第45話

 初めての事柄に挑戦するならば真似から入るのが順当だ。学びの過程に於ける真似は、最も原始的且つ普遍的な学習の手段である。真似出来る成功例があるのなら真似して基礎を築くに越した事は無く、個性による理解と発展はその先にあるもの――これが過去百五十年でこの国に根付いた教育の思想の一つ。


 そうして個性という家が建たない土台ばかりを乱立させた住宅地の住人達は、自分の家を建てようとする者に鋭く牙を剥いた。この国の人々が立派な住宅を持つ者と土台の上で雨風を浴びる者とに二分したのは、それが理由だ。


 では中間層は完全に消滅したのかというとそうでもなく、雨風や住人達の妨害に遭いながらも土台の上に家を建てようとする者は僅かながら残っている。


 やっとの事で冷凍食品を排除した日の弁当は玄凪にとってどんな絵画よりも美しかった。彼が作れるおかずの種類はまだ少ないが、それはこれから増やしていけばいい。


玄「行ってきまーす」


 返答が無いと分かっていながらする無人の家内への挨拶を、彼は毎日欠かさずにしている。この日は意識的に声を張ったが、初めて手作りだと言える弁当に仕上がったのも影響していた。


 真似といえど手作りなのは事実。彼の個性が料理に反映されるかは今後の彼次第である。


 毎日の様に作る弁当と違い、辞表は辞める意思を丁寧に伝えられればそれで良く、突き詰めるものでもない。儀式張っていて何ら問題は無いのだ。


社長「(一つの辞表を手に)三十年……そうですか。玄凪さんが彼なりの答えなのでしょうね」


営業部部長「――たった一年で辞めていく若造がですか? 信じられないですね。俺にはただ触発された様にしか見えません」


社長「ふふ、そうかもしれませんね。英彦星さんに触発されてかたった一年で辞めてしまう新人さんと、残る事を決めた新人さん――彼等のこれからが楽しみですね」


 それは誰かが繋いだ先にある明るい未来であると、自信を持って言えるだろうか――その答えをいつか得た時に、知らずにいた方が幸せだったとは思いたくない。払われた犠牲として生きていく事を運命付けられた人生があるのなら、そこにある幸せとは知らずにいること。


 知らずして死せば街道、抗えば茨の道。道があるだけ御の字と言ったところだが、この国の人々は大抵街道に収まる。


 知る事は不幸ではない。だが往々にして、知った者は不幸となる。それは分かりやすく人の知的好奇心を満たす「現象」ではなく、漠然とした「真実」として知った者を悩ませるから。今までに茨の道を歩き切った者は歴史上一人たりとも存在しない。


 人の高度な思考力は枷となり得る。果物をもぎ取ろうと伸ばした右手に何故食べられる果実が手付かずで残っているかを問い、街道を外れて藪へ踏み入ろうとした左脚に何故街道が存在し皆そこを通るのか問う――一度填めてしまった枷は死ぬその時まで延々と着脱を繰り返すだろう。だからこそこの世界の人々は神という答えを信じてきた。


 この国に神が必要無くなったのは国民が枷の着脱に慣れたからではなく、枷を填めた事の無い人々が殆どとなったから。良くも悪くも彼等は枷の重みを知らない。


 故に彼等の中でその重みを知った者は、何も知らぬ他者の為の犠牲となる。着脱を繰り返した先に縋る神を見つければ変人として。自力で答えを得れば少数派として。身を投げれば弱者として葬られる。そうして誰にも知られずに、百五十年もの間均衡は保たれてきた。


 そう、彼等の進歩の前に犠牲は常に付き纏っていた。だから――この国の人々は物言わぬ傀儡と化したのだ。


 そうなる事で引き換えに得られたものの尊さは、百五十年前の当国民には計り知れなかった。では今はどうか――それは自国では当たり前の事として、誰も見向きもしなくなっている。


 大人しくしていれば日々は平穏に過ぎるもの。いつの間にか技術は発達しているもの――無責任で無知の赤ん坊は今日も親にあやされて、代わり映えのしない世界を生きている。


 親が赤ん坊に望むのはただ一つ――知ると知らないとに関わらず、中途半端な生き方をしないでほしいということ。親の視点から言えば彼等の二極化も悪い事ばかりではなかった。


