第2話 スナックの女
部下はそのスナックの常連のようで、会社ではほとんど寡黙な雰囲気が一変したのには、さすがにビックリした。仕事場では静かでも、仕事が終われば急に張り切る人は昔からいた。今では死後になっているが、洋一の若い頃には、「五時から男」と言われる人がいたのも事実だ。
高度成長時代から、バブルの時代までは、仕事人間が多かった。バブルが弾けると、今度はリストラの時代に入り、それと並行し、仕事ばかりしかしてこなかった人間の悲哀が露呈し、サービス産業が盛んになった時代があった。
その頃になると、会社としては、経費節減のため、リストラによる人件費削減と、残業をさせないことを考えるようになった。
そのため、仕事人間が趣味に勤しむようになり、
「これからは、サービス産業だ」
と言って、サービス産業が盛んになってきた。
都会のスナックのように、高級な店よりも、場末の大衆スナックの方が景気がよくなったのか、仕事が終わってから、おのおので呑みに行くようになって行った。
他の会社がどうだったのかは詳しくは分からないが、洋一の会社では誤字を過ぎると、皆蜘蛛の巣を散らすように会社を出て、あまり誰かとつるむこともなく、自分の時間を過ごしているようだった。
「仕事が終わってまで、会社の人と一緒にいたくない」
という思いもあるのだろう。
バブル時代のような接待があるわけでもない。しかも、バブルが弾けてからの洋一は、それまでの営業部から管理部へと、部署替えになった。
営業が好きだったわけではないので、ありがたかったが、最初は戸惑ってしまい、何から手を付けていいか分からなかった。
元々営業部と管理部とではどこの会社も同じなのだろうが、犬猿の仲。それまでの自分が正しいと思っていたことも、立場が変われば、正反対の目を持つようになった。
そんな自分が嫌でたまらない時期もあったが、それでも何とか管理部の水にも慣れてきて、
「営業よりもやりがいあるかも知れないな」
と思うようになっていた。
特にバブルが弾けてからというもの、営業活動よりも、内部の切りつめが優先になる。本人の望む望まないは別にして、いつの間にか、会社の重要な部分に置かれてしまっていた。
それから数年してから、社会は目まぐるしく変わる時代を迎える。
「変革の時代」
と言ってもいいのだろうか。
これは、洋一の会社だけに言えることではないと思うが、一般的にも同じであろう。
内部の切りつめがある程度の成果を見せ始めると、今度は、また表に向かって営業を開始する。
時代はサービス業を中心とした時代に向かっていることもあり、営業の相手も以前とは変わってきている。
さらには、バブル時代の教訓もあり、やたらとお金を使うことは禁止だった。
接待なども、基本的には最低限に留められ、今まで営業畑しか知らなかった人間には、大変な時代だった。
「いかに頭を切り替えられるか」
それが、この時代を乗り切っていくための方法であった。
「敵は己にあり」
そんなことを言っていた営業の人もいたが、それがその人の捨て台詞となり、会社を辞めて行った。
「分かった時には、すでに遅し」
だったのだ。
ちょうどその頃、洋一も馴染みのバーを見つけていた。
馴染みと言っても、気が向けば行く程度で、店の人と会話をすることもなく、一人で飲んでいた。
スナックのように、カウンターの向こうに女の子がいて、会話を楽しむというわけではない。バーというと、おいしい料理を食べながら、ゆっくりとお酒を呑むには一番いいところだと思っていたが、まさにその通りだった。
当時洋一は、三十代後半に差し掛かった頃だった。バブルが弾けたツケも、そろそろ収まりかけていた頃だったので、移動になった管理部でも、仕事もだいぶ覚えてきて、落ち着いた頃だった。
本当の忙しさはそれから少しして訪れたのだが、それまで一時の充電期間だったと思えばよかったのだろう。
その期間は、二年くらいのものだっただろうか?
その期間は、結構長く感じていたが、過ぎてしまうとあっという間だったような気がする。
「人生の機転としては大きな時期だったのだろうが、過ごしていた自分はほとんど何も考えていなかったような気がする」
と、後から思えば感じるのだが、
「一番、何かができるかも知れない」
と感じた時期でもあった。
バーでゆっくりしていると、時間が経つのが早かった。他に客がおらず、店に入ってから、勘定を済ませるまで一人だった時と、他に客がいる時とでは、ほぼ半々くらいだっただろうか。客がいると言っても、一人か二人、それ以上の人が店にいたことを、ほとんど見たことがなかった。
――よくこれで店をやっていけるな――
と感じたほどだったが、客が少ないのは、洋一にとっても望むところ。他に誰か客がいたとしても、ほとんど会話はない。注文する時に声が聞こえるくらいで、ほとんどは店内にはBGMが流れている程度だった。
そのBGMも、気にしなければ音楽が流れていることを意識させないほどの音量で、
――俺は、何も考えていないようで、結構ここではいろいろ考えているんだな――
と思わせた。
一人でいる時の方が、いろいろ考えているという当たり前のことを、いまさらながらに思い知ったのも、この店に来るようになってからだった。
BGMの音量も、眠くなりそうなほど静かだった。
確かにイージーリスニングが流れていることで、音楽に対しての意識はない。逆にひとたび意識してしまうと、耳がこそばゆく感じられるほど、音楽に対しての意識が深まっているようだった。
「これがバーの雰囲気なんだ」
夏の暑い日でも、冬の寒い日でも、店内は変わらず快適だった。ただ、急に暑さを感じることがあったのだが、そんな時は、普段何も考えていないつもりでも、やはり何かを考えているのだということを唯一感じさせられる時間だった。
BGM以外でも、自分が何かを考えているということを意識できる時間があるのだと、感じさせられたのだ。
そんなある日、先客がいることに、扉を開けた瞬間気が付いた。後姿から、その髪の長さで、その人が女性であることはすぐに分かった。
バーのカウンターに、女性が一人というのは珍しくもない。またこれ以上絵になるものもない。
カウンターに両肘をついて、無造作にグラスを口に持って行っている。気だるそうな雰囲気に、何を考えているのかまったく想像もつかなかったが、時々ため息をついているようで、あまり気分のいいものではなかった。
――どうせ失恋でもしたんだろう――
と、なるべく女を気にしないようにしていた。
洋一はカウンターのいつもの席に腰かけてから、彼女の方を一度も振り向こうとはしなかった。
洋一の指定席というのはカウンターの一番奥、そして彼女の座っているのは、カウンターの一番手前で、入り口の一番近くだ。だから、扉を開けた瞬間に、その後ろ姿が目に飛び込んできたという寸法だ。
「はぁ」
ため息の感覚が少し短くなってきた。何かを思い出しているのだろうが、ため息は無意識に出ているに違いない。
ため息のたびに口に持っていかれるグラスも溜まってものでもないだろう。せっかく女性が口をつけてくれているのだから、ため息交じりの酒に付き合わされるのは、まっぴらごめんだと言いたいに違いない。
――まるでドラマでも見ているようだ――
元々、洋一がバーを探したのも、一人でゆっくり飲むのにはバーがいいと感じさせたのは、ドラマで見てからだった。
一人で孤独に飲んでいても、それなりに絵にはなる。寂しそうな哀愁を醸し出しているその姿は、後ろから見るのがふさわしい。
――どんな顔をしているのだろう?
想像するのがちょうどいい。下手に最初から顔が分かってしまうと、その表情から、生まれる想像は、範囲が限られているように思う。
「最初の想像は限られていないところで繰り広げたい」
つまりは、妄想したいのだ。
最初は後姿が印象的だった。横に座って顔を覗き込むと、それなりの表情を感じたが、何を考えているのか分からない。思わず顔を背けると、今度は、もう一度顔を向ける勇気がなくなっていた。
すると、最初に感じた、
「それなりの表情」
が、思い出せなくなってしまった。
「もう一度覗き込みたい」
という思いはあるにも関わらず、覗き込んでしまうと、今後、二度と彼女に会うことはないような気がしてきたのだ。
――もし顔を覗き込んでしまうと、そこで満足してしまい、二度と会えないと思っても、別にかまわないと感じるに違いない――
この思いが一番嫌なのだ。
それは、どこか自分の中の諦めに通じるものがあった。
その時、洋一は、自分が何か諦めたり捨てたりしなければ、手に入れることのできないものがあることに気づいていた。そのどちらもハッキリとしないので、
「捨ててでも手に入れる方がいいのか?」
あるいは、
「手に入れるために何かを捨てるのは、リスクが大きい」
と感じるのか、迷っていた。
しかし、洋一は後者だった。
手に入れるために何かを捨ててしまうことが、一番自分の中で後悔することを生んでしまうと思ったからである。
実際に今までの自分の思考パターンは、保守的だったことに気が付いた。
何かをすることで前に進めるにも関わらず、勇気を持つことができずに、前に進むことを敢えて自分で拒否してしまうという結末だ。
洋一は、そのまま彼女の顔を忘れてしまった。彼女と会うことはそれ以上なかったので仕方のないことなのだが、なぜか夢で彼女には何度か会っていた。
会っていたと言っても、話をしたわけでもなく、彼女の笑顔を感じただけだった。洋一はそれだけでよかったのだが、彼女の方は洋一に笑顔を投げかけたそのすぐ後に、何とも言えない寂しそうな表情をした。
洋一は、きっとその時の自分の顔が、
「苦虫を噛み潰したような」
そんな表情だったのではないかと感じたのだ。
好きになった女の子に対して感じたことがある思いだったのではないだろうか?
