これが私達の初仕事!
「お久しぶり。一体何年ぶりかしら?」
そう声を掛けたサラに、年季が入った事務机でペンを走らせていた人物が顔を上げた。片手を上げて少しずれた眼鏡を直して見せる。
「冒険者に復帰したそうじゃないか。リアがまるで弾丸みたいに部屋に飛び込んできたぞ。何はともあれ元気そうで何よりだ」
「おかげさまでね。と言っても、ブリジットハウスの迷宮が飛んじまったから否応無しだよ。いや、ぶっとんだおかげで目が覚めたとでも言うべきかね?」
「人の生き方は、本人が納得している限り他人があれやこれや言うべきものではないと思う。だけど何かが違うと思うのであれば、道を変えるのは決して悪いことではないと思うね」
「やっぱりギルド長なんてやっていると、奥歯に物が挟まった言い方しか出来なくなるみたいだね。男から目が覚めたのかとはっきり言わないの?」
サラの言葉に、初老の男性は小さく含み笑いを漏らして見せた。
「女性の男の好みについて男から言うべき事などないよ。それに経験して初めて分かることは色々とある。世の中無駄な事などなにもないさ」
「本当にあんたは相変わらずね、グレイ」
そう告げると、サラは男性に向かって肩をすくめて見せた。
「立ち話もなんだ。そこに座ってくれ。お茶でも淹れよう」
「お茶なら私が淹れるよ。どうせ場所も何も変わっていないんだろう?」
「ここは時が止まった場所だ。そのせいだろうか、君がリアぐらいだった時の頃が昨日の事のように思える」
「そうね。でも未来永劫変わらないものなんて、何もないでしょう? 私がリアの歳の時、あなたの右腕はまだあなたの体についていた」
そう言うと、サラは暖炉の上のヤカンで淹れた茶を手に、長椅子に腰を下ろした。
「むしろ右腕一つで済んだのは幸運だったよ。それで得られたものを思えばなおさらだ」
「それは私に対する嫌み?」
「まさか。心の底からそう思っているよ。ブリジットハウスの件でも君が無事だったのはなによりだ。ところで一体何が起きたんだ?」
「その件について言えば、正直何も分からない。大きな目玉を持った、魂喰らいの上級種が地上まで出てきて、封印柱を全部なぎ倒した」
「『暗きものの御使い』、個人的には一番出会いたくない奴の一つだな」
そう漏らした男性が顔をしかめてみせる。
「でもその後に突然消えちまった。迷宮も消えて潜っていたやつらが口をポカンと開けて立っていた。それだけよ」
「死んだ迷宮のはずだが、単に死んだふりをしていただけなのかもしれないな」
「確かに生きた迷宮に潜った時と同じ、ぞくぞくした感じはしたね」
「でもそれがいきなり活性化して、崩れが起きたとしても腑に落ちない話だな。だが個人的にはブリジットハウスの件なんかより、こちらの方が余程に驚いた」
そう言うと、グレイギルド長は机の上から何か平たいものを手に取ると、それをサラの前へと差し出した。そこには百合の紋章が描かれた金属板が置いてある。
「正直なところ、手が震えたぐらいだよ」
「あの子のギルド証? 私も流石にびっくりしたけど手が震える程のもの?」
「もしかして、中はまだ見ていなかったのか?」
「単なる受付だよ。中身をみる権限なんてない」
「中に登録を保障した人物の裏書がある」
「裏書?」
グレイギルド長の言葉に、サラが不思議そうな顔をした。
「ギルド証だけじゃなく、そのぐらいは本物かどうか確認する。普通はギルド長、大きい所だと代理の事務長の署名がある。だがこれは違うんだ」
「じゃ、誰が署名したんだい?」
「4人署名している。それもギルドの人間じゃない。自分で確認し給え」
グレイの言葉にサラはギルド証を手に取ると、特殊な機器で開けられたその裏に視線を走らせた。
「グレイ、これって!」
サラが手にしたギルド証の裏書には、確かに4人の名前があった。それも、この世界でもっとも有名な冒険者四人の名前が書いてある。
「ほら、手が震えるだろう?」
サラが自分の手を見ると、確かにギルド証を掴む手が震えている。
「あの子は受付に来た時、前にいたパーティーの名前に、『神話同盟』って書いたんだ。いきなり嘘はやめなって言ったんだけど、本当だったと言う事?」
「一時期、神話同盟に新人が入ったという話が流れてきた。そのあと何も噂を聞かなかったんだが、どうやらあの子がその新人さんだったようだな」
「ブリジットハウスの件でも、あの子は魂喰らいに短剣一本で向かっていったんだ。余程の馬鹿か、只者じゃないかのどちらかだとは思ったけど、やっぱりそうだったんだね」
「短剣一本で、『暗きものの御使い』に? 神話同盟の四人が自分たちの特権を使ってまで、ギルドに登録しただけのことはあるな」
「グレイ。でも違うんだよ。あの子には気合はあるけど、そんな力があるようにはさっぱり思えないんだ」
