光があれば影だって出来ますよね?

「どういう意味ですか?」


「私は全く魔法が使えないの」


 私の言葉に、フェリアちゃんが呆気に取られた顔をする。こちらの意図が読めずに戸惑っているらしい。


「だけど誰かが魔法を使うのにはとても敏感なの。なんて言うのかな、首の後ろがチリチリする感じで分かる」


「何をおっしゃっているのか、さっぱり分からないのですが?」


「この部屋に来た時からそのチリチリする感じがずっとしていたの。この子が暴れ始めてからはもうチリチリしっぱなしよ。最初はサラさんの呪文のせいかと思っていた」


「あの方は剣士とばかり思っていたのですが、魔法職でもあったんですね」


「でもあのぐらいの速攻魔法ならそんな感じはしない」


 今まで私がチリチリを感じてきた相手は、エミリアさんやリリスちゃんだ。二人が放つ魔法は、もう大魔法という言葉以外で表現のしようがないものばかりだ。


 部屋の中で感じたそれはそこまでではないにせよ、それに近い感じがした。少なくとも、サラさんが唱えた速攻魔法の魔力ではない。だとすれば、それだけの魔力を放てるのは一人だけだ。


「本当にすいませんでした」


 フェリアちゃんは不意に頭を下げると、そう私に謝った。


「皆さんの支援をしないといけないのは分かっていたのですが、頭が真っ白になってしまって――」


「フェリアさん、それは違うと思う。あなたは既に唱えていた。だから慌てたふりをするしかなかったんじゃないの?」


 普通は何かの魔法を唱えている間は別の魔法を唱える事は出来ない。エミリアお姉さまとリリスちゃんは思考を並列化して、次々と大魔法をぶっぱなせるが、あの二人は例外中の例外だ。


「だから、これを仕掛けたのはあなたよ」


「フフフフ」


 顔を下げたままのフェリアちゃんの口から含み笑いが漏れた。


「アイシャさんって、とっても面白い人だと思っていたけど、本当にそうなのね。どこをどう考えたら、そんな考えが浮かんでくるの?」


 顔を上げたフェリアちゃんが私にそう問い掛けてきた。その顔にはさっきまで浮かべていたおどおどした表情はどこにもない。


「カロン夫人のあなたの扱い方を見て分かったわ。それに奥様もあなたを敵視していた。あなたは男爵の愛人でもあるのでしょう?」


 私の言葉に、フェリアちゃんが眉間に皺を寄せた。


「愛人? 何を言っているの? 単なるおもちゃよ。好きに犯されているだけ。この子もそう。私をおもちゃにして遊んでいただけよ」


 フェリアちゃんは寝台の上に横たわるお嬢さんを指さした。


「そもそもあなたに何が分かるの? 人として扱われないことがどんなに酷いことか? 虚栄心を満たす為に、ただただ踏みつけられる存在がどれほどみじめな事か?」


「私はあなたじゃない。だからあなた自身の苦しみがどれだけ深いかは分からない。だけど、それがどんなに辛い事だったかぐらいは分かるわ」


「嘘よ、そんな能天気な目をして冒険者なんてやっている人に分かる訳ない!」


 そう言うと、彼女は私の目をじっと見つめた。その黒い瞳には人を寄せ付けない仄暗い何かを宿している。


「ポンコツ冒険者だとばかり思っていたけど、意外と鋭かったのね。でも残念。あなたは私に優しかったから操るだけにしてあげようと思ったのに、これでそうもいかなくなったわ」


「操る?」


「そうよ、あの子と同じにね!」


 再び首の後ろがチリチリする。彼女が無声詠唱を始めたらしい。だがこれでも私は剣士だ。この間合いなら魔法職に遅れを取ったりはしない。


 私は腰の短剣を鞘のまま抜き放った。これでも居合はフリーダお姉さまに鍛えられている。だが後ろから伸びた腕に体が抑えつけられた。肩越しに金色の髪が私の胸元へこぼれ落ちているのが見える。


「タイトの魔法が――」


「そんなもの、とっくの昔に解除してあるわよ」


 体が引き裂かれそうな力で手足が床の上に押さえつけられた。私の目の前には再び目を血走らせた少女の顔がある。


「お願い、目を覚まして。全てを忘れて、ここから出ていけばいいだけよ!」


 とやかく言うやつが居たら、私が一緒にそいつをぶっ飛ばす!


「出ていく? 馬鹿なことを言わないで。やっと始まったところなのよ」


 そう告げると、彼女は私ににっこりと微笑んで見せた。


「あっさりと殺したりはしないわよ。あなたにはあの女を後ろから襲ってもらわないといけない。それが終わったら、どうしてあげようかしら?」


 彼女は顎に手を当てて考える仕草をして見せた


「あなたも、あの豚の慰み者にされる気分を味わってみる?」


「これでもまだ乙女なの。遠慮しておくわ」


「遠慮しないで。意外と気に入るかもしれないわよ」


「それにこれがあなたへの最後の警告よ」


「ははは、警告ですって?」


「そうさ。私に対する合図だよ」


 顔を上げた彼女の喉元に銀色のナイフが突き刺さった。彼女は必死に手で喉を押さえるが、ワインの入った皮袋を切り裂いた如く喉元から真赤な血が流れ落ちていく。


「ど、どうして……、やっと……」


 その瞬間、私の手足を抑えている力が弱まった。体を捻ってそこから抜け出すと剣の鞘で寝間着を着たお嬢さんの腹を再び突く。


 振り返ると、私の足元には大きな血だまりが出来ていた。血に満たされた肺が空気を求める、ヒューという音も聞こえてくる。もうこれ以上苦しむ必要などない。せめて私の手で心臓を――。


