第3話 母親の影

 洋一は母親を思い出していた。母親はすでに他界していたが、洋一は高校生の頃から母親に対して敵対心を抱いていて、ほとんど家に帰らなくなっていた。思春期によくある反抗期だと言ってしまえばそれまでなのだろうが、家に戻ってからも確執はひどく、一緒にいる方が却ってまわりの人も息が詰まることだっただろう。その思いを見越してか、洋一は大学を都会に決めて、家を出て一人暮らしを始めた。

 父親もその頃にはあまり家に帰ってこなくなっていて、たった三人の家族は完全に離反していたと言ってもいいだろう。

 父親と母親は、完全にすれ違っていた。もちろん、理由は一つではなくたくさんあったが、その中には洋一の反発も入っていた。しかし、それは結果論であり、洋一が母親に敵対するようになったのは、両親のすれ違いが原因でもあったからだ。

 すでに高校入学の頃には両親の確執は表に出ていた。高校入試という目標があったので、中学の頃は両親の確執にそれほど意識はなかったが、高校に入学して精神的に落ち着いてくると、両親の確執が次第に精神的に圧迫を始めた。

 最初は、

「何かイライラする」

 その原因を特定できなかったのだが、それはまだ高校入試の後遺症からか、思考することに少し戸惑いがあったのだろう。

 しかし、両親の会話が極端に少ないこと、そして、お互いに目を合わせることがまったくないことに気づくと、凍り付いた空気が家中に蔓延していたのだ。

――どうして、すぐに気づかなかったのだろう?

 それでも一度そのことに気づいてしまうと、二人を憎む気持ちが生まれてきた。

――でも、どっちを強く憎めばいいんだ?

 と考えてみると、その答えはなかなか見つからなかった。どちらも同じように憎むということは、洋一の精神的に耐えられないものがあった。まだまだ子供だからなのだろうか、それとも、思春期なるがゆえなのか判断はつかなかったが、どちらを憎むかということを早く決めてしまわなければ、今度はこっちがやられてしまうのだ。

 答えは母親に決まった。

 一番の理由は、

――いつもそばにいるからだ――

 というものだったが、普段は会社にいて憎むにも相手がいないのであれば、これも自分には耐えられないからだった。

 母親とすれば、これほど理不尽なことはないのかも知れない。自分は悪くないと思っているのか、それとも少しは自分が悪いという思いがあるから、お互いに気まずい雰囲気を保ったまま、最悪の均衡を保っているのではないだろうか。

 洋一は、高校時代から母親を目の敵にしてきた。それはまるで軍隊が仮想敵国を持っていないと、士気を保っていくことができないような感覚に似ている。

「特にずっと一緒にいて、一緒にいるだけでストレスを感じるのであれば、目の敵にするしかないではないか」

 と考えていたのだ。

 やり方は単純で、露骨なものだった。血を分けた母親にしかできないことであり、母親だからできるのだと思っていた。

 立場は完全にこっちが上。少しでも相手に弱みを見せるわけにはいかない。ある意味、これもストレスをため込むことになるのだろうが、逆にそれだけ神経を張りつめていなければいけないということであり、自分にとっての活性化にも繋がる。

 活性化は、精神的なストレスを解消させる力もあるが、元々、そんなストレスなどを生むことのない力にもなりうるのだ。

 母親は決して洋一に逆らうことはなかった。洋一はそれをいいことに、母親に対して凌辱的な気持ちになっていった。元々そんな気持ちを自分の奥底に隠し持っていたのかも知れない。

――こんな気持ちは決して他の人に悟られてはいけない――

 自分の中の最大の機密事項であり、父親にも知られてはいけないと思っていた。

 自分の中にそんな恥辱な気持ちが潜んでいたなど、最初は自己嫌悪だった。しかし、それも、

「母親が悪いんだ」

 と母親のせいにすることで、すべて自分を納得させられていた。

 母親に対しての凌辱は、まず、相手を母親であるという思いを消すことから始まり、女であるという思いも打ち消すことだった。

 母親という思いの中に、女としての感情は生まれないと思っていた。もし、生まれるのだとすると、自分では決して許すことのできない恥辱にまみれた自分を許せなくなる思いであり、鬱状態に陥ったら、立ち直ることのできないことになってしまうと思っていた。

 それは昼下がりから夕方にかけての日常の中のことだった。

 両親の寝室に洋一は入り込む。今までは絶対に入ることはなかった。小学生の頃にも決して入ったことのないその部屋。どうして洋一が入りたくないと思っていたのか、母親などに分かるはずもない。

 洋一が小学三年生の頃だっただろうか。彼は見てしまったのだ。

 ベッドで一糸纏わぬ姿でじっと横たわっている父親を、同じように一糸纏わぬ姿で、身体をくねらせながら、父親の身体の上でいやらしく呻いていた。

 もちろん、小学三年生に夫婦の営みなど分かるはずもない。その姿を見た時、

――いやらしい――

 などという思いを抱いたわけではなかったが、それよりも、

――威張っている父親に母親が奉仕している――

 というイメージだけが残った。

 その感情は当たるとも遠からじだったが、言葉以上に、想像していることは実際とはかけ離れていた。

 何も知らないだけに、余計な想像が妄想になっていく。まだ大人になりかかっていない子供ではあったが、下半身がムズムズしたのを感じた。

――何でこんな感覚になるんだ――

 と、自分では何も感じていないはずなのに、身体を反応させた思いは、不快にしか感じられなかった。

 こんな不快な思いをさせる両親をまともに見ることなんか、それからできなくなった。さすがに時間が経てば、だいぶ気持ちも和らいできたが、寝室にだけは入ることができなかった。

――汚らわしい――

 という思いと、自分をこんな気持ちにした元凶が両親にあるというよりも、部屋にあるのだと思いたかった。人を憎むよりも場所を憎む方が、幾分か気が楽だというものだったからだ。

 そんな寝室だったはずなのに、今度は自分が主導権を握り、母親を凌辱していると思うことは皮肉なことだった。

 しかし、子供の頃、寝室をすべての責任にしたことで、自分が母親を凌辱するという行為を、

「この部屋のせいだ」

 と思うことで正当化できるのだった。

 寝室には、父親が隠し持っていた「女を凌辱するおもちゃ」があった、まさか母親も、自分の息子にそんなことをされるなんて、最高の凌辱に違いない。

「これは、俺をこんな気持ちにした母親とこの部屋に対する復讐なんだ」

 と思っていたが、今まで憎んできたことのなかった父親がそんなものを隠し持っていたなんてという信じられない思いが、今度は自分の中に、昔からあった父親の変態的な性格が乗り移ったような気がした。

 だからこそ、この部屋は余計に興奮するのだ。

 母親を凌辱し、最高の羞恥を与えることが自分にとっての復讐だと思っていたが、実際にはそうではなかった。

 最初こそ、恥辱に塗れて、今にも自殺してしまいそうに困惑した表情を浮かべていた母親だったが、その奥に、凌辱に対しての自らの本性が見え隠れしているのに洋一は気づいてしまった。

――いや、最初から分かっていたのかも知れない――

 分かっていて、わざと母親の羞恥の表情に興奮していた。

――このまま凌辱に塗れさせれば、俺の心境はどんな風に変わっていくだろう?