「サラ、強さと言うのは剣の振り方や唱えられる魔法の種類で決まる訳じゃない。あの子の強さは、もっと別な種類のものなんだろう。それも神話同盟の4人が認めるぐらいの」
「正直なところ、私にはさっぱりだよ。どこかの迷宮に潜ったら、すぐに遠い所にいくとしか思えない」
「ならばやることは一つじゃないのかな?」
「やること?」
「そうだ。私が昔に君にやったことと同じことだよ」
「ふう~~」
なんでしょう。実家の隣の家にいたおばあさんの様な声が、口から洩れてしまいます。お腹は一杯。それに眠気と戦いながら必死に不寝番をする必要もありません。
暖炉では薪がパチパチと平和に燃えていて、ずっと足を動かしていないと凍傷になることもありません。
『極楽です!』
もしかして父の遺言なんて無視して、どこかの貴族のおじいさんの後妻になるとかしたら、夜さえ我慢すれば、このような日々をおくれたのでしょうか?
そんな事はないですね。間違いなく精神的に病んだに違いありません。やはり働かざる者食うべからずです。そう思って背中を伸ばした時だ。
「先ほどのお話を、こちらでもう一度お願いします」
不意に背後からリアさんの声が響いた。続いて複数の足音もする。
「アイシャールさん、お時間をいただいてもよろしいですか?」
「あ、はい」
「先ほどは失礼いたしました。改めましてオールドストンで受付を担当しています、リアと申します」
そう言うと、頭をぺこりと下げる。さっきのサラさんへの態度とは違い実に他人行儀な態度だ。
「こちらの依頼の件について、お話を聞いていただけませんでしょうか?」
そう言うと、背後にいる三人の方を振り返った。
「『赤毛組』のリーダーのアイシャールさんです。こちらは依頼人のフンネル男爵家の代理人で……」
「トーマスと申します」「ハンスと言います」「フェリアと申します」
三人が丁寧に頭を下げた。私も膝のパンくずを払って立ち上がると三人に頭を下げる。
「赤毛組のアイシャールです。どうか、アイシャと呼んでください」
「今回のフンネル男爵家からの依頼は、普通の依頼と少し違うのと、要件の都合上、男性に任せることができません」
そう言うと、リアさんは私の方をちらりと見る。いや、間違いなく胸を見た。あの、お互い服を着ていて分かりませんが、それほど違いはないと思いますよ!
「ですので、私の方で『赤毛組』を推薦させていただきました。アイシャールさんの方でお話を伺って、受託可能かどうかの判断をお願いします」
そう言うと、リアさんは再び一礼して受付の方へ戻っていく。ちょっと待ってください。もしかして私一人でそのお話とやらを聞かないといけないんですか?
「とりあえず、座ってください」
私は隣のテーブルに自分が食べた食器を置くと、三人に椅子をすすめた。みんな年齢は私とそう変わらない。つまりとっても若いという事だ。
トーマスさんは少し背が高く、ひょろりとした感じだが、とてもやさしそうな茶色の髪に濃い青の目の人だ。狩猟用を少し大きくした弓を背中に背負っている。
ハンスさんは少し背が低くがっちりとした、農夫さんによくいる体形をしている。こげ茶色の髪に髭を少し伸ばしているが、そのほっぺたにはニキビの跡が目立つ童顔だ。
フェリスさんは色白のすごくかわいい子で、黒髪に黒い大きな目をしている。杖を手にしている所を見ると、魔法職らしい。人見知りする人なのだろうか? 二人に隠れるようにこちらを見ている。
「それで、どのような依頼でしょうか?」
「はい。お嬢様の警護をお願いしたいのです」
「
厄災の相手をするだけが、冒険者の仕事ではない。キャラバンや要人警護なども仕事としては存在する。だが決して多くはない。それは冒険者からしてみれば、手間がかかる上に実入りが多くはないからだ。
「当家、フンネル男爵家には、フェリアと同い年のお嬢様が、お一人いらっしゃいます。最近その周辺で、奇怪としか言いようのない事が起きているんです」
「具体的にはどのようなことでしょうか?」
「すいませんが、依頼を受ける受けないに関わらず、これから話す内容は他言無用でお願い出来ますでしょうか?」
そう言うと、トーマスさんは辺りを伺った。もちろん昼過ぎのこの時間、誰もこちらに注意を向けている人はいない。
「はい。この件を受ける受けないに関わらず、他言しないことを赤毛組の名で誓います」
私の言葉に、トーマスさんは頷くと何かを決心した様に口を開いた。
「最初は一人で部屋にいるはずなのに、誰かとしゃべっているというのを聞いたという話が、使用人たちの間で広まりました。実際、私もドア越しにそれを聞いたことがあります。それでフェリアと一緒に中に入ってみたのですが……」
「誰もいなかったんですね?」
年頃の女の子だ。自分の妄想にふけるぐらいあってもいいのではないだろうか?
