第3話 新しい世界? それとも前世?

 私が、

「新し記憶は、他人の記憶」

 という話をした時、氷室が、

「他人の記憶を共有しているような気がする」

 というのを口にしたのを思い出した。

 前世のことを思い出すときに『別れの狂句』が頭をよぎるという言葉を聞かなければ、ひょっとすると、そのまま意識せずに、話をスルーしていたかも知れない。

「そういえば、他人の記憶が自分の中にあるのは、その人と共有しているように思うと言ったのは、どういうことだったんですか?」

「僕も自分の中に他人の記憶が入っているないかって思ったことがあったんですが、それをずっと夢の中で感じたことであり、幻想だったり、妄想だったりと思っていたんです。でも、ある日急にそれが違うんじゃないかって思ったことがあったんですが、その時から自分の中で他人の記憶を感じた時というのは、誰かと記憶を共有しているんじゃないかって思ったんです」

「それはどういう時だったんですか?」

「あれは、中学時代だったかな? 僕には好きな女の子がいて、その子とよく本の話をしていたんです。僕も読書は好きだったし、彼女もよく本を読んでいました。本を読むためによく図書室に行っていたんですが、その時、本棚を真顔で見つめている彼女の横顔をいつも見ていて、そのうちに彼女を見ているだけで、楽しくなってきたんですね」

 彼の言っていることには共感できた。自分にはそういう経験はなかったが、もし中学時代にそういう経験が少しでもあれば、今ほど人と関わりたくないという思いを強く持つことはなかっただろう。

「中学時代には、女の子にはありがちな気がする話ですが、男性にもあるんですね」

「それはそうでしょう。思春期というのは、男性女性どちらにも漏れなくついてくるものですからね。時期は少しずれるかもしれませんが、それも人それぞれというだけで、訪れない人なんていないんでしょうね」

「その通りです。私は時期がずれるというよりも、男性と女性で最初から身体や精神のつくりが違っているので、時期がずれても当たり前だと思っています。男性よりも女性のほうが早熟っていいますからね」

「それは分かります。でも、男性だから女性と同じような行動に出ないとかいう発想は違っているような気がしますよ」

 と、彼は珍しく反論していた。きっと彼には彼なりの考えがあり、考えに基づいて行動していたことを否定されるような発言があった時は、相手が誰であれ、反発してしまうのかも知れない。

――この人も男性としてのプライドのようなものがあるのかも知れないわ――

 と感じた。

 女性から、自分の行動を否定されたような気がしているだけではなく、女性と同じような行動に見られたことが悔しいのだろう。そのことは話をしていて分かったが、私は彼を少しからかってやりたくなった。今まで対等に話をしてきたのだが、私の方が年上で先輩なのだ。いまさらではあるが、そのことを思い知らせてやりたいという悪戯心であった。

「ところで、他人の記憶が自分の中に存在していると、記憶を共有しているような気がしているということなんですか?」

 と聞いてみると、

「いつもというわけではないんですが、たまに共有しているのではないかと思えるようなふしがあるんです。どんな時に、いつなのかと聞かれるとハッキリはしないので強くいえないのですが、僕の中では自分を納得させられるだけの気持ちはあると思っています」

 彼の口から、

「自分を納得させられるだけの気持ちがある」

 と言われると、それ以上言い返すことはできないような気がした。

 私も確かに、自分を納得させられることであれば、他人が何と言おうとも、人に逆らってでも気持ちを自分の中に収めてしまう。もちろん人まで納得させようとは思わないが、自分の中だけで強く思うことを、自分の中での信念として、大切にしておくことに決めている。

「共有している相手とその記憶の中で話をしたという思いは残っているんですか?」

「ええ、残っています。残っているからこそ、共有しているという意識が生まれてくるからで、それがなければ、さすがに共有という意識は持てません。お互いに言葉にしたことが残っているんです。だから記憶だと思っているんですよ」

「というのは、共有したという意識を記憶の中で持っているというわけですか?」

「そういうことになりますね」

「じゃあ、あなたは記憶は共有できても、意識は共有できないと感じていると思っていいんでしょうか?」

「そうですね」

 私は彼に詰め寄るような口調になった。

 それを聞いていて彼は少し訝しそうになったのが分かったが、私としても自分の中に燻っていた意見があったのを思い出しかけているので、ここで彼への詰め寄りをやめようとは思わなかった。

 私がムキになる時というのは、たいていの場合が、何かを忘れていて、それを思い出そうとしていることが多い。何かがきっかけになって、それまで感じたことのないような閃きが自分に迫っているという意識もあるが、どちらにしても、

――ここは譲れない――

 という思いが強かった。

 そんな時は相手に対しての圧力はすごいものだろう。中にはたじろいでしまって、何も喋れなくなってしまう人もいた。

――人と関わりたくない――

 という気持ちがあり、ほとんどの時、自分が考えていることを表に出すことがないくせに急に自分から詰め寄るような言い方になるのだ。相手は溜まったものではないだろう。

 彼は私の様子を見ながらたじろぐことはなかった。そのかわり訝しそうな表情になったのは、ある意味私にとってはありがたかった。たじろいでこられると自分が正気に戻った時にどんな会話をしていいのか分からない。それだけ気まずい雰囲気になってしまうのだろうが、相手に訝しがられる方が、会話は続いていくだろう。最初こそ険悪なムードかも知れないが、お互いに意見を出し合うことでスッキリできるのであれば、それはそれで正直な気持ちのぶつけ合いなので、気まずくなることはないと思っている。実際に今までにも険悪になったことはあったが、その人とはすぐに分かち合えることができ、人と関わりたくないと思っている私に、唯一話ができる人ができた瞬間だった。

