やられっぱなしという訳にはいきません!
ギィーー!
真っ暗な闇の中、不意に扉が動く音がした。
「こっちだ!」
扉の向こうから差し出された手が私の手首を掴んだ。そして体を扉の向こうへと引っ張り出す。
「奴が来る。急げ!」
「トニオさん? どうして――」
その意外な人物に私は驚いた。だがトニオさんは私の問いかけに答えることなく、私の手を引いて走り出した。未だ手に持っていた魔石の僅かな明かりしかないが、トニオさんには進むべき道が分かっているらしい。
ギ、ギギギギィ――
駆け続ける私達の靴音を圧して、背後から何かがきしむ音が聞こえてくる。鉄の扉の所にあの目玉お化けがたどり着いたのだ。
バン!
不意に何かが弾け飛ぶ音がした。背後から吹く突風に体が吹き飛ばされそうになる。
「化け物め!」
前を走るトニオさんがそう呟くのが聞こえた。あのビチャビチャという音も再び聞こえてくる。けれども私達の行く手に出口のものらしい白い光が差し込むのが見えた。
『あと少しだ!』
私たちは出口へ向かって一気に坂を駆けあがった。
ヒューー!
地上へと出たとたん、冷たい風と水滴が私の頬を叩く。見上げると朝に見えていた日差しはどこにもなく、真っ黒な雲がすごい速さで右から左へと流れていくのが見えた。
「止まるな。封印柱の外まで一気に走るぞ!」
私の方を振り向いたトニオさんがそう叫んだ。私も彼に頷き返す。封印柱はその言葉通り、迷宮を封印するために建てられた結界だ。その外にはあの目玉お化けもそう簡単には出てこれない。
私は窪地にある、まるで巨人がダイス遊びをしたみたいな巨大な四角の石の間を、トニオさんの後について走った。降りてくる時には分からなかったが、それがこの窪地を迷路みたいにしている。私一人では、窪地から外へ出ることすら叶わなかったかもしれない。
ズドドン!
再び背後で何かがはじけ飛ぶ音がした。思わず足を止めて振り返ると、神殿の如く組み上げられていた巨大な石が、砂埃と共に大小の破片となり果て、そのまま天高く吹き飛ばされていく。
「あぶない!」
その呼び声と共に私の体が押されて、巨石の壁へと押し付けられた。
「き、気をつけろ」
頭から砂を被ったトニオさんが、私にそう声を掛けた。気のせいだろうか、その息はとても荒い。その背後では、かつては迷宮の入り口だった石の破片が散弾の様に降り注いだのが見える。
それのどれか一つでも当たっていたら、その時点で私の人生は終りだった。
「あ、ありがとうございます」
「あと、あと少しだ」
そう言うと、トニオさんは大きく息を吸いながら、背後に立つ封印柱を指さした。私はトニオさんの指先が血で真っ赤に染まっているのに気が付いた。
「トニオさん!」
よく見れば、皮の鎧から血が地面へと滴り落ちているのも見える。次の瞬間、トニオさんの体はまるで糸が切れたみたいにがっくりと崩れ落ちた。
トニオさんの体を支えて、ともかく身を寄せている巨石の影へと運び込む。その間にもトニオさんの顔は紫色から土色へと変わっていった。
「どうして私を?」
止血布でともかく血を止めようとしながら、思わずそう口にした私に向かって、トニオさんは僅かに口元に笑みを浮かべて見せた。
「礼なんかいらない。そもそも俺たちはあんたを殺すつもりだったんだ」
「殺す?」
その言葉に私は驚いた。一体どういうことだろう?