「はい。そうなんです。それにおひとりで庭を散歩しに行かれてしまった時の事です。慌てて追いかけたのですがお嬢様のお気に入りの楡の木、それもとても大きな木が倒されていました」
「どのようにですか?」
「まるで小枝を裂いたみたいに、真ん中から切り裂かれていたのです。とても人の技とは思えません」
「不思議ですね」
何かの技を突然閃いた? 流石にそれはないか。確かに何かおかしな事が起きているらしい。
「はい。今の所、何も掴めておりません。ともかく経験のある冒険者の方に、警備をお願いするほかないという次第でこちらに来ました」
そう言うと、三人はすがるような目で私の方を見た。
「旦那様が、都から高名な医師の方を招く手配をしています。そのめどがつくまで、どうかお嬢様を守って頂きたいのです!」
トーマスさんの言葉に、ハンスさんも頷いて見せる。
「残念ながら、当家はさほど裕福ではありません。医師を招くのにもお金がかかります。報酬は週に銀貨5枚、とりあえず2週間はお願いするという事でいかがでしょうか?」
「私達以外にも、当たって見なくていいのですか?」
私の言葉に、三人が顔を見合わせた。
「自給自足で生きている小さな領地ですので、正直なところ、私たちはギルドに慣れていません。出来れば女性でとお願いしたら赤毛組を紹介して頂きました」
フンネル男爵領は、私の実家の村とさほど違いはないところらしい。二週間で銀貨10枚か……
厄災を相手にするのに比べると、実入りが多いとは言えないが、装備を買い整えるお金も怪しい私達にとっては、ともかく持ち出しがないという点でとても魅力的だ。
「分かりました。この件ですが――」
「なんだい。もう商売の話をしていたのかい?」
私がお受けしますと答えようとした時だ。背後から声が掛かった。振り返るとサラさんが腕組みをして私の方を見ている。
「あ、はい。リアさんから紹介してもらいました。内容としては――」
「あんたたちが話し込んでいる間に、少し立ち聞きさせてもらったよ」
「サラさんなら、何か分かるんじゃないですか?」
「さあね。私にもさっぱりだ。だけどアイシャ、あんたはこれを受けるつもりなのかい?」
その時だ。ずっと黙って、トーマスさんとハンスさんの背後に隠れていたフェリアさんが、私の前へと飛び出してきた。
「どうかお嬢様を助けてください! アンリお嬢様はいつも元気で、私の様な下々にもとてもお優しい方なのです。それがまるで人が変わったみたいになって、やつれ果てています!」
「助ける? せいぜい得体の知れない何かから守ってやるぐらいじゃないのかい。あんた達だって、剣や弓や、杖を使えるんだろう?」
サラさんの言葉に、フェリアさんが激しく首を横に振った。
「私じゃ、私達じゃ無理なんです!」
彼女の目から落ちた涙が床の石に染みを作る。私はお涙頂戴は好きじゃない。だけどこれはとても演技とは思えなかった。彼女は自分の無力を心から嘆いているのだろう。その気持ちはよく分かる。
「サラさん、受けようと思いますが、いかがですか?」
「本気かい? 貴族の家のごたごたに近寄るのはあまりお勧めできないけどね」
「貴族かどうかは関係ありません。人の役に立つことをしたいのです」
「まあいいさ。赤毛組はあんたがリーダーだ。だから私はあんたが決めた事に従うよ」
「なら決まりです。これが赤毛組の初仕事ですね!」
私の発言に三人が不安そうな顔をする。あれ? 口がすべりました? でもサラさんは私と違ってベテランですから、きっと大丈夫ですよ!
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