最初は、
――こんなことを感じたのは初めてだ――
と思ったにもかかわらず、すぐに、
――いや、かつて同じような思いをしたことがあったような――
と感じながら思い出していくと、
――もっとごく最近のことだったように思う――
それはやはり、好きになった人への思いがその時も意識として記憶の中に貼りついていたからなのに違いない。
――こういうのを、「面影」というのかも知れない――
顔や表情を覚えているわけではないのに、誰か似た人がいると、思い出すという構図は、それまでの洋一にはなかったことだ。
洋一が女性を好きになる時、それはその人の顔を好きになるのではないと思っていた。
「その人の顔や表情から、性格を判断する」
という信念だったが、それも、しょせんは顔からの判断だと思えば、自分が信念だと思っていたことが、実際には言い訳だったりする。
だが、それでも自分を納得させることができさえすれば、他の人の誰が何と言おうとも、口にしたことは、
「自分にとっての真実」
に他ならないのである。
――自分は昔、どんな女性が好きだったんだろう?
二十代の終わりに、「昔」という言葉を使うというのも、
「年を取ってきたことを意識しているからだろうか?」
とも思ったが、その時点から見て直近の過去から比べて、自分の中でかなり古い時代のことだと思えば、それは「昔」と表現してもいいのではないか?
そういう意味では、今思い出している二十代末期のバブル崩壊の時代は、洋一にとって、それほど昔には感じられなかった。むしろ、その頃に好きだった女性を思い出すと、まるで昨日のことのように感じられることがあるくらいだった。
しかし、その思いは稀にしかない。バブル崩壊の時代をそんなに古い時代だと思わなくとも、当時好きだった女性を思い起こすと、やはり「昔」という言葉を使っても無理のないように思えるのだった。
自分がその頃に好きだった女性は、バーで知り合った女性ではなかった。ただ、彼女を思い出している時、ほぼ同じ時期くらいに好きだった女性がいるのに、まったく違った時代だったような気がする。
それは同じ時間でも次元の違いを感じさせるような、そんな不思議な気持ちにさせるものだった。
バーで見かけた彼女を最初に正面から見た時、
――昔好きだった人の面影がある――
と感じたが、今の自分が好きになるという気にはならなかった。
別に自分の感じている「昔」と、女性に対しての好みが変わったわけではない。確かに好みの範囲は増えたかも知れないが、本当に好きだと思えるタイプは決まっていると思っていた。
ただ、一つ感じていたのは、
「本当に好きになる相手というのは、普段から好みと思っているイメージと一致するのか、疑わしい」
という思いだった。
一目惚れという言葉があるが、自分も人間なら相手も人間、面と向かって見れば、その表情に輝きを感じ、一目で好きになることもあるだろう。
しかも、それが普段から好みだという意識を持っていない人であれば、なおさら自分が好きになるはずはないという思いから、迷いのようなものが生まれてくるだろう。
「迷いは、余計に相手を深く見させてくれる」
と言えないだろうか?
迷いには、自分の中でのいい面、悪い面、すべてに納得できなければ解消できるものではない。少なくとも、元々自分のタイプとドンピシャの相手であれば、どうしても贔屓目に見てしまい、悪い方の想像はしないに違いない。片手落ちになってしまうことを思えば、納得いくまで相手を見つめるという意味で、すべてを納得した上で好きになる相手であれば、それが最強と言えるだろう。疑いようのない自分の好みとして、自分の中で確立されるに違いない。
洋一にとってその頃から、
「自分の好みは、自分のことを気に入ってくれた人だ」
と思うようにもなっていったが、それも、最初はあまり意識していなかったはずの相手が自分を凝視し、さらに興味を持って見てくれたのであれば、洋一も全力で相手を理解しようとする。その気持ちが無意識に起こってくれば、その時点で、
「恋をしている」
と言ってもいいのではないだろうか。
洋一がその頃に付き合っていた女性は、まさにそんな出会いの女性だったように思う。それだけ新鮮で、初めて、
「恋愛を最初から意識しない恋愛が存在するんだ」
ということを感じた時だった。
彼女との出会いは、不思議なものだった。
最初に意識したのは、彼女の方で、洋一は彼女の視線ししばらく気が付かなかった。
彼女の視線を感じるようになると、今度は彼女の方がソワソワし始めて、彼女を見る洋一の視線を避け始めたのだ。
洋一は、最初こそ、こそこそと気づかれないように彼女を見ていたが、彼女のソワソワした態度に対して苛立ちを覚えた。そのうちに気が付けば、彼女に対しての視線が露骨なものになっていた。
その状態を洋一は楽しんでいた。
「俺って、サディストなのかな?」
と思えたほどで、彼女のソワソワした態度に、?っ気を感じないわけにはいかなかった。まるで自分がいじめっ子になったような気がして、いつの間にか楽しんでいたのだ。
子供の頃の洋一は、いじめられっ子だった。いつも誰かに苛められていて、その理由を考えても思い浮かぶことはない。
「謂れのない苛め」
だと思っていたのだ。
それは子供の頃の自分の考えが浅はかだっただけだ。確かに子供なので、深い考えがなくても仕方がないだろう。だが、その時の洋一は、
「子供だから仕方がない」
と思っていた。
「無理もない」
と思っていたわけではない。「仕方がない」ということは、最初から考えることを放棄していたようなものだ。「無理もない」ということであれば、自分にとってできるだけのことをしても、それでもダメだったということで、自分を納得させることができる。要するに、「仕方がない」という考えは、自分を納得させられるかどうかの問題ではないのである。
そのことから、洋一の口癖は、
「仕方がない」
というようになった。
実は洋一にはどうして苛められるか、少しだけ分かっていたような気がしていた。
――おだてに弱く、すぐに言われるままにしていたのがよくなかったのかも知れないな――
という思いだ。
実際には、半分当たっていて、半分は違っていた。たったそれだけの理由で苛めをずっと受けていたというのはおかしなことで、理由は一つではない。しかも、一つの理由から複数に派生していくから厄介だったのであって、長く続けばそれだけたくさん拡散してしまうことを意味していた。
それでもさすがに、苛めが中学時代くらいまで続くと、苛め自体は自然消滅していたが、
「仕方がない」
という口癖はしばらく続いた。
本人としては、
「このまま言い続けるんだろうな」
と思っていたが、これも不思議なことに、気が付けば言わなくなっていた。高校二年生になった頃には言わないことを自分でも自覚していた。
ちょうどその頃だっただろうか、洋一に好きな女性が現れた。
もちろん、告白などしたわけではない。最初洋一は意識もしていなかったが、相手の視線を感じると、何かくすぐったいものがあった。まさか、それが恋だということも分からずに、スルーしていた。
初恋はそれ以前に経験済みだったが、本人としては、違った意味での「初恋」だった。
「人を好きになるのに、理由なんているんだろうか?」
というのを最初に感じたのがその時だった。なぜなら、自分で納得できる理由がなかったからで、理由を考えるよりも、理由なんかないのだということを自分に納得させる方がはるかに楽だと思ったのだ。
その女性とはお付き合いをしたわけではない。ただ、自分の好みの女性だという意識を持っただけだった。
「もし、相手から話しかけられていたら?」
と思うと、たぶん付き合うことになっていたような気がする。
しかし、逆に性格的に頑ななところがある洋一なので、女性から話しかけられれば、自分のプライドと照らし合わせてみるかも知れない。ただ、それは頑なというよりも、どちらかというと、天邪鬼のようなところがあるというべきであろうか。そのことに気づけば、付き合うなどということは、やはりなかったに違いない。
いくつかの可能性を総合して考えれば、付き合うことになった可能性は、かなり低いのではないだろうか。結局付き合うことはなかったので、付き合っていたらどうなっていたのか想像でしかないが、最初のきっかけを考えれば、付き合わなかったのが正解だったと言えるだろう。
しかし、自分の中での彼女へのイメージは深く残った。
付き合うことがなかっただけに、すべてが想像になってしまい、
「付き合っていたら、どんな恋愛をしていたのだろう?」
という想像は、妄想になっていった。
そんな妄想を抱いたのは、高校時代ではなかった。結局、女性とは付き合うことなく終わってしまった、
「暗黒の高校時代」
それでも、彼女とのことに妄想を抱かなかったのは、前を向いていたからだと言えるだろう。暗いなりに、何もなかった時代ではない。自分の性格の礎が、その時に出来上がったと思えば、自分にとって、重要な時代だったと言えるだろう。
大学に入ると、まったく生活が変わってしまった。暗黒だと思っていた目の前に眩しいばかりの光が、これでもかと差し込んできて、容赦なく視界を塞いでしまうこともあった。
大学時代には、まわりに彩みどりの女の子がいる。手を伸ばせば全部届いてしまうが、届いてしまうことにどこか不安も感じられた。
そんな時、高校時代に気になった女の子を想像してみた。
――今付き合ったら、うまく行くだろうか?
そんなことを考えてみたが、堂々巡りを繰り返した挙句、
――やっぱり付き合うことはないだろうな――
と思うのだった。
大学時代には、手を伸ばせば無数の女の子に手が届く、しかし、彼女には届いたとしても、すり抜けてしまうような雰囲気があった。
――まるで蜃気楼のようだ――
水を欲するがゆえに見える「逃げ水」が蜃気楼であるかのように、ほしいものが簡単には手に入らないという思いが強く、逆に彼女のことが、
「ほしいものだった」
という思いを抱き、いまさらどうにもならないことを思い知らされる。
もし、大学時代のその時に、彼女と出会ったとしても、やはり付き合うことはないだろう。その理由を、
「俺は彼女を恐れているんだ」
と言って、納得させていたのだ。
そう思えば思うほど、
「本当は好きで好きでたまらなかった」
という思いに繋がって、またしても、妄想を抱いてしまう自分にビックリさせられるのだった。
「好きになった人を恐れてしまうというくせがあるのだろうか?」
そのことを考えると、自分が小学生の頃、いじめられっ子だったのを思い出した。そして、おだてに弱いというのも、
――いじめられっ子なるがゆえではなかったのか?
