嘘つきはなんのはじまりでしたっけ?

 山間に広がる森の小道を馬車はゆっくりと進んでいく。道と言ってもその大半は積もった落ち葉に覆われていて、この道を知る人と一緒でなければすぐに迷いそうな道だ。


「着きました」


 御者台に座るトーマスさんが声を掛けた。まるでそれが何かの呪文だったみたいに、森が切れて急に視界が開ける。視線の先には山々に囲まれたこじんまりとした盆地が見えた。


「フンネル男爵領です」


 トーマスさんが少し誇らしげに私達に告げた。初冬の柔らかい日差しの下、麦畑がどこまでも風に揺れている。


 遠くに見える丘の斜面には葡萄だろうか? 今は葉をおとした棚と、緑の葉に黄色い果実をつけた木々が広がっているのが見える。まさに平和な田園風景そのものだ。


 私たちは麦畑の中のあぜ道へと馬車を進ませた。その先の低い丘の上に古い石造りの塔に茶色い屋根を持つ屋敷が見える。そのすそ野に同じ茶色い屋根を持つ集落もあった。街道筋にあるような街を取り囲む城壁は見られない。


 馬車は人気がない集落の中を通り過ぎると、枯れた大きな蓮の葉が浮かぶ壕を渡って屋敷の中庭へと乗り入れた。


「ただいま」


 トーマスさんが声を張り上げた。


「トーマス、無事に戻ってこれてなによりだよ!」


 中年の女性がそう答えながら馬車へと走り寄ってきた。


「この屋敷の使用人頭をしているカロン夫人です。と言っても私の母ですが……」


 そう告げると、トーマスさんは頭を掻いて見せる。そして御者台からおりると、私が荷台から降りるのに手を差し出してくれた。彼はとても礼儀正しい人らしい。それにお母さんが使用人頭と言う事は将来性もばっちりです。


