第2話  あたりき、車力、車引き

「ええいっ。じれったいね。瑣吉っつぁん、もちっと、ズズ、ズイッとこっちへおいでな」

 遠慮がちに手前でためらう馬琴ちゃんを蔦屋重三郎が手招く。

「へえ」


重三郎さんが馬琴ちゃんに向かって、アゴをしゃくった。

は、いまはうちで手代をしていますけどね。もとは京伝きょうでんセンセイの弟子なんですよ。いわば戯作者の卵、うちの秘蔵っ子でしてね」

 京伝てェのは、その当時のベストセラー作家(戯作者)山東京伝のこってェゲスよ。質屋の道楽息子のこいつがまた遊び人でね。吉原のくるわ通い大好き。で、ご帰宅あそばすのは、月に5日もあればいいほう。夜ごと、お女郎さん遊びに忙しいのって、なんのって。あげく、二度も馴染んだお女郎さんと結婚なさる、なんとも粋なお方でありんす。


 ――へえ、こいつが噂に聞く、京伝の弟子か。にしては変な顔してやがるぜ。

 北斎さんは、紹介された馬琴ちゃんの顔をまじまじと見た。

 見れば見るほど、変テコリンな顔である。まだ20代の若造のくせに、ちんまい顔にやたらシワが多い。しかもひょろっとせてビンボーたらしく、口をに固く結んで、「こんな世の中、何が面白いんでえ」ってな顔つきだ。


 ――こんなマジメくさった野郎が、ホントに、あの遊治郎ゆうやろうの京伝の弟子か。信じられねェ。

 という思いが北斎さんの脳裏をかすめた瞬間、重三郎さんの声がした。

「でね。北斎さん。前借りってなワケなら、よござんすよ。あたしゃ、これでも江戸日本橋に蔦重ありとチョイとは知られた男だ。前借り、ああ、いいじゃないの。幾らでも出そうじゃないの。でもね。毎度、毎度の前借りの前に、チクとは仕事もしてもらわないとね」


 この重三郎さん。もとは吉原遊郭の引手茶屋の息子で、「吉原の水で産湯うぶゆをつかいやしてね、へへっ」ってェのが大の自慢。しかも、金はたんまりあってイケメン、剛腹ごうふくなもんで、お女郎さんにモテモテ。ま、そのうち、重三郎の出世ばなしもあとで書きますからね。お楽しみは、へへっ、これからでござんすよ。


 北斎さんは「チクと仕事してもらわないとね」と、重三郎さんから釘をさされ、大きくうなずいた。

「わかってまさァ。こちとら、右や左の旦那さまなんてェこもっかぶり(乞食)じゃァねえんで。仕事するのは、あたりき、車力しゃりき、車引き。で、なんの仕事をすればいいんですかい」

「黄表紙をね。この瑣吉っつぁんと一緒に手がけてもらいたいんですよ。で、うちの耕書堂から売り出すってェ寸法でさァ」

 

 黄表紙ってェのは、ページをめくるたびにおもしろおかしい絵と文がつづられた娯楽本、いわば今日の漫画本のハシリみたいな本でしてね。ハナクソでもホじりながら読めるってんで、これが、当時、大ウケの本でごぜえやした。

 で、絵を北斎さんが、文を馬琴ちゃんが担当するってェワケでござんす。


 重三郎さんが北斎さんに紙の束を渡して、ニンマリ笑う。

「へへっ。北斎さんのご同意で、八方丸くおさまりやす。んで、瑣吉っつぁんが書いた本の原稿は、ほれ、もうここに。お題は花春虱道行はなのはるしらみのみちゆきってェ、くだらねえ黄表紙でゲスが、金にはなる。ま、せいぜい気張って、おもしろおかしい絵を描いておくんなせェ」

 これが、馬琴ちゃんと北斎さんのチャンチャンバラバラ、丁々発止、子供のケンカじみた因縁話のスタートでごぜえやす。


――つづく

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