 その人は高校を卒業すると専門学校に入ったので、なかなかお互いに忙しく、最近では会うことも珍しくなっていた。しかし、気持ちは繋がっているという意識があることで、会えないとしても、別に寂しいと思うこともなかったのだ。

「ところで氷室君は、記憶の共有をしていると思っている人と面識はあるんですか?」

 訝しい雰囲気ではあったが、私がそれを聞くと、氷室は表情を和らげて、すぐにさっきまでの顔に戻っていた。

「いいえ、面識はないですね。面識がないから、記憶が共有できるのではないかと思っているくらいです。面識があると、記憶を共有していたとしても、まさか知り合いの記憶と共有しているなどとは、なかなか思えるものではありませんからね」

 と、少し余裕のある顔でそういった。

「そうですか。実は私はあなたと少し違った発想を持っているんですよ。いや、違ったというよりもある意味ニアミスなのかも知れないですね」

 と私がいうと、

「どういうことですか?」

 彼は、

――もう訝しい表情になることはないだろう――

 と言わんばかりのその顔には、好奇心が溢れていた。

 彼の顔で一番煌びやかな表情をする時は、

――この好奇心に溢れた表情なのだ――

 ということを私はその時、初めて感じた。

 私は少ししてやったりの表情をしていたかも知れない。

「あなたは記憶の共有をしているその人と、意識は共有していないと仰っているんですよね?」

「ええ、そうです」

「じゃあ、私は逆なんですよ。私は他の人と意識の共有はしているけど、記憶の共有はしていないと思っているんです。だから、ニアミスだって言ったんですよ」

「なるほど。でも、それって誰もが感じていることなんじゃないかって思うんですが、違うんでしょうか?」

「そうかも知れませんが、私のは他人が感じている思いとはまったく違っていると思っています」

「それはどうしてですか?」

「もし、他の人も同じであっても、他の人はそのことを意識していないと思うんですよ。無意識にであっても、きっと誰も意識していないと思うんですよね。世の中には意識していないことでも無意識に意識していることが多いと思います。逆に無意識にでも意識していないことは結構レアなケースだと思うんですよ。だから、そういう意味でも最初からずっと意識している私と、無意識にでも意識していないだろうと思う他人とを一緒にしないでほしいと思っています」

「なるほどですね。それでさっきの質問の意味が分かりました」

「というと?」

「あなたは、僕に対して記憶の共有をしている人と面識があるのかって聞かれましたよね?」

「ええ」

「僕が面識がないというと、それが当然だとでもいうようなドヤ顔に見えたんですが違いますか? それはあなた自身が僕と正反対の感覚を持っていて、人との意識の共有なので、当然相手は顔見知りのはず。つまりは、正反対だということを、自分にも納得させたいし、僕とその点での意識を共有させたいと思っているわけですね」

「ええ、でも、この場合の意識の共有は、意図してのことなので、私が感じている人との意識の共有というのとは別物ですよ」

「それは分かっています。そうでないと僕の意見との正反対の発想ではなくなりますからね」

「ええ、そうです。あくまでもここにいる二人の間での意見の論争になっているので、お互いの発想が相手の意見を刺激しあうことが大切になってきますよね」

「その通りだと思います。僕もあなたとここで今日、こうやって意見を戦わせることになるなど、想像もしていませんでした」

 その言葉を聞いて、私は少し呆然とした。

――私は、相手は特定できなかったけれど、今日誰かと意見を戦わせるような気がしていた。そして、相手も私と同じように、相手が誰かは分からないだろうが、意見を戦わせると感じていたはずだ――

 と思っていた。

 だから、私は人と意識の共有ができていたのではないかと思った。今日話をすることが予知できた時点で、ほとんど面識のなかった相手を前からずっと意見を戦わせていた相手だったかのように思う気持ち、それが私の中にあったのだ。

 それと同時に私は高校時代まで一緒で、専門学校に行った意識を共有できていると思った友達。彼女のことを思い出していた。

 ほとんどが読書に対しての自分の感想だったが、次第に私の中で、彼女の話が私とダブってきていることに気づいていた。そして、さらに親密になってくると、私に向けられていると思ったその気持ちが、実は自分の中にも向けられているのではないかと思わせたのだ。

 そう思うことで私は、

――彼女とは、意識を共有することができる――

 と感じるようになった。

 ただ、感じるのは、その時の彼女の意識だけであって、過去に記憶された意識はすでに過去のものとして封印されていて、刻々と変わっていくであろう意識に取り残されないように必死について行ったような気がしていた。

