第16話 亡霊廃墟Ⅱ


 見渡す限りの黒い世界。

 その中に、シグルはぽつんと立っていた。

 視界の中に文明社会の痕跡らしきものはなく、ただ広い、なにもない空間が広がっている。

 熱くもなければ寒くもない。

 虚無が体現したような、そんな場所だ。


 

「──なん、だ……?」

 ウェステルの街でBB使いたちの死体を見つけた直後だ。

 突然現れた何かがアルクに襲い掛かり、それを庇って攻撃を受けた。

 そしてその瞬間、意識が飛んだ。

 いや、実際には分からない。

 ただそう解釈することしかできないというだけで。


「ここは……」

 攻撃を防いだ瞬間に意識が刈り取られ、さてどれほど気を失っていたのか。

 いや、気は失っていないのかもしれない。

 攻撃を受けた瞬間には視界がブラックアウトし、まばたきする間にこの空間に立っていたのだから。


「あの一撃で死んだ……? いや、そんなこと……」

 あるのだろうか。

 影は四足だった。

 それに交錯の一瞬感じた気配。

 直接会ったことはないが、全体としては馴染みのある獣の気配だ。

 獣の血ではない。

 あれは堕ちた獣の気配だ。


「MIAだった連中の……死体が見えなかった最後のひとりってとこか」

 足し引きの辻褄は合う。

 そんなことを考えていると、視界に変化が起こる。

 視界が色づき、ウェステルの街並みが現れた。

 だが先ほどまで見ていたウェステルではない。

 亡霊廃墟と呼ばれる以前の、観光街としてのウェステルだ。


 そしてそのウェステルのど真ん中に、彼は立っていた。

 シグルと同じミクストラ軍の戦闘服に身を包んだ、少し年上の少年兵だ。

 灰色の髪に紫の目を持ち、シグルをまっすぐ見つめてくる。

 ──間違いない。ウェステルに来る前、ミストルティア基地で見せてもらった画像データに同じ顔があった。

 MIAのハウンド班、班長。ミストルティアのハウンド・ワン。


「見ない顔だね」

 ハウンド・ワン微動だにしないまま問いかけてきた。

 よく通る、優しい声だった。

 


「アスガルド基地のビーストハント隊隊長、シグル・ウールヴ。……アンタたちミストルティアのビーストハント隊の捜索に駆り出されたんだ」

「あぁ……。そうか、そうだね。僕たちが帰らなきゃ、当然そうなるか」

「……状況、分かってるのか?」

 問いかけに、ハウンド・ワンは苦笑を浮かべた。


「この街の外のことはなにも。でも、この街の中のことならね。だからキミたちにも接触したんだ」

「接触? どう考えても攻撃だっただろ」

 姿を消して物陰に潜伏していたか、あるいは速度を活かして接近したか、どちらにせよ友好的な接触方法ではない。

 それが友軍ともなれば、なおのこと。


「すまない。でも、僕にはもうああいうやり方しかできない。僕がまともに思考して喋れるのは、この空間だけなんだ」

 なにせ、とハウンド・ワンは続ける。

「僕はもう、墜ちてるからね」


 やはりか、とシグルは心中で呟く。

 あの一瞬感じた気配は間違いではなく、姿を見せたのは堕獣化したハウンド・ワンだったわけだ。

 恐らくウェステルに遺されていた死体は、ハウンド・ワンの仕業だろう。

 最初にハウンド班がMIAになった際、ハウンド・ワンが堕獣化。

 後続の班を襲った。

 あるいは、戦闘中にハウンド・ワンが堕獣化し、同じ班の仲間も殺したかもしれない。

 どちらにせよ、救い様はないということだ。


 だが冷静にそう分析する傍ら、理解できないこともある。

「ここはなんなんだ? 堕獣化したアンタと、今のアンタ。どうしてこうも違う?」

「……ここは境界だよ」

 急にハウンド・ワンの声が冷えた。

 いや、冷えたのはこの空間そのものか。


「生と死、人と獣、正と負。ここはそんなものの境、あわい。そんなところさ」

「境界……?」

「概念世界、と言えば分かりやすいかな」

BB使いは概念に干渉する。それはBB研究家たちの間で一定の支持を得ている考えであり、シグル自身も納得している考えだ。

シグルは戦いの中で、牙であり人間体の口にしか発生させられないと考えられてきた狼牙を、腕に纏わせることができるようになった。

これは狼牙という概念を腕に押し付けているのだ。

だから当然、他の人間にそれができてもおかしくはない。

そしてこの場合──。


「アンタが、触れた相手を概念世界に引き込んでるわけか」

「そうだね。正解だ。いわゆる先祖返りかな。堕獣化する瞬間、僕はそういう力を手に入れた。今喋っている僕は、堕獣化した際に消えるハズだった理性だ。体は獣に明け渡したけど、消える前にこの先祖返りの能力に取り込まれた……そんな感じかな」

