やっぱり人は中身ですよ、中身!

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 私は自分の姿に悲鳴を上げた。ちなみに私は「天使の休息」の屋上で、体が倒れそうな強風の中、店のお姉さま方に囲まれて立っている。それにどう考えても出来の悪い雪だるまとしか思えない姿だ。


 なんでこんな姿になっているかと言うと、ジェニファーさんをはじめお姉さま方から、客からの贈り物とかいう羊毛の上等な上着や、雪豹のコートとかの超高級品を、これでもかと言うぐらいに着させられたからだ。


「余計なもんだと思っていたけど、こんな時には役に立つね」


 私の姿を見たジェニファーさんがしみじみと語った。あのですね。こんな上等なものを送ってくれる客がいるなら、さっさとそれを捕まえて、引退した方が良くないですか? 私の考えを読んだのか、ジェニファーさんが小首を傾げながら口を開いた。


「人の心はものでは買えないし、自由はなおさらさ」


 辺りにいるお姉さま方もそれに頷いて見せる。私はその姿を見ながら、さっき自分が考えていたことを恥じた。この人たちは私なんかより遥かに強い信念をもって生きている。たとえそれが他の人から理解されなくてもだ。


「まだ寒いかい?」


 サラさんが私に声を掛けた。


「いえ、汗掻きまくりです。と言うか、どこから見ても雪だるまですよ、雪だるま!」


 だけど風だけじゃなく気温も急激に下がってきている。確かにこれぐらい着こまないとすぐに凍傷になってしまうかもしれない。


「ほんとだね。とってもかわいい雪の精だよ。クラリスもそう思わない?」


 ジェニファーさんの言葉に、クラリスちゃんはうんうんと頷くと私の着ている白い毛皮に顔を埋めた。まあ、みなさんがそう言うのならそう言う事にしておきます。


「私もまぜて~~!」


 不意にジェニファーさんが謎の甘えた声を上げると、クラリスちゃん同様に抱き着いてきた。ちょっとなんですかその手は!? 私の胸とか腰に手を回さないでください!


 クラリスちゃんがまるで野良犬を追い払うみたいに、ジェニファーさんにシッシと手を振って見せる。やっぱりあなたは私の守護天使ですね。


「準備は出来たようだな」


 背後を振り返ると、マントを羽織ったランドさんが屋上へと登ってくるのが見えた。


「はい!」


 早く行きましょう! 雪だるまならぬ、ゆで卵になりそうです。


「これはちょっとした呪符で近くなら心で意思疎通が出来る。本来は迷宮探索用の小道具だが、俺と君との間の意思疎通にも使えるはずだ」


 そう言うと、ランドさんは私の指に黄色い石の指輪を嵌めてくれた。男性から指輪を嵌めてもらえるなんてのは生まれて初めての事なので、思わず心臓がどきどきしてしまう。


 それに相手はとっても渋くていい男です。これでサラさんの昔の男でなかったら、こちらからアタックしたくなるぐらいですね。


「お前達、どうかしばらく目を瞑っていてくれないか?」


 ランドさんは周囲を見回すと店のお姉さま方にそう告げた。


「俺は――」


「今更なにをそんな事を言っているんだろうね。私ら誰も気にしてなんかいないよ」


 ジェニファーさんが呆れた声を上げた。周りにいるお姉さまたち同士も互いに顔を見合わせている。


「あんたの見かけが何に変わろうが、あんたはあんただ。それ以外の何かな訳なんてないだろう?」


「それに男の裸なんて、私ら嫌と言うほど見慣れているさ」


 お姉さまの一人がそう付け加えるとお姉さま達の間から苦笑が漏れた。


「そんな事より、さっさと行ってさっさと戻ってきな」


 ジェニファーさんの台詞にお姉さま方全員が頷く。


「お前達――」


 ランドさんは呻くように呟いたが、すぐに口元に笑みを浮かべると小さく肩をすくめて見せた。


 その姿を見た私の目から熱いものが流れそうになる。お姉さま方は正しい。私たち人を形作っているのは、外見などではない。その内にある一人一人が持つ魂だ。それを感じられぬようなら人として生きている意味などない。


