敵を欺くには、まずは味方からですよね!

 あれだけ大勢の人間が迷宮に入っているのだ。すでに活性化が始まっているとすれば、崩れが起きるまでの時間はほとんどない。


 迷宮を封印するには、Aランク以上の複数のパーティーが、共同して封印作業に当たるか、軍の動員が必要になる。


 だけどここの冒険者たちは、すぐにでも封印作業に入るべきだと言うことすら分かっていない。それに冬の嵐がくる。軍や他のギルドに支援を求めることは不可能だ。


 今の私には私の言葉に聞く耳を持てる人たちに対して、すぐにでもここを離れるべきだと、告げる事しか出来ない。冬の嵐に巻き込まれて命を落とす危険もあるが、崩れに比べたら、はるかに生き残れる確率は高いだろう。なにせ崩れが起きてしまえば、誰も生き残れはしないのだ。


「クラリスちゃん、一番早く店まで戻れる道はどっち?」


 彼女は私に頷くと来た道とは別の道、裏通りへ入る横道を指した。念のため私たちがここへ来た時と、同じ人物がいないか確認する。ギルドの人間以外で該当する者はいない。


 私はクラリスちゃんの後に続いて、中地区と外地区を隔てる壁際を進んだ。やがて壁に開けられた小さな通用口みたいな門に辿り着く。


 どうやら市場か何かに物を運ぶ為の門らしく、籠を背負った商人らしき人が門の近くでたむろしているのが見えた。私たちは来た時同様に警備員にギルド証と市民証を出してそこを抜ける。


 その先は建物が肩を寄せ合うように密集して建つ地域だった。表通りに面したいくつかの建物は建て直し中らしく、足場が組まれていて人の気配がない。


 最初の建物の影へ入ったところで背後を確認すると、門のところにいた商人風の人たちがこちらへ歩いてくるのが見えた。偶然だろうか? 前方へ視線を向けると、そちらからも何人かの男たちが歩いていて、その足取りは妙に揃っている。


「お嬢さん方、門はどっちになりますかね?」


 その時だ。明るい紫の厚手の上着に羽帽子という、随分と派手な姿をした年配の女性が不意に私に声をかけてきた。建物の陰にでもいたのだろうか? 警戒していたはずなのに、いつからここにいたのかも全く分からなかった。


「今日は娘の誕生日で、中地区の市場まで買い物に行くつもりなんだけど、この辺は不慣れでね。門がどっちにあるのか教えていただけませんか?」


 そう言うと、左右へと視線を向ける。クラリスちゃんはにっこりと笑って私たちが来た方の角を指さした。


「向こう側?」


 クラリスちゃんはおばさんに頷くと手を横へ曲げて見せた。だがその瞳は、クラリスちゃんが示しているものとは違うものを見ている。


 私はちらりと前後に視線を走らせた。いつの間にか、こちらに向かっていた男たちがかなり近づいて来ている。私たちが会話に気を取られた隙に一気に距離を詰めたらしい。


 間違いない。彼女はこちらの足止め役だ。


「お嬢さんには、何を買うつもりなんですか?」


 こちらが質問して来ることは想定していなかったのだろう。おばさんは考える表情をした。


「そうだね。あたらしい服を――」


 そう答えた瞬間、私は彼女へ体当たりをした。だが彼女はそれをまともに受けることなく、半歩足を下げて受け流そうとする。素人の体裁きじゃない。私はそのまま半回転するとその背中に蹴りを入れた。


 態勢を崩していた彼女はそれを完全に避けることはできない。私はフェイントを軽く入れると、腕を上げてブロックした上体ではなく、足の関節に蹴りを叩き込んだ。そしてクラリスちゃんの手を取り、工事中の建物の中へと飛び込む。


 裏へ抜ければ連中を撒けるかもしれない。そう思って積み上げられたレンガの脇を回ったところで、私は足を止めた。床一面に生乾きの漆喰が塗られている。これでは裏に抜けることなどできない。


 私は慌てて辺りを見回した。横に上の階に登る足場が見える。上の階から飛び降りれば裏手に回れるかもしれない。私はクラリスちゃんの腕を引っ張って足場を駆けあがった。


 上の階に着くと同時に足場に対して斬撃を放つ。木と竹で組上げられた足場は私の斬撃にあっさりと弾け飛んだ。だが上の階も一面に漆喰が塗られていて、その先はレンガの壁になっている。こうなったら一番上まで登って、そこから隣の建物を伝わって降りるしかない。


 私はさらに足場を登ると、いくつかの階を駈け抜けて屋上へと出た。いつの間にか風が強まっていたらしく、鎧の上から羽織っているフード付きのマントが、その強風に吹き飛ばされそうになる。


 左右どちらかに同じぐらいの高さの建物があれば――。そう思って辺りを見回した視線の先、男たちが隣の建物から屋上へ飛び込んでくるのが見えた。


 なんてことだろう。足場を吹き飛ばしてしまった私たちに逃げ場はない。私は周りを囲まれないように、屋上に設置された足場の先端へ移動した。


 下を見れば、そこには工事用の資材が積まれている。落ちればそれに貫かれて串刺しだ。通りを挟んだ向こうの建物までは距離があり、飛び越える事はとても出来そうにない。


 男たちがジワジワとこちらへの距離を詰めてくる。ともかく時間をかせいで逃げ出す手段を考えないといけない。


 私はたすきに掛けたベルトからナイフを抜くと、それをフレデリカちゃんの喉元へと当てた。私の突然の行為に、フレデリカちゃんが驚いた顔で私を見る。しかしそれを見た男たちの動きが止まった。