 僕にもよくわかってないけど、とハウンド・ワンは笑う。

 概念への引き込み。そして引き込んだ概念の大本がハウンド──犬であるなら。

「ブラッグドッグ──ワイルドハントってやつか」

 遭遇したものを死へと誘う狩猟団。

 それがワイルドハント。

 遠い国に語り継がれる伝承であり、その国の血はBB使いたちにも流れている。


「そう。僕はキミたちを死へと誘う存在になった。絶望や苦痛に満ちた死じゃない。……仲間と共に旅立つ、そんな死だ」

 言葉の直後、ウェステルの街に影が増える。

 1人、2人、3人。

 それらは見つけた死体と同じ顔をしていた。


「彼らは緩やかな死を受け入れた。戦場に生きる意味を持たないからだ」

「獣に生まれたから」

「ただ戦わされて」

「ただ死んでいく」

「そんなのは嫌だ」

 死を選んだ者たちの声が響く。

 誘うように、シグルへと。


 そしてウェステルの街が移り変わって行く。

 観光街から、人々が避難して誰も残らなくなった街へ。

 人のいない街からさらに、戦火に飲まれた戦場へ。

 ミクストラ軍が撃ち、その弾幕を抜けて鎧獣が迫る。

 防衛戦が撃ち破られ、次々と軍人が死んでいった、

 その中には、今のシグルと同い年や、さらに幼いBB使いの姿もあった。

 ──おおよそ地獄というのは、こういうものを指すのだろうと、漠然と思う。


「使い潰され、獣として死ぬのは僕ひとりでいい。だからキミも、キミたちもどうだ?」

 ハウンド・ワンが手を伸ばす。

 その手を取れば、シグルは死ぬのだろう。

 ハウンド・ワンが手に入れた概念はそういうものだ。

 戦火に絶望し、獣に墜ちたその少年兵が。

 同じ絶望を味わった仲間たちを、これから味合うかもしれない人類を、受け入れて死へと誘う亡霊犬。

 

「──俺はいつ死んでも構わないと思ってる。将来なんてどうでもいいし、未来なんて望まないから。けどな──みんなそうすればいいのに、そうしない。みんな揃って、戦い抜いた先のことを夢に見ている」

 シグルの脳裏に浮かぶ、過去の仲間たちと、今の仲間たち。

「死ぬことは怖くないし、いつ死んでも、必死の作戦を命じられても、俺は従う」

 けど、とシグルは続ける。

「班長が俺を守ってくれたように、俺も誰かを守りたいんだよ。だから、助かる道が見えてる内は死なない。死を恐れもしないが、死を選びもしない。守れるだけ守って、ひとりで死ぬよ、俺は」

 誘いの手に腕を伸ばし、けれど掴むことなくハウンド・ワンの胴体を貫いた。


「外の死体……。傷がないのが、死を受け入れた連中だろ。ここに現れた人数と、外で見た傷のない死体。一致するからな」

 では残りは?

 傷まみれで死んだ死体の死因は。

 ここに現れない隊員たちは。


「獣に概念なんて理解できない。ブラックドックの中核はアンタだ。理性であるアンタを拒めば、俺はこの世界から弾き出される」

 世界が音を立ててひび割れていく。

 ハウンド・ワンは、それを物悲し気な目で眺めていた。

 憐憫、だろうか。


「ここを弾き出された奴は、体に残った獣に殺されるってことだろ」

「……緩やかな死を拒めば、訪れるのは絶望と惨憺たる死だよ」

「そうかよ。……ま、それで俺は死なないけどな」

 そう笑いかけた直後、概念世界が砕け散る。


 ──瞬きの後に視界に映ったのは、全身を黒く染めた一匹の犬だ。

 そして、ボロボロになったウェステル──亡霊廃墟。

「ガァァッ!」

「──ッ!」

 飛び込んできた犬──ハウンド・ワンを、シグルは鋭い呼吸と共に弾き飛ばした。

 突き出した腕が纏うのは、狼牙──シグルが得た概念だ。

 ハウンド・ワンとは違い、自身の外側へ身に着けた、獣への深度を現す指標。


「シグル!」

「ゴメン、ありがと……!」

 概念世界で経過した時間と、現実世界で経過した時間は同じではないらしい。

 向こうでそれなりの時間会話したはずだが、2人の反応にはその間のシグルの動きを咎める声がない。


「いや……。大丈夫か、アルク」

「うん。シグルは?」

「俺も平気だ」

 そう言って、3人で瓦礫に叩きつけられたハウンド・ワンを見やる。

 既に体が砕け、もう長くないことは目に見えていた。


「堕獣化してるよな……。こいつが、友軍を?」

「ま、そうだな。そんなところだろ」

「なら、とっとと報告上げちまおう。……こいつも、アイツらも、還れるところがあるんだからな」

 ユースが言い、アルクも頷く。

 概念世界のことを話すべきか迷い、止めた。

 話はミストルティアに戻ってからでいい。


 シグルもユースの言葉に頷いて、2人に念のため周辺の警戒をするように命じた。

 MIAの謎は解けたが、そもそもここは戦場だ。

 気を抜いてはいけない。


「……ハウンド・ワン」

 通信機に触れる前に、シグルは振り返って死体を見る。

「──もう長くはなさそうなんだ。だからすぐ、お前のところに行ってやるよ」

 そう語りかけるシグルの腕は、まるで狼の体のように、灰色に変貌していた。

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獣狩りの獣 結剣 @yuukenn-dice

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