無かったことにするって、ありですよね?

「ここから一歩でも動いたら、命はないわよ!」


 洞窟の出口でそう三人に告げると、私は辺りを見回した。辺りは夜明け前に戻ったのではないかと思うほどに深いもやに包まれている。


「サラさ~~ん!」


 私は洞窟を出るなり、大声で叫んだ。


「アイシャ……」


 私の耳が小さな声をとらえた。どこだ。声のした辺りを必死に見回すと、赤黒い不気味な色の藪みたいなものにからめとられた姿が目に入った。


「サラさん!」


 そこに駆け寄って、短剣を手にツタの一本一本を切り離す。一本切り裂くたびに、ツタは人間の血そっくりな赤黒い樹液をまき散らしてのたうち回る。めんどくさいことこの上ない。これを全部切り裂いていくと間違いなく日がくれそうだ。いきなり襲われたことをはじめ、だんだんと腹が立ってくる。


「いい減にしろ!」


 私は手にした短剣を根本あたりに突き刺した。私の怒りが通じたのか、それともたまたま急所に剣がささったのか、あれほどしぶとかったツタは、あっというまに茶色く変色してかれていく。そして今度は砂糖菓子みたいに、ポキポキと簡単に折れてくれた。


「サラさん!」


 サラさんの体を茨の中から引っ張り出す。


「アイシャ、よかった。無事だったんだね」


 体の自由を取り戻したサラさんが、私に告げた。どうやら大きな怪我は追っていないらしい。本当に良かった。


「下手を打ったよ。申し訳ない」


 そう告げると、私の肩にそっと手を置いた。


 でも抜け出そうとしてついたらしい、ひっかき傷が顔や腕にたくさんついてしまっている。なんてことをしてくれるんです。肌は、何より顔は女の命ですよ!


 思わず、洞窟の前でうなだれて立つ三人を睨みつけた。サラさんも三人の方へ視線を向ける。そしておもむろに腰から剣を抜く。その眼は間違いなく本気だ。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


「アイシャ、まさか止めるつもりじゃないだろうね?」


 サラさんが殺気のこもった眼で私を睨みつけた。私まで殺されそうな気分になってしまう。三人に至っては恐怖に体を震わせながら、蒼白な顔でこちらを見ている。


「殺されかけたんだ。ギルド法で認められた正当な権利だよ」


 サラさんがそう思うのは当たり前だ。やられたらやり返す。それも徹底的に。それが私たち冒険者の掟みたいなものだ。でも今回の相手はそうじゃない。


「どうやら、この子たちのせいではないみたいなんです」


 私は折った杖と、剣、弓をサラさんの前へ差し出した。


「彼らから武器を取り上げました。そうしたら、三人とも私たちにあったことすら覚えていないんです」


「アイシャ、そんなとってつけた言い訳を信じるつもり?」


 私だって。それを最初に聞いたときは、子供でももっとまともな言い訳をつくと思いましたよ。


「でも、これを壊す前と壊した後では、人そのものが変わったとしか思えないんです」


「アイシャ、酒に酔った奴が誰かを殺して、全く記憶にないと言ったからって、許されるかい? それと同じだよ。覚えていようが、覚えていなかろうが、知ったことじゃない!」


「サラさん、殺せば何がおきたのかも、どうして私たちを殺そうとしたのかも、分からなくなります!」


「あんたがどうしてもと言うのなら、命だけは許してやる。だけど腕の一本は覚悟してもらう」


 サラさんが私の手を振りほどいた。今のサラさんを止めることは、とてもできそうにない。


「お嬢さん方!」


 乳を流し込んだような真っ白なモヤの向こうから声が響いた。そして長く白いあごひげを伸ばした老人が顔を出す。


「部外者は引っ込んでいな」


 老人がサラさんに向かって首を横に振って見せる。


「お嬢さんの言う当事者はこの子達ではありません。それを頼んだわしらです。腕をとるのならこの腕にしていただけませんか?」


 そう言うと老人はサラさんに向かって、枯れ木のような腕を差し出した。


「今さら保護者面かい? それともお涙ちょうだい? そんなのは通じないよ!」


 サラさんはそう告げたが。腰の後ろの短剣の束に手を回したままじっと老人を見つめている。私も同じだった。見かけはただの老人にしか見えないのだけど、全く隙が感じられない。それどころか、一歩でも動いたらその時点で自分の体が真っ二つになりそうな気さえする。


「この子たちがご迷惑をお掛けいしたことは、深くお詫び申しあげます。こちらに皆さんの荷物を積んで馬車を持ってきました」


「邪魔だから、出て行けという事?」


「依頼については、本日で終了とさせていただきたく思います。合わせて今回の迷惑分も含めた依頼料をお持ちしました」


「金で解決と言うやつ?」


「そう思われるのは仕方のないところですが、先達として、後輩にあたるお二人への罪滅ぼしでもあります」


 それを聞いたサラさんは、剣の束から手を離すと、私の方を振り向いた。


「アイシャ、あんたがリーダーだ。どうするか決めておくれ」


 どうやら誰かの腕を切り落とす気はなくなったらしい。それなら、さっさと出て行くのが一番です。


「契約の完了とその分の依頼料さえいただければ、こちらとして異存はありません」


「ありがとうございます」


 老人が深々と私たちへ頭を下げる。そして三人に手招きをした。


「アルツじい!」


 三人が泣きながら老人のもとへと駆けよる。その姿はどう見ても、まだ幼い少女と少年だ。老人は三人に待つように合図をすると、馬の手綱を引いて私たちのもとへと歩み寄った。


