寝相が悪いにもほどがあります
ガキン!
再び相手が跳躍し、サラさんがウォールの呪文で防ぐ。だがサラさんがいくらウォールで突進を阻んでも、それは部屋の壁を使い角度を変えながらサラさんを襲い続けた。
サラさんも先ほどは私に軽口を叩いて見せたが、相手の打撃を受け止める度にその顔が次第に険しくなっていく。防ぐのに精一杯で反撃出来ていないのだ。
本来なら私が相手を牽制して、サラさんに反撃の糸口を与えないといけないのだが、私にはサラさんのウォールの有効範囲がどれほどなのか分かっていない。下手に動けばむしろサラさんの邪魔をすることになる。
「あんた、その杖は飾りかい? 金縛りでも、眠りでもなんでもいいから、この子の動きを止めな! じゃないと、問答無用でぶった切るよ!」
サラさんが苛ついた声を上げた。
「は、はい!」
その声に、入り口近くで杖を掲げたまま固まっていたフェリアちゃんが我に返って答える。
「か、金縛り――」
そして慌ててメモの様なものを取りだそうとした。
『ダメだ!』
おそらく彼女はとても優秀な魔法職なのだろうけど、冒険者ではない。実戦には全く慣れていないのだ。冒険者の魔法職であれば攻撃から防御まで、一通り速攻魔法の用意をしているし、今みたいに前衛が時間を稼いでくれれば、すぐに強力な一撃の詠唱を唱えている。
やはり自分が囮になるしかない。
「サラさん!」
私は鞘をつけたままの短剣を前に掲げると、サラさんに声を掛けた。
「アイシャ、私のウォールは縦に二
サラさんはこちらが何をしようとしているか、すぐに分かってくれたらしい。相手は常にサラさんのウォールの横合いを突こうとしている。
ある意味、とても単純な動きだ。なので壁の位置を考えれば相手の動きは読める。読めさえすれば、私でも剣先を腹にぶち込んでやるぐらいは出来るはずだ。
「行くよ!」
「はい!」
ガキン! サラさんのウォールに弾かれた相手が壁際に飛ぶ。
『今だ!』
サラさんの背中、相手の死角から飛び込んで――!
グェエエエエエ!
その瞬間だ。相手がサラさんめがけて口から吐しゃ物を吐いた。目つぶしだ。だがサラさんはとっさに腕を上げて目を庇うと、そのままウォールの呪文を唱え始める。流石はサラさんだ。
だけど私の走り出しは一瞬遅れてしまった。サラさんが呪文を唱え終わる前にその横を抜けないといけない。そうしないと、ウォールに激突するのは、お嬢様もどきではなく私になる。
私は必死に足で床を蹴った。首の後ろがチリチリしたが、どうやら間に合ったらしい。私の体は何かにぶつかることなくサラさんの横を走り抜けた。
視界の端で、相手が振り上げた爪の先が、サラさんの唱えたウォールに激突して弾かれるのが見える。あの長い腕と足は脅威だが、こちらはもう間合いの内側だ。相手の攻撃は届かない。
私は短剣の先を相手の鳩尾目指して突き出した。だがどういう訳か、目の前に相手の足がある。
『えっ!』
思わず心の中で驚きの声を上げた。よく見ると、足の長さが普通の長さに戻っている。つまり相手は手足を自由に伸ばしたり縮めたり出来ると言うことだ。
『こんなの反則です!』
だけど私の心の叫びもむなしく、相手はあっさりと私が差し出した剣先を蹴り上げた。その衝撃に手から短剣が弾け飛ぶ。そして今度は腕で心臓を狙いに来た。私にそれを防ぐ手段は何もない。
『まずい!』
このままだと、私の人生はここでお終いです。
「アイシャ!」
掛け声と共に目の前に短剣の鞘が差し出される。私は躊躇なくそれを掴むと、そのまま相手に向かって突進した。僅かな差で鋭い爪が私の顔のすぐ横を通り過ぎ、鞘が相手の溝尾の下に深く入り込む。
「グエ!」
小さなうめき声と共に相手の体が崩れ落ち、黄金色の長い髪が床の上へと広がった。
「精霊の鎖よ、このものを捉えよ!」
思わず床に座り込んだ私の背後で、サラさんが速攻呪文、「タイト」を唱えるのが聞こえる。気が付けば、あの鋭い爪の痕跡はどこにもなく、ふくよかな体をした少女が、あどけない寝顔ですやすやと眠っているだけだ。
「本当に礼儀を知らないお嬢様だね。これは私の一張羅なんだよ」
そう告げると、サラさんは寝台のシーツをはぎ取って、忌々しそうに自分の鎧についた吐しゃ物を拭った。そして少し考えるような表情をする。
「アイシャ、あんたは……」
だけどそこで言葉を切ると、大きくため息をついた。すいません。油断しすぎですよね。
「まあいいさ。だけど鍛えるだけじゃなくて、もっとお互いの間合いを合わせるとか、実戦向けの訓練もやらないとダメだね」
もしかして、あれに追加でさらに訓練するとか言っています? 私の口からも思わず大きなため息が漏れた。でも今は目の前の問題に集中です。
「これって一体なんなんでしょうか?」
とても病気の仕業とは思えません。私の質問に、サラさんは少し首をひねると、背後で床に座り込んでいたフェリアちゃんの方へ視線を向けた。
「こいつを見るのは初めてかい?」
「は、初めてです。まさかお嬢様自身が――」
そう答えたフェリアちゃんの持つ杖はわなわなと震えている。一応は冒険者稼業の私でもびっくりですから、とても信じられないと言うのはよく分かります。
サラさんは、口から何も言葉が出てこないフェリアちゃんに片手を上げて見せると、私の方へ視線を戻した。
