第40話 空気が読めた瞬間

 精六さんと奈良に遊びに行った。

近畿圏内に住んでいる私たちにとっては旅行というほど大げさなものでもなく、

かといって、さしたる目的地も無く訪れるにはちょっと遠い、そんな距離感だ。


みなさんは奈良と聞けば、何を思い浮かべられるだろうか。

大仏さん、鹿、寺、柿の葉寿司、かき氷、茶粥・・・「文化財」より「食」のこと

ばかりになるのが私の悪い癖だ。奈良在住の方はどうか怒らずに読んでいただきたい。

過去にはもちろん奈良公園も行ったし、今や世界遺産に名を連ねる神社仏閣を片っ端から観てまわったこともある。酷暑で目の前が揺らぎ脱水症寸前に食べた宇治金時氷は世界一美味しかった。当然、観光客のたしなみとして、しかせんべいという色気アイテムで鹿ハーレム(もしくは鹿のヨダレまみれになるシカハラ)も体験済みだ。


しかし(ダジャレではない)私にとっての奈良は、そこではない。

というより「一度は行ってみたい場所(奈良編)」が中学生の時に観た映画

『天河伝説殺人事件』の主舞台、奈良県の南に位置する天川村なのだ。


私は精六さんに「ここに行きたい(連れてって)」とリクエストをあまりしない。

でも天川村は「ぜひ、いつか」と何回かお願いしていた。

一度目は結婚して間もない頃訪れた十津川温泉で、距離感がわからないまま

天川村にに寄れるか訊いてみた。しかも帰る間際の夕方に。

「いつかね」と約束してさらにときがたち、二度目は今から少し前。

和歌山県田辺市にある「龍神温泉」に行く道中でのこと。

右に行けば龍神、左に行けば天川という分かれ道に遭遇し一気にあの頃の情熱が

湧き上がってきたのだ。


そして、ついに。

「今度一緒に休みが取れる日に湯の峰温泉で朝風呂入ってに天川村に寄ろう。その帰りに洞川温泉に入って帰ろう」と精六さんが休日プランを教えてくれた。

精六さんは温泉が好きだ。「大きいお風呂」ではなく、温泉が好きなのだ。

判りやすい泉質が好みで、神経痛や肩こり改善を謳うものよりは、肌質が変わるもの(スベスベ成分)がお気に入り。露天風呂が熱すぎるところは長風呂できなかった悔しさを滲ませて出てくる。

リピーターとして訪れた温泉地はまだ無い。目下新規開拓中だ。


さて、今回はなんと前日夜出発、車中仮眠、和歌山で朝を迎えるというプランだ。

遊びに行くときの精六さんは「元気」だ。それ以外の表現が思い浮かばない。

まず、寝ない。これがすごい。私には到底できない「起き貯め」が出来る人だ。

まったく眠らないわけではないが、長距離運転して疲れているだろうと思うのに

本人は運転で疲れたことが無いとのこと。私は1時間も連続で走ればクタクタに

なってしまうが、それはそれで極端なのだろう。


旅の記録や温泉の感想などは、またいつかどなたかが興味を持っていただいたときに

書こうと思う。


なにはともあれ、天川村、である。


中学生の頃に公開された『天河伝説殺人事件』。

主題歌の「二人静」はで歌えるほどだが、なにぶん30数年前の記憶で

映画本編やあらすじも断片的にしか思い出せない。ただ、あの能舞台での

変死や神社独特の五十鈴など「視点」が素晴らしかった。

今では俳優さんの顔ぶれを見て「ああ、この人が犯人っぽいよね~」なんて

スレた大人になってしまったが、あの映画は10年そこそこしか使っていない脳と

目玉には本当に殺人事件を目の前で目撃してしまったかのような、それが少しずつ

紐解かれ真相にたどり着いてゆく映像が本当に美しかった、そういう記憶だ。


私はあえてインターネットで“予習”しないことにした。

自分の記憶がどこまで残っているのかを確かめたかったし、どちらかといえば

能舞台」が見られたらそれでいいとさえ思っていた。

もしかしたら現地には「天河伝説殺人事件ロケ地巡りマップ」なんてものがある

かもなんて勝手に想像していたが、それはなかった。

村にお住まいの方が作品の舞台になったことを誇りに思っていらっしゃるのか

迷惑に思っていらっしゃるのかもわからないのであまりはしゃいだことは書けないが、天川村は想像していたよりもずっと明るく、こじゃれていた。

映画で感じていた“暗さ”は勝手なイメージ映像だったのだと思い知る。


それでも“ザ・ロケ地”である、天河大辨財天社へ足を踏み入れた時は「あ。」と

わかるほどの神域で、背筋が伸びた。

石段を上がり、ついに能舞台を見る。立派、その一言に尽きる。

本殿では厄祓いの儀だろうか、5~6人のかたのお祓いが始まったところで、その最中は「五十鈴」を鳴らすことは控えるよう書いてあったのでしばし見守っていた。しかし5分と経たないうちに温かかった風が急に北風に変わり、いつ終わるかわからない他人様のお祓いを待っている余裕がなくなってきた。かなり寒い。


本来ならお参りをしてから散策するのが礼儀なのだが、先に温かい珈琲を飲もうということになった。実はここに来る道中に飲食店がなく(あてにしていたお店が定休日だった)私たちは朝から食事を取っていなかったのだ。