 その思いを確かめたくて仕方がなかったのだ。

「いや、やめて、こんなこと……」

「何言ってるんだ。悦んでいるくせに、この淫乱女」

 と、罵声を浴びせる。

 そのたびに、耳を真っ赤にして耐えている母親。少しは罪悪感が生まれるのではないかと思った洋一だったが、まったく浮かんでこなかった。むしろ、もっと恥辱に塗れた言葉を言わせたいという思いが溢れてきて、自分がどれほどの変態なのか、思い知ることになった。

――これは、母親だけに見せる一部分で、本当の自分ではないだけではなく、自分の身体を使って、誰かが操っているのかも知れない――

 とさえ思えた。

 だから、このことを記憶の奥に封印することはさほど難しいことではなかった。洋一自身、

――何かの弾みで思い出すんだ――

 と感じるほど、自分の中の消すことのできない汚点であるという自覚はあるのに、どこか他人事のように、簡単に記憶の奥に封印することができたのだ。

 洋一は、母親を凌辱しながら、何を想像していたのだろう?

 確かに、何か他のことを妄想していたような気がする。目の前には恥辱を訴える母親がいるのに、実際にはどこか気持ちは違うところに行っていた。だからこそ、凌辱に対しての罪悪感もなかったのかも知れない。

 だが、見えているのは母親の姿だけだ。時折、

――何て綺麗なんだ――

 自分の母親でありながら、眩しくて妖艶な体の動きに目を奪われる。

――顔は?

 思い出そうとしても、後からではどうしても、その時の母親がどのような恥辱の表情に包まれていたのか、映像として浮かんで来ない。

――こんな恥ずかしい表情を浮かべて――

 と感じたことは覚えている。その感情に外れることのないほどの淫靡な表情は、それを見た時、

――絶対に忘れるはずなどない――

 と思っていたにも関わらず、終わってしまうとまったく覚えていないのだ。

 それは、その時間、つまりは悪夢とも言える夫婦の寝室で、母親に対して息子が凌辱を加えているという事実は別の次元だと思っているからだろう。

 したがってこの事実を洋一は、ずっと隠そうとしてきたわけでもないのに、思い出すこともなかった。下手に忘れてしまおうと感じる時の方が、余計に記憶から封印することのできないものとして頭の中に永遠に残ってしまったことだろう。

 母親を凌辱しているうちに、洋一は自分もこの両親の血が流れているんだということを感じ始めた。子供の頃に見た光景は、高校生になっても生々しく、本当であれば、普通の夫婦の営みだったのだろうが、成長とともに妄想も成長していた。

――あの時の行為は変態行為以外の何物でもない――

 と思っていた。

 結果としては、その通りだったのだが、垣間見た光景自体は、普通のノーマルだったはずだ。

 大人になるにつれて、本当はそのことも分かっていたはずだった。それなのに、妄想だけが成長してしまい、洋一の中で妄想が感情を凌駕していた。

 だが、子供の頃に自分が妄想していたなどということを、洋一は認めたくなかった。少なくとも妄想は思春期を超える時に生まれるものだと思っていただけに、妄想もできない子供の自分に、あんな行為を見せつけた両親が許せないというのが、その時の母親への凌辱行為に繋がったのだ。

 だが、後悔などしていない。むしろ、自分の本性を見極めるという意味では避けては通れない道だったのかも知れない。思春期の妄想は誰もが持っていて、それを行動に移すか移さないかというだけの問題だった。

 行動に移してからということが問題になってくるのだが、母親の悦楽な表情に吸い込まれてしまった自分が、もはや抜けられなくなってしまっていることに不思議な気がしていた。

 もしあの時、母親に対して凌辱的な行為をしていなければ、どこかでその思いを発散させなければいけない。彼女ができて、彼女と普通の関係になることができれば、そんな凌辱な思いを奥に秘めたまま、死ぬまで表に出さずに済んだかも知れない。

 それは洋一だけに言えることではなく、他の人のほとんどは、普通に恋愛して、そのまま妄想してしまった感情を抑えたまま、過ごしていくのだろう。

 もちろん、生きていく上でいろいろな困難にも立ち向かわなければいけない。自分の感情という意味でも、夫婦生活の中でのいろいろなストレスをいかに解消するかが問題になってくる。買い物依存もあるだろうし、浮気や不倫もあるだろう。どちらにしても、神経が妄想やストレスを凌駕することができなかったために起こる問題だった。

 母親に対しての凌辱は、半年と持たなかった。理由は、

「飽きてしまった」

 というのが本当の理由だろう。

 あまりにも刺激的なことで、すっかり嵌ってしまっていた洋一だったが、最初から刺激的過ぎて、それ以上の「ノビシロ」がなかったのだ。

――これ以上の興奮はない――

 最初はその状況に溺れていたが、裏を返せば、

――それ以上を望むことはできず、あとは飽きるだけ――

  ということになるのは、考えてみれば、目に見えていたということであろう。

 そんな母親がどうしてそんな屈辱的な仕打ちを息子から甘んじて受けているのか、洋一の頭の中では、

「しょせん、あの女は母親という仮面をかぶったただの『メス豚』に過ぎないんだ」

 と思っていた。

 自分が、その後彼女もできず、できたとしても、理不尽な別れ方をする羽目になったのは、すべて母親の「メス豚」を知ってしまったからだと思っていた。

 理不尽な別れ方というのも、こっちは普通に付き合っているつもりなのに、

「あなたのような性格の人とはお付き合いできないわ」

 と言われてみたり、別れを切り出されてその理由が分からずに、当然のごとく、

「僕には分からない。どうして別れるなんて言うんだい?」

 というと、相手の女性はキレてしまい、

「あなたのそういうところが理由なのよ。どうして、そうやって相手に答えを求めようとするの? 自分で分からないとでもいうの?」

 と言われ、すっかり相手に主導権を握られてしまったことに憤りを感じながらも、どうしていいか分からない自分の情けなさも一緒に感じていた。

「ああ、分からないよ。どうして、僕が分かっていながら分からないふりをしなければいけないんだ」

 分からないから聞いているのに、あたかも分かっていることのように言われると、洋一の方もイライラしてきて、キレてしまう。

「そうよ。そこなのよ。あなたは、そうやってムキになるでしょう? それはすなわち分かっている証拠なのよ。自分で分かっているということを自分では認めたくない。自分の中でだけで完結していればそれで済んだのかも知れないけど、他人から指摘された。だから、あなたには耐えられない苛立ちを感じているのよ。今あなたがキレているのだって、どうせ自分では分かっていないつもりなんでしょう?」