「淫夢だね」
サラさんがあっさりと答えた。
「淫夢ですか?」
言葉だけ聞くと、とってもいやらしい感じだが、実物はいやらしいというより、とっても危険なものな気がする。
「男女関係や金でもめ始めたパーティーが、突然全滅するという話を聞いたことはあるかい?」
「聞いたことがあります。特に危険な場所でもないのに、原因不明で全滅しちゃうという奴ですよね? それって、都市伝説の類だと思ってましたけど?」
「その原因と言われているのが淫夢だ。人の心に入り込んでパーティーの仲間を襲うらしい。もちろん襲われた方は、訳の分からないままに全滅だ。私も与太話だと思っていたけど、どうやら本当の事らしいね」
「それのハグレと言う事ですか?」
ハグレとは本来は迷宮内に存在する厄災が、迷宮の外へと迷い出たものだ。その大半は、『崩れ』、生きている迷宮が活性化した際に、その原因である宝具の封印に失敗すると発生する。
崩れが起きると、火の粉がはじけ飛ぶみたいにハグレが辺りに放たれて、その周囲に人は住めなくなる。まれに発生直後で封印柱を立てられなかった場合にも、ハグレが出る場合もあるが、前者のものが圧倒的に強力だ。
「まあ、そうなんだろうさ」
「何か手はあるんでしょうか?」
「さあ、私は多少の魔法は使えるけど、本職の魔法職という訳じゃない。魔法職とかも関係ないね。ものほんの厄災研究者とかの仕事だよ。もっともそれを連れてきたところで、これが解決できるとは思えないけどね」
そう言うと、何かを憐れむような目で少女を見た。どうやら彼女はもう手遅れだと言いたいらしい。
「それにやっと話が見えたね」
「どういうことですか?」
「何で話が漏れるのを覚悟で、わざわざオールドストーンまで出向いて私達を雇ったかだ。奥様がこの子の婚約が決まったと言っていただろう」
「はい」
「どこかの有力な貴族の次男とか三男とかを、婿にもらえる話が決まったんだろうさ。どこの家でも次男以下の口減らしには苦労しているから、この田舎領地でも御の字というところなんだろうね」
「あの〜、さっぱり分からないんですけど?」
「はあ?」
正直にそう答えた私に対して、サラさんが呆れた顔をする。本当にさっぱり話が見えていないんですよ!
「医者の話も聞いただろう?」
「都から医者を呼ぶという話ですよね」
「それを呼んだのはここの奴じゃない。婚約者の方で病気と言う話を聞いて、医者の手配をしたのさ。婚約が決まった時に病気なんて話になれば、色々と確認したいこともあるだろう」
「そうか、その医者が来る前に――」
「そうだよ。私達とこの子がやりあいさえすれば、私たちが死のうがこの子が死のうが……」
「全て
「自分達で始末をつけるのに比べたら、はるかにあと腐れがない」
なんて人達だろう。娘より家を、貴族の面子が優先だなんて。だが貴族とは家を残すために存在する。だから我々庶民と違って、そういう生き物なのかもしれない。
「ここに長居は無用だ」
このお嬢様は可愛そうだと思うが、サラさんの言葉に私も頷いた。その時だ。部屋の中に誰かが飛び込んできた。トーマスさんだ。
「一体なにごとなんだ!」
トーマスさんはそう叫ぶと、私達を見回し、床に倒れているお嬢さんを見てそのまま固まった。
「こ、これは!?」
「そちらのお嬢さんから、ひどく激しい歓迎を受けたところさ。丁度良かった。どうやら寝相がとても悪いらしいから、ベッドに戻してやりな」
「は、はい」
トーマスさんが呆気にとられた顔で頷く。私はトーマスさんに抱きあげられたお嬢さんの顔を見た。サラさんの言うようにもう手遅れなのかも知れない。でも本当にハグレの仕業なんだろうか?
存在すら不確かな厄災、そのハグレが貴族のお嬢さんに憑りつく。それも婚約が決まったタイミングで? それにここに来てからずっと感じていた違和感。その二つが繋がって、私の中に一つの仮説が浮かび上がった。
まさかとは思うが、そう考えれば全ての辻褄があう。私の単なる妄想かもしれないが、これを確かめない訳にはいかない。私はそう心に決めるとサラさんの方を振り返った。
「サラさん、早く着替えて洗った方がいいと思います。それに率直に言って、匂いもかなり酷いです」
そう話かけて、サラさんに片目を瞑って目配せする。私の態度にサラさんがおやっという顔をした。だがすぐに頷く。流石はサラさんです。今度も私が何をやろうとしているのか、すぐに分かってくれたらしい。
「全くその通りだよ。坊主、水場に案内しな。それと私の荷物はどこだい?」
「あ、あの――」
「私の一張羅が染みになるだろう。さっさと案内しな!」
「はい!」
トーマスさんが、サラさんに突き出されるように部屋を出ていく。寝室には私とフェリアちゃんの二人だけが残された。
「まさか、お嬢様がこんなことになるなんて、
フェリアちゃんが、お嬢様の顔を見ながらぽつりと告げた。その頬には涙が流れ落ち、心から悲しんでいる様にしか見えない。だけどやはり何かおかしい。
「そうでしょうか?」
「えっ?」
私の台詞に、フェリアちゃんが驚いた顔をする。
「これは全て、あなたが仕組んだことじゃないの?」
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