と感じていた。
――まわりの人は皆自分よりも優秀にできている――
という思いがあり、だからこそ、自分はいじめられっ子であり、その思いが自分を納得させることに繋がる。
どんなに理不尽なことでも、自分で納得さえできてしまえば、それでいいんだと思うのだった。
おだてに弱いというのは、そんな自分よりも優秀な連中から、少しでも下手に出られると、有頂天になるのも無理もないことだ。この場合は仕方のないことではなく、無理もないことであり、無理のない思いが、またしても、自分を納得させる要因に繋がっていくのだった。
大学時代には、何人かの女性と付き合う機会があった。自分から告白したこともあったし、相手から言い寄られて、うまく行きそうになったこともあった。
しかし、付き合うところまでは行かなかった。中には、
「付き合おう」
ということになり、初めてデートした時の帰りに、
「やっぱり、私たち、お付き合いできないわ」
と、相手から言われたこともあった。
青天の霹靂だったが、どこか納得できるところもあった。
――自分を納得させるよりも、相手から納得させられる方が気が楽なこともあるんだな――
と感じさせられたのを覚えている。
青天の霹靂に戸惑ってしまったが、
――こんなことで動揺してはいけない――
その思いが急に冷静さを蘇らせ、冷静さが元々の自分の素であることを再認識させられた出来事だったとして、失恋を大したことではないかのように自分に言い聞かせたのだ。
その後しばらくは人を好きになることをやめていた。意識的にやめていたというよりも、人を好きになることを恐れていたのかも知れない。
――いや、人を好きになることを恐れている自分を認めたくないという思いが強すぎて、表に出してはいけないことだと無意識に感じていたのかも知れない――
そんなことを考えていたが、そこにも、まわりの人が自分よりも優秀だという思いが見え隠れしていたのだろう。
それを、
――自分が卑屈になっているからだ――
とは感じていた。
人を好きになることを恐れているのを認めたくはないくせに、卑屈になっていることを認めるというのはおかしな感覚であろう。
しかし、それも、
――相手のあることで自分のマイナスになるような考えはしないようにしているのではないか――
と思えば納得がいく気がしていた。
バーで見かけた女性を見た時、
――前に好きだった人に似ている――
と感じたことを、何十年も経ってから、また感じるようになるなど、その時に想像ができたであろうか?
その頃の洋一は、喫茶店の彩名のことが気になっていた。
付き合いたいと思ったり、男女の関係になりたいと思っていたわけではない。どちらかというと、娘のような気持ちになっていたからだ。
今まで十年以上も女性を意識したことはなかった。彩名は女性というよりも、女の子というイメージなのだが、たまに見せる寂しげな雰囲気に、
「妖艶な大人の女性」
を感じさせた。
――この感覚、以前知っている女性にも感じたことがある――
そう思った時、自分が好きになる女性の共通のパターンが、妖艶な大人の女性の雰囲気なのか、それとも、妖艶な大人の女性の雰囲気を持っている女性の方から自分の方に寄ってくるのか、少なくとも運命のようなものを感じたのは、気のせいではないような気がする。
その時に気になったバーの女性、それが初めて感じた、
「妖艶な大人の雰囲気を感じさせる女性」
だったのだ。
洋一はその時まで、自分の好みは、
「可愛らしい妹のような女の子」
だと思っていた。
それまで数人の女性を付き合ったことがあったが、そのほとんどが自分の理想だった。すぐに別れることになった女性もいたが、別れる理由のすべては、
「自分が悪いんだ」
と言い聞かせた。
今から思えば、相手のわがままで別れた人もいた。しかし、別れの言い方が、
「ごめんなさい。全部私のわがままなの」
と言われてしまうと、納得いかないと思い、口では、
「何でなんだよ」
と言いながらも、心の中では、
――やっぱり俺が悪いんだろうな――
と自分に言い聞かせた。そんな思いを知ってか知らずか、相手との別れは成立してしまう。
それは、最後には自分を納得させたいという思いが強かったからだろう。彼女の言葉を真に受けてしまうと、余計に相手を拘束してしまい、最後には泥仕合になることは分かっていた。
実際に二十代の前半には、泥仕合になったことは何度かあった。それでも、
――自分が納得できない――
という理由で、泥仕合になっても拘束してしまいたい気持ちが強かったのだ。
何度も繰り返しているうちに、さすがに自分が相手を拘束したいがための言い訳であることに気づくと、
「穴があったら、入りたい」
と思うほどの情けなさに包まれていた。
それからは、相手の言葉に納得がいかないと思いながら、言葉では一応抵抗は試みるものの、どうしても無理だと思えば、自ら身を引くことを心掛けるようになった。
「これが大人の男の対応なんだ」
と思っていたが、結局は自分を納得させたいがためのもの。そのことに気づいてくると、
「一体、どうすればいいんだ?」
と思い悩むようになった。
しかし、
「どうやっても、最後は自分を納得させるという考えに落ち着くのなら、それを真実として受け止めるしかない」
と思うようになった。
堂々巡りを繰り返したのなら、答えはその中に隠れているのだということを悟ったのは、四十代に入ってからのことだった。
その頃になると、
「来る者は拒まず、離れていく者は、深追いしない」
という、なすがままのような考えに落ち着いてきた。
しかも、その頃になると、今度は孤独も悪くないと思うようになり、次第に孤独を愛するようになっていた。
「まわりに人がいないということがこれほど気楽なものだとは思ってもみなかったな」
と感じた。
若い頃のことをよく思い出し、寂しかった思いもよみがえってくるが、四十代を超えると、それも楽しい思い出に変わっていた。その理由は、
――過去の自分を他人事のように思えるようになったからだ――
と感じているからだった。
五十代になると、今度は少し変わってきた。
確かに一人の孤独は楽しいものだと思っていることに変わりはない。しかし、
――他に誰かいてもいいんじゃないか?
と感じるようになっていた。
一人が楽しいということは、他の人が介在すると、どうしても煩わしさが伴うということを意味していた。それが分かっているだけに、四十代の洋一は、人との接触をなるべく避けてきた。
しかし、五十代になって感じたことが二つだった。
一つは、
「十年があっという間だった」
ということと、もう一つは、
「四十代に比べて五十代になると、急に過去のことを思い出すようになった」
ということであった。
この二つは、微妙に結び付いているような気がする。
実際に年齢を重ねると、若い頃に比べて考えていることが極端に減ったような気がした。それはまわりに人がいないことで序実に分かることだった。しかし、それは考えられる範囲が減ったというわけではなく、逆に若い頃に比べて増えたのは間違いない。忘れていくこともあるが、一度身に付いたものが消えることはないからである。
そのために、考えられることが減ると、その分、過去のことを思い出してしまうというのも無理のないことだ。
子供の頃のことはさすがに思い出さなかったが、二十代くらいのことはいつも思い出していた。そのうちに子供の頃のことまで思い出すようになると、
「俺も年を取ったんだな」
と、いまさらながらに思い知らされた。
というのも、子供の頃の記憶というのは思い出したくはないものだとして、意識して封印してきたのだ。それを思い出すというのは、
――封印していたということすら忘れてしまっている?
と言えるのではないだろうか。
それは記憶を忘れるというわけではく、自分の考え方を忘れてしまっているからで、考え方を忘れるということは、その間に、数々にいろいろな考え方の変革が自分の中で積み重なっていたということである。
それは、本来なら悪いことではない。
年齢を重ねれば、当然そういう考えに落ち着くのも分かることで、その考えさえ浮かばない人もたくさんいるだろうと思えば、今その結論に至っている洋一は、
――まっすぐに年を重ねてきた――
と言っていいに違いない。
そんな洋一は、最近会社の近くにあるスナックに通うようになった。
それまで若い頃にバーに赴いたことはあるが、
「酒を呑むなら居酒屋」
という程度に収めていた。
意外と、居酒屋で一人で呑むのも悪くはない。まわりの喧騒とした雰囲気や、時々若い連中の奇声が上がるのには困ったものだと思っていたが、まだ早い時間であれば、カウンターでも十分だったからだ。
そんなに呑める方ではない洋一は、ほろ酔い気分になるまでに、一時間も掛からない。仕事が終わって開店すぐくらいに行って、ほろ酔いになるくらいまでは、そんなに客もいないからだ。
居酒屋に通う時期が何年かあったが、居酒屋というのは、
「自分の馴染みの店」
と自分で感じていた雰囲気とは微妙に違っていた。
自分の馴染みの店というのは、
「自分だけの空間がそこにはある」
と思えるのが最低限の条件だと思っていた。
居酒屋にはそれがなかった。自分が帰った後、その席には他の人が座るのだ。そして、その空間は、すぐに違ったものに変わってしまう。それを思うと、どう考えても自分の馴染みの店として認めたくはなかった。
かといって、バーに赴くような感覚はなかった。
三十代の頃に行っていたバーは、確かに自分の馴染みの店の条件を十分に満たしてくれていたが、常連になって通えば通うほど、
――どこかが違う――
と感じさせられた。
それが何なのかまったく分からない。それを思うと、洋一は心の中で寂しさが込み上げてくるのを感じた。
――自分の思い描いていた孤独の楽しさがバーにはあったと思ったのだが――
そう思ったのは、四十代になって実際に孤独を楽しめていた時代とどこか違っていることに気づいたからだ。
バーに行かなくなったのは、そのことに気づいたからで、それから少しして、居酒屋に通うようになった。
孤独を楽しんでいる洋一に、居酒屋はまったく違う世界に感じられた。
ただの喧騒とした雰囲気というだけではなく、苛立ちを感じさせるものだった。それぞれのグループが勝手に盛り上がっていて、いろいろな人の話し声がこれほど耳に煩わしく感じられるなど、考えられなかった。まるで受験勉強を居酒屋でやっているような思いで、要するに、集中できないのだ。
――一人で孤独を楽しんでいる時、何に集中しているというんだ?