「アイシャ、まだだ!」


 私の耳元でナイフの風切り音が聞こえる。だがそれは何かによって弾き飛ばされると、天井へ音を立てて突き刺さった。まだ勝負はついていない!? 私はサラさんの射線の邪魔にならないように、床の上に倒れ込んだ。


 カン、カン、カン!


 ナイフが何かに弾き飛ばされる音が連続する。おかしい。彼女に魔法の力はあったと思うが、こんな技を持つようには見えなかった。それに喉に刺さった最初の一撃は間違いなく致命傷だったはずだ。


「混沌の使徒たる我にひれ伏せ――」


 男のものとも女のものとも、若者とも老人とも思えない謎な声が足元から聞こえた。同時に何かが私の足首に纏わりついてくる。魂喰らいの、あのぬめぬめとした体を思い起こさせる何かだ。


「アイシャ!」


 サラさんの叫びに我に返った。必死に足を動かして立ち上がったが、体の自由が全く効かない。見ると真っ黒な体が私に縋りつこうとしている。


 それは人の体というよりは溶けて真っ黒に固まったみたいな姿だ。そこから黒い根の様な触手が床を這い、短剣を手に私の元へ駆け寄ろうとしているサラさんを牽制している。


 そしてゆっくりと体をねじりながら、私の足から太もも、腰へと這い上がってきた。その表面に何かが見える。そこには真っ黒な体に取り込まれたフェリアちゃんの絶望に満ちた顔が浮かんでいた。


「ごめんなさい……」


 そう一言消えるように呟くと、その顔は真っ黒な体の中に姿を消す。


『お前が次の我の依り代にして、我の苗床だ……』


 人の物とは思えぬ声が再び私の心の中に直接響く。同時にその声は私の中の様々なトラウマを次々と呼び起こした。私が無力な存在である事。世の中の誰の役にも立っていない事。神話同盟のみんなに、憧れだけでなく激しい妬みも感じていたこと……。


 それはあの嫌み男や、お姉さまたちだけじゃなく、サラさんにも感じている、私の負の感情そのものだ。


『我を、我を受け入れろ……、お前を悩ませる全ての者に復讐を……』


『はあ? お前は何を言っているんだ?』


 人が全て違うのは当たり前の事だ。同時に全ての人が妬みや恨みを感じるのも当たり前だ。それは全ての人が持つ感情の一部に過ぎない。そんなものに身を任せるなど寝言は寝て言えです!


 私の中に湧き上がっていた負の感情が潮を引くように去り、もっと激しい感情が私の中に渦巻いた。怒りだ。この得体の知れない奴に対する怒り。そしてフェリアちゃんを追い込んだ、全ての者に対する怒りだ。


『消え失せろ!』


 私の感情の爆発と同時に急に視界が開ける。見ると私に纏わりついていた黒い体が風に吹かれた煤みたいに崩れ落ちていき、その下に何かが横たわっているのが見えた。祈るように両手を前に組むフェリアちゃんの亡骸だ。その開いていた目をそっと閉じる。


 その時だった。黒い蛭の様なものが、彼女の口元から這い出てくる。私の指の先程もないそれは、体を必死に伸び縮みさせながら寝台の下の暗がりへ逃げていこうとしていた。


「見逃すと思うの?」


 私は足を上げると、そいつをおもむろに踏みつぶした。彼女の魂はこんな奴の頸木から離れて、無事に遠くへ行けただろうか? 私はいつの間にか頬を伝わっていた涙を手で拭った。


「終わったのかい」


「はい、終わりました」


 背後から声を掛けてきたサラさんに答えた。何と言う後味の悪さだろう。サラさんの言った通りだ。こんな仕事なんて受けなければよかった。素直に迷宮に行って、厄災相手に剣を振り回すべきだったのだ。相手もこちらをぶっ倒したいと思っていて、こちらも向こうをぶっ倒したいと思っている。お互いに何の遠慮もいらない。


 ただ唯一救いがあるとすれば、あの下種野郎をいるべきところに送り返せたことだ。そうでなければ、フェリアちゃんの魂はずっとあいつに捕まったままだったかもしれない。


 いや、人の魂の尊厳を分からない奴らがいなければ、そもそもこんな事など起こらなかったはずだ。


「サラさん、さっさとここを離れたいと思いますが――」


 私はそこで言葉を切ると、サラさんを見上げた。


「あんたとしてはやり残したことがあるんだろう?」


 サラさんの言葉に私は頷いた。


「はい。ここにいる人たちをぶっ飛ばしてからにします」


「あんたはうちのリーダーだ。だからあんたの好きにしな。だけど私が先にぶっ飛ばしても文句はなしだよ」


「はい、サラさん。早い者勝ちです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る