 必死についていくのだから、当然過去の記憶などに捉われるわけにはいかない。その思いが、

――意識は共有できるけど、記憶は共有できない――

 と感じたのだ。

 つまりは、記憶として格納される時、お互いの性格の違いが露呈する。それは当然のことであり、他の人が感じている意識とは、深さが違っているのだ。

 もし、他の人は意識は共有できるが記憶は共有できないという思いを持っていたとしても、そこには深い意味はない。私のように、意識への思い入れが強すぎて記憶にまで気が回らないという発想を抱くことはないだろう。

 それだけに、彼の意見は私にとって斬新で新鮮であった。しかもまったくの正反対の意見であるにも関わらず、私にはニアミスに感じられてしまう。まるでそばにあるのにまったく誰にも気づかれることのない路傍の石であったり、次元が違っていることで、姿すら見えないという異次元の発想に繋がっているような気がしているのはおかしなことなのだろうか。

――意識と記憶――

 言葉のニュアンスは近いものがあるが、まったく別物である。しかし、それをニアミスのように思う私は、ひょっとすると氷室という後輩とこういう会話を近い将来することになるという意識をずっと持っていたかのように思えた。

「記憶や意識を共有するというのは、どちらかしかできないんでしょうね」

 と私が言うと、

「その通りだと思います。だから、人と共有しているという意識がないのかも知れないですね」

「私は、普段から人と関わりたくないという思いをずっと持っていましたので、何かを他人と共有しているということに違和感を感じるんですよ。だから、意識の中だけで感じていると思っています。さっきの意見とは矛盾しているんですが、あなたとお話していると、なぜか矛盾も正当化されているように思えてならないんです」

「ひょっとすると先輩は僕の意識を介して、他の人と意識を共有できるのではないかと考えているんでしょうか?」

「あなたを介してというよりも、あなたの意見を自分の中で咀嚼しているうちに自分の意見として生まれてきたものだと言えるんだと思います」

「人と関わりたくないと思っている人でも、関わりたいと思える人もいるということですか?」

「そうかも知れません。特に自分の中で暖めてきた考え方を否定も肯定もせずに、お互いの意見を戦わせることのできる相手というのは、生きていく上で必要なんじゃないかって思うんですよ」

「もし、そんな相手がいなかったら?」

「その人は自分の中だけで結論付けることになるんでしょうね。でも、私はそれも一つの正解だって思うんです。自分の中にもう一つの仮想の自分を作り出すことができる人であれば、問題ないってですね」

「僕もそれは感じますが、でも、自分の中にもう一つの仮想の自分を作るということは誰にでもできることだと思っています。でも、人と関わるとそのことを意識しなくなり、頭の奥に封印してしまおうと無意識にしてしまうのではないかと思うんです。少し飛躍した考えではありますが、冷静に考えると、これも間違いではないと思いませんか?」

「そうですね。自分にその意見を納得させるのは、自分だけでは難しいですが、あなたから言われて、私も納得できるような気がします」

「あなたは、あくまでも人と関わることを自分の中の信念としているようですね」

「ええ、そうですね。だから、さっきの話題にも出た『他人との共有』という発想は、どこか違和感があるんです」

「じゃあ、他人の記憶が自分の中にあるという発想は?」

「その発想は否定できないんです。本当は自分の意識の中で否定しなければいけないと思いながらも否定できない考えなんですが、それでも新しい世界を考えた時に他にも創造してみた夢であったり、記憶喪失によるものであったりといういろいろな考えを複合することで、説明しようと自分に言い聞かせているのかも知れませんね」

「本当にそうでしょうか?」

 彼は少し何かを考えて、自分に言い聞かせるように俯き加減で、私に対して話をしているようで実は自分に問いかけているようにも思えた。

「えっ?」

 私は彼の言葉に驚いたというよりも、彼の挙動が自分の想像の域を超えていることが意外に思えたのだ。

「あなたは、やっぱり人と関わりを持ちたくないという思いが一番にあって、そこから考えが付随しているように思えるんです。だから話を聞いていて、分かりやすい部分と、分かりにくい部分がハッキリしていて、総合的には僕にとってあなたは、分かりやすい人という意識を持っているんです」

 彼の言葉は難しく感じた。さっきまでの話は、

――私にしか理解できない話だわ――

 と感じるほど、彼のことを分かっているつもりだったが、急に分からなくなった。話の内容が難しく、どう解釈していいのか分からなかった。

 しかし、冷静に考えればすぐに分かることだった。

――私のことを直接口撃していることで、私は彼に対してひるんでしまっているのかも知れない――

 と感じた。

 少しの時間、何も答えられないでいると、彼も言葉をなくしてしまったかのように黙り込んだ。だが、その視線は私を見つめていて、決して何を口にしていいのか分からないから話をしないのではないということは分かった気がした。

 静寂を破ったのは彼だった。

「あなたは、『新しい世界』という発想を持っているんでしょうね。それは僕たちが創造している世界とは別の世界で、誰も考えたこともない世界を自分の中に作り出そうという発想からスタートしているんでしょうね」

「ええ、自分でもそう思っています」

「あなたはそれを当たり前のように思っているけど、僕は少し違います。世の中に存在している世界。これは今まで誰も見たことのない世界であっても同じなんですが、創造神のようなものがあって、その神がそれぞれの世界を作り出したというイメージを持っています。それは神話の世界であり、神話の世界は宗教に深く結びついている。僕たちはそれを普通のことのように意識の中で感じているんですが、あなたはそうではない。創造神というものを信じているかどうかは分かりませんが、新しい世界というのは、自分の意識が作り出したものなんだって思っていると感じています」