 まさしく図星だった。

 彼女のいう通り、洋一にはなぜ自分がそこまで苛立っているのか分からなかったが、彼女から言われたことがいちいち棘があり、胸の奥に深く突き刺さってくることまでは分かっていた。

――結局、自分の気持ちは自分が一番分かっていないということか――

 いつも感じている結論に落ち着いてくる。

――自分の姿ほど、鏡のような媒体を通さないと見ることができない――

 という結論である。

 その女とは、それからすぐに別れたが、付き合い始めた時は、

――この人ほど、俺のことを分かってくれている女性はいないんだ――

 と思っていた。こちらが何も言わなくても相手が気を遣ってくれて、先に用意してくれていることも多かった。

――この人なら、一緒にいるだけで至れり尽くせりだ――

 と思いながら、いっぱい甘えたいという気持ちも強く持っていた。

 しかし、その時、自分が甘え下手であることに気づかなかった。母親への蹂躙で、自分の本性に気づいた洋一は、自分が尽くされる方ではなく、自分中心でなければ我慢できないということまで気づいていなかった。

 本性に気づいたのだから、あと少しの考えで辿り着くはずの発想なのに、この距離が何とも遠いことか、その時の洋一には気づくすべを持っていなかったのだ。

 洋一は、自分の中にあるS性に気づいていたが、S性があるからと言って、甘えん坊な性格ではないと思っていなかった。性格に多重性があってもいいと思っていたのだ。

 その証拠に、大学に入ってからの洋一は、自分が二重人格であるという意識を持ったことがある。

――世間一般には二重人格はあまりよくは言われないが、俺はそうは思わない。一つの身体に複数の性格が混じっていてもいいではないか。それを使いこなすことさえできれば、これ以上素晴らしいことはない――

 と思っていた。

 そして、自分はそれを使いこなせると思っていた。なぜなら、それまで自分の性格に気づいていなかったのに、何も問題なく過ごしてこれたからである。実際にはまわりの人に多大な迷惑を掛けたり、自分本位をまわりがフォローして気を遣ってくれていたから、っ問題にならなかっただけなのだ。そのことに気づかなったことが、女性との恋愛において、大きな枷になってしまっていた。

 それでも、

――どうして自分が異性にモテないのか? そして、自分が分からないことを、まわりは分かっていて、どうして分からないのかと聞くのか?

 ということをずっと悩んでいた。

 そんな中で、一人の女性から言われたこと、

「あなたは分かっているはずよ」

 という言葉は、さらに自分の考えを複雑にしてしまった。

――ひょっとしたら、時間を掛けて考えれば自分でもおのずと分かってくることなのかも知れない――

 と思うようになり、ゆっくりと考えていこうと決めた矢先に、今度はまったく違った発想を思い浮かべさせるような発言をする女性がいた。

 しかも、彼女は自分が一番安心して付き合える相手、つまり気を遣ってくれている女性だと思っていたのだ。

 それなのに、最後のこの仕打ちは、

――可愛さ余って、憎さ百倍――

 だったのだ。

 どうして彼女がそんなことを言うのか、洋一なりに考えていたが、やはり、

「あなたは分かっているはずよ」

 という言葉が引っかかり、自分で分かっていることでも、表に出してはいけないことを自分の中に抱えているからなのかも知れないと思うと、それまで別世界の出来事のように思っていた母親への凌辱が自分の中にあることを思い出した。

 それこそ二重人格のもう一つだと思っていたのだが、自分ではそれをうまく使いこなしているように思っていた。

 つまり普通の時の自分が表に出ている時は、母親を蹂躙している自分は完全になりを潜めている。そして母親を蹂躙している時も、普段の自分はなりを潜めているのだ。それこそ、

――二重人格をうまく使いこなしている――

 と言えるのだと思っていた。

 今から思えば、半分は正解で半分は間違った考えだったのではないかと思えた。

 確かに、一人が表に出ている時、もう一人を内に隠すということは難しいのではないかと思っていた。しかも、まったく記憶から消し去ることができるほどになっていた。それは仮にも母親と呼べるような人を蹂躙しても、ほとんど罪の意識を感じることのない自分が、普段はまったく表に出てくることがないからだった。

 ここまでのS性ならば、表に出たいと思う気持ちは十分にあるはずであり、果たして普段の自分にそれを抑えることができるかというと、自信はなかった。それなのに、抑えることはできたのだ。

――いや、抑えることができたわけではなく、Sの自分が自分から表に出ないようにすることができるのかも知れない――

 と思うからである。

 それなのに、女性は洋一の何が分かるというのだろう? 女性だからこそ、洋一の男性には見えないS性に気づくというのだろうか?

 そういう意味でいえば、洋一が別れの原因が分からないというと、

「どうして分からないの?」

 と言われることはまだマシであった。

 女性に、洋一の本性は分かっていないということだと思うからだ。もし、洋一のS性を分かってしまったのなら、明らかに視線が違うはずである。まるで汚いものでも見るような目になってしまったり、

「一時も一緒にいたくない」

 という思いから、連絡を取ることもなく、目の前から姿を消していることだろう。

 だからこそ、洋一には別れの原因が思いつかなかったのである。蹂躙している自分と、恋愛している自分を同じ次元で考えることができなかったからだ。

 しかし、それは冷静に考えれば、実に都合のいい考えである。だからこそ、洋一はいつも何かあった時、

「母親が悪いんだ」

 とすべてを自分の中に流れている母親の血のせいにして、逃げていたのだ。

 そのことを教えてくれたのが、

「あなたは分かっているはずよ」

 と言われたその言葉だった。

 その女性は、決して洋一のことが嫌いではなかったはずだ。ひょっとすると、

――できることなら、別れたくない――

 と思っていたのではないかと思う。

 もし、洋一が、

「俺に気づかなかったことがあるなら、理解するように努力するよ。だから、このまま付き合っていけないか?」

 と言っていたとすればどうだろう?