「母さん、旦那様と奥様はいるかい?」


「お二人とも書斎にいらっしゃるよ」


「こちらはオールドストーンのギルドから来ていただいた、赤毛組のアイシャールさんに、サラさんです。旦那様に紹介したいと伝えてきてもらえるかい」


 その言葉に、女性がはっとした顔をする。


「これは遠い所、ようこそフンネルまでおいでくださいました。すぐに旦那様と奥様にお伝えしますので、中でお待ちして頂けませんでしょうか?」


 女性は愛想笑いを浮かべると、私達に建物の入り口の方を指さした。


「フェリア、何をぼっとしているんだい。すぐにお客様にお茶をお出しして。それと手足を拭く水の用意もだよ」


「はい、カロン夫人。承知いたしました」


 フェリアちゃんが頭を下げて答える。だが女性はそれを確認することなく、建物の中へと走り去っていった。


「フェリアはお二人の案内を頼む。手洗いの水は俺が汲んでくる。それに荷物も宿舎用の部屋に運んでおく。トーマスは馬に水をやってくれ」


 そう言うと、ハンスさんは馬車から私たちの荷物をおろしはじめた。間違いありません。面白味はないかもしれませんが、ハンスさんはとても頼りになる人です。


 私ならどちらを選ぶだろうか? そんな事を考えていた私の背中を誰かが押した。


「いきなり迷子になる気かい?」


 サラさんの言葉に、私は慌ててフェリアちゃんに続いて屋敷の中に入った。土間を抜けて、塔の横に据え付けられた木製の階段を上り、大きなテーブルが置かれた広間に入る。


「すぐにお茶をお持ちいたします」


「お茶よりも、その噂のお嬢様の状況はどんな感じなんだい?」


 サラさんがフェリアちゃんに声を掛けた。


「私たちが出発する前に、薬師からもらった薬で寝てもらいました。まだ眠っていらっしゃるそうです。ですが薬師が言うにはあまり薬に頼る訳には――」


「それはそうだ。食べるものも食べないで寝続けていれば、体だって弱るだろうさ」


 サラさんが肩をすくめて見せる。その言葉にフェリアちゃんの表情が曇った。


「サラさん!」


 小声でそう言った私に、サラさんが首をひねって見せた。


「アイシャ、こういうのは遠慮したり憚ったりしたところで、何かが変わる訳じゃない。事実を見誤ると大変な事になるのは分かっているだろう?」


「それはそうですが……」


 気のせいだろうか? サラさんの台詞を聞く前、いや、フンネル領に来てから、フェリアちゃんの顔色がすぐれないように思える。それにカロン夫人の彼女の扱いも雑だった。


 でも領主の舘に仕えるなんてのは、これが普通なのかもしれない。家柄など関係ない、実力一本やりの冒険者生活の方が、やはり私にはあっている気がする。


「お茶になります。熱いので気をつけてください」


 そんな事を考えていた私の前に、お茶が差し出された。だがそれに口をつけようとする前に、誰かが部屋に入ってくる気配がする。


「赤毛同盟の皆さま」


 カロン夫人の声が部屋に響いた。


「母さん、赤毛組だよ」


 その後ろから入ってきたトーマスさんが訂正した。ずっと間違えられたままだと、嫌味男を思い出してしまうのでとても助かります。


「失礼しました。赤毛組の皆さま、旦那様と奥様がすぐにお会いしたいとのことです。書斎までご足労頂けませんでしょうか?」


「あの、まだ鎧のほこりも落としていませんけど、失礼になりませんでしょうか?」


「はい。お疲れとは思いますが、旦那様としてはすぐにお会いしたいとのことです」


 その台詞に、サラさんが私に小さく肩をすくめて見せた。どうやら、礼儀作法などというものにかまけている時間は無いという事らしい。


「はい。ではお伺いさせていただきます」


「お前達も一緒に来るようにとの旦那様からのお言いつけです」


「はい」


 トーマスさんとフェリアちゃんも頷く。私たちはカロン夫人の後に続いて、一度部屋から出ると階段を三階まで登った。


 そこは領主の家族の居室になっているらしく、廊下に沿って扉がいくつか並んでいる。カロン夫人は盾に鷹の紋章の浮き彫りがされた扉の前で足を止めた。


「旦那様、冒険者の皆様をお連れしました」


 カロン夫人はそう告げると、扉を開けて私達に中へ入るように促した。窓際に置かれた丸いテーブルを前に、二人の人物が座っているのが見える。


 一人は貴族らしい襟をたてた刺しゅう入りの服を着ており、その横にはベールを被って刺しゅう入りのワンピースを着た女性も座っている。


 何より、二人ともとてもふくよかな体型だ。男性にいたっては顎の肉で首が全く見えていない。


「オールドストーンのギルドから、赤毛組のお二人に来ていただきました」


 トーマスさんは跪くと二人に向かってそう告げた。私達もトーマスさんの後ろで跪く。


「赤毛組のアイシャール・ウズベク・カーバインと申します」


「同じく、赤毛組のサラ・アフリートです」


「ようこそ、フンネル男爵領へ。グロイト・フンネルです。こちらは妻のサンドラです」


 そう告げると、男性は私達に立ち上がるように合図した。


「サラ・アフリートさんでよろしかったですかな?」


「はい」


「お名前を聞いたことがあるような気がするのですが?」


「以前、この近くで冒険者をしていました。一時期引退していたのですが、最近またこの仕事に復帰したところです」


「やはり、オールドストンのサラ殿ですか? あなたの様な高名な方に来ていただけるとは、パール・バーネルに祝福あれです」


「ありがとうございます。今回はお嬢様の警護とお聞きしています。お嬢様のご様子と、どちらにいらっしゃるかを教えていただけませんでしょうか?」


 サラさんの率直な発言に、私だけでなく、隣にいるトーマスさんも固まっている。普通、貴族相手には天気の話だの領地を褒めたりとか、一通りどうでもいい話をしてから、やっと要件を切り出すものじゃないんですかね?