と思ったが、確かに一人で孤独を楽しんでいる時というのは、何かに集中しているような気がした。
それを思うと、居酒屋よりも、もっと他にないものかと考えたが、一人でゆっくりできるところはやはりなかった。
そんな時期が数年続いた。本人は数年も続いたという意識はない。せめて数か月くらいのつもりだった。
そのスナックを見つけたのは、本当に偶然だった。
会社が終わっていつものように電車に乗って最寄りの駅に降り立った時、どこかで見たことのあるような女性が、目の前を歩いていた。後姿だけなので勘違いだとは思ったが、それでも追いかけないわけにはいかなかった。
彼女が歩いている後ろを追いかけていく。彼女の歩くスピードは、それほど遅いものではなく、男の洋一が早歩きでついていくのがやっとだった。
彼女は黒いワンピースに身を包み、颯爽とした身のこなしに感じられた。おそらくどこかで見たことがあると思ったのは、その颯爽としたいで立ちからではなかったかと思っていたが、そう思うと、余計に気になって仕方がなくなっていた。
スリムな雰囲気に背の高さは高く感じられたが、実際にはそうでもないのかも知れない。想像がどんどん膨らんでいくのも楽しい限りだった。
自然と視線が彼女のお尻に向かっているのを感じると、自分が男であることを再認識したと同時に、彼女の特徴がヒップにあるのだと思えてきた。
自分の記憶の中でヒップに特徴のある女性を思い出してみたが、思い出すことはできなかった。ヒップが気になる人はいなくもなかったが、一番の特徴をヒップに感じる人はいなかったのだ。
もっとも、今は後姿しか感じていないのでそう思うのかも知れない。早く横からや正面からの姿を見てみたいと思った。その間にいろいろ想像してみたが、そのどれでもないような気がしてきたのは、後姿が印象的過ぎるからであろうか。
気が付けば洋一は、その女性の後ろを追いかけていて、普段立ち入らないところに入り込んでいた。駅を降りて自分の家とは反対方向で、普段から通ることのないところだった。
気が付けば、彼女は場末のスナックに入り込んでいった。彼女の姿が扉に吸い込まれてから急に我に返った洋一は、自分がどのようにしてここまで来たのか、意識もなかった。
「このまま帰ってしまおうか?」
とも考えたが、すぐにそのことを打ち消している自分に気が付いた。我に返った瞬間から、スナックに入ることは確定していたような気がしたからだ。
スナックに入りたがっている自分を否定することはできなかった。ゆっくりと歩き出した洋一は、さっきまでと違い、足取りがかなり重たくなっていることに気が付いた。
「完全に我に返った証拠だな」
と感じたが、足取りの重たさとは逆に、気持ちがワクワクしているのが嬉しかった。
理由が何であれ、スナックに入るのがこんなにワクワクするものだったということを、初めて感じるはずなのに、前から知っていたような気がしているのはどうしてなのだろうか?
少し重ための扉を開いた。見た目も重たそうだったが、開いてみると、さらに重さを感じた。鉄の扉に感じられるほどだったが、洋一の印象としては、
「木でできた扉が、相当湿気を帯びて、そのために、想像以上に重たく感じられるのではないか」
と思えたのだ。
扉を開けた時、
「暖かい」
と思ったが、開けたその一瞬だけ、何か冷たい空気が溢れ出してきたような気がしたのだ。
「いらっしゃい」
さっきまでの彼女の後姿を想像していたので、カウンター越しにいるおばさんと思しき女性を見て、一瞬がっかりした。相手にもその思いが伝わったのか、
「はあ」
と、ため息をついたような気がしたのを見逃さなかったが、素早く顔を背けたので、意識していなければ、普通なら分からなかっただろう。
――どうやら、こんな経験は初めてではないようだ――
若い女性、たぶん、店の女の子だろうが、彼女目当てに入ってきた客は今までにも何人もいたのだろう。店としては、客を呼んできてくれて嬉しいのだろうが、オンナとしては複雑な心境だ。ため息の一つもつきたくなるというものだ。
他に客も店の人もいないことから、目の前の女性はここのママさんなのかも知れない。最初こそ、気になっていた女性の面影との違いから、露骨にがっかりさせられたが、よく見ると、その女性にも大人のオンナの魅力が感じられた。
――嫌いなタイプではないな――
ため息を目の前でつかれてしまったことで、少し嫌な気分になったが、それも元はと言えば、入ってきた時の自分が、きっと露骨にがっかりした顔をしてしまったからだろう。そんな思いを何度もしている女性だとすれば、やるせない気持ちは溜まったものではないに違いない。もし自分が彼女の立場だったらと思うと、同情に値する気がしてくるのだった。
――おや?
最初は、店に入った時、客は自分一人だと思っていたが、よく見ると、奥のテーブルに男性が独りで呑んでいた。こちらを振り向くこともなく、完全に気配を消しているように思え、ママさんもその人を意識することもなかった。きっといつものことなのだろう。
時間的にはまだ八時過ぎくらいだ。普通なら開店すぐくらいなのに、その人の微動だにしない雰囲気は、かなり前からそこにいたような気がする。
――その人がその場所から離れても、その場にその男性の影のようなものが残っていてもおかしくないような気がするくらいだ――
根付いていると言ってもいいくらいだった。そう思って見ていると、その男性がその場所にいることを、昔から知っていたように感じられた。
――最近、こんな感覚になることが多いな――
初めて見る光景のはずなのに、以前から知っていたような気がするという、いわゆる「デジャブ現象」である。
別に年は関係ないのかも知れないが、デジャブを感じ始めたのは、今から五年ほど前からで、一度感じてしまうと、その思いはいつどこで感じても不思議のないものに思えてはらなかった。
ただ、ママさんはその男性を意識していないように最初は感じられたが、ちょくちょく視線を浴びせているのを横目にも感じられた。
横から見ていて感じるくらいなので、視線を浴びている本人が気づかないわけはないだろう。
それでも男性は意識していない。むしろ、浴びせかけてきている視線を跳ねのけるほどの気を放っていると言ってもいいくらいであった。
――まるで結界だ――
この店に入った時に最初に感じた扉を重たくさせた湿気、それはこの男性から滲み出ているものに思えてきた。
――気配を消しているはずなのに、結界のようなものを作ったり、人の視線を跳ねのけたり、そのオーラが扉を重たくする湿気のようなものに繋がっているのかも知れない――
と感じた。
――俺はとんでもない店に飛び込んでしまったのかも知れない――
と思ったが、
――しょせんは他人事、もし居心地が悪ければすぐに店を出て、二度とこの店の敷居を跨がなければいいんだ――
と、自分に言い聞かせた。
しかし、それは最終手段で、最初からそんな気持ちになるなど、思ってもいない。それよりも、入ってきた時より今の方がワクワクしている自分がいることに気づいた。奥で一人呑んでいる男性、まったく自分とは関係のない人だと思っていたが、どうもそうではないことを感じさせる何かがあった。オーラを感じたとでもいえばいいのだろうか。
「あ、いらっしゃいませ」
洋一が店に入ってどれくらいしてからだろうか。お待ちかねの、
――追いかけてきた女性――
が、奥からやっと出てきた。
さっきまでのシックな服とは違い、白いワンピースに着替えていた。少し暗めの店内には、ちょうどよく映えていた。
「お客さん、初めてですよね?」
彼女は、奥に座っている常連と思しき男性をチラ見してから、洋一におしぼりを手渡していた。最初のおしぼりはママからもらったが、挨拶代わりだと思うと、素直に受け取ることができた。そのおかげで、今店に入ってきたかのような新鮮な気分になれて、ありがたかった。
「ええ、このあたりに入り込むのも初めてなんですよ」
「そうなんですね」
と言って、軽く含み笑いをしたかと思うと、ママと意味深な目配せをしたように思えた。そして、次の瞬間、奥の客に鋭い視線を浴びせたかと思うと、一瞬金縛りに遭ったかのように彼女の身体が凍り付いたように思えた。
――まるで時間が止まったかのようだ――
以前、見た映画で、時間がゆっくりと進んでいるシーンを描いたものがあったが、その映画の雰囲気に似ていた。
最初は、映画を見た時、
「時間が止まってしまったというシチュエーションなのかな?」
と思ったが、実際は普段の一秒に五分くらい掛かるような、超スローモーションで動いている世界だったのだ。
「世界が凍り付くのは、時間が止まったからではない。止まってしまったかと思えるほど、ゆっくりにしか時間が過ぎていかないからだ」
というのが、映画のSFチックなところのオチであった。もちろん、それが映画のメインテーマではないが、わきを固めるテーマとしては十分であろう。
「完全に時間が止まった世界というのは、どんな感じなんだろう?」
それは、どんなにあがいても、我々が入り込める世界ではないのかも知れない。必ず進んでいく世界でなければ、理解できないものなのだろう。
いろいろな思いが頭をかすめていた。
――ひょっとすると、向こうを向いている男性のあの場所だけが、時間の進むスピードが違っているのかも知れない――
そんな発想、いや、妄想を抱いていると、こちらを振り向こうとしない男性の表情が浮かんでくるようだった。
――あの顔は、鏡に写った自分の顔?
