個人情報はなしでお願いします!

「アンチェラ、まじか?」


 夕刻の時間が迫る中、冒険者パーティー、バラの騎士で前衛を務めるハワーズは、横を歩くアンチェラへ問いかけた。


「何か問題でも?」


 アンチェラの答えに、ハワーズはバツの悪そうな顔をした。


「別に問題はないが、本気かと聞いているんだ」


「もちろん本気ですよ。それにこの店は、女性の相手をしてくれる方もいるそうですから、何の問題もないかと思いますが?」


「いや、その娘の情報を確認するだけなら、俺だけで十分だと言いたいだけだ」


 そう言うと、自分の体を指さした。流石に今は鎧を着ていない。その代わりに、少しは懐に余裕がありそうな体を装っている。


「二人で聞いた方が、効率がいいと思います」


「まあ、あんたがそう言うならそうなんだろうな」


 ハワードは頭をかきつつ、目の前にある建物をながめた。それは庶民街一番端に立つ平屋の建物で、横にならんだ格子窓のいくつかからは灯りがついている。


「日も暮れてきましたし、そろそろ営業開始みたいですね。邪魔がはいらないうちに行きましょうか?」


「そ、そうだな」


 ハワーズいまいち乗り気れない気分のまま、アンチェラの後ろをついて行った。風雨にさらされた木の扉をくぐると、小さな燭台の灯りと受けつけらしき机が見える。その机の向こうで、化粧の濃い女が一人座っていた。


 この手の場所にいるにはその化粧はだいぶ薄い。それに相当にましな、いや、こんな場末にいるとは思えない女だ。


「お二人さん、申し訳ないけど、うちは部屋だけ貸すのはやっていないんだ」


 女はハワーズとアンチェラを眺めると、小さく肩をすくめて見せた。


「いえ、部屋を借りたいわけではありません。わたしたち二人、それぞれの相手をお願いします」


 アンチェラの台詞を聞いた女性が、驚いた顔をする。


「あんたもかい?」


 そう告げると、アンチェラの頭のてっぺんから足の先をじっと眺める。


「ええ。ここは女性の相手をしている方もいると、聞きましたけど?」


「まあ、いるにはいるけど。あんたみたいに、相手に苦労しなさそうな人は珍しいからね」


「それと、ここでは赤毛の別嬪さんに会えると聞いたんだが」


「別嬪さん?」


「ああ、その絵が飾ってあると聞いた。知り合いがとてもほめていてね。見せてもらってもいいかな?」


 ハワーズの台詞を聞いた女性が、小さく含み笑いを漏らした。


「別嬪さんね。うちは全員が別嬪さんだから安心しておくれ。でもちょっと時間が早い。準備終わるまで、そこの椅子に座って待っていて」


 そう言うと、女性は椅子から立ち上がって、布で仕切られた奥へと向かう。


「まずかったか?」


 それを見送ったハワーズが、アンチェラに小声で聞いた。


「とっても。子供のお使い以下です」


「どうする?」


「今さら遠慮しても無意味です」


 そう告げた瞬間、アンチェラが部屋の奥へ向けて走り出した。ハワーズもその後を追う。通路の両脇に扉がいくつか並んでいるが、そのどれからも人の気配は感じられない。それでもハワーズは各部屋の扉を開けていったが、やはり誰もいない。


「逃げられたか!」


「ただの売春宿ではないですね。準備がよすぎます」


 アンチェラはそう答えると、通路の奥へと進んだ。その先には洗濯物の入った籠がおかれ、天井からは多くの薄布の下着が干されている。


ラグース旋風よ来たれ!!」


 アンチェラが速攻呪文を唱えると、女たちの下着や洗濯物が吹き飛び、その向こうに通用口らしい小さな扉が顔を出した。ハワーズは扉を蹴り飛ばして、その先へ身を乗り出す。だが弩が放たれる風切り音に、慌てて首を引っ込める。そして背後で呪文を唱え始めたアンチェラに向かって、慌てて首を横に振った。


「アンチェラ、派手なのはなしだ。人が集まる」


 そう告げると、足元の空き箱を手に、再び扉の外へと飛び出した。


 ヒュン、ヒュン、ヒュン!


 再び風切り音が聞こえたが、ハワーズは手にした箱でそれを受け止める。箱を盾にしたままハワーズが辺りを見回すと、そこは猫の額みたいな広場になっており、薄絹を羽織っただけの女たちが、石弓を片手にハワーズたちへ狙いを定めていた。そして広場の真ん中では背の高い男が、細身の剣を手に立っている。


「おいおい、客に対して随分と派手な歓迎じゃないか?」


「お前たちは客ではない。何者だ?」


 男の問いかけに、ハワーズは首を横に振って見せる。


「客だよ。ハマスウェルは美人が多いとは聞いていたが、こんなに気が荒いとは知らなかったぞ!」


 それに答えるように、女たちの手にする石弓から再び矢が放たれた。だが矢はアンチェラの唱えたウォールの呪文に、行く手を阻まれる。同時に両手を上げて見せたアンチェラが、ハワーズの前へと進み出た。


