花も恥じらう乙女ですから
私は青虫が這うように何とか寝台からはいずり出た。このまま永遠の眠りについたとしても一向に構わないと思うぐらいに眠いが、それではすぐに私の財布が破綻してしまう。
何としてもホールまで行って、どこかのパーティーに潜り込むべく交渉をしないといけない。そもそもギルドの一番に賑わう時間は夕方から宵にかけてだ。昼は単に仕事にあぶれた者たちが時間をつぶすだけの場所に過ぎない。
宵は仕事から戻ってきた者たちが疲れを癒やす、それに明日の仕事の依頼に耳を傾ける時間でもある。何か交渉事をするのであれば、この時間帯以外はあり得ない。なので、どんなに私の心の中の小人たちがまだ寝たいと叫んでいても、広間までたどり着く必要があるのだ。
もっと遅い時間にも人はいるが、今度は酒が入った単なる酔っ払いであり、交渉相手として成立するかはかなり怪しくなってくる。それに16の乙女としては危険な時間だ。だが宵のうちに交渉がまとまらなければ、酔っぱらい相手に泣き落としを掛ける他に手はない。
私はそれだけは荷物から引っ張り出しておいた私服を手に取ると、その匂いを嗅いだ。バラの匂いとは言えないけど、生乾きの革の匂いよりははるかにましなはず。それを上から羽織ると、それほど凸凹がある訳ではないが、体の線が分かってしまうのは気になる。
だけど最後に泣き落とししかなくなった時には、これはこれで役に立つのかもしれない。いや、もしかすると、これしか役に立つものがないのでは!?
やるならとことんです。私は唇にちょっとだけ紅をのせると、上着を着て部屋を出た。広間に行こうとすると通路の丁度反対側にある受付にいたサラさんが、私を見つけて手招きした。あれ、昼間も働いていたはずだけど、もしかして残業ですかね?
「お疲れ様です!」
「本当にお疲れよ」
元気よく挨拶をしてみた私に対して、サラさんがかな~り疲れた表情を浮かべながら答えた。ずっと働きっぱなしとはこのギルドは相当な人手不足なんですね。それなら仕事がない時にここでバイトができるかも。一瞬そんなことを考えた私に対して、サラさんが受付のドアを開けると、そこに置いてあるものを指さした。
「これを部屋まで
そう告げると、さらにうんざりした表情をして見せる。えっ、この大荷物をあの狭い部屋に運び込むんですか? 寝台の上以外に足の踏み場がなくなってしまいます。
「例の確認とかは、終わったんですかね?」
「そうね。終わったというか、危険すぎて途中で諦めたといった方が正しいわね。確認中に主任が倒れちゃって、それを病院に運び込むやら何やらで、私も家に帰れずそのままお仕事よ」
「皆さん大変ですね」
倒れるまで働くなんて、体によくないですよ。
「まあ、あの口うるさい人がしばらく出て来ないと思えば、少しは気が休まるような気もするけど……」
そう言うと、サラさんは私に一枚の青い紙を差し出した。
「これは?」
「そこの食事券よ。心ばかりのお祝いの品というやつね。奥の料理人に出せば無料で食べられるわよ」
「えっ、お金を払わなくてもいいんですか!」
「一食だけよ。それと――」
そう言うと、私服に着替えた私の頭の先から足の先までをじろりと眺める。あのですね、私服は実家にいたときのしかなくてですね、どこからどう見ても町娘にしか見えませんよね?
「ミストランドから来たということで、あなたのことはそれなりに話題になっているわ。でも多少男たちからちやほやされたからって、調子に乗らない方がいいと思う」
「はい」
私は素直に頷いた。でも心配はいらないと思います。前のギルドでもあの嫌み男以外には、私に私的に声をかけてくれる男性なんて、誰もいませんでしたからね。自分の立ち位置ぐらいはよく分かっています。でもなんでかな? 一応は花も恥じらう16の乙女なのだし、もうちょっと何かあっても、良かったと思うのだけど……。
周りにいたお姉さまが、それはもう超絶美しい方々でしたからね。そちらに目が奪われるのは仕方がありません。私など太陽の横にいる暗い星みたいなものです。
私は広間の方へと視線を向けた。そこは昼のあのとてつもなく暗~い雰囲気とは打って変わって、冒険者たちの話し声や食器が奏でる音で活気に満ちている。私が前にいたミストランドとは比較になりませんが、やっぱり冒険者ギルドはこうでないといけません。
ぐ~~~!
その時だ。私のおなかが盛大な音を立てた。これは16の乙女が立てていい音ではありません。目の前にいるサラさんも、口に手を当てて苦笑いをしている。
私はサラさんに小さく頭を下げると、広間の奥へ向かった。テーブルの横を通り過ぎる時、食事をしている人たちが話を止めて、こちらをガン見しているのが分かる。でもともかく先ずは食事です。腹が減ってはなんとやらだ!