そんな妄想を抱くと、
――もしこの店に入ったのが自分でなければ、その時に入ってきた人の顔になっているのかも知れない――
顔自体のっぺらぼうで、気にしているその人の妄想が顔を作り出す。つまりは、いつの間にか自分の顔を思い浮かべてしまっているのかも知れない。
しかし、ここで不思議に感じられるのが、
――普通自分の顔というと、鏡のような媒体がなければ見ることができないので、一番自分の顔というのは、普段から見ることがないもののはずだ――
それなのに、意識するのは自分の顔だというのは、その男の発するオーラが、普段では意識していない自分が発するオーラと同じものだということを意識しているからなのかも知れない。
いろいろなことを考えているうちに、
――俺って、妄想しても、妄想を膨らませることはなかったはずなのに――
と感じていた。
妄想を膨らませるというのは、横に広がる膨らませ方で、今度のように発想を広げていくものではない。横に広がっているというのは、同じ次元で、例えば時間が進んで行ったり、まわりの人との絡みだったり、自分が書いているシナリオの発想だった。
しかし、妄想を膨らませるというのは、自分の中でいちいち納得させながら、新たな世界を創造しているような妄想である。
そこに他人が介在することはありえない。
ということは、
「そこにいる後ろ向きの男性は、自分自身ではないか?」
と思うのは自然なことだと感じた。
「そういえば、のっぺらぼうというのは、どういう発想から来たんですかね?」
この話は、三十代の頃馴染みにしていたバーで、誰かがしていた話だった。洋一もその話に乗っかって、
「どうなんでしょうね? 最初から顔がなかったのか、それとも、元から顔はあって、何かの呪文か祟りで、顔をなくしてしまったか……」
「前者だとすれば、その人自身が妖怪だということになりますね。もし、後者なら、その人は人間で、妖怪に何かされたという発想でしょうか?」
「単純に、そうだと言い切れるのかな?」
「どういうことですか?」
「前者はそうかも知れないけど、後者は、その人が最初から人間だったという発想はまた違うような気がするんですよ。妖怪の掟のようなものがあり、それを破ったことで、その妖怪は顔をなくしたと言えなくもない」
「そうですね。でも、発想からすれば、かなり薄い気がしますよ」
「でも薄くても可能性がある以上、考えないわけにはいかない。否定するのは簡単だけど、否定するにしても、納得のいく否定の仕方をしないと、考え方が行き詰った時、前にも後ろにも行けなくなるような気がしますよ」
「どちらにしても、私が思うのっぺらぼうの正体というのはですね」
相手は、少しもったいぶっていた。
「ええ」
「それは、元々その人には顔がないということであり、逆を言えば、どんな顔にもなることができるということですよ。だから、のっぺらぼうというのは人間であるはずがないというのが、私の考えなんですよ」
「なるほど、確かにそうかも知れませんね。でも、そう考えると怖いですよね。誰にでもなれるということは、本人の知らない間に、何をされるか分からないということですからね」
「ええ、そういう意味では、妖怪の中では大人しいかも知れませんけど、怒らせると一番怖い存在になるかも知れませんね」
「大人しいだけに、何を考えているか分からない。しかも、元々表情がないわけですからね。何を考えているのか分からないというよりも、喜怒哀楽が分からないということの方がよっぽど怖い気がしますよね」
その人との会話は、とどまるところを知らなかった。話しているうちにいろいろな発想が生まれてくる。それはまるで、まったく何もない顔が、どんな顔にでもなることができるというのっぺらぼうという発想を裏付けているかのようである。
しかし、最後にその人の言った言葉が一番印象的だったのを思い出した。そして、最後の瞬間も……。
「だけどね。一番怖いのは、まったく表情のない最初のその顔だということなんだよ。それって人間の根底を見ているような気がするんだ」
と言って、にやりと笑った。
――この表情、頭に焼き付いて、忘れることはないんだろうな――
と思ったが、次の瞬間、今の表情を忘れている。思い出そうとすると、浮かんでくるのはのっぺらぼう。ドキッとして頭を冷やしにトイレに行って顔を洗って戻ってくると、さっきまで話していた人はいなくなっていた。
「さっきまで、僕と話していた人は?」
と店の人に聞くと、
「えっ、何を寝ぼけているんだい? 誰もいなかったじゃないか。今日の客は君だけだよ」
と言われて、驚愕し、
――そんなバカな――
その場に立ち尽くしていた。それからどうなったのか覚えていないが、このことを思い出したのも、あれから初めてだったような気がする。あるいは、記憶にあったものではなく、今勝手に創造したものなのかも知れない。
その日の出来事は、数日頭の中にこびりついていた。しかし、ちょうど一週間が経ってからであろうか、まるで昨日のことのように頭の中にクッキリと残っていた記憶が、遠い過去になってしまっていた。
昨日のことのように思っていたことが急に過去のことに変わってしまうと、事実だったのかどうかすら怪しくなってくる。
「人の噂も七十五日」
とよく言われるが、ある日を境に、それまで意識から離れなかったことが、遠い過去として残ってはいるが、ほとんど消し去られてしまったかのようになることは往々にしてあった。
洋一にも、かつて同じような経験があったが、それなりの理由があってのことだった。少なくとも、自分に密接に関係のあることで、今回のように、フラッと立ち寄った、自分には関係のないはずの場末のスナックのようなことであるはずはなかったのだ。
一度、遠い過去に置き去られてしまうと、自分で意識する力は失われてしまう。外からの何らかの力が加わらなければもう一度意識するなどということは、まずありえないだろう。
確かに、店の中での数時間の間に、いろいろな発想を思い浮かべた。数年間を凝縮したかのような発想に、自分でも背筋が凍るかのような思いがあったように思えた。
しかし、店を出てから家路について、自分の部屋に入ってしまうと、
「さっきまで、この部屋にいたような気がする」
と感じた。
今の今までスナックの印象が頭の中に溢れていたのに、自分の部屋に入った瞬間、ついさっきのことだったなどと思うことができなくなっていた。
――それだけ、あの世界は普段覗くことのできない世界だったのかも知れない――
と感じた。
まるで夢を見ていたのではないかと若い頃なら感じただろう。しかし、五十歳にもなると、
「夢を見ていたのではないか?」
と感じるのは、自分が認めたくないという思いを抱いていることの証明だということに気づくと、却ってそう思いたくない自分が表に現れて、
「それじゃあ、言い訳にしかすぎないじゃないか」
と、もう一人の自分を叱責する。
叱責された自分は、そこで言い訳ができなくなっていた。その時から、頭の中に抱いている二人のうちのどちらが本当の自分なのか、分からなくなってしまっていた。
スナックの記憶が次第に薄れていく頃だったが、もう一度あの場所に行ってみることにした。
朝からそのつもりでいたわけではない。仕事を終えて家に帰ろうとした時、乗った電車が前スナックに行った時と同じ時間の電車だったのだ。駅を降りて前と同じように、今度はしっかりとした目的地を目指して歩いている。一度歩いている道なので、近く感じられるものだと思ったが、歩けば歩くほど、遠ざかって行っているような不思議な感覚を覚えた。
足元から伸びる影を、今まで意識したことはなかった。夜になり、街灯の明かりだけでできた影が、これほど気持ち悪いとは思ってもみなかった。気持ち悪い理由は、想像していたよりも、影が大きく、そして細長かったからだ。
――まるで足元の影を追いかけるようにして歩いているようだ――
そう思って歩いていると、今度はさっきのように、なかなか進まないということはなかった。
――気が付けば、こんなところまで歩いてきていたんだ――
と感じさせたが、この思いは自分が考える挙動に矛盾しているわけではないので、安心することができる。
歩くということが、足を重たくするのだということに、いまさらながらに気が付いた。影を意識するまでは、まるで雲の上を歩いているかのように、足に疲れはおろか、歩いているという感覚すらなくなっていたからだ。
――影が、スナックまで案内してくれる――
自分の影であるにも関わらず、違う存在であった。陰とは生きているものではなく、
「自分の身体が光という媒体を使って新たに作り出された幻影」
だと思うことで、離れているはずのない足元を、もし見下ろしていれば、離れていたという奇跡のような出来事を見ることができたような気がする。
足元を見てみたかったのだが、見ることはできなかった。それだけ影というものに、恐怖を感じていたのだ。
「この角を曲がれば」
そこには、いかにも場末のスナックがひっそりと建っているはずだった。
「あれ?」
間違いなくここだったはず、その場所は完全な更地になっていて、雑草が結構高いところまで生え揃っていた。
「数週間やそこらでこんなになるはずなんかない。少なくとも数年は放置されていたはずだ」
と感じた。
だが、驚愕が恐怖に変わっていく反面、どこか安心した気分になっていたのも事実だった。
「もし、ここに店があったら、俺は扉を開けるだろうか?」
あの日は、前を歩く女性に引き寄せられるようにやってきたこの界隈。あたりの様子に変わりはないが、目的地であるスナックがないことで、まったく違う場所のようにしか思えない。
――地理的にまったく違った場所というよりも、同じ場所なのに、違う世界だと言われる方が、説得力を感じる――
と思えた。
自分を引き寄せる女性。彼女によって引き寄せられ、この店に来たことがある人というのは、結構いたのだろうか?
