セルフィッシュなプレデター
ぬ
第1話
中学生の頃、オフィスラブを主題にしたドラマに熱中していた。大手男性アイドルグループの売り出し中メンバーと、これまた事務所の猛プッシュを受けた若手女優が主演を務めたありがちな作品。今となっては細かい内容を思い出せないが(得てしてこういったドラマの内容は記憶に残るほど大したものではない)、すれ違いを乗り越えた二人が会議室の中で熱いキスを交わすシーンだけは今でも鮮明に思い出せる。中学生の時期なんていうのはまさに思春期真っ盛りであって、私は胸をときめかせながら自分の将来に想いを馳せていた。
しかし、ドラマのヒロインの年齢を追い越し、彼らのようなオフィスワークに従事するようになると冷静になってしまうものだ。真昼間の会議室で男女が盛り合うなんて、実現不可能だろうと。
だから、中学生の私や入社直後の私が知ったら驚くに違いない。そう遠くない未来の自分が、薄暗い会議室の中、女性の腕の中で情けなく身体を火照らせているなんて。
「もういいでしょ……!」
彼女が私のスカートを捲り上げようとしているのに気付き、彼女の薄い肩を押した。ブラウス越しに触れただけでも、浮き出た鎖骨がはっきりと感じられる。
「だめだよ」
今度は逆に肩を押され、半ば叩きつけるようにして無機質な白い机に押し付けられる。僅かな痛みに思わず顔を顰めたが、思いのほか大きく鳴った音の方が心配だ。美空はそんなことを全く気にしていないのか、すぐさま覆い被さるようにして唇を押し付ける。
あぁ、これはもうダメだ。彼女の舌が唇を割った時、得体の知れない何かが背中を駆けずり回るような感覚に襲われた。逃げるように背中を浮かせようとする私の身体を美空が押さえつける。無駄な贅肉はおろか、筋肉すらないのではないかと思わせる華奢な身体からは想像もつかない力だ。女性特有の柔らかさを排し、男性特有の言葉にできない圧迫感をも持ちえない彼女のことが、時々純粋な捕食者のように感じられた。スカートが捲り上げられる。吐息とともに「いや…!」と声を漏らしたが、抵抗の意思がないのは自分にも彼女にも明らかだ。彼女が唇を離した隙に逃げるように吸い込んだ息は、耳の中に舌が侵入する感覚とともに、喘ぎとなって漏れ出る。
ここは会議室だ。
私はそれだけを考えながら声を出さないよう努めたが、今の私にとってはもう、情けなく喘ぐことだけが唯一の呼吸の手段だった。耳元で鳴る湿った唾液の音。背中を支える机が頼りなさげに鳴らす音、そして私の喉から鳴る媚びるような音。どれが私にしか聞こえない音なのか、わからなくなる。彼女の指が、ストッキングと下着に覆われた部分をなぞった。脳内で、光のない青黒い火花が弾けるような感覚に襲われる。弾けた火花は消えることなく、そのまま粘着質な液体となって私の身体に気怠く圧し掛かる。
「するならちゃんと脱がして……!」
美空は返事をしない。私は唐突に化け猫を思い出した。薄暗闇に光る
15名は収容できようかという会議室は、この会社の中でも大きい方から数えた方が早い。実際、会議室予約システムの表記では、大会議室となっている。美空曰く、
「小さなミーティングルームを使う人はこんな時間でもたまにいるけど、だだっ広い会議室を使う人はいないんだよね」
とのことだ。荒い呼吸が落ち着き始めると、興奮の証で濡れそぼった下着に不快感を感じた。呼吸が整っても、全身を包み込むような気怠い感覚は一向になくならない。一方の美空は満足げに伸びをして、眼鏡を掛け直していた。顎のラインで切り揃えたボブの隙間から、刈上げられた耳周りにテンプルが通るのが見えた。髪を下ろしていたらわからないが、彼女は耳周りを肌が透けるほどに刈上げた攻撃的なヘアスタイルをしている。
「ちょっと煙草吸ってくる。私、もうちょっと残業して帰るから、
彼女はその身勝手さに悪気を覚える様子もなく、会議室を去ってしまった。私の返事も聞かずに。
眉間に皺を寄せながら私の近況を聞き終えた
「別れなよ、そんな彼氏」
誤魔化すことのない率直な意見に私は曖昧に笑った。大学で同じゼミだった皐月とは三十歳を過ぎた今でも仕事帰りに一杯飲む仲だが、私の性的嗜好について明かせてはいない。
「奈那から恋バナ聞くなんて久しぶりだったからさ、私これでも結構応援してたんだよ。でもその男、仕事ばっかりでデートもなし、家に来たらほとんどセックスだけでしょ?おまけに煙草!」
「それは皐月もじゃん」
童顔な皐月がおどけたように舌を出すと、大学生の身体のまま時間が止まったように見える。しかしよく見ると、目尻のちょっとした皺に、やはりその年齢は表れていた。皐月は慣れた手付きで煙草に火をつけると、細く煙を吐き出した。
「どこがいいのよ、その男。顔?」
「顔はめちゃくちゃにいいよ」
結局顔かよ、と皐月は失笑した。
「ゼミの
そんな昔の話をよく覚えているものだ。和也先輩の場合のそれはただの体の良い言い訳に過ぎなかったものの、実際私の恋愛感情は相手のルックスに大きく左右された。学生時代、私が唯一恋に堕ちかけたのは、大学祭のステージでベースを奏でていた、名も知らぬ青髪の女性だけだった。ちっとも面白くなさそうな顔をしているのに、演奏する彼女の全身が、音楽をすることが楽しくてしょうがないと訴えかけていた。客観的に存在している世界ではなく、彼女の中にしかない世界を見据える瞳、そして弦を弾く骨ばった細長い指。輪郭なのか陰なのか判別のつかない程、直線的に削ぎ落されたフェイスライン。私は彼女の姿を思い浮かべようとしたが、鮮明に描こうとすればする程、映し出されるのは美空の姿だけだった。
皐月は私がいけ好かない男に惹かれてしまったことについて、嘆くように、しかしどこか面白がるように意見を述べ続けた。私はそれに気分を害されながらも、やっと自分が恋愛トークの主題となれることに喜びを感じていた。
セルフィッシュなプレデター ぬ @nu_sousaku
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