影駆ける夜は
kgin
第1話 影駆ける夜は
月がかかる小高い丘の頂上、一本の大木を横切るように不気味な影が走った。あたりは、先程までの喧噪が嘘のように静まりかえっていた。戦火を逃れた大木は、戦そのものを知らなかったかのようにぽつねんと立っていた。その大木の足下、古ぼけた
影は手負いの男だった。
戦あるところにこの人ありと言われた男だった。敵将に死に神とあだ名された男だった。魔性の炎を纏った剣に貫き通せぬものはなく、数々の戦場で鬼のような戦果を挙げてきた。戦うことしか取り柄がなく、戦うことにしか生きがいを見いだせない男だった。味方にすら恐れられ、友の一人もおらぬ孤高の戦士だった。
ある日、歴戦の功によって男は勲章を授かった。深紅に輝く勲章を
腹の傷が痛む度に、男は少女のことを思い出した。
そして、その度に言い知れぬ虚脱感と絶望感に見舞われた。己の武勲は、己の生き様は、一体何なのか。全身の血液が鉛のように重く沈んだ。次第に男は、戦うことに懐疑的になってきた。刀も研がず、寝食も忘れて、自問自答した。それでも戦は待ってはくれなかった。
男は今、静かに目を閉じて終わりを待っている。晴れた静かな夜だ。大木の隙間から射す月明かりが眩しいほどだ。奇しくも不意打ちで食らわされた傷は、件の傷と重なっていた。肉の切れ目から血が滲む感覚が熱い。もう、指一本も動かしたくなかった。
(ついに、年貢の納め時か)
痛みと裏腹に頭の中は冷え切っていくようだった。惨めな最期だと思った。戦いを生業に、人の死を糧に生きてきた己には、お似合いだ。細く、大きく息を吐いた。
その時だ。ふいに、男の痩けた頬の上を生温いものが這った。熊か、狼か。男はハッと目を開けた。すると、目の前に、驚くほど黒く、おののくほど間抜けな顔の犬がいるではないか。短い四肢は不格好に和み、ちょうど口笛を吹くような表情でこちらを見ている。その口元に、わずかに男の血がついている。
(さっきのは、こいつか?)
こんな
「お前はお前のように生きればよいではないか」
その声に、急いで体を起こして犬を見ると、賢者のような表情の犬が静かに微笑んでいた。月のような光を纏って香るようだ。先程まで漆黒に見えた犬の瞳は、優しく濡れて、ちょうどロゼッタの女のようだった。瞬間、男は悟った。男が悩み、苦しみ、敗れ、追われてここに辿り着いたことは、全て必然だったのだ。男は、息を呑んだ。そして、力強く言った。
「感謝するぜ お前と出会えた これまでの全てに」
男の体に紅い炎が宿った。その炎は男の全身を包んだ。細胞から魔力を絞り出すようにして、男は立ち上がった。そして大地を踏みしめて、一歩また一歩と歩き出した。風の鳴る方へ向かって。
影駆ける夜は kgin @kgin
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