引き寄せられた人には、その人のためだけの店が用意されている。つまり、次元は彼女に引き付けられてこの店を訪れた人の数だけ存在する。
――俺は何人目だったのだろう?
二番目であるならば、三番目であっても四番目であっても関係ない。しいて言えば、
「自分がその最後であるなら、一番最初に訪れたのと同じくらいに価値のあることのように思える」
目の前に店はないのに、今洋一は、以前この店に来た時のことを思い出していた。急に遠い過去のことにしか感じられなくなって、店のことを思い出すことはできなかった。
今日、こうやって訪れたのは、前に訪れた時の記憶を思い出したいという思いがあったからだ。そういう意味では、ここに店がなくても、目的の半分は達成できたと思えるのだった。
目の前に店がなくなっているのを見ると、
「俺も年を取ったんだな」
と感じた。
今までは、
「年を重ねてきた」
と思っていたが、年は重ねたのではなく、取ってきたものだということを再認識したような気がした。
そのことは最初から分かっていたような気がする。
「年を重ねるなんておこがましい。年を取るということは、少しずつ何かを失っていくんだ」
と思えてきた。
若いうちは、失うものよりも、得るものの方が多いので、成長していると思い、失うという意識はほとんどなかったが、失うものがなければ、新たに得るものもないと考えれば、理屈も通るし、自分を納得させられるというものだ。
「では、何を失ってきたというのだろう?」
すぐに思い浮かぶものはあった。これは自分だけではなく他の人も同じであろうし、誰もが認めるものだ。
しかし、それを未来に認めたくないから努力をするという人はたくさんいる。実際に、洋一も、自分が喪失を意識するようになると、努力をするものだと思っていた。
しかし、実際には、その喪失が一体いつから始まるものなのか、ハッキリとしない。
「この境界を越えたら」
というハッキリとしたものがあるわけではない。
もちろん、人それぞれでもあるし、気の持ちようでもある。
中には、
「俺は失ったりはしない」
と、頑なに信じている人もいるだろう。
自覚症状がありながら、認めたくないという思いは、人間の理性のギリギリの抵抗なのかも知れない。中には、感覚がマヒしてしまい、
「どっちでもいいや」
と思う人もいるだろう。今の洋一は、どちらかというと、その思いに近いのかも知れない。いわゆる、
「惰性で生きている」
というべきであろうか。
失うもので一番ハッキリとしているにも関わらず、個人差が激しく、一体どこからが失うことになるのか曖昧なところがある。そんな不可思議なもの、それはいうまでもなく、
「若さ」
である。
洋一も気が付けば五十歳を過ぎていた。
「年齢を重ねるほどに、感覚がマヒしてくる。いや、年は取るものだ。年を取るという感覚はないから、感覚がマヒしてくるのに違いない」
と、そんな風に感じるようになっていたのだ。
結婚もせずに、ずっと一人でくると、子供の頃を思い出してきた。思春期になれば、彼女がほしいと思うのは当たり前だが、その時に自分の中での彼女のタイプは、消去法だった。
まず、妹のような女性が一番嫌だった。
一人っ子に育った洋一は、妹がほしかった。子供の頃、いつも感じていた思いだったので、いざ彼女がほしいと思った時、子供の頃に思っていた感情を巻き込みたくはなかった。だから、妹のような女の子を彼女にしたいとは思わなかったのだ。
次は姉のような女性だった。
――甘えてみたい――
という思いがあったくせに、姉のような女性を避けていたのは明白だったような気がする。
妹のような女の子も姉のような女性も、どちらも避けていたのは無意識にであって、意識して避けていたわけではない。しかし、無意識と言えども見る人から見れば見えるのだろう。妹のような女の子も姉のような女性も、洋一に寄ってくることはなかった。だから、なかなか彼女ができなかったのだ。
タイプを消去していたくせに、自分の中の理性の望む女性は、妹のような女の子や姉のような女性だった。そのことが自分の中でジレンマとなり、やがてトラウマになってくると、付き合ってみたいと思う女性の範囲は、本当に狭いものになってしまった。
こんな状態で彼女などできるはずもない。相手もいることなのだ。結局、彼女もなかなかできることもなく、いつの間にか殻に閉じこもってしまった洋一は、この年まで一人でいることになったのだ。
ただ、最近になって、
「誰かと出会えるのではないか?」
という思いが湧き上がってきた。
それは、自分の中にあるトラウマが解けてきたような気がしたからで、これも考え方ひとつで、状況はいろいろと変わるということを自分の中で証明したようなものだった。
暗かった四十代に比べて、五十歳になると、どこか自分の中で明るさが感じられるような気がした。それは、子供の頃に感じていた。
「明日は今日よりも楽しい」
という思いを感じているからなのかも知れない。
何の根拠もなければ、実際にそんな日があったことなど、五十歳になってからはなかった。それなのに、なぜそう思ってしまうのか、それは、
「自分の中で信じて疑わない」
という感覚があるからだ。
ただ、その感覚は、
「マヒしてしまっているのではないか?」
という紙一重のところで存在しているもので、どちらかが否定されれば、どちらかも否定されてしまう。どちらも否定するということは、自分の存在意義も脅かすことになるような気がしているので、どちらも失うわけにはいかない気がしている。そう思うことで、
「信じて疑わない」
という感覚が生まれてくるのかも知れない。
一人の女性に引き寄せられるように入ったスナックが、忽然と姿を消したことで、実は少し安心した気分になっていた。
スナックに立ち寄った時、彼女の顔を見たはずなのに、店を出て少ししてから、彼女の顔を思い出せなくなってしまっていた。その時洋一は、
――俺は彼女の掌で踊らされているのだろうか?
と感じた。
自分から入りたいと思って入った店ではない。彼女の記憶が残っていれば、彼女に対しての気持ちがどれほどのものなのかを思い起こせば、不思議な気持ちになることもなかった。
しかし、彼女の顔を思い出せない時点で、まるでキツネにつままれたような気持ちにさせられたことで、化かされているような気がしてくると、気持ち悪くもなってくるものである。
「彼女に会って自分を確かめたい」
出会ったばかりで、そんなに性急な気持ちになっているはずもないのに、この気持ちの高鳴りは恐怖を感じさせるほどだ。それを思うと、彼女同様に店が消えていてくれたことで、
――まるで夢を見ていたみたいだ――
と、自分を納得させることができるように思えたからだ。
それでも、後になってふと思い出すと、さらなる不気味さがよみがえってくるかも知れない。だが、今気持ち悪さがなければそれでいいのだ。
考えてみれば、彼女の顔をまともに凝視していなかったようにも思えた。店を出てすぐに顔を思い出せなくなったのも頷けるというものだ。
――スナックの中でのっぺらぼうを思い浮かべたのも、何かの因縁かも知れない――
ただ、のっぺらぼうを思い浮かべたのは、彼女に対してのイメージからではない。そこにいた男性に、どこか自分と同じものを感じたからなのだが、今になって思い出そうと思えば、あれだけ意識していたはずの男性なのに、存在すら疑わしいと思えるほど、今は自分の記憶の中にも意識の中のどこにも存在していないのだ。
逆に、彼女のことを意識するから、のっぺらぼうのことを思い出す。のっぺらぼうを意識するから、今度はあの男の存在を意識してしまう。そんな三段論法のような流れが頭の中にあった。
ただ、その三段論法が、「三すくみ」を生み出すのではないかとも思えていた。
三すくみというのは、じゃんけんのように、
「ハサミは紙には強いが、石には負ける。紙は石には強いがハサミには弱い。石は、ハサミには強いが、紙には弱い」
つまり、三角形の相関関係がバランスを保っていて、均衡している。そんな状況を言うのだ。
その均衡がどれほどの大きさで、どれほどまわりに影響を与えているかということは、その中の当事者には分からないことなのかも知れない。
「三すくみというと、ヘビ、カエル、ナメクジの話が有名だ」
という話を聞いたことがある。話を聞いてみると、確かにその通りで、力の均衡が保たれていることから、まわりは手を出すことができないことの代名詞のように感じられる。――それだけ、三すくみのまわりには、結界のようなものが存在しているのかも知れない――
と感じていた。
そう思うと、三すくみのまわりにはバリアのようなものが張り巡らされていて、そのバリアは、見る人によっては見えているのかも知れない。
そんなことを考えたのは、今ではなく、子供の頃だった。三すくみの発想を思い浮かべた時、子供の頃に感じていたことや考えていたことが思い出せるような気がしてきた。
ただ、今考えるのと、子供の頃に考えるのとでは少し勝手が違っている。子供の頃であれば、これ以上の発想はできないと思うが、今であれば、そこからの発想はどんどん生まれてくるような気がする。
しかし、いかんせん、子供の頃にはできた最初の発想を、今はすることができない。つまりは、子供の頃の発想が頭の中に残っていて、何かの機会に、扉を開けることで、より大きな発想を生むという意識がなければいけない。いくつもの喚問を通り抜ける必要があるのだ。
――ひょっとすると、そのために、頭の中に残っている記憶には、限りがあるのかも知れない――
と感じた。