 他の女性には未練がましく、そんな言葉を口にした。しかし、

「今気づいていないんだから、これからも気づくはずはないわ」

 と言われるか、

「そんなあなたが信用できないの」

 と言われるかのどちらかで、どちらであっても、洋一にはそれ以上の言葉が出てこず、そのまま別れるしかない状況に陥っていた。

 しかし、彼女にだけは、その言葉を口にしなかった。

――このまま別れることになっても仕方がないか――

 という思いがあったわけではない。むしろ、

――別れたくないから、未練がましいことは言えない――

 と思ったのだ。

 そんな洋一の顔を見て、彼女が見せた表情は哀れみだった。

――この顔、どこかで見たことがある――

 一瞬、ドキッとしたが、すぐには思い出せなかった。しかし、彼女が目を切った瞬間、思い出すことができたのだが、

――これは、俺が凌辱している時の母親の表情ではないか?

 この顔を見て洋一は、自分の中にさらなるS性を抱き、さらに苛めたくなるのだった。つまり、洋一に対しての哀れみの表情なんかであるはずはないのだ。

――どうして、まったく正反対の感情を、同じ表情から思い浮かべてしまったんだ?

 確かに相手が違うのだから、正反対の感情を抱くこともありえることだった。だが、それだけで言い表せることであろうか?

 洋一にとって、母親と彼女とはまったく違う感覚だった。

――いや、彼女に対して抱いた思いをいまさらのように思い出すことができるぞ――

 と感じたのは、

――こんな女性が母親だったら、俺の人生も変わっていたかも知れないな――

 と思ったことだった。すぐに打ち消したが、どうしてそんな風に思ったのか、別れを言われて分かった気がした。

――彼女は、一番俺のことを分かってくれているんだ。だから、俺が本当は分かっているんじゃないかなんてことが言えるんだ――

 と思ったからだ。

 それも半分正解で、半分違っている。しかし、同じ半分でも、正解部分の印象が強すぎて、すべて正解だと思えるほどであった。

 母親には、すべてを分かっていてほしいというのが子供が母親に期待する最低限の思いのような気がした。しかし、最低限であるが、一番高いハードルでもある。なぜなら、親には親の人生があるからだ。

 自分の人生を犠牲にしても、子供を育てている親もたくさんいるが、それでも、子供のすべてを分かるなどということはありえないことではないだろうか。せめて、自分が親から受けてきた愛を子供に受け継ぐくらいのものであろう。

 しかし、親の愛情をまともに受けることなく育った子供もいる。そんな子供は、自分が受けるはずだった愛情を思い浮かべて子供に託す。それが理想の親子愛というものではないだろうか。

 それでも限界はある。正直、ここでいう理想の親子愛を貫いている人がどれだけいるというのだろう。洋一は少なくともそんな人がいるということすら信じられない気がしていた。

 洋一は、母親に対しての蹂躙に飽きを感じてからというもの、そんなことをしていた自分が嫌で嫌でたまらなくなっていた。自己嫌悪というよりも、飽きがもたらす思いであり、飽和状態に自分を持っていくと、耐えがたい気分になるのだということを、この時思い知らされた気がしていた。

 洋一のくせで、好きなものはとことんまで続けるというところがあった。

 好きな食べ物は嫌になるまで続けるし、ゲームも嫌になるまでずっと続けたりした。しかし、本当に飽きれば見るのも嫌になる。そんな自分が本当は嫌いだった。

――こんな風になったのも、母親のせいだ――

 と思っている。

 子供の頃、おやつは腹八分目くらいまで食べさせてくれればまだよかったのだが、半分にも満たないくらいしか与えてくれなかった。

「自分で買えるようになったら、腹いっぱい食べるぞ」

 という思いが強くなり、その思いも手伝ってか、好きなものは飽きるまで続けるようになった。

 逆恨みには違いないが、自分では無理もないことだと思っている。これに関しては、同意できる人も少なからずいるだろう。

 洋一は、一人っ子で育った。しかし、実際には妹がいたことを、ずっと知らずにいた。

 知ったのは、四十歳になってからのことで、母親を蹂躙していたあの頃、洋一は気づいていてもよかったはずだ。

 いや、ウスウスは気づいていたような気がする。息子に蹂躙されながら、懺悔していた母親を見ながら、さらにイライラを募らせていた洋一には、その時の懺悔の意味が分かっていなかったのだ。

 妹と言っても腹違いの妹で、父親が外で作った子供だった。

 父親が、どうして他で子供を作ったりしたのか、洋一には分からなかった。母親が洋一によって蹂躙されるようになったのは、ちょうどその子供の存在を知った頃のことで、蹂躙されながら、なぜ懺悔をしなければいけなかったのだろう。

 両親の仲が悪くなり始めたのはその頃が最初だったかも知れない。

――お父さんもお母さんも、何か隠している――

 そう感じるようになり、そのイライラの矛先も、母親に向けられた。まさか、すべての元凶が父親にあるなどとは思ってもいなかった頃のことだ。

 洋一は、妹を見たことがなかった。父親が必死になって隠そうとしているわけでもなく、急に父も母も、妹のことを話さなくなった。元々は、そのことが原因でよくケンカになっていたのに、急にその話題が出てこなくなると、洋一の中で、言い知れぬ不安感が溢れてくるのを感じた。

 妹の母親という人を垣間見たことがあったが、母にそっくりだった。顔の輪郭や表情など、ビックリするくらいに似ていた。どこか不安そうにしている姿が、父親の気を引いたのだろう。

 その人を見ると、さらに母に対しての苛立ちが増して行った。

――見なければよかった――

 とも感じたが、似ていると言っても、洋一にとって母親の方がよほど綺麗に感じた。それは自分に対して従順な母親の姿を見たからなのかも知れない。

 ただ、洋一が妹の母親を見たのと前後して、母親が少し変わったように思ったのは気のせいだろうか?

 洋一に蹂躙されながら、どこか自分の世界を持っているように思えた。最初は、そんな素振りは一切なかったのにである。

――一体、どうしたんだろう?

 と、少し不安にも感じたが、すでに母親を蹂躙している時は感覚がマヒしていて、自分の思考をすでに凌駕していた。

 その女を見てから、母親を蹂躙している時、罪悪感のようなものがあったような気がする。元々、

――罪悪感などあれば、こんなことはできるはずがない――

 と思っていただけに、自分の中にある罪悪感にビックリさせられた。

 しかし、罪悪感とともに、違った感覚が湧いてきていることに気が付いた。

 それは今までに感じたことのない、まったく新しい感覚で、

――大人に近づいた証拠なんだろうか?

