Ⅳ 見えない道(花嫁の父の独白)

帆尊歩

第1話 見えない道

今。

この時間。

娘の結婚式と、披露宴が行われている。

僕はぼんやり椅子に掛けて、窓の外を眺めた。

この座り心地の良い椅子は、美咲と選んだ物だ。

美咲が僕に対して言った、ほぼ唯一の我が儘だったかもしれない。


娘が結婚をして、何かが終わったと言う感じがしている。

義務を果たしたという思いではない。

寂しさだ。

娘とは十五歳しか離れていない。

初めて美咲に紹介されたときの娘の顔を、今でも忘れられない。

そこにあったのは新しい父親に敵対する思いでも、拒絶する意志でもなかった。

ただそこにあったのは、大いなる戸惑い。

十歳の娘には処理しきれない現実だったのだろうと思う。

娘の父親は、娘が五歳の時に病気で亡くなった。

その後、母親の美咲とたった二人で暮らしてきた。

だから、僕を見たとき、記憶が薄いのか、前のお父さんとか、この人はお父さんじゃないと言う思いはあまりなかったようだった。

そもそも父親は仕事人間で、いつも家には美咲しかいなかった。

娘が寝た後に帰ってきた父親は、娘が起きる前に仕事へと出掛けた。

休みの日も、接待ゴルフなどで家にいないことが多かった。

「昔から、母子家庭のような物だったのよ」と美咲は笑いながら言った。

美咲は僕の会社の取引先の担当者だった。

夫が亡くなった時、娘が小学校に上がる歳だったので、何とかフルタイムで美咲は働けた。

でもいつも笑っていた美咲だったが、やはり辛かったんだと思う。

会社の人間には弱音が吐けない。

僕の胸で泣いた美咲。

どれほど辛かったのだろう、十歳も年下の男にしか、すがれなかった孤独。

そして僕らは、結婚を前提に付き合うようになった。

いや前提と思っていたのは僕だけで、美咲は、子持ちの自分が重荷なのが分かっていた。

歳も十歳も下だ、僕のことを考えると、僕と付き合うのは僕のためにならない。

そういう風に僕の事を思ってくれたくらい、美咲は僕を愛してくれた。

そして僕も。

もう僕らは離れられない所まで来ていたのだ。

美咲は付き合えば、僕が自然と離れて行くだろうと思っていた。

でも美咲に誘われてこの家に来て、三人で食事をすると、僕は初めて家族の団らんを感じた。

僕は両親を早くに亡くし、兄妹もいないから、二十五歳にして天涯孤独だった。

それを寂しいと思ったことはなかったけれど、この家に来て一緒に食事をすると、美咲と娘がキャッキャ言いながら笑い合っている。

その姿をぼんやり眺めて。

これが家族団らんなんだと思った。

後に美咲は、若くしてこんな姿を見せつければ、ここではないどこかで、自分の家族団らんを作りたいと考えて、離れて行くだろうと思っていたらしい。

逆効果は全く逆だったが。


そこからは全く見えない道だった。

人生なんて一寸先は闇、なんて言うけれど、越えなければならないハードルはあまりに多く、その道は、全くどうなるか分からなくなった。

まず美咲の親、兄妹たち、何しろ僕は美咲よりも十歳も下だ。

そして娘のこと。

美咲の親戚、親や、兄妹は、娘共々どこかに後妻に入るのが一番良いと考えていた。

だから十歳も下の男と結婚するということに、僕に何らかの下心があるのではと疑っていた。

まあ無理のないことだ。

それから五年後に今度は美咲が亡くなった。

ここで娘をどうすると言うことになった。

親戚達は、僕と娘を引き離すことが様々な角度で必要と考えた。

僕の本当の娘なら問題はなかっただろう。

いくら自分は、十年かけて親子という関係を築いたとしても、親戚から見れば僕らの関係はいびつな関係だったのだろう。

僕は親戚達の前で自分の娘として育てると公言した。

後押ししたのは、誰が娘を養うと言うことだった。

どこの親戚にも、今更十七歳になった娘を養う余裕はなかった。

その上娘は、僕と暮らすことに拒否反応は示さなかった。

そして十年が経ち、今日という日を迎えた。


結婚式が近づくと、美咲の兄妹達に呼び出された。

結婚式は欠席して欲しいと言うことだ。

何をバカなと初めは思った。

でも娘達は親戚達ともこれから付き合っていかなければならない。ここで僕が我を通して、後々二人の親戚との関係が悪くなることは避けたい。

様々な関係の時期はあったが、娘とは十八年間の生活がある。

それをもらっただけで、僕は満足だ。

娘婿とだって、何度も食事をして、二人切りで酒を飲んだことだって一度や二度ではない、これ以上何を望む?

望む物なんか。

たかが結婚式に出ないだけで、娘達が親戚と良好な関係を築けるなら、お安いご用だ。

美咲に出会わなければ今だ僕は独身だったかもしれない。

家族なんて物も知らず、歳を重ねて、孤独であることの認識も出来ず、同じように窓の外をぼんやり眺めていたかもしれない。

たった一人で、窓も外を眺めるという状況は一緒でも、何もかもが全然違う。

今は宝物がある。

それは決して、行方不明なんかではないのだ。

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