「この道をまっすぐにお進みください。決して戻ったりはしないでください」


「はい」


 私は素直にうなずいた。それを見た老人が、わずかに口元に笑みを浮かべて見せる。


「アイシャール殿、最後に一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「アイシャと呼んでください。なんでしょうか?」


「ではアイシャ殿、あなたは女神ですかな?」


「へっ!」


 意外な質問に、思わず変な声が出てしまう。でも年をとっても、こういう茶目っ気を忘れない人は大好きだ。


「『はい』と言いたいところですが、もちろん人間です。ただの冒険者ですよ」


「そうですね。ではアイシャ殿、サラ殿、お二人に女神さまのご加護がありますように」


 そう告げると、老人は三人の所へと戻っていく。モヤはさらに深さを増し、老人の姿も、二人の少年と一人の少女の姿もすぐに見えなくなる。


 私はサラさんと御者台に上ると、馬の手綱を握った。そしてモヤに追い立てられるように、麦畑の中の一本道をただひたすらに進んだ。すべてを無かったことにして……。




 アルフレッドは深まるモヤの中、村の集会場らしき辺りを見渡した。自分の足元ぐらいしか見えないが、尾行には濃厚な血の匂いが漂ってくる。


 わずかに見える足元に、赤い血が流れてくるのを見て、アルフレッドはその血の先へ足を進めた。そこには白髪の方が目立つ、濃いあごひげを蓄えた男が、口から血を流して横たわっている。


「ア、アルか……」


「ダンさん、ご無沙汰しております」


 アルフレッドは膝をおると、老人へ声をかけた。


「俺が最初に会った時と大して変わっていないな。やっぱり、お前たちは色々とただものじゃない……」


「気苦労が多すぎて、年を取るのも忘れていました」


「はっ、ははっ。俺たちも、きれいさっぱり忘れればよかったのさ。お前たちみたいなやつらの存在を……。だが忘れられなかった……。お前たちに近づきたいと思った……。」


「これがその結果ですか?」


 周囲に横たわる骸を眺めるアルフレッドに、ダンが頷いて見せる。


「そうだ……。力をそのままに……人生をやり直せば……お前たちに近づけると思った……」


「単に苦労のやり直しになるだけな気もしますが?」


「その通りだよ。いや、もっと……酷い」


 ダンが血に汚れた口元を僅かに持ち上げて見せる。


「だが本当に超える気になったは、アダムたちだけだ。そ、それに自分の努力以外で、何かを得るという事は……代償を払うという……ことだ。得るものが大きければ大きいほど……払うものも大きくなる。俺たちはそれを……忘れていたんだ……」


「ダンさん、この絵を描いたのが誰なのか、私に教えてもらえませんか?」


「む、無理だ。俺たちは封印されて……いる。これが……その結果だ……。ア、アル、お、前に一つだけ、お願いがある」


「何です?」


「この村からは……アダム、いや、あの子たちは出れない……。だ、だから……あの子たちは……そっとしておいてやって……くれないか……」


 アルフレッドは無言だったが、その目を見たダンは、小さく安堵のため息を漏らした。


「ア、アル。き、気をつけろ。お前たちみたないな………存在は……お前たち……だけじゃない……」


 アルフレッドはダンの目にそっと手を当てると、そのまぶたを閉じた。そして背後を振り返る。そこには黒いフリルがいっぱいついた服をまとった幼い少女と、背の高い僧服姿の女性らしき存在、それに戦袍せんぽうを肩にひっかけ、大剣を肩に担いだ女性が、三人でワーワーとうるさく騒ぎながら歩いてくる。


「あら、アル君にしては、ずいぶんと手際がいいわね」


「そうだ、手際が良すぎる。66まで増えた、我の死よりよほどにましな罰が、全然ためせないではないか?」


「でも刀傷じゃないな。アル、誰の仕業だ?」


 フリーダの問いかけに、アルフレッドは首を横に振った。


「さあな。でもここで実験をしていた奴の仕業なのは間違いない」


「急に結界が強まりだしたのはそのせいね。失敗に終わって自動的に発動した」


「そもそも外からは誰も入れなくなっていたぐらいだ。ほとんどゴミ捨て場みたいなものだったのだろう」


 リリスがそうつぶやきに、アルフレッドは白いベールの向こうに続く小道へ、視線を向けた。


「アイシャ故か……」


「そうね。アイシャでなければここにはたどり着けなかった。それがここの止まっていた時間を動かして、また止まろうとしている。すべては無かったことにして……」


「そうとも言えない。まだ生き残りがいるぞ。例の子供だ」


 フリーダの言葉に、リリスがうれしそうな顔をする。


「我に残しておいてくれたのか? アル、それならそうと、最初から言え」


「手出し無用だ」


「アル君、本気なの? ここに残すのが、どういう事か分かっている?」


「ああ、十分に分かっている。だが先輩からのお願いだ。そうむげには出来ない。それに……」


「それになんだ?」


ここ閉じた世界でひっそりと暮らすというのも、決して悪いことではない。全ては彼ら次第なのだからな」


「アル君、違うわよ。世界の全てはエマが決めるの」

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