「まさしくその通りですね。あなたや他の人の感じている世界というのを、私は信じてはいるんですが、それは私が考える新しい世界とは別物なんです。他の人が作り出したもので、それが漠然としたものであれば、私はそれを新しいものだして認めたくはないと思っています。しかも、私はその世界に行ったことがあると思っています。記憶には残ってはいないんですけどね。だから、誰にも話せないし、話してしまうと、行ったという事実すら自分の意識の中から消えてしまいそうで、それが怖いです」

「そして、あなたはそのことを、自分だけのことだと思っていなかったんでしょう?」

「ええ、自分だけではなく、他の人も自覚していることだって思っていました。誰もそのことを口にすることはない。だから、口にしてしまうと、自分の存在まで消えてしまうのではないかなどと、子供の頃に感じたほどだったんです」

「先輩は、子供の頃からこの考えを持っていたんですか?」

 彼の表情はまたしても訝しそうに見えたが、私が子供の頃に感じたということに対して、かなり驚いているようだった。

「ええ、小学生の頃からだったでしょうか? 人と関わりたくないという意識を持ち始めた頃とあまり時期的に変わっていないように思っています」

 彼はまた考え込んでいた。

「なるほど、あなたが人と関わりたくないという意識を持ったのは、新しい世界を自分の世界として納得させようという思いの表れだったのかも知れませんね」

「そうかも知れません」

 私は続けた。

「私は新しい世界に行ってきたという意識を持っているんです」

 彼は一瞬、考え込んだが、

「それは意識なんですか?」

「ええ、意識です」

「子供の頃に感じたことであれば、かなり昔のことのはずだから、意識ではなく記憶ではないかと思うんですが?」

「ええ、もし、それを記憶として感じてしまうと、今度は記憶として封印されてしまうのが怖かったんです。記憶には封印が存在しますが、意識には記憶へ移行することはあっても、封印されることはないと思うからですね」

「ずっと頭のどこかで考えていたかったということですか?」

「ええ、考え続けることはなかなか難しいですが、意識し続けるというのは、そこまで難しいものではないです。でも、あまり意識し続けすぎて、頭がオーバーヒートを起こしてしまうと、今度は、記憶を通り越して、封印から目覚めることのない記憶喪失に陥ってしまいかねないとも思っているんです。だから、普段はあまり意識しないようにしてきたんですが、話をする相手がいると、意識し続けることも難しくはないと思えるようになりました」

「そうなんですね」

「ええ、私は自分の作った新しい世界には時系列や、スペース、そして、新しい世界を動かそうとする力は存在しないのではないかと思っています。だからこの世界はあくまでも自分だけの世界であり、人が関わることはないと思っています」

「でも、新しい世界が意識されたものであるとすれば、僕は輪廻のようなものを感じます」

「どういうことですか? 輪廻というと繰り返しているということですよね。それは自分の前世や後世で関わってくるということでしょうか?」

「違います。あくまでもあなたの一生の中で輪廻しているということです。現実世界で生きている場合は、言葉通りの『一つの人生』、つまり『一生』なんでしょうが、自分の作りだした世界は、一つとは限りません。あなたのいうように、時系列やスペース、動かそうとする力は存在しないと考えると、同じタイミングで新しい世界が重複することはないと思えます」

「そうですね。だから皆新しい世界に行くことができても、記憶の中にも意識の中にも存在しないのだから、誰かに言われるのではなく、自力でこの世界を創造することができない限り、もし存在していても、何も残らないんです」

「では、もしその世界の記憶が残っている人がいるとすればどうですか? あなたには信じられることですか?」

 と彼が私に訊ねた。

 私はここでは自分の意見をいうことはできるが、答えを出すことはできないと思うのだった。

「私には信じられません。私のように意識をしている人間でも、新しい世界から戻ってきたという意識が残っているだけで、向こうの世界の意識や記憶はまったくない。戻ってくる時に消されたのか、それとも、自分がわざと記憶を残さないようにしているのか、分からなかったです」

「それはきっと、あなたが新しい世界を繰り返しているからですよ。それは輪廻のようなもので、時系列が存在しないので、同じところを何度も繰り返している。だから戻ってきてから意識がないんですよ。同じことを繰り返しているという意識は、あなたにとって認めることのできない事実なんじゃないかって思ったんです」

「あなたは、記憶があるんでしょう?」

「ええ、おぼろげではありますが、記憶があります。何度も同じ発想を頭に抱いて、気がつけば抜けることのできない底なし沼に足を取られていたかのようにも思えました」

「底なし沼ですか?」

「ええ、でも、抜けることのできないものに対して無駄な抵抗を僕はしませんでした。したって結局飲み込まれるんだって、妙に冷静でしたからね。その時に初めて『死』というものを真剣に意識した気がします」

「どのように感じたんですか?」

「僕は、死んだらどうなるという発想よりも、死ぬということに恐怖を覚えました。まず考えたのは、『苦しいんだろうな』、『痛い思いはしたくない』という思いでした。これは誰でも同じことであって、本当ならその次に感じるのは、『死んだらどうなる?』ということでしょうね。でも、苦しみや痛みを想像している間に死を迎えてしまい、決して死んだらどうなるという発想に行き着くことはないんです。そう思うことで、僕は現実世界に引き戻されて、『生きていてよかった』と感じるんです」