「そうだ。あんたが持っている一級の宝物やら魔道具狙いだ。それだけじゃない。殺す前にあんたを犯す気だって満々だったんだ」
「だったらどうして?」
「さあな。あんたが一人目じゃない。何度も同じことをやってきた。いい加減、うんざりしてきたんだろうな」
そう告げると力なく苦笑いをして見せた。
「俺はもうだめだ。これまでの罰が当たったのさ。俺なんかに構わずさっさとここから逃げてくれ」
追い払うように片手を振ったトニオさんに、私は首を横に振った。命の恩人を置いて自分だけが逃げるだなんて出来る訳がない。私の魂がそれを許さない。
「一緒に逃げましょう」
私は腹部を止血布で締め上げながら、トニオさんに告げた。
「何を馬鹿な――」
「これでも荷物持ちは散々やらされましたからね。結構力持ちなんですよ」
トニオさんは私に何かを告げたみたいだが、私はそれを無視するとその体を背中に担ぎ上げた。見れば私が巻いた止血布もすでに真っ赤に染まっている。
私はエミリアお姉さまとは違い、回復の呪文が一切使えない役立たずだ。ともかく一刻も早く街へ戻って治療師に見せるしかない。
辺りは吹きすさぶ風にもうもうと砂埃が舞い上がり、5ヒロ先もはっきりとはしない。だが空の先にうっすらと影を映している封印柱に向かって私は歩き出した。いや、走り出した。
どういうことだろう。背後に背負っているトニオさんの体も全くその重さを感じない。これが火事場の馬鹿力というやつなのだろうか? まるで空気が詰まった袋でも背負っているみたいに感じる。
私は大小の石が降り注ぐ中、ひたすらに封印柱を目指して走った。そしてついにその影へその身を躍らせる。
「トニオさん、結界を抜けました!」
私は背中のトニオさんに声を掛けた。だが何の答えもない。
「トニオさん?」
慌ててトニオさんの体を、封印柱の影の草むらへと下ろして、首元へ手をやった。そこには何の脈動も感じられない。私は彼のまぶたをそっと閉じると、胸に拳を当ててこの地を離れし彼の魂に祈りを捧げた。
トニオさんは彼が言った通り、咎人とでも言うべき人だったのかもしれない。だが私にとっては間違いなく命の恩人だった。
ズドン!
その時だ。再び大きな音が響く。辺りに砂埃、いや砂の雨とでも言うべきものが落ちてくる。そうだ。こうしてはいられない。街に、ギルドへ戻って、この緊急事態を知らせないといけない。
立ち上がろうとした私の上に、不意に大きな影が覆い被さった。見上げると、その影に押されて巨大な封印柱が、ゆっくりと私の方へ倒れようとしている。吹く風が砂埃を流しさり、その向こうにいる者の正体を明らかにした。
あの目玉、今では4、5人で腕を広げた大きさまでに成長した巨大な目玉だ。その後ろに真っ黒なナメクジみたいな体が続いている。それが封印柱を押し倒し、結界の外へ出ようとしていた。私は傾いた封印柱から逃れる為に必死に走った。
ズドドン!
まるで雷がまとめて落ちた様な音と共に大地が震動した。それに足元を取られて、地面へ転がってしまう。私は吸い込んだ土埃に盛大にむせながら辺りを伺った。
奴は全ての封印柱をなぎ倒すと、まさにナメクジが這うようにゆっくりと街へ向かって進んでいく。今やその大きさは一つの丘、漆黒の丘が動いて見える程の大きさだ。それが糸を伸ばす様に、体の一部を前へと伸ばした。
「ギャ――――!」
耳をつんざく誰かの悲鳴が聞こえる。その黒い糸の先には盾を背にした人物が必死に手足をばたつかせているのが見えた。カストルさんだ。だがその努力は何の効果もなく、彼の体は中空へと持ち上げられた。
カストルさんの手が腰の短剣に伸び、それを自分の喉元へと向ける。次の瞬間、その体は黒い粘膜の中へと吸い込まれた。彼の努力をあざ笑うかのように巨大な目玉の端が震える。
それはゆっくりと向きを変えると、今度は私をその漆黒の瞳で見つめた。
「そうか、お前は私の魂が欲しいのか?」
私は目玉に問いかけた。もちろん奴からの答えなどない。私は腰に差していた短剣を抜き放った。これはフリーダお姉さまからもらった、私にはもったいないぐらいの業物だ。
「お前なんかにはやらない。これはもう私一人のものじゃない」
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