ここはお互い様と言う事にしておきます!

 それはあまりにも優美でそして力強い姿だった。いつの間にか空には真っ黒な雲が流れ、さらに強い風も吹いている。だがそれをものともせずに私の体は空を駆け抜けていく。


 そうだ。私はこれを知っている。あのまどろみの中で見た夢、その夢で感じたあのふわふわした気分と同じだ。あれは夢ではなかったのだ!


 それは風切り羽を大きく広げると風に乗って滑空する。その先に街の外れに建つ塔が見えた。それは見る見る間に大きくなっていく。


『ぶつかる!』


 私がそう思った時だ。再び羽根が大きく羽ばたく音が聞こえた。その羽ばたきに合わせて、私の体は塔の壁に沿って上昇していく。だがそこで急に速度が落ちた。


 羽根がはばたく音はさらに激しく聞こえてくるが、高度は全く上がろうとしない。見ると翼からまるで柳の綿毛が風に飛ぶように、羽根がちぎれて飛んでいくのが見える。


『一体何が?』


 私がそんな事を考える間もなく、体が塔のてっぺんの床に放り出された。何とか受け身はとれたが、それでも肩と太ももの辺りがずきずきと痛む。そして私を運んでくれた巨鳥は、さらにその奥の暗がりの中へと滑り込んでいった。


 私は立ち上がると、足を少し引きずるようにしながら、塔の奥へと進んだ。足元には羽、いや、羽だけでなくたくさんの羽毛が舞っている。飛行の最後は明らかにおかしかった。怪我でもしたのだろうか? そんな不安が私の胸を過る。


 それに日の光が遮られているせいでほとんど何も見えない。やっと闇に慣れた目に、羽毛に埋もれた床にうずくまる影が見えた。やはりどこか怪我をしているのだろうか? よく見ると、それは鳥の姿ではなく、人間、それもどうやら男性の姿に見える。一体どういうことだろう?


「あの~~」


 私の呼びかけにその背中が僅かに動いた。明らかに様子がおかしい。


「大丈夫ですか!」


 私は男性の元へ駆け寄った。男性は立ち上がって私の方を振り返る。それは鍛えられた体を持つ少し彫の深い顔をした男性だった。だけどそこで私の目が点になる。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


「驚かせてすまない」


 男性が私に答えた。もちろんです。びっくりするに決まってます。


「別に危害を加えるつもりは――」


 男性が慌てて答えた。あのですね。そう言う問題ではなくてですね。これでも嫁入り前の乙女なんです! 私は自分が纏っていたマントを外すと、それを男性に差し出した。


「これを使ってください!」


 私の台詞に男性が当惑した顔をする。それに私が赤面して横を向いているのにやっと気付いたらしい。彼は私からマントを受け取ると、それをタオルみたいに腰に巻いた。


「女性の前だったな。すまない」


 そうですよ! 見ごたえのある体をしているのは認めますが、なんでまっぱなんですか! それにあの鳥の姿は何処にもない。と言う事は――。


「さっきまで鳥の姿になっていた、と言うことですか?」


 私の問い掛けに男性が頷いた。やっぱりそうなんだ。そうなると、私はこの人に二度も命を救ってもらったことになる。一回目は雪崩に巻き込まれた時。そして今回が二回目だ。


「冒険者をしています、赤毛組のアイシャール・ウズベク・カーバインと申します。命を助けて頂いて、本当にありがとうございました」


 私は彼に向かって、丁寧に頭を下げた。出来る事なら、地面に頭を擦りつけて感謝したいぐらいだ。


「サラから話は聞いている。ランドスルー・パールラインだ。ランドと呼んでくれ」


 と言う事は、あなたがサラさんの昔の男ですか!?


「それに礼には及ばない。最初に助けたのは単なる偶然だし、君にはクラリスを助けてもらった」


 そう言うと、彼は私に右手を差し出してくれた。その手を握りながらランドさんの顔をじっと見る。少し癖のある黒髪に黒い瞳。深い彫りが渋めの、めちゃくちゃいい男じゃないですか? どうしてサラさんは、こっちを選ばなかったのでしょうか? 全く持って理解できません!