「皆そうなのかも知れませんね。私もきっとそう思うに違いないと感じました」

「でもね。生きていてよかったと思うのは、まだまだその時、死を意識していたというのを引き戻された時は覚えているんです。でもそのうちに忘れてくるようになる。この現象って夢から覚める時と同じだとは思いませんか?」

「ええ、そうですね」

「だから、意識の中では、『夢を見ていたんだ』って感じるんですよ。新しい世界を夢の世界だとして片付けてしまう。意識していたことが記憶となって封印されたと思ったとしても無理もないことですよね」

「違うんですか?」

「ええ、この思いは記憶の奥には入りません。だから、封印されることもないんですよ。新しい世界に行ったという意識もなく、結局は記憶にも意識にも残っていない。残っているとすれば、頭の中にある本能にだけかも知れません」

「本能って、頭の中にあるんですか?」

「本能というのは、身体のいたるところに無数に存在していると思います。だから頭の中にあっても不思議はないんだけど、記憶や意識を格納するという特殊な感情ではありません。つまりは、意識しない限り、表には出てこないということです」

「でも、本能というのは、意識の外にあって、無意識の中で起こることではないんですか?」

「それは無意識を意識とは正反対のもので、意識と隔絶している思いがあるからです。ここでいう無意識というのは、決して意識の外にあるものでありません。むしと、無意識は意識の中の一種だと考えることができるような気がします」

「今のお話を聞いていると、まるで本能と意識は切り離せないもののように聞こえてくるんですが?」

「ええ、その通りです。本能は意識の上に成り立っているものだって、僕は思っています。なぜなら、誰もが本能を持っていて、記憶をなくしても、本能が生きているので、普通に生きていくことも可能でしょう。記憶がなくても、本能という意識があることで、その人にとっての新しい世界が開けていくんですよ」

「じゃあ、新しい世界を意識できる人は、本能をずっと意識している人だっていうこともできますよね」

「ええ、その通りです。新しい世界も本能とは切り離せない世界なんですよ」

「そうなんですね」

 私はまた少し考えた。

「でも、どうしてそんなに苦しいことばかりなんですか?」

 と私がいうと、

「それは夢に似ているところがあると思うんですが、あなたは夢から覚めて覚えているt夢というのは、どういう夢ですか?」

 急に夢の話に変わってしまった。

 私は、夢の世界の話と、彼が言っている前世の話とは切り離して話をしていたつもりだ。それは彼自身が切り離して話をしているからで、私との意見の一致から、否定をすることはなかった。

 しかし、今なぜここで夢の話になったのだろうか? 私には少し腑に落ちない感覚だった。

 私はここまで来て、話に駆け引きを混ぜる気持ちにはなれなかった。素直に答えることがお互いの意見を融合させて、真理に近づくのではないかと思ったからだ。

「私が夢を覚えている時というのは、怖い夢を見た時がほとんどですね。あなたが今それを聞くということは、あなたも同じということでしょうか?」

「ええ、なかなかこんな話をできる人というのはいないもので、親友でも相手の性格によっては、冷めた目で見られることもあるでしょう。特に親友にそんな目で見られたとすれば、二度とこの話題を出すことはない。他の人に対しても同じことで、自分の中で封印してしまうことになるでしょう」

「人に話せないことの中には、相手にされないと思うこともあるでしょうけど、それはあまりにも突飛な発想で、相手がついてこれない場合なんですよね。そんな時、えてして話している本人は悦に入っていて、相手を置き去りにすることが優越感だと思ってしまう人もいると思います。相手を置き去りにしたことを後悔する人もいれば、優越感の興奮に目覚めてしまう人もいます。人それぞれなんでしょうが、私は優越感に溺れてしまう人のほうが圧倒的に多いように思っています」

「それはきっと、自分が優越感に目覚めているからで、自分が相手の身になって考えた時、共感できるものがあるからなんでしょうね」

「確かにそうかも知れません。私は気がつけば相手の身になって考えていることが多く、それを自覚もしています」

「少しきついことをいうようですが、相手の身になって考える人というのは、優越感に溺れやすいと思います。だから今の先輩の話も、本当は逆で、優越感が先にきているんではないでしょうか? 相手の身になって考えるというのは、相手のためなんかではなく、あくまでも自分の優越感を満たしたいからだと思えてならないんですよ」

 ここまで直球で言われると、本来なら、顔から火が出るほどに恥ずかしい思いをするはずなのに、彼から言われると、そこまで恥ずかしいとは思わない。

 彼には自分の気持ちを見透かされているという意識があるからなのかも知れないが、彼と話をしていると、自分の中でだんだん感覚がマヒしてくるような気がしてくる。似たような思いは、今に始まったことではなく、以前から感じていたような気がする。自虐もなければ反省もない。恥ずかしさもなければ、後ろめたさもない。この感覚は右から入って左に抜けてしまったような感じであった。