「注文は?」
奥にあった配膳台の向こうから、染みがあちらこちらについたエプロンを着た料理人が、私に声をかけて来た。だがすぐにフライパンを振っていた手を止めると、「おや?」という顔をする。町娘姿の乙女が、こんな場所に一人できたら不思議に思いますよね。
「今日のおすすめは何ですか!?」
「おすすめ? そこに並んでいる川魚のソテーに、もも肉の薄切りをそえたものだけど……」
「こちらで大丈夫でしょうか?」
私はドヤ顔でサラさんからもらった青い食事券をだした。
「新人さん? ああ、大丈夫だけど……」
「このパンも、その中に入っています?」
私は配膳台の横のカゴに入れられた、堅焼きのパンを指さした。
「パンは好きなだけ持っていっていい」
「本当ですか!」
なんて素晴らしい! 毎日ここでご飯が食べられるようになるぐらいには、是非に稼がないといけません!
私はおすすめの川魚、たぶんナマズの仲間らしきもののソテーに、塩漬けのもも肉を薄くスライスしたのと、山ほどの固焼きのパン、それに野菜と鳥で出汁を取ったらしいスープを受け取った。ここ数日間はまともな食事を食べられなかった私としては、限りなくうれしい!
ちなみに私は料理が出来ない訳ではない。母はいなかったので私が父の分も含めて、小さいときから料理はやってきた。だけど竈がある台所で料理をするのと、風が吹きすさぶ荒野で料理を作るのは全く違う。
とりあえずは食事に集中したいので、隅っこの空いている席へ腰を下ろして、久しぶりに人間が食べるべきものを口に入れた。
『おいしい!』
思わず目じりから涙が流れ落ちてくる。ちょっと塩味が濃い気もするが、疲れて帰ってきた冒険者たちの味覚に合わせてあるのだろう。バターの風味にハーブもよく効いている。
この感動を語り合う相手がいないのが、本当に残念だ。私の目から先ほどの感動とは別の涙が流れ落ちそうになる。その時だった、スプーンを握る私の手に誰かの影がかかった。
「食事中に申し訳ありませんが、アイシャールさんでしょうか?」
「あ、はい」
「私はアルバートと申します。ここイルカンドのギルドで、一応Aランクの冒険者をさせて頂いています」
男性が私に右手を差し出してくる。私は慌てて膝におちていたパンくずを払い落とすと、立ち上がって彼の右手を握った。
その視線の先では、まだ若い冒険者の男性が、私に屈託のない笑みを浮かべている。短く切りそろえた髭に小ざっぱりした服。何より青い目をしたイケメンだ。
「本当は食事が終わるのを待つべきなのは分かっているのですが、なにせライバルが一杯いまして。やはり我々冒険者は、相手の機先を制するのが重要ですから――」
そう言うと、男性は後ろの方を振り返った。そこには大勢の男性がこちらのテーブルを取り囲む様に立っており、私の方を見ながらしてやられたという表情を浮べている。
「Sランクはいないので、私たちのパーティーがここでは一番上です。もっともアイシャールさんのいらっしゃった、ミストランドみたいな一流の所には立ち入ることすら出来ないと思いますが……」
「そんなことはないと思います!」
人数こそたくさん居ましたが、特にそんなすごい所とは思えませんでしたけど?
「なにせあの、神話同盟のようなパーティーがいるところですからね」
「そ、そうですね……」
思わず心の中でサラさんに感謝する。もし神話同盟の一員だったなんてことがばれていたら、とんでもない勘違いをされたに違いない。
「それにこんなに美しい女性の方が私たちと同じ冒険者だなんて、とても信じられません」
そう言うと、アルバートさんはその精悍な顔に笑みを浮かべて、私をじっと見つめた。
えっ、聞き間違いじゃないですよね。美しいと言いましたよね! もしかして、人生初めてのモテ期到来ですか!?
いや、なんといっても16の乙女なのです。これが本来のあるべき姿です。今モテなかったら一体いつモテるというのでしょう!
「おい、アルバート。お前だけがこちらのお嬢さんと話をすると言うのは、あまりに贅沢じゃないのか?」
もう少し年嵩のいった彫りの深い、鋼の様な筋肉質の体をした男性が声をかけてきた。
「うちのリーダーのカストルさんです。ここのギルド一番の剣士ですよ」
「アル、とっても美人なお嬢さんを前にしているからか? 俺にお世辞を言うだなんて、ずいぶんと口が滑らかになっているじゃないか?」
そう言うと、私とアルバートさんに対して大げさに両手を上げて見せた。見かけと違って、中身はだいぶお茶目な人らしい。
「はじめまして、アイシャールと申します。どうかアイシャと呼んでください」
「こちらこそはじめまして。碧き誓いのリーダーをしているカストルです。以後お見知りおきを――」
カストルさんはそう告げると、床に膝をついて私の手の甲に小さく口づけをした。そして私に席に座るように即すと厨房の方を振り向く。
「今日一番の料理を全部出してくれ。それにエールもだ!」
やはりこれが16才の乙女の正しい扱われ方です。私は向かい側に座った、アルバートさんのサファイヤの様に青く澄んだ目を見ながら思った。同じアルでも、あの嫌み男の濁った水色の目とは大違いだ。
きっとあの嫌み男の邪悪なオーラが、私からモテ期を遠ざけていただけなのです!
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