 と感じたが、本当は感じたくない感覚であると思った。

 大人になるということはいいことばかりではない。むしろ、ロクなことがない。ウソはつくし、自分より弱い人間には高圧的になるが、強い人間には卑屈になる。悪いことだと思っていても、してしまうこともあるだろう。大人に対してはそんな感覚が強かった。

 ただでさえ、母親に対しての蹂躙は、自分勝手な妄想が招いたことであるのは分かっている。

 やめられないのは、自分のせいでもあるが、母親のせいでもある。

――母親は、蹂躙されることを悦んでいる。そんな母親を息子としては見るに堪えないと思っているくせに、蹂躙することをやめられないのは、自分にも同じ血が流れていると思うことで、母親を見ていると、本当の自分が見えてくる――

 と思っているからだった。

 だが、それも都合のいい解釈だ。何をどんなに弁明しようとも、母親を蹂躙しているという事実から逃れることはできない。最初は軽い気持ちだった。もちろん、蹂躙するに至っては、

――自分に正直にならなければ、何も先が見えてこない――

 と思ったからで、母親から本音のようなものが聞ければそれでよかった。

 しかし、本音が聞けるわけでもなく、自分の言いなりになっている。そんな姿を見ていて、苛立ちを覚えてきた。

 最初に苛立ちを覚えたから、母親を蹂躙したのだと思ったが、苛立ちを覚えるまでに、段階があったのだ。母親を蹂躙している時、たまにそのことを意識することがあるが、すぐに忘れてしまう。やはり、興奮は自分の精神を凌駕してしまっているのだった。

 母親に感じた苛立ちは、考えてみれば奇妙なものだった。

 なぜ、母親を蹂躙しようなどと考えたのか、母親に対しての苛立ちの理由が分かれば、自分で納得できるだろう。

 しかし、理由など分かるはずはない。苛立ちも、母親に対しての蹂躙も、理由なんかないような気がしていた。

 しいて言えば、

「何か、見えない力に誘導されている」

 と言えるのだが、そこには見たことのない妹の影が見え隠れしているようで、洋一を悩ませた。

 それは母親も同じことのようで、蹂躙する者、蹂躙される者、立場は違えど、見つめている先には同じものが見えているに違いない。

「お母さんも、妹を見たことがないのかも知れない」

 とも思ったが、

「いや、自らで永遠に見ることのできないようにしたのかも知れない」

 そこまで感じた。

 もちろん、根拠があるわけではないが、父親がその頃からまったく帰ってこなくなり、母親も一切探そうとしなかった。二人の間に存在する溝は見えているよりもさらに深く、大きなものとなっているようだ。

 そこに、洋一の存在はなかった。あくまでも夫婦間の問題で、洋一が少しでも入り込む余地があったとすれば、母親を蹂躙しようなどという思いを抱くこともなかったかも知れない。

 洋一は、母親を蹂躙していた時のことを、定期的に思い出していた。二十代の頃には、自己嫌悪を抱きながら、自分の中にあるS性を信じ、怪しいクラブに通ったこともあった。片方では普通に彼女がほしいと願い、片方では、彼女というよりも、自分の本性に正直に生きる方を選びたいという気持ちが、自分を二重人格にしていたのかも知れない。

 三十代も後半になると、彼女がほしいという気持ちは次第に薄れていったが、それと同時に、S性も表に出てくることはなかった。

 陽と陰の性格を持ち合わせていると、どちらかが表に出ている時、どちらかが隠れているというのを想像するが、片方が隠れてしまうと、もう片方も表に出ようとする意志を失ってしまうようだった。

 洋一は、昔博物館で見た裸婦の絵を思い出していた。一人の女性が椅子に座って、じっと前を見ているのだが、その視線はじっと自分を見ている。少し横にズレても、ズレた方に視線が向いている。

「絵の世界というのは、見られるために生まれてきたようなもの。だからじっと見つめていると、絵に命が宿ったかのように、こちらの視線に反応するようになるのかも知れないな」

「見られている」

 という感覚が、見ている人間の視線を凌駕するというイメージであろうか。どこか濃い空気を感じるが、それを感じさせないために、博物館というのは、無駄に広い世界を保持しているのではないかと思うのだった。

 そんな無駄な広い世界が洋一は好きだった。

 別に好きな展示があるわけではなくても、ついつい足が向いてしまう時期があったが、それは無駄な広い世界を味わうためだったのだ。

 自分に妹がいるという話を聞いたのは、本当に偶然だった。母親も父親も、きっと洋一がそのことを知っているとは思っていないかも知れない。

 洋一が中学時代、学校から帰ってくると、洋一が帰ってきたことなど知る由もない両親は、お互いに罵り合っている。聞くに堪えない罵り合いは、まるで子供の喧嘩のようにも見えた。

 どうやら、父親の浮気がバレて、母親に罵られている。父親も売り言葉に買い言葉、言い訳から母親の悪いところを指摘しながら、抗戦している。

 しかし、どちらが優勢かは火を見るより明らかだった。男女の罵り合いは、最初に主導権を握った方が最後まで強いものだ。父親がいくら何を言って言い訳しようとも、母親にはかなわない。父親の声は次第に小さくなっていき、反対に、母親の声は激しくなっていく。

 そんな中で、母親の口から、

「あなたの子供」

 という声が聞こえてきた。

 最初は、何を言っているのか分からなかった。

――僕のことなら、あなたの子供なんて言い方はしないよな――

 もし、そんな言葉を使うのであれば、本当に自分が母親の子供なのか、即座に疑ってしまうに違いないと思った。

 ということは、

――自分のことを言っているのではない。別に父親の子供がいるのだ――

 と直感した。

 それが、浮気相手との間に生まれた子供だということに気づくまで、少し時間が掛かった。

 いや、本当はすぐに分かっていたのかも知れないが、すぐに分かってしまうと、簡単に認めてしまう自分がいるようで、悔しかった。自分の他に、自分の知らないところで弟か妹がいるなど、ピンとくるものではない。

「認めたくない」

 と思う以前の問題だ。

 そのことを思い出していると、以前博物館で見た裸婦の絵は、女性一人だったののではない気がしてきた。

「その裸婦は、子供を抱いていたような気がする」

 そして、そこに描かれた赤ん坊の顔が、どうしても思い出せない。表情はおろか、顔が思い出せないのだ。

――そもそも顔があったのか?