「皆さんの邪魔をするつもりはありません。とある女性の話を聞きたいだけです」


「お前たちの目的はそれか?」


「はい。もちろん謝礼は十分にお支払い致します」


「話すつもりはない。それに人も呼んである。ギルドへ連絡されたくなかったら、さっさとここから出て行ってくれ」


 それを聞いたアンチェラが大きくため息をついた。


「穏便にものごとを進めるつもりでしたが、仕方がありませんね。皆さんをもっと静かなところへご招待させていただいて、そこでゆっくりとお話を聞くことにします」


 アンチェラの右手の先に小さな炎が灯った。それに呼応するように、広場の周りから空に向かって淡い光の柱が何本も上がる。


「転移魔法か、すぐにここから離れろ!」


 男の言葉に、女たちが慌てて広場の先にある路地へ向かって走り出した。だがそこですぐに足を止める。


「ランド、出られないよ!」


「これで少しは話す気になったかしら?」


 男が剣を手に、アンチェラへ向かって跳躍する。ハワーズはその前に出ると、手にした短剣の切っ先を弾き飛ばした。そしてその喉元へ向けて剣を差しだす。だが小さな人影がその前に躍り出たのを見て剣を止めた。


「クラリス!」


「お嬢さん、危ないから下がっていてもらえないか?」


 ハワーズは少女の体を横によけようとしたが、少女の体が白く輝きだすのを目にすると、慌てて背後へ飛びのいた。目を開けていられないほどの光に、辺りが真っ白になる。


 グゴゴゴゴゴ!


 大きな音と共に光はどこかえと消え去った。恐る恐るハワーズが目を開けると、広場のあったところには大きな穴が開いており、少女の姿はもちろん、細身の男も女たちの姿もない。


「おい、転移魔法ってこんなに派手だったか?」


 アンチェラはハワーズの問いかけに答えることなく、目の前に開いた穴をじっと見つめている。


「おい、ランセル。どうなっているんだ!」


「大声を出すな。耳が痛くなる」


 ハワーズの呼びかけに、建物の通用口から杖を持ったランセルが顔を出した。その背後からは不機嫌そうな顔をしたタニアと、真っ白な髪を持つ少女も続いている。


「失敗ね。でも転移自体は、行われたみたいだけど?」


 アンチェラはそうつぶやいくと、背後に立つランセルの方へ視線を向けた。


「その通りですよ。転移魔法そのものは働きました。でも暴走です」


「あの子の仕業?」


 ランセルがアンチェラに頷いて見せる。


「おそらくそうでしょう。でも何者ですか? 人がマナになったのか、それともマナを固めて人にしたのか、あんなのは文献でも見たことがありません。しいてこれに近い事象を上げるとすれば――」


「ランセル、めんどくさいのは抜きにして。それで、どこへ行ったかは分かる?」


 タニアが、不機嫌そうな声でランセルに問いかけた。


「さっぱりですよ。この世界にいるかどうかすら定かではありません」


 その答えに、タニアが大きく頬を膨らませる。


「何の役にも立っていないじゃない。やっぱり、回りくどいやり方は抜きにして、本人を捕まえるのが一番早かったんじゃない?」


「危険ですが、それしかないようですね」


 アンチェラもタニアに頷いた。


「でも手掛かりはどっかへ行っちゃったし、どこへ行ったのかは分からないんでしょう?」


「普通に考えれば、西へ、アビスゲイルの港へ向かうんじゃないのか?」


 そう答えたハワーズに、アンチェラが首をひねって見せる。


「そうでしょうか? これまでの足取りを見る限り、何か目的があって移動しているようには思えません。だとすれば――」


「南ね。ここの寒さには、私もうんざりしてきたところよ」


「タニア、これでも冬の荒らしが去った後だから、相当にましなのだよ」


「ランセル、聞いていないことを勝手に答えないで頂戴。それよりもさっさとここを離れて、南に向かうわよ」


 そう告げると、タニアは忌々しそうに、首元にまいた北限狐のマフラーへ顔をうずめた。その時だ。


 グゴゴゴゴゴ――。


 どこかからまるで地鳴りのような音が響いてくる。


「な、なんの音!?」


 タニアが慌てて辺りを見回す。しかしすでに辺りは真っ暗で、音の元らしきものはどこにも見えない。気温が急激に下がっているらしく、建物の壁に白い霜が張り付いていくのが見えた。


「奴らの呪文!?」


「違います。冬の荒らしが戻ってきたようです。あれが去るまでは、ここを動くことはできません」


「どうやら、ここを出るのはしばらく後になりそうですね」


 アンチェラの台詞に、ランセルも同意する。それを聞いたタニアが呆気にとられた顔をした。


「それって、戻ってきたりするものなの!」


「とっても怒っている」


 不意に抑揚のない声が響いた。タニアはじめ、全員が声の主を見つめる。真っ白な肌と真っ白な髪を持つ少女だ。


「あんた、言葉がしゃべれたの?」


「ええ。あなたとしゃべれるわ。それにあれはとっても怒っている」


「どういう意味?」


「私と同じ。自分の役割を止められたから」


 そう告げると、少女は骨の様に真っ白な指で、星の消えた暗闇の先を指さした。

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