第6話 5日目

 5日目

 今日は二人だけの学園祭をやろうという話を、静留が持ち掛けてきた。確かにそれは、この廃校舎にやってきてから、二人でやりたいと言っていた事の一つだった。この、二人だけの学園生活の締めくくりとしては相応しい行事だ。

 「この前、保留にしていた、学園祭の出し物だけど、二人だけで朗読劇をやろう。実はもう既に、台本も考えてあるんだ。」

 静留の提案に私は驚き、台本まであるという話には更に驚かされた。静留は、生き物については好奇心旺盛で、生き物に関する本なら時たま読んではいたが、彼女が文学を読んでいるところなどは見た事がなかった。そんな彼女が物語を書いたというのか。

 テントの中で何か、シャーペン片手に考え込んで、ノートに向かっていたのはこれだったのか、と思いながら、私は静留から台本だというノートを受け取る。

 「これは…」

 世界が滅ぶまで、残された時間は一週間。それでも、私達は幸せを追い求める、と書き出しには、そう書かれていた。私達が演じる二人の少女は、恋仲であり、かけおちのように、故郷を出て、大人達の捨て去った街を歩き、とある場所に辿り着く。そこで、世界が終焉を迎える、最期の時まで幸せに生きようと、約束し合う。

 それが、生徒達のいなくなった、この廃校舎だった。

 静留が見せた、短い劇の筋書きは、演劇らしく、SF的な展開を挟みながらも、現実の私達の歩んできた、この旅路をなぞっていた。

 しかし、私がまだ読んでいる途中で、静留は、台本が書かれているノートをするっと、私の手から取り上げた。

 「まだ読んでる途中だったのに」

  私がそう言うと、静留はこう返した。

 「結末は…まだ読んでほしくない。演じてる途中で、葵には知ってもらいたいんだ」

 台本の台詞を暗記して、練習している時間はないし、台本を回し読みながらの、朗読劇形式にしようと静留は提案した。結末も分からないまま演じろと言われて、私は面食らった。

 「いくら、台本見ながらでいい朗読劇って言われても、ぶっつけ本番で演技なんて、私、無理だよ…?授業中の、私のあの音読聞いてたら分かるでしょ?それに、どんな結末かも知らないまま、演じるなんて」

 あの息苦しい学校の教室で、国語の時間などに教師に当てられた際の、苦々しい記憶が蘇り、私は思わず顔をしかめる。緊張でよく言葉がつかえる、私のたどたどしい音読は、いつもクラスの笑い者だった。静留も決して、流暢に音読が出来る方ではなかった筈なのに。

 しかし、静留はこう言った。

「大丈夫。ここには、笑う奴らなんか誰もいないんだから。私の演技を聞くのは葵だけ。葵の演技を聞くのは私だけ。気楽にやっていいよ」

 演じる場所は、廃校舎の一角の、かつては体育館として使われていたらしい建物だった。

 こちらの建物も、校舎の教室と同じく、窓ガラスは撤去されて、蔦が内部の壁にまで侵蝕しており、自然に帰りつつあった。壁もところどころ剥がれ落ち、鉄筋が剥き出しになっていた。しかし、その荒廃した光景は静留の考えた、終末観の溢れる筋書きの、この朗読劇にはこれ以上ない程に一致した、天然の舞台装置だった。

 体育館のステージの上に上がる。観客は誰もいない。私と静留の二人だけが演じ、その演じている姿を見るのもまた、私達、お互いだけだ。

 私の棒読みぶりに、途中、少し静留が笑ったが、静留の演技も、棒読みぶりは中々のものだった。お互いに、時々演技を中断して、演技の拙さにつっこみを入れては笑った。笑っている静留の顔を見ていると、安心出来た。昨日の、寂しげに川面を見つめていた静留の横顔も、線香花火のか細い煌めきよりも力なく見えた静留の顔も、このまま忘れてしまいたかった。

 そうして、静留と私の間を、台詞が交代する度、何回も台本のノートが行き来した。

 ぶっつけ本番で、演者が結末を知らないままに演じるという、聞いた事もない朗読劇であったが、台本に書かれた台詞の雰囲気から、物語が佳境に差し掛かったのは分かってきた。

 静留が、何故か頬を染めて、私に台本を手渡すのをためらった。その台本がなければ、演劇は、物語の二人の旅は止まってしまう。私が促すと、もじもじしながら、静留はノートをこちらに見せてくる。その台本の台詞を見た瞬間-、私は、静留が何故、台本を手渡すのをためらったのかを、瞬時に悟った。

