいしい…」

最初は酸っぱすぎるかと思ったが、飲んでみればバナナで深くまとめられた新しい酸味の世界が広がっていた。

そして時子は、グレープフルーツやアンズ、パッションフルーツなど酸っぱさにこだわった世界中のフルーツが並ぶ店内を探検、各種イチゴ売り場、旬のサクランボ売り場などで引っかかっていたが、最後に1000種類のマンゴーが並ぶという原産国インドのマンゴー市場から仕入れたという、中スパと激スパのマンゴーを試食した。

「うわあ、スッパイ!、でも嫌な酸味じゃない。いや、このくらい酸っぱくないと物足りなくなってきた」

そしてすっかり酸味の世界にはまってしまった。その場で中スパのマンゴーを2つお買い上げだ。そして時子は最後のボードゲーム屋に行く前に、ここの2階のフルーツキューブで軽食を取っていくことにした。

「地球水族館の金子金魚店の取材許可ももらえたし、お祝いにここで好きなものを食べていこうかな。よろしければ、リンちゃん、キヌちゃん、今日はおごるわ」

「やった」

2階に上がると優しそうな店主のお姉さんが迎えてくれた。なんとザ・スパイのオーナー赤羽さんの奥さんがやっている店なのだ。

フルーツキューブでは、特性マンゴーチャツネやバナナ、山葡萄などをミックスしたフルーツカレー、イベリコ豚のステーキさわやかなフルーツソースがけ、フルーツトマトやアサイーを使ったミートソースパスタなども大人気で、最初はそれを食べるつもりだった。でもメニューを見たリンちゃんが9種類のフルーツのかき氷を食べたそうにしているのを見て、気が変わった。

「これって9種類のフルーツを1度全部凍結させ、それを専用の機械でフワフワのかき氷にして盛り付けしたんですって。100%フルーツのかき氷よ」

「じゃあ、リンちゃんそれ食べなよ。そうしたら私も…」

結局女子3人組は、リン、9種類のフルーツのかき氷。キヌ、季節のサクランボのゴージャスパフェ。時子、マンゴーワールドと全員甘い世界に入ってしまった。

リンは、極上のライチとドラゴンフルーツ、パイナップル、キウイ、パパイア、マンゴー、メロン、ブルーベリーなどの美しいかき氷に舌鼓を打ち、キヌは7粒の甘いさくらんぼうとチェリーアイス、果肉たっぷりチェリーゼリーと生クリームのハーモニーを味わい、時子はマンゴープリン、マンゴーゼリー、マンゴームースと生マンゴーのシンフォニーにひたっていた。そこでリンが話しかけた。

「そうだ時子さん、私、ウーパールーパーってなんの生き物の仲間かよくわからないんだけど、さっきの魔法の本に何か書いていないかしら?」

「はいはい、この本は魔法の本じゃないけど、偶然書いてあったわ、ええっと、あ、あったわ。ウーパールーパー、ウーパールーパーは商品名で、一般的にはアホロートルと呼ばれている」

「アホロートル」

「アホロートルとは、もとはメキシコ産のトラフサンショウウオである。アステカの神の1つ、アショロトルから付いた名だ。その姿はカエルで言うオタマジャクシ、子供の頃は水中生活に適応していて、尾ビレが発達し、3本の突き出たエラがあるが、普通ならば成長するにつれてサンショウウオに変態し、エラがなくなり、陸上にも上がれるように体が変化していく。だが、子供のころの体のまま成長し繁殖もするのがアホロートルである。流通しているウーパールーパーは、目の色が色々だったり、さらに体色が白やピンク、金色などに変化したものが一般的である」

キヌちゃんも感心して言った。

「へえ、サンショウウオだったんだ。でも子供の姿のまま大きくなるなんてすごいわ。ねえ、正三郎のことは何か書いてないんですか」

「さすがにランチュウのことはないわ。でも金魚のことは書いてある。ええっとね、金魚は2000年前の中国で発見された突然変異の赤いフナ、ヒブナから品種改良されてできた品種である。もともとフナは流れの遅い水のよどみを好み、汚れにも強い魚だったので、そこから生まれた金魚も、水の汚れに強く、飼いやすいので広く飼われるようになり、様々な品種改良が行われ、親しまれている。