――何かを考えることは、自分に対しての言い訳になるだけだわ――

 と考えたからだった。

 本当は自分に対しての言い訳を嫌っているわけではない。言い訳をできるだけの理論的な考えが存在していれば、それはもはや言い訳ではないと思っているからだ。

 つまりは自分を納得させることができれば、それは言い訳ではない。他の人が見て言い訳だと思ったとしても、それは他人の意見であって、鵜呑みにする必要などない。

 私が人と関わりを持ちたくないと思った理由の中に、

――まわりの人は自分よりも優秀なんだ――

 という思いがあったからだ。

 まわりがいうことはすべてが正しい。自分にいくら言い聞かせても、それはすべてが言い訳でしかないと思うようになると、自分自身で自分を引き篭もりにしてしまう。

 それが私の中学、高校時代だった。

 その間に、いろいろなことを考えていた。人の意見が一切関わっていないので、偏った考えではあったが、たくさんの人の意見が混同しているわけではないので、理屈としては筋が通っている。

 いろいろなことをまわりの人に相談する人は、まず相手が一人ということはない。よほど気が置ける相手で、信用でもしていない限り、普通であれば、たくさんの人の意見を参考にして自分の意見を組み立てようとするだろう。

 だから、なるべく自分と気が合う人の意見を参考にしようとする。

 それは間違っていないのだが、どうしても自分に近い人ばかりを参考にしようと思うと、人それぞれに性格も違えば意見も違っているだろうという当たり前のことを忘れがちになってしまう。だから、それぞれに違った意見を言っているのに、同じような意見だと錯覚してしまうだろう。

 元々意見が違うのに、それを強引に同じなのだと考えようとすると、まとまる思いはまとまらず、それどころか、永遠に交わることのない平行線を描くことになるのだ。

 それをその人は、

「考えがもう一度、一周して同じところに戻ってきた」

 と思うことだろう。

 しかし、一周しているわけではなく、最初からその場所を動いていないだけなのだ。そのことを誰が分かるというのか、本人が分からなければ、誰も分かるはずもないのだ。

 私は自分の意見を人に押し付けることも、人から押し付けられることも一番嫌いだった。それが両親に対して感じた思いであり、

――いくら親だからと言って、人に自分の意見を押し付けてはいけない――

 と思うようになった。

「何言ってるの。あなたは私の娘。他人なんかじゃないじゃない」

 と言うだろう。

 しかし、個人の考え方という意味では、いくら肉親でも他人である。

「血が繋がっているのよ」

 いわゆる遺伝子が親から子供への考え方を遺伝させているのだとすれば、それは何も言わずともちゃんと遺伝しているはずである。それをこれ見よがしに、親としての意見を子供に押し付けられたのであれば、それはただの押し付けにしかならない。特に血が繋がっているのだから、誰よりも相手の気持ちや考え方が分かるのだとすれば、わざとやっていることを億劫に感じることだろう。

 言葉では、

「私はあなたの親だから、あなたのことは一番分かっている」

 と言っているが、何も言わずとも分かるであろうことを、わざわざ口にして億劫に思われるのであれば、そこには反発しかない。

 私はその反発を親にも分かってほしいと思ったが、親の立場になってしまうと、それも無理なことなのだろう。そういう意味では、

――大人になんかなりたくない――

 という思いが頭の奥に潜在しているのを、今までに何度も感じていたのだ。

 私が彼との夢の話からそんなことを思っていると、彼にも何となく分かったのか、

「前世を僕が知っている気がすると言ったでしょう? でも、それは誰の前世なのかって分からないんですよ」

「それはあなたの前世ではないんですか?」

「僕は最初、そうだと思っていたんだけど、最近では違うかも知れないと思うようになったんだ。やはり、夢であったり、記憶喪失によるものであったり、他人との意識や記憶の共有を考えていくと、だんだんと自分の前世なのかどうか分からなくなったんだ」

「それは不思議な感覚ですね」

「ええ、でも、分からなくなったことに疑問を感じるということはないんですよ。それよりも、どうしてそれが前世なのかという意識を持っているかという方が気になるところではありますね」

「確かにそうですよね。何かの確証がなければ、夢だったり、失っているかも知れない記憶だったり、誰かと共有しているものだったりしているのかも知れないからですね」

「でも、僕の中では前世という意識が一番しっくりくるんですよ。でも、さっき先輩の話を聞いていて、先輩のいう『新しい世界』という概念が、この世界を前世とは違ったものとして再度考えることができるのではないかと思うようにもなりました」

「どうしてですか?」

「私が考えている前世というのは、元々、同じ感覚を何度も繰り返しているので、記憶や意識がないまま、次の世代に受け継がれているものを、何か特別な状態から、覚えてしまっていたのだって考えました。でも、さっきの話の中で、あなたの創造した『新しい世界』は、一生の中で何度も繰り返しているという意見を聞いた時、僕は前世の存在の有無を別にして、『新しい世界』の存在をこの僕が僕なりに証明したのではないかと思ったんです」

 彼の意見は、突飛ではあるが、自然な感じがした。私の中で納得できたのかどうか分からないが、彼が納得しているということは分かった。その上で、私が彼の話に引き込まれていくことに快感を感じていた。

――なんて気持ちいいのかしら?