大人になったどこかの段階で、一度は子供の頃に抱いた疑問や発想を思い出し、大人の頭で消化するということは、避けて通ることのできない道であることを示しているのだろう。
それがいったいいくつあるのか想像もつかないが、今三すくみのことを思い出したことで、過去の記憶がよみがえり、子供の頃に自分を納得させることができなかった後悔を、今まさに晴らす時なのかも知れない。
洋一は、頭の中が何か不思議な世界の中にいるかのような錯覚を覚えているふぁ、そもそも自分の頭の中自体が不思議な世界だと言えないだろうか。
自分の頭の中なのに想像することもできない。自分の顔だって、鏡のような媒体がなければ見えないのだ。一番身近なものに限って、一番遠い存在に感じられるのではないだろうか。そう思うと、自分を納得させることがどれほど難しいことなのか、いまさらながらに思い知らされる。
「だからこそ、自分を納得させようとしているのだろう」
それができれば、鉄板である。
自分を納得させることができれば、他人を納得させるなど、さほど難しいことではない。自分の中で納得済みだという態度は、相手にも伝わるものだと思っている。しかしながら、今まで自分の接した人で、
「この人は自分を納得させたことがある人だ」
と、感じた相手は一度もいない。
だが、洋一は、自分を納得させたことがある相手に出会えるという確信めいたものがあった。そしてその人に出会うことで、自分も、
「自分自身を納得させることができるようになるような気がする」
と思えるようになると感じていた。
ただ、本当になれるかどうかは確証はなかった。自分を納得させたことがある相手に出会えるという思いほど、強いものではないのだ。
「自分のことになると、とたんに自信がなくなってくる」
この思いは、洋一だけのものではないだろう。他の人のいうことは分かる気がするのに、自分をなかなか信じられない。そのくせ、人のいうことにはなぜか反発してしまうという意識を強く持っている人、きっと自分のことを、
「天邪鬼なんだ」
と思っていることだろう。
しかし、自分のことを理解できているという意味では、
――自分に対して素直になれる人だ――
と思うことで、洋一は、それだけで尊敬に値する相手だと思っている。
洋一は、スナックに入った時、気になる女性の方には、
「自分自身に素直で、自分を納得させられる人ではないか?」
と感じたが、逆に男性の方には、まったく何も感じなかった。のっぺらぼうに見えたのも、そのせいなのかも知れない。最初は、
「得体の知れない人」
としてしか映らなかったが、見ているうちに、
「まるで自分を見ているようだ」
と感じてきた。
「自分自身のことを一番自分が分からない」
という発想から生まれたもので、何十年も生きてきて初めて感じた思いのはずなのに、前から感じていたような気がしていたのは、
――今までに誰かに見られていたという意識がなかったのに、急にゾッとするほどの視線を感じていた――
という意識を感じていたにも関わらず、そのことを意識できていなかったことに気が付いたからだった。
洋一は、自分のことを納得させることのできる人を探していたような気がする。
もし、その人が見つかったとしても、その人と仲良くなったり、話をしたりなどという発想はなかった。ただ、そんな人がいるということを見つけることができれば、自分の中で何かを納得できる気がしたからだ。
そういう意味では、彼女を見つけることができたのは嬉しかった。
しかし、まさか同時に洋一自身がまったく分からない相手、つまりは、
「もう一人の自分ではないか?」
と感じることのできるような男性に出会うなど、想像もしていなかった。両極端な二人に出会ったことで戸惑いが生まれ、何をどうすればいいのか、頭が回転していても、空回りではないかと思えてならなかった。
そういう意味で、もう一度、あのスナックに行かなければいけないという思いを強く持ち、意を決して赴いた。
しかし、実際にはその店は存在しなかった。
確かにあったという意識はある。それでもどこかホッとしている自分を思うと、不気味な思いはさほどではない気がしている。
だが、やはり気持ち悪さは残っているもので、スナックがあったと思う場所から、しばらくは離れることができなかった。店に入っていく人の姿、出てくる人の姿を想像することができるのに、店の佇まいを想像することができない。実におかしな印象で、まるで真空の壁の中に吸い込まれていく人を見ているようなイメージだった。
――やはり夢だったんだ――
と感じるようになるまでどれほどの時間が掛かったのか、自分でも分からない。気が付けば踵を返してきた道を帰っていた。来た時とは比べ物にならないほど足取りは重い。
「俺はこのままどこに向かおうというのだろう?」
家に向かって帰っているつもりなのに、そんな感じはしない。
「本当に角を曲がれば自分の家があるのだろうか?」
目の前で何が起こっても不思議はないような気がしていた。
「きっとこれは夢なんだ」
なるべく、不思議な出来事に遭遇しても、「夢」という一言で片づけないようにしようと思っていたはずなのに、この時だけは、「夢」という言葉を言い訳として使っても、問題はないと思ったのだ。
汗を額に滲ませながら歩いてくると、角を曲がるのに、勇気はいらなかった。
「家がないはずはない」
ここには確証があった。
「今まで何十年も見てきた光景。一度としてなかったことのない家だ」
そう思うことが確証に繋がる。
さっきのスナックには一度しか行ったことがない。しかも、自分から入ったというよりも、吸い込まれるように入った場所だ。
「まるで夢を見ていた」
と言っても過言ではないだろう。
「たった一回なら夢として自分を納得させられる」
家があったことで、夢だと思えるのも、その時の自分が決してネガティブになっていなかった証拠であろう。
その日、家に帰って最初にしたことは、風呂に入ることだった。冷え切った身体を暖めることで、睡魔も襲ってきた。しかし、そのまま眠ってしまうことはなく、目の前に立ち上る湯気を見ながら、また何かを思い出していた。
あれは、社会人になってすぐくらいの頃のことで、休みの日に何もすることがなく、前もって計画を立てていたわけでもなかったので、フラッと街に出た時のことだった。
見たい映画があるわけでもなく、ショッピングをするような心境でもなかった洋一は、駅近くにある公園に行き、ベンチに座って、どうしようかと考えていた。
道を挟んで反対側に博物館があった。
あることは前から知っていたが、入ったことなどあるはずもなかった。その頃はまだ、絵や芸術に興味があったわけではなかったからだ。
学生時代なら、入ってみようなどと思うことはなかっただろう。きっと、
「時間の無駄だ」
とでも思ったからである。
自分が望んですること以外に時間を使うなど愚の骨頂と思っていた学生時代。特に大学三年生になってからというもの、そのイメージが強かった。
学生から社会人になるまでの壁は、想像を絶するものだと思っていた。それだけに、
「大学四年生というのは、死を前にした老人と変わりはない」
とまで感じていた。
それまでの浮かれた気分を払拭し、いかに社会人としての心構えを自分に植え付けることができるかが、大きな問題だった。
当時、洋一にも友達がいた。まわりが就職活動一色になっていれば、自分もその波に乗り遅れるわけにはいかない。のんびりしていれば、誰も相手にしてくれないことくらい分かっている。自分で何かを覚悟しなくとも、まわりが勝手に導いてくれるのだ。その思いが、洋一に心構えを植え付けさせてくれることに一役買ったのである。
洋一は、社会人になると、それまでなくなっていたはずの「余裕」を取り戻した。社会人一年生としての余裕はなかったが、精神的な余裕は、大学四年生の時よりもかなりあったのも事実である。
そのおかげで、休みの日に何もすることがなくても、気持ちに余裕があることから、
「何か行動さえ起こせば何とかなる」
という気持ちになっていた。
博物館を目の前に見て、
「行ってみよう」
と思ったのも、無理もないことだった。
その日は季節外れの寒さが朝から襲っていたが、昼前になる頃には、歩いていると汗ばむくらいになっていた。博物館の中に入った時は少し暑いとも感じられたが、すぐに快適になってきた。
――この感覚、好きなんだよな――
無駄に広いと思わせる管内には、ざわめきが感じられた。しかし、それも無駄な広さの空間が、まるで真空状態を作っているかのような佇まいで、吹いてくるはずのない風を心地よく感じられたのだ。
ざわめきも次第に気にならなくなる。
いや、気にならなくなるというのは語弊があるのか、意識はしているのだ。意識しながら、嫌だとは思わない。普段は静かなことに越したことはないと思っているのに、その時だけは、少々のざわめきなら、あったほうがマシだと思うほどだった。
あまり興味のある展示ではなかったので、漠然と目の前を流していく程度に見て行った。興味のない展示だったことも、ざわめきを感じさせる要因だったのかも知れないが、何気なくであっても、展示物を見ていると、吸い込まれそうな錯覚に陥るから不思議だった。
次第に空腹に襲われてきた。朝食は普通に家で摂ってきたのに、腹が減るというのもおかしな感じがした。博物館の入り口に入るまでは、確かに満腹感があったのを覚えていた。館内に入り、すぐに睡魔に襲われた。この睡魔は空腹では絶対に訪れるものではない。満腹な状態にこそ、訪れる睡魔だったのだ。
それなのに、展示を見ているだけで急に襲ってきた空腹感。一体どうしたことなのだろう?