「ここの留守番は私がする。だからアイシャを頼んだよ。うちの大切なリーダーなんだ」


 サラさんはそう声を掛けると、ランドさんの肩をポンと叩いた。そして私の方を振り向く。


「アイシャも、気を付けて行っておいで」


 クラリスちゃんも私の手をしっかりと握ってくれた。そうだ。私も皆の信頼に応えないといけない。私の魂が私自身にそう告げている。


「では行くぞ!」


 ランドさんが着ていたマントを投げ捨てた。やっぱり、変身するときはまっぱなんですね。


 次の瞬間、私の体はとび色の羽根を持つ鳥の姿へ変わったランドさんによって、空中へと持ち上げられた。だがすぐに上下左右に振り回される。


 見上げると、吹く風にランドさんももみくちゃにされていた。その翼は必死に羽ばたいているが、風がその努力の全てを奪い去っているとしか思えない。


 だがランドさんは大きく風切り羽根を広げると、一気に城壁を超えた。どうやら私には分からない風と風の隙間を見つけて進んでいるらしい。


 そのせいか、見えない障害物をよけるように常に方向を変えながら進んでいく。その度に私の周りで空と大地がぐるぐると回った。


『まずい!』


 そう思った時には遅かった。私の口から胃に入っていたものが逆流し、雪豹の毛皮を汚していく。そして真っ白な地面が急に目の前へと近づいてきた。


 いや、これは地面じゃない。どこまでも続くかに見える氷だ。その上すれすれをランドさんは翼を広げて滑空していた。そうか、これが私たちが超えようとしていた川だ。


 そう言う事はこのすぐ先に、私たちが野営していた場所があるはず。私は胃から再度こみ上げてくる何かを無視してあのやばいオーラ―に集中した。


 だが凍った川を越えてすぐに、真っ白な壁の様なものが目の前に迫ってくる。そしてそれはあっという間に私たちの周りの全てを包み込んだ。どちらが上でどちらが下なのかも分からない。少しでも方向を間違えれば地面に激突だ。雪崩にまきこまれた時と同じ恐怖が湧き上がり、寒さとは違う震えが体を襲う。


『アイシャ、俺を信じろ!』


 心の中にランドさんの声が響いた。その声に我に返る。そうだ私には何かを恐れている暇などない。


『だが、場所がはっきりしない。少し旋回するから、何か感じたら教えてくれ』


『はい!』


 翼が風にあらがって必死に羽ばたく音が聞こえる。私は目を閉じると、斬撃を放つ時と同様に自分の心に集中した。風の音もランドさんの羽ばたきの音も消えて、自分の中で何かが脈打つ音だけが聞こえてくる。


『アイシャ、お前が呼び掛ければ、これはお前の呼びかけに答える』


 リリスちゃんが、あれを渡してくれた時の言葉だ。


『答えて!』


 私は声にならぬ声をあげた。


 ドクン!


 心で何かが脈打つ。そして例のチリチリした感じが私の全身を包んだ。間違いない。あれはこの近くにある。


『何処だ!?』


 私は必死に精神を集中した。自分の左手に首筋をチリチリさせる存在があるのを感じる。同時に風の音にランドさんの羽ばたき、さっきより遥かに激しく羽ばたく音が戻って来た。


『左手、10時の方向、すぐ近くです』


 これまで以上に顔へ雪がかかり何も見えなくなる。次の瞬間、私の足が地面に触れて体が冷たい雪の上を転がった。背後からランドさんの翼の羽ばたきが聞こえたが、それは飛ぶためではなく、風に飛ばされぬよう必死に耐えている音だ。


『すまない。うまく着地できなかった』


『大丈夫です』


 周りは真っ白でランドさんの姿すら見えない。だが私の心の目はあれがどこにあるかを捉えていた。それは私の目の前、雪の下にある。でも体を臥せていても風に体が吹き飛ばされそうで、とてもスコップを使うなんてのは出来そうにない。


 ならば私に出来ることはただ一つだ。私は雪の中に両足を突っ込んで体を支えると腰を下ろした。そして鳩尾の下の脈動に問いかける。


『我が刃となれ!』


 脈動の全てが体に、そして私の右手へと集まるのを待つ。後先なしの全力だ。


「斬撃!」


 気合を込めてそれを放つ。それが風を切り裂き目の前の雪を吹き飛ばす。その雪が風にあおられて、雪崩みたいにこちらへと襲い掛かってくる。だがその真っ白な壁の中に、黒い染みみたいな点があるのが見えた。


 私は雪の壁に逆らって腕を広げると、それを空で受け止めた。体中をチリチリなんてもんじゃない、ゾクゾクとした感じが駆け抜けていく。


『ランドさん、確保しました!』


 あれ? ランドさんからの答えがない。


『ランドさん!?』


 私は振り返った。風に体がなぎ倒され、口の中に雪が入り込んでくる。もしかして風に飛ばされてしまったのだろうか?


『ランドさん!』


 その時だ。私の体を羽毛が覆った。


『すまない。君の一撃で被った雪から出るのに手間取った』


 私は思わず安堵のため息をついた。ランドさんとはぐれてしまったら、私一人ではとても戻れない。


『風が強い。帰りは背中に乗ってくれ。その方が安定する』


『はい!』


 私は必死にランドさんの背中によじ登ろうとした。


 ドドン!


 その時だ、地響きのような音と振動が響き渡り、体がひっくり返って、雪の中へ落ちてしまう。


『雪崩!?』


 思わず体を固くしたが、あの時の様な地響きは感じられない。その代わりに、雪の幕の向こうで何かがぼんやりと光っているのが見えた。


『ランドさん!』


『崩れだ!』


 私は風に転がりそうになりながらも、ランドさんの背中にしがみついた。風にあおられるように、あっという間に真っ白な空へと昇っていく。


『間に合って!』


 私は黒い箱を胸に抱きながら、そう必死に祈り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る