「流石は優秀な冒険者の方々です。そのように率直に要件についてお話いただいた方が、私どもとしても安心出来ると言うものです。そうだろう、サンドラ?」


「はい。私もそう思います」


 体こそふくよかだが、夫人の表情には生気というものが感じられない。やはり一人娘のことなので、とても心配しているのだろう。男爵の金色の髪にも白いものが多く混じっているのが見える。


「正直、我々では何が起きているのかすら、よく分かっておりません。ただはっきりとしていることは、娘が日々衰弱する一方だという事です」


「娘は婚約が決まったところだと言うのに……」


 夫人が顔をハンカチで覆ってむせび泣く。その背中をフンネル男爵がそっとさすった。


「我々に出来ることは、皆さんを信頼して、娘を守ってやることしかできません。どうかよろしくお願いします」


 そう言うと、男爵は小さく頭を下げた。庶民の私としては貴族に頭を下げられたりすると落ち着かない。


「先ずは娘のアンリに会って、その様子を見て頂くのが一番だと思います。フェリア、お二人をアンリの寝室にお連れしなさい」


「はい。旦那様」


 フェリアちゃんが裾を上げて頭を下げると、私たちの方を振り向いた。


「こちらになります」


 フェリアちゃんに続いて書斎から出ると、廊下のさらに奥へと進んだ。その先には重々しい木の扉が見える。周りは石造りになっていて、明らかに他の場所とは作りが違う。どうやらここが塔への入口らしい。


 私たちはその先に続く螺旋階段を上ると、一番上にある小さな扉の前へと出た。


「こちらが寝室です」


 鍵を手にしたフェリアちゃんが私達に告げた。ここが寝室? 誰かを閉じ込めておくための牢にしか見えない。それになんだろう。誰かが近くで魔法を唱える時みたいに、首の後ろがチリチリする感じがする。


 だがフェリアちゃんは特に何かを説明することなく鍵を扉へと差し込んだ。


 ガチャリ


 鍵が開く金属音に続いて、扉が小さな軋み音を立てながらゆっくりと扉が開いていく。フェリアちゃんは先に部屋の中へ進むと、鉄格子付きの窓に掛かっていたカーテンを開けた。


 差し込んだ光に照らされた部屋の中には、天蓋付きの大きな寝台があり、そのベールの向こうで、金色の髪の少女がすやすやと眠っているのが見える。その顔は両親そっくりでとてもふくよかだ。少なくともやつれている様には見えない。


「アンリお嬢様です」


 手にした鍵で扉を閉めたフェリアちゃんが答えた。どういう事だろう。その寝姿を見る限り彼女に何か異変が起きているとは思えない。


 彼女の顔をよく見ようと、寝台に向けて一歩足を進めた。その時だ。誰かが私の襟首を掴むと、後ろへと引き戻す。


「アイシャ、これはやばい奴だ」


 次の瞬間、ベールの向こうから、黒い影がこちらへ向かって跳躍して来た。それはサラさんが鞘ごと振り下ろした短剣との間に火花を散らすと、部屋の隅へと方向を変える。そして壁を蹴ると再びこちらへと跳躍してきた。


「精霊よ我が盾となれ!」


 サラさんが左手を掲げて呪文を唱える。「ウォール」、目に見えぬ障壁を張る即効呪文だ。相当に魔力を注ぎ込んだらしく、首の後ろがチリチリする。


 ドン!


 その目に見えぬ壁へ何かが激突した。同時にガラスを釘でひっかいたみたいな、耳を覆いたくなる音が部屋の中に響き渡る。私はその音を立てている者の姿に驚愕した。確かにそれは人の姿をしていたが、とても人と呼べる存在とは思えない。


 その手足は普通の人間の二倍近い長さに伸び、手と足の指先からはクマよりも鋭い爪が生えている。それが目に見えぬ壁を打ち破ろうと、激しく打ち下ろされていた。


 だがそれが身にまとっているのは、間違いなく若い女性ものの寝具であり、黄金色の髪が胸元へとかかっている。さっきまですやすやと寝息を立てていた少女の名残だ。


「グルルルル!」


 その得体の知れない何かは、ウォールの障壁から飛びのくと、天井に爪を食い込ませて威嚇の声を上げた。


 天井からこちらを見る首がぐるりと半回転する。人の首にこんな動きなど出来ない。迷宮から迷い出てきたはぐれの厄災だと言われた方が余程に納得だ。


「嘘はいけないね」


 天井にいる何かに対して間合いを取りながら、サラさんがぽつりと呟いた。


「どうやら私らは、この礼儀を知らないお嬢様の護衛に雇われたんじゃない。このお嬢様からここにいる連中をを守るために雇われたんだ」


 そう言うと、サラさんは私に対してニヤリと笑って見せた。

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