「すまない。奥に着替えを置いてあるから少し待ってくれないか?」


 ランドさんはそう告げると、木箱から服を取り出してそれを身に付け始めた。あのですね。服があるなら、さっさとそれを着てください。


 そうだ。最初に助けられたときに私をまっぱにしたのもこの人ですかね? まあ、こちらも普段見れないものを見させて頂きましたから、この件についてはお互い様と言う事にしておきます。


 でもこれは何の魔法なのだろう? 人が鳥に変わって空を飛ぶなんて話は聞いたことがない。


「驚いただろう」


 私の考えを見透かしたみたいに、ランドさんが私に声を掛けた。麻のシャツに黒い皮の上下を着た姿は、服を着てもやはりかっこいい。


「はい。びっくりしました。でも――」


「でも?」


「とても美しいと思いました」


「美しい?」


 私の答えになぜかランドさんが驚いた顔をする。


「それにとっても羨ましいです」


 だって空を飛べるんですよ!


「恐ろしいとは思わないのか?」


「はあ?」


 私の間の抜けた答えにランドさんが当惑した表情になる。私から言わせれば、あれを怖いと思う方が余程にびっくりです。まあ、高い所が苦手の人とか、子供の頃に雄鶏に追い回されたとかいう経験の持ち主なら怖いと思うかもしれませんが、皆が皆、絶対に美しいと思うはずです。


「アイシャ、ランド!」


 塔の下から声が聞こえた。下を覗き込むと、サラさんとクラリスちゃんの姿が見える。どうやら二人とも無事にあそこから抜け出せたらしい。本当に良かった。階段を駆け上がる音が響き、クラリスちゃんが私の胸へと飛びこんできた。そして声を上げずに泣く。


「ごめんね。怖かったでしょう?」


 私はその頭をそっと撫でた。クラリスちゃんは首を横に振ると、私の胸をドンドンと叩く。とっても悔しいのだろう。その気持ちはよく分かる。私も神話同盟にいた時はいつもそれを感じていた。


「今度は一緒にやっつけよう!」


 私の言葉に、クラリスちゃんは泣きながらもにっこりと笑ってくれた。


「どうせなら、あんた達が降りてきてくれない?」


 その言葉に続いて、サラさんも姿を現した。


「サラさんこそ無事なら、どうしてギルドに連絡しないんです!」


「悪いね、昔の男の手伝いをしていたんだ」


 そう言うと、サラさんはランドさんを指さした。ちょっと待ってください。私のいない間に昔の男と何をやっていたんですか? 何を!?


「その件については、過去の経緯も含めて後でじっくり聞かせてもらいます!」


「積もる話もあるだろうが、それはここを出てからだ」


 ランドさんは私たちの会話に割って入ると、街の向こうに見える黒々とした雲を指さした。


「今年は早いようだ。もう冬の嵐が来た」


 そうでした。とっても大事な事を忘れていました!


「ランドさん、サラさん、すぐにここを逃げ出さないといけません!」


「迷惑をかけてすまなかったな。あの連中は私の方で――」


「違います!」


 あんな連中なんかじゃありません!


「崩れです。もうすぐ崩れがはじまるんです!」


「崩れ? ランド、あんた何か聞いているかい?」


 サラさんの問い掛けに、ランドさんが首を横に振った。


「ここ10日ほど姿を隠していたからな。その間に何かあったとしても、何も分からない。だが――」


 そう言うと、ランドさんは遠くに見える、迷宮を囲う壁の方へ視線を向けた。


「確かに迷宮を行き来する人間や荷下ろし台の動きを見る限り、何かあったのは間違いないな」


「新鉱脈が見つかったそうです。それも含有率のとても高い奴が浅い階層に出たそうです」


「それであれだけ動きがあるのか……」


「だけどここの迷宮は、元から鉱山と一緒になっている奴だろう」


 サラさんが不思議そうな顔をして私を見た。


「違います。迷宮と鉱山が一緒になっているんじゃなくて、鉱脈はもともと迷宮の仕掛けの一部なんです。そうでなければ、今まで見つからなかった鉱脈が、いきなり見つかるなんてことはありません。これはそう言う種類の迷宮なんです」