「でも不思議よね。遺伝子って、突然変異して、しかもそれが次の世代に引き継がれないと、簡単には変わっていかないんでしょ?品種改良っていうけれど、そんなに都合よく形や色が変わるものなの?」

キヌちゃんがそう言うと時子は早速別のページを開いた。

「こんな話が載っているわ。カナダの北東部、トナカイやアザラシが生息する極寒の地セーブル島では200年前に馬や豚など家畜が持ち込まれて開拓が行われた。しかし、成果を上げることなく開拓は中止に追い込まれた。家畜は極寒の野に放たれ、人々は島を去った。だが最近、再び島を訪れた人間たちは、生き残った家畜を見つけた。馬だった。姿かたちを変え、たくましく群れで生き残っていたのだ。馬は毛がふさふさに伸び、あきらかに別種のようになって、200年の間生き延びていた…」

これは極寒の環境に適応した進化と言えるだろう。だが、突然変異で毛の長い馬が生まれたというのは考えにくい。現在では、使われていなかった毛を長くする遺伝子が、周囲の環境の激減に際して眠りから覚めたと考えられている。つまり動物の遺伝子には通常から使われている遺伝子と、環境に合わせて発現する多様性を持った遺伝子があるということだ。

実はどんな生物にも普段は使われていない遺伝子が膨大にあり、その時々によってオン・オフされると考えるようになってきている。

つまり長い毛が生えるという遺伝子がうまく発現して生き延びたのである。

寒冷地の動物園に移送されてそこで暮らすようになったアジアゾウに長い毛が生えてきたという例もある。多くの動物は数度の氷河期を乗り超え、それに対応する遺伝子を持ちながら今は使われなくなっている場合が多いのだ。

するとその話を聞いていた店長の赤羽さんの奥さんがさっと1階に電話してくれた。すると少ししてバナナソムリエの吉田さんが、あるバナナをさっと切って持って来てくれた。そしてサービスだと言ってみんなに配った。

「ほら、この素晴らしいバナナを見てください。原産国のフィリピン産ではなく、寒くてバナナの栽培には向かないとされてきた日本産です。バナナの種子に冷たい刺激を与え、氷河期の遺伝子を甦らせて日本でも育つよう品種改良されて出来たものなんです」

「お、おいしい。これが日本産だなんて信じられないわ」

しかもこのバナナ、寒さに強く冬も越せるので熱帯産のバナナの病気にもかからないと注目されているらしい。

「いかがですか、お気に召しましたでしょうか」

昔は、遺伝子は、突然変異でコピーミスが起きない限り変異しないと思われてきた。だが遺伝子は色々な場面で少しずつ変化していく柔軟性をもっていることがわかってきた。精子や卵子のレベル、受精のレベル、育成のレベルで体の大きさや形、色、性質などが変化する場合が意外と多いのだ。さらに眠っていた遺伝子の発現もある。だから体の色や形が少しずつ違う個体はたえず生まれていて、多様性のあるこの世界のもとを作っているのだ。

そこで経験的にそれを知っていた昔の人間たちは、色や形の特徴ある個体や役に立つ個体、人間によくなれる個体などを選びだし、集め、生育環境を整えたり、交配させて特徴を固定させるのだ。そしてそれらを繰り返すことによって、まったく新しい種が生まれてくる。それが品種改良である。

「日本産のバナナなの、おいしいわ。ちょっと難しかったけど、それで、金魚も、猫も犬もあんなに種類が増えてきたのね、やっぱりその本すごい、よくわかる、魔法の本ね」

バナナにかぶりつきながらリンが言った。さすがノボルの本だと時子は誇らしげだった。

「あ、もうこんな時間、急がなくちゃ」

そして時子は満腹になると、若い2人と別れて、熱帯の鮮やかな絵が描かれた階段を下り、白い南欧風の建物を後にした。ボードゲームの専門店、ジュピターはもうすぐ目の前であった。

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