神社の目の前にあるカフェに入る。シンとしている。よく見ると呼び出しベルがあり

押すとお店の方が来てくれた。

お腹は空いていたものの、あと数時間もすれば夕飯なのでいかにも美味しそうな

シフォンケーキは諦めておぜんざいと、珈琲を頼んだ。

「店内、テラス、お座敷とございますが」と言われてキョトンとする。少なくとも

この寒いのにテラスは無いだろうと思い、店内で、と伝えると

「え?!・・・わかりました」と歯切れの悪い返事が返ってきた。


店内で待つ間、このお店をググる。お座敷がどこにも見当たらないからだ。

調べたら、なんのことはない。「離れ」=「お座敷」だったのだ。

私たちよりさきに注文したらしい女性が一人、離れの方に歩いて行く。

せっかくなので私たちの注文もお座敷に運んでもらうことにした。


いわゆる古民家で、精六さんはその家の造りをしきりに懐かしがっていた。

現在のご実家は彼が中学3年生のときに移り住んだ新家屋で、それまでは明治初期か

江戸時代に建てられた家に住んでいたという。

お風呂は五右衛門風呂で、シャワーというものは都会にしか無いと思っていたそうだ。彼にとっては縁側が懐かしさの象徴らしく「夏は全部窓開けるねん」と嬉しそうに話してくれた。


そんな夫のノスタルジーにはあまり興味がなかった。

だってここは天川村だ。ずっと行きたかった、あこがれの地なのだ。


運ばれてきたおぜんざいは黒糖仕立てで、精六さんの好みには合わなかったようだ。

何も食べてないんだからお餅だけでも、と2個入れてもらった餅を1個ずつ食べて

ほっこり温まる。

私は今からお参りする天河大辨財天社のことを想像したらワクワクが止まらず

中学の時に観た断片的な記憶を精六さんに話し始めた。


ちょうどその時、また一人お座敷にお客さんが入ってきた。

女性一人、である。

今このお座敷にはそれぞれの女性一人客と、私たち夫婦の4人である。

そんなに狭くもない座敷だったが、今入ってきた方は私の真後ろに座った。

本当の真後ろで、彼女の背中の温度が感じられるくらいである。

ほかにもまだ席の選択肢はあるのに、なぜ、そこ。

まぁ、そんなのは特段気にし続けるものでもなく、彼女が座りたかったところが

たまたま私の横だったということだろう。

彼女の席からも縁側の窓越しにススキが綺麗に見える。


おっと、そうそう。真後ろに人が来てビックリしたけど、さっきの話の続きね、

そういって私は精六さんに「天河伝説殺人事件愛」を小声で話し続けた。

小声でもわりと声が響く。この居合わせた女性二人が不快になってはいけないので

意識してひそひそと話しかける。


「天河神社、って思ってたけど本当はあんな名称だったんだね~」

から始まり、映画出演の俳優陣の話になった。

精六さんはそもそもその映画を観ていないし、タイトルだけは知っている程度の知識だから何を言っても「へぇ~」「ふぅん」とうなずいてくれる。


「いろんな人が演じてるけど、私はやっぱり〇〇さんの印象が強いわ~」


私がそう発言した瞬間だった。



明らかに、空気が、変わった。



何も知らず、ほがらかな顔で相槌を打つ夫・精六。

彼を取り巻く空間がピリピリしている。


私は少し震える手でスマホを手に取る。


検索バーに「天河伝説殺人事件」と入力する。


検索結果に、息を飲む。


今おぜんざい食べたら餅が喉に詰まりそう。


落ち着きを取り戻すため、ぬるくなった珈琲を一口すする。


そして、精六さんに最上級の小声で話しかけた。


「あの・・・私、めっちゃ記憶違いをしてたみたいで・・・




探偵、金田一耕助じゃなかっ・・た・・・」




そう、「天河伝説殺人事件」の主人公は内田康夫先生の書く

「ルポライター・浅見光彦」だ。

それを私は(今となっては何故か)横溝正史先生の「私立探偵・金田一耕助」の

事件として精六さんに説明していたのだ。


お座敷に居合わせたお二人がアサミストかどうかはわからないが

私の


「いろんな人が演じてるけど、私はやっぱり

古谷一行さんの印象が強いわ~」


の一言で、たぶんものすごく、ものすっごく驚かれたのではないだろうか。

そして「違ぁぁうぅ!!!!」と心の中で壮大にツッコまれていたのではないか。

そうでないとあそこまで張り詰めた空気にはならないだろう。


精六さんは優しいので「誰にでもある間違いやろ」と笑ってくれたが、

是非来たいと思って満を持して来てコレである。ありえない。

どんくささ、ここに極まれり。


ちなみに、私たちはそこからさらに4時間ほど空腹と戦うことになる。

洞川温泉でもほとんどのお店が営業時間外、もしくは定休日で食べ物に

ありつけず、自動販売機のコンポタで凌ごうと思ったら「あったか~い」飲み物

ゾーンは準備中で買えず、市街に入って途中に寄れるお店も何軒かあったけれど

精六さんのお眼鏡に叶わず、走って走って走って、橿原市まで戻ってきたところで

「すき家」に入って牛丼を食べた。

和歌山に行き、奈良に行き、ようやく食べたのが、すき家の牛丼。

私たちらしい休日であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

精六さん 辻川果実ーエッセイー 辻川 果実 @381yuko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