 その絵を不気味に感じ、赤ん坊の存在が頭の中から消えていたのは、その絵に描かれた赤ん坊の顔が描かれていなかったからなのかも知れない。

「顔のない赤ん坊を抱く女性」

 有名な画家による作品でなければ、世に出ることのないシチュエーションではないだろうか。

 その絵を見たのは、自分に妹がいるということを知ってからのことだったのだろうか?時期的には微妙だったような気がするが、知る前に見たのと、知ってから見たのとでは、かなりの精神的な違いがあったように思う。ずっと忘れていたというのだから、知ってから見たような気がする。知ってから見た方が、いろいろな角度から絵を見たような気がして、どの角度から見ても、相手に見つめられているという意識が芽生えたのも、その思いが強かったからなのかも知れない。

 洋一は、母親が父親に対して口走った、

「あなたの子供」

 という言葉と、博物館で母親に抱かれている子供の姿がダブってしまった。一度ダブって想像してしまうと、その想像はとどまるところを知らない。きっと、いろいろ想像してみたに違いない。

 その結果が、顔のない赤ん坊の絵だったのだ。

 結果的に、一度も見ることのできなかった妹の顔、永遠に見ることができなくなったことを知ったのは、母親が父親を罵っていた時から、さほど経っていない時だった。

 それを知った時の母親の表情が何とも言えない複雑なものだった。目は一点を見つめていて、それでいて、挙動が定まっていない。

 その時の母親の顔が洋一の頭の中に焼き付いてしまった。もし、その時の顔を知らなければ、洋一は母親を蹂躙しようなどと思わなかっただろう。思ったとしても、行動に移すことはない。なぜなら、その時の母親の表情は、隙だらけだったからだ。

 子供の洋一から見ても、どこをどういじくっても、好き放題にできるような気がした。その思いが洋一の中の本性を呼び起こしたのだ。

 もっとも、母親の蹂躙されたいという意識は、裏を返せば、子供にS性を遺伝させるものだったに違いない。二人の性格はまるで磁石のS極とN極が対になっているようなものだ。

――元々一つだったものが、二つに分かれたんだ――

 二つのものが一つになったり、一つのものが二つに分かれたりするのも、元は一つだったという発想から生まれたものなのかも知れない。

 そうやって、洋一は自分の行動を正当化させてきた。ただ、母親を見ている限り、悦んでいるのは間違いないようだ。だが、それは自分の行動を正当化させるものではあるが、自分を納得させるものではなかった。

 この違いに気づかない洋一は、自己嫌悪を抱くことのない自己否定へと、突き進むことになる。感覚がマヒしてしまっていることで、そのことに気づいていなかったが、気づいた時には、母親が何をしたのか、洋一にとって、

「後戻りできない出来事」

 として、記憶の奥に封印された。

 封印が解けるのは母が死ぬ時だった。母が死ぬことを、ずっと恐れて生きてきたのかも知れない。

 洋一は、母親が死ぬ直前、病院のベッドの上で信じられない話を聞いた。今から思えば信じられないという思いもあるが、あの時は、

「何を聞いても驚かない」

 という意識もあった。

「人は、死ぬ前に自分がしてきた悪行を話したくなる」

 というのを聞いたことがあったが、まさにそのことだったのかも知れない。

 三十歳になるまでには、今までに知っている人の死に立ち会ってきたこともあった。

――何べん立ち会っても、この感覚は独特だ――

 子供の頃であっても、大人になってからも、人の死に立ち会うという意識に変わりはない。立ち会うと言っても、臨終の際にそばにいるというだけではなく、死んだという知らせを聞いて通夜や告別式に参加する場合も同じだった。

――参列する人が皆同じというわけではないのに、どうして、まったく同じだという感覚になるのだろう?

 まるでデジャブのようだった。

 ただ、それは人の死というものに対してだけではなく、結婚式の時も同じだった。冠婚葬祭の儀式の時は、それだけ特別なものであり、普段とは一線を画した状況に、まったく同じ感覚を覚えているからなのだろう。遠くを見る時、遠ければ遠いほど、同じ距離に感じられる。それと同じ感覚だと言えはしないだろうか。

――母の死が近づいている――

 医者からは、

「いつお亡くなりになっても不思議のない状態です。皆さん、覚悟だけはしておいてください」

 と言われていた。

 年齢的にはまだまだ大往生というわけではないが、医者から死が近いことを宣告されると、大往生のような気がしてきた。実際にはベッドの上で、まだまだ減らず口を叩けるだけの元気さは残っているが、少しずつ近づいている死の影をリアルに感じていた洋一だった。

 そんな母親の姿を見ていると、何を言われても気にならないように思えた。

「死ぬ間際の戯言」

 として、まるで他人事のようにスルーしてもいいのだが、洋一にはそんな感覚はなかった。

 言っていることは本心なのだろうが、これから死にゆく人だと思うと、すでに死の世界を覗いてきた後での戯言に聞こえる。真剣に聞いてしまうと、自分まで死の世界を覗いてしまったかのように思え、

――自分も死が近いのではないか?

 という錯覚に襲われてしまう。

 死を間近に控えた人の話を、まともに聞いてはいけないと感じた。この思いがあるから、子供の頃も大人になってからも、通夜や告別式の雰囲気は同じ感覚に陥るのかも知れない。

「洋一」

「なんだい?」

 母親が、自分の名前だけを呼んで、相手の返事を待つなど、今までになかったことだった。よほど大切なことを言いたいのは分かったが、

――本当は聞きたくない――

 と感じていた。

 それでも、この状態で逃げるわけにはいかない。覚悟を決めるというべきか、表向きには平静を装っているが、実際には正座をして聞くくらいのかしこまった気持ちになっていた。

「お母さん、いよいよのようだね」

 黙っていると、

「自分の身体のことは自分がよく分かる」

 テレビドラマで死を間近にした人がいうセリフをベタで聞いた気がした。しかし、普段からそんなベタなセリフが一番似合わないはずの母親の口から聞けた、最初で最後のベタなセリフは、それなりに説得力があった。洋一は黙っていたというよりも、返す言葉がなかったのである。

「昔、お父さんが浮気をして、浮気相手に子供ができたことがあったんだよ」

 博物館の絵を見た時と、この話を聞いたのはどちらが先だったのか、今となっては思い出せない。ただ、この話を聞いて、さほど驚かかなかったことだけは覚えている。まるで最初から分かっていたような気がしたからだ。

 返す言葉がなく黙っているのを、母はどう感じただろう。驚きに言葉も出ないとでも思ったのだろうか。

 構わず母は続けた。

「お母さんは、その時、なるべく平静を装うつもりでいたんだ。取り乱さない自信も自分にはあったし」

「それで?」

 相槌を打ったのは、早くその先を聞きたいからではなく、あまり言葉を返さないと、会話の雰囲気が固まってしまうように思ったからだ。こんな時に返す言葉は、相槌を打つしかなかっただろう。