考えてみれば、それまでにも同じようなことがあった。満腹感から間髪入れることなく空腹感に襲われることだった。しかも、その時に必ず睡魔がともなっている。その時の睡魔は独特で、睡魔を感じる中で、食べたいものが特定されていることが、空腹感に繋がっていたのだ。
家の風呂で湯気を見ながら思い出していたのは、その時のことだった。
その時に思い出した以前の空腹感がどのようなものだったのかまでは思い出せないが、博物館で感じた空腹感。そしてその時に何を食べたいと思ったのかは、思い出せたような気がしていた。
「そうだ、あれは安倍川餅だった」
安倍川餅というと、お餅のまわりにきな粉をまぶしてあるもので、お茶と一緒に竹のフォークを使って食べるのが理想だと思っていた。
以前から食べていた安倍川餅は、少しもちの部分が硬く、餅のように粘っこさがなかった。すぐにちぎれる感じだった。
甘味専門店で食べれば普通のお餅だったのだろうが、食べていたのは、蕎麦屋さんにデザートとしておいてあるものだった。今から考えれば当然のことだが、蕎麦屋さんで食べる餅は、そば粉で作られていた。普通のお餅と違うのも当たり前のことだった。
「これが安倍川餅なんだ」
と思って、子供の頃から食べてきたが、そば粉で作った餅は、洋一には物足りなかった。大学に入って男女数人で出かけた時に赴いたお店で食べた安倍川餅は、本当の餅粉を使っていた。
「こんなにおいしい安倍川餅、初めて食べた」
興奮に値するほどだった。
「そんなにおいしいかい? 普段は一体どんなのを食べているんだい?」
と言われて、
「全然味が違う。普段食べる安倍川餅の餅は味気なくて」
というと、一人の女の子が納得してくれて、
「お蕎麦屋さんで食べるからでしょう?」
と言われて、頷くと、その理由を話してくれた。
その場にいた連中もそこまで考えたことがないらしく、
「考えてみれば当たり前のことだけど、簡単なことなのに、発想するとなると、難しいよね」
と言っていた。
「安倍川餅のことを考えていると、他にも同じように勘違いしているものもたくさんあるような気がしてくるな」
それが、洋一のその時に一番感じたことだった。
それからの洋一は、おいしい安倍川餅を探すようになった。
甘党のお店の前にくれば、安倍川餅があるかどうかの確認をし、少々満腹状態でも、入ってみようと思った。しかし、実際に入ってみて食べてみると、確かにおいしいのだが、空腹ではなかったことで、かなり味を損しているような気がした。
ただ、普段感じることのない匂いを感じることができた。甘い香りは暖かさを含んでいるようで、普段なら空腹でなければ入らないはずの甘味のものも、その時は食べることができるような気がした。
空腹というのは、本当に食べたものが消化されて、お腹の中に何もない状態なのだと思えるが、満腹感というのは、半分は精神状態ではないかと思うようになっていた。
「デザートは別腹」
と言っている女の子がいるが、精神状態で、
「好きなものならいくらでも入る」
と思えさえすれば、少々なら空腹感に繋げられそうに思う。
しかし、実際に食べてみると、思ったよりも入らない。今度は胃が受け付けないのだ。
それはきっと、
――幻影に惑わされて、空腹感に浸ってしまったが、実際に体内で受け付けてしまうと、とたんに我に返ってしまい、一気に満腹感を引き出してしまう――
と考えられるであろう。
我に返ると、後悔してしまう。
「食べなければよかった」
そう思っても、その思いは苦しいと思っている間だけ、数日後には、もし同じシチュエーションであれば、また同じことを繰り返しているに違いない。
――自分を惑わす幻影はどこからくるというのか?
洋一は、睡魔が大きく関わっているような気がする。空腹感と満腹感の間で一番の大きな違いは、
「満腹感には、睡魔が隣り合わせで付きまとっている」
と思っている。襲ってきた睡魔の中でも、またさらに匂いを感じさせるものがあるのだとすれば、それは本当に、
「別腹」
と言えるものではないだろうか?
洋一にとって安倍川餅が一時期、そんな存在だったのだ。
博物館で睡魔に襲われた時に感じた匂い、あれこそ安倍川餅だった。今目の前で湯気を見ながらそのことを思い出していると、昔の懐かしい安倍川餅の匂いがしてくるような気がしたのだ。
「そういえば、博物館なんて、ずっと行ってないな」
といまさらながらに感じた。今までに何度か行ったことはあったが、いつも一人だった。デートで博物館に行きたくなるような女性と付き合ったことがなかったという理由と、博物館に行くくらいなら、もっと他のところに……という思いと、それぞれ半々だった。
今では、デートに博物館を使わなかったことを後悔している。一人で赴くのと、気分的にどのように違うのか、感じてみたかったというのが本音である。
いまさらデートする相手もいないのだが、博物館に行くと、今だったら、また違った印象を感じるかも知れないと思った。
さっき、安倍川餅のことを思い出したのも、博物館のことを思い出させるための伏線だったのかも知れない。
だが、本当の順序は、睡魔に襲われた時、博物館のイメージを思い出し、その時の印象としての安倍川餅を思い出したのかも知れない。それでも、博物館を思い出すためには、安倍川餅の記憶は不可欠だった。
どちらから先に思い出したのかは別にして、一つのことを思い出すと、それが二にもなり三にもなる。そんな相乗効果を生むことになったのだろう。
安倍川餅の醍醐味はきな粉だった。きな粉がなければ安倍川餅ではない。しかし、蕎麦屋でそば粉を使って作る安倍川餅も一般的に食されていることから、餅の違いを強く認識している洋一にとって、餅の存在も、決して無視できるものではなかったのだ。
女性というものも安倍川餅と似たところがある。
相手のどこを見るかによって、その人の魅力が変わってくる。その人の魅力が変わるという言い方はおかしいが、見る角度を変えてもいないのに、見え方が違っていることがある。相手も生きていて動いているのだから当然のことなのだが、相手が女性だと思うと、その当たり前の発想がなかなか自分の考えに結びついてこなくなる。
「今度の休み、博物館に行ってみよう」
今回の展示は、歴史的な展示であった。少しは興味が持てそうな気がした。
その日も朝の寒さに比べて、昼に近づくにつれて暖かさが感じられた。風は生暖かく、花の香りを運んでくるようだ。
「花の香りを感じるなんて、いつぶりのことだろう?」
毎年、春先には感じていた匂いだったはずなのに、ここ数年は感じることもなく過ぎていたような気がする。
「最後に感じたのは、いくつの時だったのだろう?」
などと思うのも、仕方のないことだった。
彩名と二人だけで会うようになったきっかけが何であったのか、思い出そうと思った。いつもであれば、自分の年齢を考えれば、そんな大それたことができるはずがないと思うに違いないのだが、その時はなぜか、どうでもいいように思えた。
「彩名と話をしていければいい「
それはまるで娘を見ているような感覚だったのだが、その時どうして、
「嫌われたらどうしよう?」
という気持ちが生まれてこなかったのだろう?
そんなことを少しでも思ったら、二人で会おうなどというきっかけを自分から作り出すことはなかったはずだ。
――ということは、本当のきっかけを与えてくれたのは、彩名の方だったということなのか?
自分の方からきっかけを作ったかのように思ったのは、二人で会うようになるまでに違和感がまったくなかったからだ。もし、彩名の方からそのきっかけを与えてくれたのであれば、男としては違和感があってしかるべきだと思っている。そもそも違和感などというのは、二人の間には最初から存在しなかったのかも知れない。
そう思うと、二人で会うようになってから、
「ずっと一緒にいたい」
などという思いは不思議となかった。
「釣った魚に餌をやらない」
という言葉があるが、二人だけで会うことができるようになっただけで満足してしまっているのだろうか? その後会えなくなったとしても、それはそれでいいとでも思っているのだろうか? そのあたりが二人の間に存在する距離感なのかも知れない。
――遠いのか近いのか分からない――
無駄に広いと思っている博物館の中に入って、エントランスで博物館の内部を見渡した時、彩名のことを思い出していた。
「彩名と俺は、このエントランスの中に二人だけでいるようだ」
その場所は定かではない。くっついているのかも知れないし、お互いに遠くの方に存在しているのかも知れない。
だが、二人の間に距離感を感じないということは、くっついていても、一番端の方にいたとしても、同じ空間に存在してさえいればそれだけで満足だった。
「彩名も同じ思いでいてくれているに違いない」
そんな思いがあることで、エントランス内にも前に来たのと同じ時に感じたようなざわざわとした雰囲気があったが、音は聞こえなかった。雰囲気としては喧騒としているのだが、洋一の頭の中は、真空の空間が広がっているだけだった。
「彩名と二人で、この博物館に来てみれば、どんな気持ちになるだろう?」
そう思うと、広い空間の中に点在している、米粒のような存在にしか感じない人間を一人も感じることはないだろう。どんなに人がいたとしても、この空間は彩名と自分の二人きりだと思うに違いないと感じていた。
だが、実際に博物館の中にいる彩名の顔を思い出そうとすると、思い出すのはこの間のスナックで感じたのっぺらぼうだった。
「もう一人誰かいる?」
そう、のっぺらぼうになっている、
「もう一人の自分」
を感じずにはいられなかった。
どうやら、最近の洋一は、誰か気になっている女性を思い浮かべたり、凝視しようとすると、もう一人の自分を感じてしまうようになっているようだ。そこには、普段感じることのない感覚が、考えすぎることによって引き起こされるマヒによって、妄想にも似た「もう一人の自分」
を作り出しているのかも知れない。
彩名と二人で会うようになって、最初の頃は、一緒にいない時も彩名のことを思い浮かべていた。妄想することがこんなに楽しいということをいまさらながらに思い知らされたからだったが、次第に、妄想もしなくなった。
妄想も、有頂天になった状態でしていると、次第に飽きてくるようだ。飽和状態の中で妄想してみても、その先に見えるものは、
「マヒしてしまう感覚」
ではないだろうか。
洋一は、彩名の幻想を飽和状態の妄想に閉じ込めてしまっていたのだ。
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