 快感というと、外部から自分の敏感な部分を刺激されたり、甘い言葉を掛けられたり、心と身体が一緒に悦びを感じることで発散される自分の中にあるホルモンのようなものだと思っている。

 私は、二十二歳になった今では処女ではない。ここで相手が誰だったのかという野暮なことを口にすることは控えるが、最初に感じた快感が、次第に自分の中で変わってくるのを感じていた。

「快感って、成長するものなんだろうね」

 相手の男性がそんなことを口にしたのは、きっと私の反応が最初に比べて変わってきたからだろう。

 後にも先にも彼と一緒にいて、これ以上の恥ずかしい思いはなかった。それは自分も気づいていなかったことを相手に指摘されたからだ。それ以外のことは、言葉に出されても想定内のことであり、恥ずかしさはさほど感じなかった。初めて感じた恥じらいに、私は本当の快感をその時に感じたのだと思っていたのだ。

 初めての相手の愛撫はしなやかだった。彼の指は私の敏感な部分をどうして知っているのか、ピンポイントで私の中から、まるで幽体離脱のような快感を与えてくれる。

「初めての相手があなたでよかった」

 と、私は次第に彼に溺れていくのを感じた。

「君にとっての僕は、僕にとっての君と同じさ」

 その言葉を聞いて、

――私以外の女性なら、彼の言葉の意味を分かるはずなどないんだわ――

 と感じ、彼が自分にとっての運命の相手であると私は確信していた。

 しかも、彼は私の身体だけではなく心までも満足させてくれる。

――エクスタシーって、こういうことを言うんだわ――

 自分がこんなにエロチックな考えを持っているなど思ってもみなかった。普段から理詰めで考える私は、彼とのエロチックな関係も理詰めで考えていた。

 ある程度までは考えられるのだが、肝心なところから先は、曖昧にしか考えられない。私はそれを、

――神聖な領域――

 と感じ、彼との時間がすべてだと思うようになっていた。

 しかし、ちょっと考えれば、肝心なところから先が曖昧なのは、相手の作戦であり、私に自分の領域に入りこまないようにさせるテクニックだということに気づかなかった。

 その中には、彼に自分が溺れていたという考えもあるが、理屈っぽい自分がエロチックな発想にまで理詰めを持ち込むことはないという考えがあったからだ。曖昧にしか考えられないのは、本来であれば相容れない二つのエロチックな部分と理屈っぽさを一緒にしないはずの私がしてしまったことに原因がある。

 私はその時、自分の感じているようなエロチックさと理屈っぽさが相容れない考えだということを誰も信じていないと思っていた。

 しかし、実際にはそんなことを考えているのは自分だけだった。

――どうしてこの期に及んで、他人のことなんか考えたのかしら?

 人と関わりたくないと思っているくせに、人と比較するなんて、自分らしくない。そんな感情に気づいた時、私はいつの間にか彼から遠ざかっていた。

 その時の彼というのは、実は昔でいう「女たらし」であり、甘い言葉や身体から発するフェロモンで、女性を虜にすることが得意だった。まんまと私も引っかかったわけだが、結局二人は、

――水に油――

 だったのだ。

 私は傷つくこともなくその男と別れられたが、そのことを知っている人は誰もいないだろう。

――なかったことにしたい記憶――

 と感じてはいたが、彼から教わったことは少なくなかった。

 快感について、そして女性としての性についても、彼から教わったと思っている。途中の過程はどうであれ、私には快感がどういうものなのかということを残してくれた彼に、ある意味感謝してもいいのだろうと思っている。もちろん、別れた彼が今は別の女性を追いかけているか、あるいは、すでに誰かと快感の真っ最中なのかということは分からないが、私のことなど、忘れてしまっているに違いない。

――意外と私のような女の方が、記憶に残っているのかも知れないわね――

 と、勝手な想像をしてみたが、氷室と話をしていて、まさかその時のことを思い出すなど思ってもみなかった。

――しかも、快感という意識からだなんて――

 と、思わず恥じらいを感じたが、それも一瞬のことで、すぐに恥じらいは抜けていた。氷室はその時、私に何を感じたのだろうか?

 私は少し考える時間を求めた。コーヒーを飲みながらいろいろ考えていると、少し自分の考えが纏まってくるのが分かった。

「私は、やっぱり新しい世界を生きていたいと思っています」

「それはどういうことですか?」

「あなたは、自分の前世を覚えているという話をしていましたが、それは今とはまったく違った人格なんですよね?」

「ええ、そうです。そして、僕が人間から人間に生まれ変わることができたことで、自分の前世を覚えているんだと思っています。もし、前世が人間でなければ、前世の記憶なんかないと思いますからね」

 私は、その意見には反対だった。

「そうでしょうか? 私は覚えているんだって思います。もし前世が人間でなかったとしても、意識はあったはずです。たとえば路傍の石でもそうだと思います。人に踏まれたり蹴られたりしたとしても、その意識はあったと思うんです。ただ、それを記憶が無理にでも封印しているだけなんじゃないでしょうか? それに同じ人間が前世だったと思っている人もたくさんいると思います。誰もそのことを口にしないのは、どうせ誰も信じてはくれないという思いから口にしないんでしょう。皆、バカにされたくはないですからね」

