第7話 嫁のマズイ飯が原因で、取っ組み合い?

 で、飯田町は中坂下の馬琴ちゃんちにお世話になった北斎さん。と、ここまではいいんですけど、馬琴ちゃんの嫁のこさえる飯がマズイんですよ。

 嫁の名前はお百さんってェ名前なんですけど、下駄屋の娘だから教養はゼロ。インテリゲンチャの馬琴ちゃんとはまったく性分が合いまへん。しかもヤキモチ焼きで、のつくケチ女ときたもんだ。


 ご飯といえば、お茶碗スリきりで、それに香ノ物、すまし汁のように薄い味噌汁という一汁一菜の定番メニュー。たまに、お頭つきのちっこいメザシが顔を出せばいいほうという、ネコまんま同然のシロモノでござんした。


 そんな日々がつづいたある日、北斎さんが言いました。

「オイラ、かつての養い親の叔父の年忌法要に行かなくちゃなんねえ。ちょっくら松坂町の中島家に行って、お線香をあげてきやすぜ」

 そこで、義理がたい馬琴ちゃんは、「これは些少ながら、ご仏前に」と香奠こうでんを手渡します。


 松阪町の養家までの行き道で、フト香奠の中身が気になった北斎さん。白い半紙の包みを開けると、二朱金が二枚。

「ひえーっ。馬琴の野郎、ビンボーな割には、てえしたもんだ。これだけのおゼゼがありゃあ、柳橋あたりで鰻丼も天麩羅も食い放題よ。つまらねェ法要なんかヤメタ、やめた」

 てんで、日頃のネコ飯の恨みを晴らすため、滋養をつける「薬食い」ってのを思い立つってェわけですよ。


 柳橋の料理屋ですっかり満足した北斎さんが、飯田町に帰ると、馬琴ちゃんは相変わらずの仏頂面で文机の前に正座して執筆に余念がありません。

 で、北斎さんも「じゃ、オイラも仕事でもすっか」と、筆をとる前に、何気なくフトコロの半紙でぶぶっと鼻をかみ、その汚い半紙をポイと脇へ放り捨てました。


 その半紙をジロリと横目で見た馬琴ちゃん。思わず、額に青筋を立てて怒鳴りました。

「鉄蔵(北斎さんの本名)、それは香奠包みの半紙じゃァねえか。なんで中島家にあるはずの香奠包みが、ここにあるんだよ」

 北斎さん、こりゃ、しまった!迂闊だったと思っても後の祭り。

 馬琴ちゃん、北斎さんの顔色がこわばったのを見て、

「よくもだましたね。鉄蔵。このロクでなし!」

 と、手の筆をおっぽり投げ、北斎さんにつかみかかり、てやんでえとビンタ一発。

 

 このときばかりは、喧嘩っ早い北斎さんも、引け目を感じたのか、殴り返さず、神妙にこうべを垂れましたので、大事には至りませんでしたとさ。

 でもね。これは北斎さんが当然ながら全面的に悪いんですけど、お百さんの飯がマズイってことも、原因ちゃ原因なんですよ。まァ、お世話になっている手前、そんなことは口が裂けても言えませんけどね。


 このお百さん、後に長男の嫁と馬琴ちゃんがよからぬ関係にあるのではないかと疑い、

「ええっ、ワタシャ、死にますよ。庭の井戸にドブンと飛び込んで、死にますよ。そのほうが、何かとご都合がよろしいでござんしょ。長男の嫁と義父の二人が、コソコソ珍々ちんちんかもかも、よろしいじゃござんせんか。死んで、うらめしやーと出てきますからね」

 などと毒づき、馬琴ちゃんを散々手こずらせますが、この辺の話は、また機会があればってェことにさせてください。

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