「相手は分かっていたので、お母さん、その人のところに乗り込んでいったんだ。でも、そこで何をしたいとかいうわけではなく、足が勝手に向いていたというべきかしら」

 一度思い立ってしまうと、引き返せなくなるということは往々にしてあるものだ。洋一の場合は、それが今までに何度あったことだろう。そのたびに、

「またやってしまった」

 という後悔の念に駆られるのだった。

 後悔するような同じことを何度も繰り返すのは、あまりいい傾向ではないのだろうが、もし、違う行動を取っても、違う意味で後悔することになるのであれば、同じ行動で後悔した方がいいと思うのも一つの考えだと言えよう。

 母親は続けた。

「その時、まだ彼女は妊婦さんだったんだけど、その姿を見て、『どうしてこんな人にうちの人が』って思って、腹が立ったの」

「そんなに女性として魅力がなかったということ?」

「そういうわけではなく、ものすごく不安そうな表情で、その表情が私にはわざとらしく思えたの。特に眉毛を八の字にして、困惑している顔を見ると、じわじわと怒りが込み上げてくるのを感じたわ」

 完全な逆恨みだった。

 浮気というのは、どちらが悪いのかというのは難しいところだ。ましてや、二人並んで相対しているわけではないので、浮気をされた妻としては、相手の女に対して、無条件で怒りを覚えるに違いない。

 しかも、洋一は母の話を聞いて、

――俺もお母さんと同じ立場なら、きっと怒りを覚えたに違いない。しかも、最高潮の怒りだったかも知れない――

 と感じた。

 相手の女がどんな顔をしていたのかは知らないが、表情の描写を聞いて、想像を膨らませると、どんな顔をしていたとしても、その表情からは怒りしか生まれないと思ったからだ。

――生理的に受け付けない表情――

 というのはあるもので、その時の浮気相手の表情は、まさしくその通りだったに違いない。

 ましてや、寝取られた奥さんという立場に自分を陥れた張本人である相手の表情だというだけで、制裁に値すると思ったとしても、それは無理もないことだろう。

「お母さん、そんなつもりはなかったんだけど、気が付けば、その女の人を突き飛ばしていて、目の前でお腹を押さえて苦しんでいたの。我に返ってからも、すぐには救急車を呼ぼうとは思わなかった。苦しんでいる相手を見下げながら、無表情だったと思うの。それから少しして救急車を呼んで病院に搬送されたけど、その時には、お腹の中の赤ちゃんは生まれてくることはなかったわ」

「お母さんは、それを後悔しているの?」

「そうね、生まれてくるはずだった子供に罪はないと思うと、可哀そうなことをしたと思うわ。でもね、もしその子が生まれてきたとして、不倫の子供なのよ。父親が認知するかどうかは別にして、将来に対して生まれながらにハンデを背負って生まれてくるの。そういう意味では、生まれなかった方がよかったのかも知れないって、私はずっと自分に言い聞かせてきた」

 母親のいうことは、やってしまったことへの正当性を自分に都合よく唱えているだけである。しかし、冷静に考えると、母の言っていることにも一理ある。

「生まれてこなくて正解だった」

 と言える子供もいるのかも知れないと思うと、何とも苦々しい思いがあったが、宿命という運命からは逃れることはできない。ただ、洋一としては生まれてきてほしかった気がする。もし、生まれてきてくれていれば、洋一自身の人生も変わっていた気がするからだ。何の根拠もない考えだが、少なくともたと思える人生をここまでは歩んでこれたような気がしていた。

 ただ、母親は罪の意識はあるかも知れないが、突き飛ばしただけで流産したのだとすれば、犯罪ではないだろう。もし犯罪になっていれば、その時にすべてが露呈していたはずだ。それを今まで隠していたというのは、母親のどういう意識が働いてのことだったのかということが重要に思えた。

――母親の立場だったら、自分ならどうだろう?

 洋一は考えてみた。

 何も言わなかったことで、この事実を自分一人の胸に抱いて、墓場まで持っていこうと思ったのだろう。しかし、罪の意識を持っていたのだとすればそれは、

「時効のない犯罪」

 であり、ずっと自虐の念に囚われ続けることになるはずだ。

 実際に、母親は洋一の高校時代、洋一から虐待行為を受けていた。最初こそ抵抗の意志はあったのだろうが、次第に悦びに変わっていったのだが、そのあたりから、洋一はどこか変だと気付いていたはずなのに、それを意識しないようにしていた。

 それは、まるで母親の罪を知っていて、容認しているようであった。そして、母親の罪を容認するということは、母親と同じ十字架を背負っているということにもなる。

 高校時代に、洋一はまさかそこまで考えていたわけではなかったはずだ。単純に母親を見ていて、苛めたくなった。そして苛めているうちにさらにイライラが募ってきて、自分を止めることができなくなった。

 そのこと自体が洋一にとって、誰にも言うことのできない自分だけの秘密だったに違いない。

 洋一が、博物館で見た絵の赤ん坊がのっぺらぼうだったのも、母親の話を聞いて何となく分かったような気がした。

 だが、ここでもう一つの疑問が洋一の中に沸いてきた。

――どうしてお母さんは、死の間際になって、告白しようと思ったのだろう?

 最初から、このことは墓場まで持っていくつもりではなかったのか。今になって告白しても、それが懺悔になるわけでもない。それとも、死を真剣に意識してしまうと、この世に憂いを残したまま死んでいくことに疑問を感じるようになったのだろうか?

 確かによくテレビなどでは、死の間際に、それまでの自分の罪を、誰にも言っていなかったことを告白するというシーンを見たことがあった。しかし、それはあくまでドラマでのこと、現実には違うと思っていた。

――ドラマになるくらいなので、事実として、死を目の前にした人が懺悔の意味からか、罪の告白をする人がたくさんいたということなのだろう――

 と形式的には考えられるが、洋一の中では納得がいかない。

 もし、死を目の前にした人が告白をするのが少なからずであるとしたとしても、それは懺悔などからではないとしか思えなかった。

――では一体何で?