社長「――あと五十年ですか(呟き」


営業部部長「何か言いました?」


社長「いえ、何でもないですよ」


 知らぬ者が増えるという事は茨の道を踏破する為の新たな可能性を探る、即ち日の出を迎える可能性が高まるのと同義である。裏を返せば五十年後でそれは時間切れとなり、人々は本当の事を知らぬまま歴史の転換点を迎える。


 正しく親の膝元を離れようとしている一人の赤ん坊の成長に、アスランは期待を抱いていた。



      ―――――――――――――



――とある会社のスタジオ――


 今やライブ一つとっても家にいながら会場を飛び回れる時代となったが、いつの時代もライブの熱狂はそこでしか味わえないものがある。


 現地に足を運ぶ人々と家から参加する人々――両者によりライブが盛り上がればそれだけ収益もあがる。現地の席というだけで軒並み高額という事も珍しくない現代に、前者を切り捨てる先進性を見せようという会社はここくらいのものだ。


 その皺寄せが生じた舞台兼用のスタジオにて、菜乃葉は如何にもアイドルらしい振り付けのダンスを練習していた。もう一人のメンバー――馮阡ひょうせんと共に初舞台へのレッスンを受けている最中だが、菜乃葉の方はダンスについていけていない様子が目立つ。


 菜乃葉はそれまで自身がアイドルとしてスカウトされるなど絵空事だと思っていた。メイド喫茶の客がどんなに持て囃しても謙虚な姿勢を崩さなかった彼女は、自信を包み隠していた訳ではなく単純にアイドルという夢を抱いていなかった。


 そうなりたいが為に努力し業界へ踏み込んだ者と、業界へ誘われて何とは無しにそうなろうとする者――彼女達は簡単に打ち解け合えはしなかった。


 彼女達のユニットはこの会社の一大プロジェクトとして社内から期待を集めていて、それは二人にもそこはかとなく伝わる程に多大なものだった。


 先走り過ぎた会社の命運を社長肝入りのプロジェクトへと託したのだ。社員達が期待するのも無理は無い。どの様な顛末を辿ろうと責任は明白に社長にある――このプロジェクトが失敗に終わったらいよいよ会社が潰れるかもしれないというのに、携わる社員達は気楽そのもの。


 だからこそ、彼女達に伝わる社員の期待は純粋だと言える。それを彼女達がどう受け取るかは扨措き、社員からすれば会社としての利益や現状までもを彼女達に擦り付けているつもりはなかった。


 それが功を奏したのか、ダンスではキレが無くファンサービスもぎこちなかった菜乃葉はボイストレーニングにて自身の評価を挽回した。と言っても彼女は特別音域が広い訳でもなければ、肺活量に長けているという事もない。


 アイドルデビューへ馮阡から遅れを取っているそんな彼女が、素で馮阡よりも輝いていたものがあった。それは声――持って産まれたもの。


 母親からの寵愛を一身に受けて育った一人娘の菜乃葉。幼い頃の彼女は泣き虫で、飛び跳ねてきた蛙を服に付けたまま大泣きする姿は地元集落でも有名だった。


 彼女が泣き腫らして帰宅すれば母親は必ず子守唄を歌って聴かせていた。自身が子供の頃そうしてもらった様に。


 代々受け継いできた子守唄は今、菜乃葉が唯一の歌い手となっている。彼女はいつの日か我が子へ歌うその時まで歌を忘れまいと、風呂に入ってはそれを母への祈りと共に歌っていた。


 愛の結晶である我が子が胎児から成体へと成長していく様――そこにある単純な幸せを歌ったとされてきたこの子守唄。菜乃葉がそれを理解するのに「子育て」という経験はしていなくとも、もう一つの「成長」する経験はした。


 彼女が成長する過程には多くの愛があり、それは歌声に乗せられて彼女の子守唄となる。そして愛に満たされず成長した者が聞けば一層不愉快なノイズとなる。


 馮阡はその歌にただただ黙りこくった。自分から菜乃葉に一曲求めた手前、休憩時間が気の休まらないひと時となってしまったからといって中断する訳にもいかなかった。


 彼女達の船出は積雲集る空の下に。変革の種火は今日もあちこちで燻ぶったまま、その時が来るのをただ静かに待っている。それが自らの代であるとは限らないから、人は時に同じ道を歩んででも確かめようとする程に、意志を後世へと伝えていく事への責任を感じているのだ。

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