 次の私の台詞は、こう書かれていたから。

 『明日、世界は滅んでしまうけれど…、それでも、私は、貴女と結ばれたい。結婚してください』

 手からノートが、コンクリートの上に落下した。あまりに分かりやすくて自分でも失笑してしまう程、狼狽えた。まさか、こんな台詞が待っていたとは。道理で、静留も、この部分を読ませる前にもじもじしていた訳だ。

 「ね、ねえ、静留…。もう、その他には考えられないんだけど、この物語って、私と静留の、今回の家出の旅がモデルの筋書きだよね?」

 「うん…」

 「それで、今度の私の台詞なんだけど…、これは、あくまで、この朗読劇ごっこの物語の中のただの台詞として、言ってほしいの…?それとも、現実でも、私とこういう風な関係になる事まで、望んでるの…?」

 この台本の筋書きが、現実の私達の、この一週間をイメージして描かれているなら‐、現実と繋がっていくならば、この台詞もまた、静留が、現実世界での私と新たな関係を結びたいという、気持ちの現れだろう。目の前の静留の赤面ぶりを見れば、それは確実だ。

 劇中の私達の時間も、現実の私達の時間も止まり、教室で感じたのと同じ、この打ち捨てられた空間を何年も支配してきたであろう静寂が、二人の間に舞い降りる。やがて、体育館の外で鳴いている蝉の声が、近くなったように錯覚する。蝉達の、何重にも重なり合った、求愛の鳴き声が、私の中で、「スキ」という二文字に変換されて、それは私の声で、鳴り続ける。

 台本が書かれたノートはまだ、足元に落ちたまま。今、交わしている言葉は、台詞ではなく、全て私と静留の本音だ。

 「た、ただの台詞じゃ、ない…。今やってるのは、確かに朗読劇だけど、この劇は、私と葵が、現実で過ごしてきた日々がモデルだから、この劇が終わったら、現実でも、私と、そ、そこに書いたような関係になってほしい」

 そうして、静留は、落ちたノートを拾い上げると、私に手渡した。「私に、その台詞を言って」という、お願いも添えて。

 私はそのノートを受け取り、ついた埃を払い落とす。そして、先程のページを開き、明日、地球が滅ぶ世界にいる、劇中の自分へと戻っていく。

 しかし、今から口にする言葉は、ただの、棒読みの台詞ではない。現実世界に戻っても、この朗読劇の時間を介して、この言葉は、現実での私達の関係も変える言葉になる。

 口にする前に自問自答する。静留とそういう関係になりたいと、私は願っているのか。それは、人生において幸せな事となるのか。

 それらの問いに私は「はい」と答える。

 「明日、世界は滅んでしまうけれど…、それでも、私は貴女と結ばれたい」

 静留の目を見て、言葉を続ける。授業で音読させられるだけでも、言葉がつかえていたのに、この言葉は、淀みなく、流れるように私の口から出ていった。

 「結婚してください」

 私がそう言い終わるや否や、静留は、私の体に、抱き着いていた。

 今まで、劇は台詞の朗読だけで進行して、動いて演じる事はなかった。だから、この反応は劇の台本ではなく、静留の、心から出た反応なのだとすぐに分かった。

 「喜んで…!」

 台本を見ないまま、静留は言った。これもきっと台詞ではなく、彼女の本心の言葉に違いなかった。

 何処までが静留の台本通りの、劇中の出来事で、何処からが私と静留の本心のやり取りか、もう、境界線が分からなくなっていた。ただ確かな事は、私の腕の中に静留がいて、汗とは違う熱い雫が、静留の頬から零れて、私のシャツの胸元を濡らしている事だった。

 「その言葉が聞けて良かった…!この、私達しかいない世界で、結ばれよう…!他には何も、誰もいらない…!ここで、もう、私の人生は、終わっても、悔いなんてないよ」

 短い命でも力の限り鳴いている蝉達より、小さな声で、頬を濡らして愛の言葉を必死に伝えている静留の方がずっと、私には儚く脆い存在に思われた。だから、彼女が崩れ去ってしまわぬように、必死に抱きしめていた。

 静留と、結ばれようという約束が出来たのは嬉しかった。

しかし、実はこの時、私の胸の中で、前からもやもやしていた不安は、決定的な恐れへと変わった。静留の言葉を聞いてしまったから。

 「ここで、人生が終わっても悔いなんてない」と。

 この家出の一週間が終わった後に、静留が求めているのは、「死」による完結ではないか。ここでの日々が終わった後も続いていく時間、未来に彼女は、何も求めていないのではないかと、考えたくないのに、その不安が頭を過ぎる。

 今、こうして書いていても、また、あの時の静留の言葉に胸がざわつく。今日はここでペンを置こう。

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