 その答えは、自分が死を間際にしないと分からない。

 人間誰しも、人には言えない秘密を抱えているもの。それが、罪に値するものであるかどうかは、その人にしか分からない。告白することで、罪に問われるようなこともあるかも知れないが、それでも、死を間際にすれば告白してしまうのであろうか。

 洋一がスナックで見たのっぺらぼうの自分に似た人。ひょっとすると、その人は他の誰も知らない自分の秘密を知っている唯一の人なのかも知れない。

 ということは、誰も口にしないだけで、洋一だけではなく、誰もが一度は自分に似たのっぺらぼうを見たことがあるということになる。

 母親が自分の罪を告白しようと思ったのは死の間際だったが、本当は死の間際だったから告白したのではなく、自分に似たのっぺらぼうを見たことで、自分の罪を告白する気になったのかも知れない。

「じゃあ、俺も誰かに告白したのか?」

 三十代にのっぺらぼうを見てから、罪の意識を再認識したという思いもなければ、もちろん、誰かに罪を告白したという意識もない。

 洋一は自分に、誰にも言っていない秘密がないとは言い切れないと思っているが、ある意味、たくさんありすぎて、どこまでが罪の意識なのか分からないと思っている。母親のように、明確な罪の意識が洋一にはないのだ。

 それだけに、告白するとすれば、誰にするのかも分からない。そう考えてみると、

――俺の存在価値って、どこにあるんだ?

 とまで考えさせられる。

 急に深いところを掘り下げた考えになってしまったが、母親の告白を数十年経ってから思い出してみると、この数十年、何も意識せずに生きてきたということを、いまさらながらに痛感させられた。

 二十年近くの年が過ぎ、洋一は彩名に出会った。のっぺらぼうが母親を蹂躙していた頃の自分であり、女性の顔を確認できなかったのは、妹を殺した母親の誰にも言えない罪の意識が、洋一にのっぺらぼうを見せたのかも知れない。

 二人はお互いに罪を背負ってきた。母親は死ぬことでその罪を逃れることができたのだろうか? 洋一はそのことが気になっていた。

 自分が彩名と出会ったのは、母親が死んですぐのことだったのだが、彩名は自分の運命に何かを感じているようだった。

 ハッキリとは分からないらしいが、親から迫害されていた時期がしばらくあり、そうかと思えば、急に大切にされ始めたという。今では大切にされながらも、どこかよそよそしさがあるらしく、とても親子とは思えない状態に、自分の存在価値に対して、感覚がマヒしてしまっているという。

 その話を聞いた時、洋一は自分が母親にしてきたことを責められているような気がした。――俺は、このまま母親の魂から離れられないということか?

 とさえ感じられたが、今までの自分が感じてきたこと、常軌を逸していたと思っている。コスプレ好きだったり、アイドルに憧れたり、その時はそれを個性だと思い、悪いなどという意識は皆無だった。実際に今も別に悪いことだとは思っていないが、母親を蹂躙していたという事実を思い起こすと、まったく無関係ではないとどうして言えるだろう。

 彩名とこのまま一緒にいることは母親に対しての懺悔でもあるし、彩名も洋一といることで、自分という存在価値を見出すことができれば、それが最高だと思っている。

 彩名は、洋一に対して時々、異質なものを見るような視線を浴びせる。洋一は、それを甘んじて受け止めるが、決して卑屈になったり、後ろ向きの考えになったりはしなかった。むしろ、彩名のその視線は、洋一の後ろに見える誰かを見つめているように感じられた。それが誰なのか分からない。洋一の中では、死んだ母親なのか、それとも母親が誤って殺してしまった妹なのか分からないが、彩名の視線を感じるたびに、自分の後ろには誰かがいて、自分を見つめていると思っている。

 その人が何をするわけでもなく、ただ洋一を見つめているだけだ。きっと、洋一は自分が死ぬまで、その視線を感じ続けることになるだろう。

 しばらくして、彩名は家を出てきた。一人暮らしの洋一の家に上がり込み、一緒に暮らすようになった。

「以前から、こうなるような気がしていたな」

 と洋一がいうと、

「ええ」

 と彩名は答えた。

 それ以上の会話がわるわけではない。下手に会話があると、どんどんしらけていく気がした。

 将棋などで一番隙のない布陣は最初に並べたあの形だという。隙を見せないようにするには動かない方がいい。二人の生活はまさにそんな感じだった。

 気が付けば一日が終わっている。もったいなかったなどとは思わない。何かをしなければいけない一日であるなら、最初から前兆があるはずだった。二人が一緒に暮らし始めてから、前兆らしきものは何もない。二人はまるで親子のようだった。あまり会話はないが、彩名の洋一を見つめる目、そしてそれに対して洋一が返す目、そこに暗黙の了解があり、会話がなくとも、分かり合えるものがあった。

 それでも彩名は勉強を怠らず、目指していた幼稚園の先生になった。

「よく頑張ったね」

 その言葉に涙を流す彩名だったが、ひたすら頷いていた。そこには、今までの自分が味わった過去がフィードバックされて、いろいろなことが走馬灯のように頭を巡っているからなのだろうか。それとも、洋一の言葉を噛みしめながら、自分の思いだけを思い出しているのだろうか。

 洋一には後者に思えて仕方がない。

 今、彩名は目指していたものを手に入れた。そのことで、過去のトラウマや縛りから解放されたのではないかと洋一は思った。そして、そのことが洋一の中でもトラウマになっていたことや縛りまでも解放してくれるエネルギーを与えてくれたように思えてきた。

 洋一は、部屋の押し入れのさらに奥に、シートをかぶせた油絵を隠していた。

 それを表に出してきて、彩名と一緒にシートをめくる。

 そこには、母親に抱かれた赤ん坊がこちらを見ている絵であった。

 かつて博物館で見た絵とそっくりの絵を、洋一は昔購入していた。それは博物館で絵を見る前のことだった。その絵も最初の頃はちゃんと顔が見えていたのに、博物館でそっくりの絵を見た時、のっぺらぼうを感じた。それから家で同じ絵を見ると、やはりのっぺらぼうになっていた。

 それからというもの、押し入れの奥深くにしまい込み、見ることを厳禁としていたのだ。これが洋一にとってのトラウマが形になったものだった。彩名が自分の目的を達成した時、洋一はこの絵を見ようと思っていたが、引っ張り出してきて正解だった。

 ただ、これが終わりではない。スタートなのだ。彩名もこれから幼稚園の先生として頑張っていくことになる。いわゆる

「始まりの終わり」

 なのだ。

 洋一もこの絵の母親と子供の顔を見ることができて、

「始まりの終わり」

 を感じた。

 そして、彩名と二人、これから迎えるものが、

「終わりの始まり」

 であることを実感している。

 洋一は、心の中で死んだ母親に手を合わせた。そして呟いた。

「今日という日をありがとう」

 目を開ければ、隣で彩名も同じ姿勢を取っていた……。


                (  完  )

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始まりの終わり 森本 晃次 @kakku

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