「アイシャ、あんたはいつから迷宮研究家になったんだい?」


「迷宮研究家になった覚えはありませんが、お姉さまからそう教えてもらいました」


「お姉さま?」


 今度はランドさんが当惑した顔をする。そうか、ランドさんはまだ私が神話同盟にいたことを知らなかった。


「エミリアさんです」


「エミリアって、あのエミリア・フリーマンか!?」


 そう叫んだランドさんに頷く。やはり私なんかとは違って、お姉さま方は超有名人です。


「迷宮で宝石などが見つかるのは全てそうだと言っていました。なので今回見つかった鉱脈の規模から言って、間違いなく活性化しているんです。それなのにあれだけの人数が出ずっぱりで潜っています」


「もしそれが本当だとすれば、あっという間に崩れまでいっちまうね。すぐにギルドに連絡して――」


 サラさんの台詞にランドさんが首を横に振った。


「サラ、ここのギルドの連中は、冒険者と言うより山師に近い。迷宮の封印にはとても役に立たない連中だ。それにもう嵐が来ている。他から救援も呼べない。手遅れだ」


「それじゃ、どうするんだい!」


「装備は私の方で準備する。すぐにここを発つんだ。君達なら冬の嵐を乗り越えられるかもしれない。」


「ランド、あんたはどうするんだい?」


「俺か? うちの女たちでは冬の嵐を乗り切るのは無理だ。ここで何とかあがいてみることにする。それと頼みがある」


 そう告げると、ランドさんは私に縋りついていた、クラリスちゃんへと視線を向けた。


「アイシャールさん」


「アイシャと呼んでください」


「ではアイシャ、クラリスを一緒に連れて行ってくれないか。難しいかもしれないが、ここに残るよりは希望がある」


 それを聞いたクラリスちゃんが今度はランドさんの体を叩いた。自分一人だけここから出るのは嫌だと言いたいらしい。


「クラリス、我がままを言うな。これには選択肢など――」


 ランドさんがそこで言葉を飲み込んだ。いつの間にか、クラリスちゃんがそのて手にナイフを握っていた。気づけば、私のベルトからナイフが一本消えている。


「おい、何をしているんだ。すぐにそれを降ろせ!」


 クラリスちゃんはランドさんの呼びかけに首を横に振ると、ナイフの先を自分の喉元へと押し付けた。


「クラリスちゃん」


 私はギルドで受け取った、依頼票の控えを彼女へ差し出した。


「これは赤毛組がギルドに出した依頼票の控えよ。ここに赤毛組は『天使の休息』の従業員の安全確保に従事すると書いてある」


 クラリスちゃんが、私が差し出した紙を見つめた。


「私達赤毛組はジェニファーさんや店の人たちを守る。もしみんながここから逃げられないのなら、ここに残って守る。もちろんあなたもよ。だからそれを私に返して」


 クラリスちゃんはナイフを手から落とすと、私に抱き着いた。よかった。分かってくれたらしい。


「サラさん。と言う事で逃げるのはなしです」


 私の言葉にサラさんは小さく肩をすくめて見せた。


「赤毛組として受けたのなら仕方がないね」


「おいサラ、本気か?」


「もちろん本気だよ。うちのリーダーがそう言っているんだ。だけど私達だけで封印するのはかなり厄介だね」


 確かに迷宮の核を封印するには、その周りにいる守護者を排除して、さらにそれを破壊するか封印するかしないといけない。守護者を排除するだけでも相当に厄介なのだ。私達だけでそれを行うのは難しい。でもここのギルドの面々は役に立ちそうにない。


 何か私達に代わって、せめて守護者の相手をしてくれるようなものはないだろうか? ちょっと待ってください。ありますよ、あります!


「思いつきました」


「何がだい?」


 そう問いかけたサラさんに、私はドヤ顔をして見せた。


「崩れには崩れです!」

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