 自分がその人のまわりにいる立場であれば、いきなり前世の話などされると、バカにしたくなるのも無理もないと思っている。今は自分が新しい世界を創造しているのでバカにする気にはならないだけで、それだけに余計に、バカにされてしまうという意識が強くなっていた。

「あなたの新しい世界というのは。また違うんですか?」

「ええ、違います。世の中の人は私と同じような新しい世界を創造できる人か、前世を意識している人しかいないと思っています。ただ、ほとんどの人が無意識で、誰かに話題を振られないと、誰も自分が意識していることに気づくことはないんだろうと思っているんですよ」

「それは斬新な考えですね」

「はい。私もそう思います。そう思いますが、私としてはしっくりくるんですよ。私は物忘れという現象や、夢から目が覚める時に、誰もがその夢を忘れてしまうという現象に着目してみたんです。つまり忘れるということは、覚えていたくないからではなく、何かの力に支配されてのことではないかと思うんです」

「そこに前世と新しい世界が絡んでいると?」

「ええ、前世の場合は、生まれ変わると、記憶だけは残っているけど、まったく違った性格の人間になっていると思っています。もちろん、記憶は封印されているので、誰も意識できるはずなどないのでしょうが、新しい世界の場合は、生まれ変わっても意識は残っているし、同じ人間であるということなんです。つまり、自分が一度死んで、もう一度違う世界で生まれ変わるということですね。まったく同じ人間ではあるけれど、環境が違っているので、記憶も意識もまったく受け継がれない。それが『生まれ変わり』という新しい世界になるんです」

「難しい……」

「私は過去の記憶が曖昧な気がしています。でも、前世からの人間は、過去の記憶はウソなのではないかと思うんですよ」

「えっ、じゃあ前世として残っているはずの記憶はウソだと言われるんですか?」

「ええ、だから思い出すことができない。でも、同じようなことが過去にはあったと感じるいわゆるデジャブという現象は、自分の中に残っている『ウソの過去』を自分の中で正当化しようとする思いがもたらしたものではないかと思うんです」

「確かにデジャブというのは、過去の記憶の辻褄を合わせるものだという研究理論を何かの本で読んだことがあります。もしその理論が正しいとすれば、あなたの考えは理にかなっているわけですね」

「そうなりますね。でも私のような新しい世界の人間にはデジャブは存在しないんですよ。ウソの記憶ではなく、曖昧な記憶なので、辻褄を合わせる必要はないんです。放っておけばそのうちに辻褄は合ってくるもので、下手に合わせようとすると、おかしなことになりかねませんからね」

 私は、どうして急にこんなに理解できたのか分からなかった。何かが急に頭の中に降臨してきたのかも知れない。それが正しいのかどうか、自分でも分からない。ただ、私の中で燻っていた何かを、今日、ここで氷室と話をすることで、覚醒したのではないかと思えたのだ。

 私は続けた。

「私は、新しい世界を何度も経験しているような気がするんです。そして、そのうちに元に戻るような気がする。それこそ輪廻と言えるのではないでしょうか?」

「でも、元ってどこなんです?」

「それは難しい発想ですよね。『ニワトリが先かタマゴガ先か』と言っているのと同じだからですね。でも、私は必ず元はどこかにあると思うんです。そうでなければ底なし沼のようなものですよね。底もないのに、どうして沼が存在するのか? という発想ですよ。もちろん、底なし沼などというのは、ただの言葉のあやなんでしょうけどね」

「僕はその話を聞いて、バイオリズムのような発想を感じましたね。心電図のようなカーブを描きながら、三本の線が一箇所で点になるのを見ることができる。そんなイメージが僕の頭の中にあります」

「ということは、この世界と前世という概念、そして私が考える新しい世界という概念の三つが存在し、それぞれ同じようなカーブを描きながら、ある時一つの点になる。それが今だというわけですか?」

「そうかも知れません。でも、それは一つのパターンであって、人それぞれにパターンが微妙に違っていれば、いくつものカーブが存在する。その中でいつ三つが点になるかということですよね。私はでも、それを奇跡のように感じています。つまりは、それぞれの線を描く人が自分のことを理解していて、もう一人の存在を分かっていて、こうやって意見を戦わせることができて、初めて点が形になると思っています」

「じゃあ、今は点として一つになっているんだけど、次の時間には、もう一度三人は分裂して、それぞれの道を行くことになるんでしょうね」

「そうかも知れません。その時に私はあなたへの意識が残っているのか、あなたの中に私への意識が残っているのか、これって別れよりも辛いことだと思えてなりません。『夢なら覚めないでくれ』ってよく言いますよね。まさしくその心境なんです」

 私は自分が今彼と話をしている間に感じたことを思い出していた。

――忘れたくない――

 この思いは彼も同じかも知れない。

 しかし、そう思っていればいるほど、意識は記憶に吸い込まれる。私の中で、

――また会いたい――

 この思いが強く残っている。私が繰り返している新しい世界にも彼という人間はいる。

 しかし、彼ではないのだ。彼は前世から後世へと移っていく人間、私のように繰り返しているわけではない。

――本当に新しい世界と、前世、現世、後世を繋ぐ世界とでは、まったく違っているのだろうか?

 私は、子供の頃の記憶が、またしても曖昧になっていくのを感じていた……。


                 (  完  )

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新しい世界の輪廻 森本 晃次 @kakku

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