『ごめんなさい』


 私は心の中で彼女に謝った。でも時間を稼ぐにはこれしか方法が思いつかなかったのだ。


「あんたみたいな小娘にしてやられるとは、私も随分と耄碌もうろくくしたもんだね」


 その台詞と共に、あの派手な服を着たおばさんが屋上へと姿を現した。そして男たちに下がるように指示を出す。どうやらこのおばさんがこの連中を率いているらしい。


「人のしのぎの邪魔をしないでくれる? この子は私が届けるの」


 そう告げた私に、おばさんがクククと含み笑いをして見せた。


「それはこちらの台詞だよ。人の稼ぎの横取りはいけないね」


「横取り? 何を言っているの。こういうものは早いもの勝ちに決まっているでしょう?」


 私の台詞にフレデリカちゃんが体をびくりと震わせた。きっと裏切られたと思っているに違いない。


「さっきの蹴りもそうだけど、あんた見かけほどヤワじゃないね。それでいくら欲しいんだい? それ次第では手を打ってもいい。だけど――」


 そう告げると、おばさんは私に対して小首を傾げて見せた。


「その金額にはあんたの命の値段と、あんたが口を閉じている値段も入れて答えるんだよ」


 私は彼女に頷いた。


「確かに命の値段は安くない。だけどね――」


「時間がないんだ。さっさと――」


 そうイラついた声を上げたおばさんに、私はニヤリと笑って見せた。


「自分の信念に値段はつけられないの」


 私はフレデリカちゃんの体を抱えると、それを背後へ向かって投げ飛ばした。そして彼女に向かって、全力全開で斬撃を放つ。私の放った斬撃の風圧に彼女の体がふわりと浮き、通りを挟んで反対の屋上へと着地する。


「逃げて!」


 私は彼女にそう叫ぶと、背後を振り返った。後どれだけ持つかは分からないが、こいつらを足止めしないといけない。だが斬撃を放とうと足に力を入れたところで、今度は私の体が宙に浮いた。


 建物の足場が壁ごと崩れ落ちていくのが見える。どうやら私の全力の斬撃には耐えられなかったらしい。私は目に入った竹の棒へ必死に手を伸ばした。


 竹を掴んだ体が振り子のように揺れて肩が抜けそうになる。だが滑り止めをつけた手袋で掴んだ手はなんとかそれに耐えた。しかし私の体はしなった竹の先端で、吹く風にみの虫の様に揺れている。


「ア、アアアアア」


 背後から誰かの声が聞こえた。振り返ると、クラリスちゃんが私に対して必死に声にならぬ声を上げている。


「何をしているの。すぐに逃げなさい!」


 私は叫んだ。けれども彼女は身を翻すどころか、私に向かって必死に手を伸ばそうとする。だけどそれが届くような距離ではない。


「駄目よ、逃げて――」


「本当にめんどくさい小娘だね」


 私の顔に影が掛かった。見上げると、おばさんが上から私の顔をじっと見ている。その瞳は鳥のひなをこれから飲み込もうとする蛇の如くに冷酷だ。


「お前たち、さっさとこの小娘を始末してあの子を抑えに行くよ」


 おばさんが身を翻し、代わりに弩を持った男が顔を出した。こいつに撃たれるぐらいなら自分で……。


 そう思った時だ。男の体がぐらりと揺れ、そのまま私の横を落ちていく。そして誰かがこちらへと近づく靴音が聞こえた。


「アイシャ、久しぶりだね」


「サラさん!」


 私の視線の先に無造作に髪を束ねたサラさんの姿が見えた。


「もうちょっとだけ頑張りな。すぐに紐を――」


 サラさんはそう告げたところで、慌てて背後を振り返った。


「小娘ども、なめるんじゃないよ!」


 サラさんの横から何かが私に向かって落ちてくる。それは胸にナイフを受けたおばさんが、両手を広げてこちらへと飛び込んでくる姿だった。


 ドン!


 私の体に彼女の体がぶつかり、その衝撃に私の片手が外れた。鎧の上に着ていたマントの裾が引っ張られる。私は縋りつく彼女の体を足で蹴とばした。彼女の体は私から離れて下へと落ちたが、その反動で手が竹の表面からずるずると滑り落ちていく。


「アイシャ!」


 そう叫んだサラさんの視線の先で私の手が外れた。体が下へと落ちていく。だけど不思議と恐怖は感じない。むしろサラさんが無事だったこと、クラリスちゃんも助かったことに安堵している自分がいた。


 その時だ。落ちていく私の背中を何かがいきなり掴んだ。一体なんだろう? 見上げると、大きな翼が日の光を遮って羽ばたいている。そして私の体は落ちるのではなく、空高くへと舞い上がっていた。

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