何事もリハーサルは大事です

 ドン!


 弾き飛ばされた体が受け身無しで壁に激突する。その痛みは背中から全身へと駆け抜けた。それだけではない。バランスを崩して、体が天井から落ちた瓦礫の上へまともに倒れそうになった。


 私は左足を前に出して体が倒れるのを必死に防ぐ。だが私の体は止まることなく、瓦礫の向こうの通路へと倒れ込んだ。


 ズズズ、ズズズ


 再び背後から何かがこちらへと向かってくる音が聞こえる。こんなところに寝っ転がっている場合ではない。私は壁に手をついて体を起こそうとした。


「痛い!」


 だが思わず口から悲鳴が漏れた。体重を掛けようとした左の足首から、焚火の先にそれを突っ込んだみたいな激しい痛みが襲ってくる。


 それでも歯を食いしばって体を何とか立たせたが、そこから左足は一歩も動こうとしない。背後から響く音はより大きくなっている。このままだとすぐに追いつかれてしまうだろう。


『そうだ!』


 私は皮の鎧の胸元をはだけると、下着の胸ポケットへ手を入れた。確かここに――。あった、エミリアさんからもらった薬が指先に触れる。これは見事に二日酔いに効いてくれたから、足首の痛みにも効いてくれるはず。


 面倒な事抜きに、ポケットにあったそれを全て掴むと口の中へと放り込んだ。朝もだえ苦しんだ、あの苦みが口の中へと広がり、思わず吐き出しそうになるが問答無用でそれを一気に飲み下した。


 その苦みは口の中だけでなく、喉を、そして胃へ降りて行っても、まだまだその苦味を感じられるぐらいだ。だがそれと同時に、私は足首の痛みが先ほどまでの燃える様なものではなく、単なる鈍痛へと変わっていくのを感じた。


『エミリアさん、ありがとうございます!』


 私は心の中でエミリアさんに地面に頭を擦りつけて感謝すると、元来た通路を再び駆けだした。足首には何の問題も感じられない。だけどすぐに真っ黒な何かが私の目の前に立ちふさがる。


『もしかして、あの目玉お化けがもう一匹いる?』


 一瞬そう思ったが違った。入ってくる時に勝手に閉まったあの大きな鉄の扉が、私の行く手を塞いでいる。


 把手は、把手はどこだろう。私はひんやりとした扉の正面を両手で撫でまわしたが、どこにもそれらしきものはない。それに扉自体がぼんやりと光っているのにも気がついた。これは物理的なものではなく魔法で封印されている。だとすればこれを開ける呪文、合言葉を知らないと開けることが出来ない。


 ビチャ、ビチャ


 あれが通路をこちらへと近づいてくる音はすぐ背後まで来ている。


『迷宮に入る時はそれが毎日通り過ぎるところだとしても、何度でもその入り口を確認しろ』


 あの男アルフレッドは乙女に対する礼儀を知らない男だが、言っていることは正しい。それを怠った私は、こうして迷宮の入り口でその命を終えようとしている。


 私はどこかに行ったナイフに代わって、左足にさしていたナイフを抜いた。それを喉元へと当てる。せめて最後ぐらいは、冒険者として正しいことをしないといけない。




「ちょっと、リリスちゃん。派手にと言っていた割には、随分地味と言うか、かな~り奴を選んだわね。もしかして、ホラー路線を狙った訳?」


 そう言うと、エミリアは隠者の影の向こう、闇の中で震える大きな目玉を指さした。


「それにあの中でも一番役に立ちそうな奴を、いきなり食べちゃうなんていうのはシナリオ的にも困るんですけど!」


「そうだ、そうだ!」


 エミリアの言葉にフリーダも同意して見せる。だがリリスは二人に向かって頭を横に振った。そしていつもの上から目線ではなく、見かけ通りの少女みたいな顔に当惑しきった表情を浮かべて見せる。


「あれは我が用意したのとは違うのだ!」


「どういう事?」


 リリスの言葉に、エミリアとフリーダも当惑した表情をする。


「我はもっと分かり易い相手、火蜥蜴サラマンダーを用意しておいたのだ。やっと思い出した。あれは我が昔に捨てたゴミだ!」


「ゴミ? それってどういう事?」


 エミリアが、さらに当惑した表情でリリスに問いかける。


「遥か前の事だから忘れていたのだ。裏庭の間引きをした時に、ゴミとしてどこかに捨てた奴だ。ここは我のゴミ袋の一つなのだ」


「リリス、ゴミの話はどうでもいいから、さっさとあれをぶっ飛ばしてアイシャを助けろ!」


 そう告げると、フリーダは揺らめきの向こうにいる目玉に向かって剣を差し出した。巨大な目玉と、それに続くネチャネチャした体が、扉を開けようとしているアイシャのすぐ背後まで迫ってきている。


「出来ぬ!」


「はあ?」


 その答えに、フリーダが剣をおろして驚いた顔をした。


「あれには我の封印が施されているのだ!」


「ちょっと待って?」


 リリスの言葉に、エミリアも慌てた声を上げた。


「それって、自分で封印を解かない限り、リリスちゃんの力はあれには使えないという事?」


「封印とはそういうものだ」


「なら、すぐに封印を――」


「さっきからやっているのだが、あまりに昔の事で鍵を覚えていないのだ」


 そう答えたリリスが虚空に差し出した手の周りでは、複雑な光の幾何学模様が目まぐるしく浮かんでは消えている。


「それにどうやったかは分からぬが、アイシャが中の封印を解除した。だから迷宮ごと目を覚ましたのだ。今やあれは本物の生きた迷宮だぞ!」


「エミリア、お前で解除できないのか?」


 アイシャの姿をじっと見つめていたアルフレッドが、エミリアの方を振り返った。


「時間さえあれば出来るわ。だけど今すぐは無理。だって、リリスちゃんが作った生きている迷宮よ。ミストランドのグレート辺りとは比較にならないわ」


「エミリア、面倒な事は抜きだ。私が全部ぶっ飛ばす!」


 そう告げたフリーダが剣を腰の位置へと下ろすと、それを後ろへ引いた。剣がフリーダの気を受けて、うっすらと光輝く。


「やめろ、フリーダ!」


「アル、止めるな。時間がない!」


「違う。あれは魂喰らいだ。基本的に物理攻撃は効かない。それでもお前なら吹き飛ばせるだろうが、そんな全力で剣を振るったら、アイシャも迷宮ごと吹き飛ぶ!」


「どうするんだ!」


「俺がいく。俺ならリリスの封印の向こう側へ行ける」


 そう言うと、アルフレッドはエミリアの方を振り返った。


「エミリア、隠者の影の障壁を外してくれ」


「アル君、あなたがあそこに行ってどうするの? あれはリリスちゃんの作り出した、本物の生きた迷宮よ!」


「これはお前たちを止められなかった俺の責任だ」


 アルフレッドはそう告げると、エミリアに対して頷いて見せた。それを見たエミリアが当惑した表情を浮かべつつも、手にした錫杖を前に差し出した時だ。リリスが二人の方を振り向いた。


「待て、アル! 扉が、扉が開いたぞ!」


 四人が見つめる揺らめきの向こうで、アイシャの行く手を阻んでいた鉄の扉が、ゆっくりと開かれようとしていた。

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